第5話 宴の後に星は瞬く
ハイトら火龍と人の子孫が暮らす島があるのは、広大な海の真ん中である。多くの国々がある大陸からは遠く離れた海域だ。かつては数多かった龍が多種族との揉め事を避けて住み処を選んだ結果だった。
人の手が入っていない未開地域も多いが、漁村以外に内地の方にも幾つか集落がある。そこでは農業や狩猟、他国への荷運びなどが主な生業となっている。
この日はその全ての集落で、先祖たる火龍を弔う祭の前夜祭が行われていた。
水平線に日が沈みつつある夕暮れ時。
橙色の海と空を望む漁村の広場には活気と喧騒が満ちていた。布や革製品による手の込んだ飾りつけがされ、煌々と篝火が焚かれ、調理された魚介類の香りが人々を誘惑する。
その空気を積極的に楽しみつつ、ハイトも海老の丸焼きにかぶりついた。
「あー、美味えっ!」
思わず満面の笑顔で声を上げる。弾力のある食感と濃厚な味が口いっぱいに広がり、全身に幸せが満ちる。他の魚介料理も手間と貴重な食材、香辛料が惜しまず使われており味は確か。
滅多にない贅沢に、この日の疲れもすっかり晴れ渡る。
激動のクラーケン漁から半日程が経っていた。
帰ってきた傷だらけの漁師達の姿に村は一時騒然としたが、全員大事には至らず、治療も済んだ。だから村人達は安心し、予定通り前夜祭は開催された。もう心配は要らないとの事で、イーサンを筆頭に喧しく祭に参加している者も多い。
それどころかぐいぐいと酒を呑む彼らはひたすらに陽気で自慢気だった。
「ぷっは! やっぱし俺らの獲った魚は最高だな!」
「しっかし肝心のクラーケンは駄目だったな。あれじゃ供え物にならねえし、今年は
「仕方ねえ。命があるだけ儲けモンだ」
「来年は鯨でも獲って見返しゃいいさ」
「そりゃ流石に厳しいだろ」
「ちょっとアンタ、いい加減にしときな」
「祭りなんだ。好きにさせてくれよ母ちゃん。な、お前からも言ってくれよ」
「お父さん、言うこと聞かなきゃ駄目なんだよ」
「ははっ。ガキにも言われちまったな!」
勿論楽しんでいるのは漁師だけではない。老若男女が思い思いに料理を食べ、飲み、謳歌している。
この祭は三日間に渡り、国中で行われる。
かつて繁栄していた龍達の功績を称え、陽気に騒ぐ前夜祭。
祖龍の死を悼み、慎ましく儀式を行う二日目。
そして子孫である自分達の発展と幸福を願い、陽気に騒ぐ三日目。
長年続く伝統と信仰。ただ賑やかなだけではない、この国の民にとっての価値ある時間だった。
しかし、ハイトは一人、そんな祭の喧騒から離れて浜へ通じる道の前に佇んでいる。
酔っ払いに絡まれたくないという理由もあるが(誇張された武勇伝に始まり、下品で下世話な話に続き、寝入った中年の後始末で終わる夜など苦痛でしかない)、主な理由は別にあった。
「おーいお前ら、そっちに行くんじゃねえ」
「えーなんでー」
「でっかいの近くで見たいー」
「あの変なの誰ー」
はしゃぎながら突撃してきた幼い子供の襟首を掴み、ハイトは止める。小さな村なので全員が顔見知り。互いに遠慮がない。
子供達の目当ては浜にあった。回収してきた異形のクラーケン、そして流星の戦士と鋼の鳥だ。
戦士は一人、回収したクラーケンの傍にいる。島に来てからずっとそうだった。
前夜祭にイーサンや村長が感謝を述べつつ誘っても、ハイトが手を引いて連れていこうとしても、頑として動かなかった。
気にはなる。だが頃合いを見計らい幾つかの料理を持っていっても、反応は芳しくなかった。
とはいっても拒絶されているのではない。言葉や文化の問題でもなく、重大な使命感の元に決断し、行動している。そんな凛々しさを工具を手に作業する姿から感じていた。
ならばハイトはその意思を尊重するまで。
「俺の分も食っていいからあっちには行くな」
「えー」
「ほれ、あっち見てみろ。踊り始まったぞ」
「え、わー本当だー」
ハイトが指した広場では特別に着飾った踊り手による舞踏が始まっていた。魔王を打倒した英雄譚を題材にしたものである。楽器の演奏に加え魔王を模した大道具も用いられ、今まで以上の盛り上がりが見られた。それに釣られ、子供達は元気に駆けていった。
溜め息を吐き、それからハイトもまた舞踏に見入る。
しかし、意識は反対側の浜に注がれていた。
「本当は一緒に盛り上がれりゃ良いんだけどな……」
淋しげに囁きはしたが、望みは胸にしまう。
今はただ祭りを楽しむ事にするのだった。
「よーしよしローズ。今日は頑張ってくれたよなー」
闇が空を覆い、明るい月が天高く上った頃。
広場では前夜祭が幕を閉じ、すっかり静かになっていた。せいぜい飲み潰れて眠った大人がいびきを立てるぐらいだ。家々でも多くの人が眠りについている。
しかしハイトは自宅裏の翼竜小屋にいた。
にやけた顔と普段より高い小声で話しかけ、ブラシを鱗一枚一枚丁寧に念入りにかける。念入りに愛情を込めてローズの世話をしていた。
日課であり、乗り手として当然の責務。特に奮闘した今日は格別に労うべきだ。しかし人から見れば奇行にも映る程の熱心さだった。
そもそも当のローズだって眠っているのだ。それを起こさないように心がけて繊細に実行している時点でずれている。
彼のローズへの愛情は村で話題になるような特異性を持つのであった。
そんな至福の時間に突然、背後から聞き慣れぬ声が届いた。
「今、時間はあるだろうか」
「うえわ!?」
飛び上がって驚き、慌てて振り返る。そこには大きな瞳と小さな口が特徴的で奇異な服装を纏った人影があった。
そう、恩人である戦士が立っている。
その目にした光景が、ハイトを混乱させる。
「驚かせて済まないね。まず初めに話す相手はキミであるべきだと思ったんだ」
「え? ……は?」
時が止まる。ハイトは口も目も開いた間抜け面で呆けるしかなかった。
理解が追いつかない。
目の前の相手が喋っている。その簡単な事実が、望んでいた未来が、夢幻のようで信じられなかった。
「ワタシの名はショトラと呼んでくれ。出身はあの星空の彼方にある別の星だ。さあ、キミは何から知りたい?」
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