星見の図書テント

 三人は会合が行われたのとは別のテントに向かっていた。

 その道中でパイが泣きそうな表情で語りかけてくる。


「お、お師匠様……あたしのために片腕を懸けるなんて……」


 胸中には様々な思いが渦巻いていた。

 パイ自身は楽をしたい一心での不純な動機。現状では勝てる見込みがない。あの場で抗議をするも兄に一蹴された情けない自分。そんな生徒に片腕を犠牲にしてくれるフェアト。

 変な人という印象だったのだが、実は生徒のためにそこまでできる尊敬すべき人間だったのだ。

 パイが借りてきた仔猫のようになってしまうのは当然だと言える。

 そんな生徒に対してフェアトは、満面の笑みを浮かべた。


「いやぁ! これでパイ君の先生と認められたので、星見の知識が書かれた本を堂々と読めますねぇ!」

「えっ、お師匠様……まさか、あんなに大見得切った理由って……」


 困惑するパイに向かって、メラニは同情するような声で言った。


「先生は自分の命よりも知識欲の方が強いからな……気にしない方がいいぜ……」

「腕一本を知識欲のために!? …………ちょっとでも感動しちゃったあたしが馬鹿でした、大馬鹿でした。でも、お師匠様はそれを越える一等星級の馬鹿ですね」

「アハハ、星の輝きにたとえられるとは光栄ですね! パイ君もそうですが、ジンさんも天体のたとえがお好きらしい」


 会合中、ジンは月の引力による潮の満ち引きや、惑星にある環をたとえとして話していたのを思い出した。


「そ、それは星見の民なので、ついそうなってしまうのかもです……。大昔から星空を見上げるのが好きな民なので」

「なるほど、そう考えると納得ですね。手稿にメモっておきましょう」


 フェアトはどこからともなく手稿を取り出すと、いつものように書き込んでいった。


「お、お師匠様、その本は結構大きいけど、普段はどこにしまっているんですか?」

「ああ、これは気が付いたら自由に出したり消したりできるようになっていました」

「へ?」


 英雄の教室の特異さを知らないパイは、フェアトがさも当たり前のように語ることを理解できなかった。

 常識人――もとい常識馬のメラニが「それはだな」と説明しようとしたところで、目的地である小さなテントへ到着してしまう。


「――まぁ、テントの入室許可は今日一日だけだしさ。今は色々と調べようぜ。疑問に思っていることがあるのもわかるけど、そっちはあとで私様の〝英雄の教室〟に案内してやるよ」

「はぁ……」


 パイはワケがわからないため、気のない返事をするしかない。

 フェアトはそんな生徒たちの機微を感じ取ることができず、目的のテントに興奮していた。


「これが星見の民の秘密を詰め込んだ図書館、いえ、図書テントですか!」

「……秘密って程ではないですけど。事前に許可さえもらえば誰でも入れますし」


 テントの外見は、人が住む物よりもずっと小さい。

 素材は普通の革や布と違い、何やら神聖な雰囲気だ。

 入り口も同じ素材が垂らされていて、それをくぐり抜けた瞬間に温度や湿度の差異を感じる。

 その中にあったのは壁際に配置された本棚だった。

 たぶん上から見たら円状に見えるだろう。


「おぉ、これが星見の民の秘密を記した本! 外と空気の質が違うのは本を傷めないためと、外部からの人間を弾くための結界ですかね!」

「あ、はい。たしかに小さい頃、勝手に入ろうとしたら弾かれたあげく、すぐに大人がやってきて怒られましたね……」

「なるほど、なるほど。非常に興味深い話です。しかし、今は閲覧時間が限られているので本を読みましょう」


 本棚は9個ある。

 そこには分厚い辞典のような本がみっちりと収められており、どう考えても全部読むのに数週間はかかりそうだ。

 パイは本を読むのがそんなに得意でもないため、テンション低くフェアトに問い掛けた。


「ええと……あたしはどれから読めば……。実は、ここの本は一冊も読んだことがなくて、今の星見の知識は兄からの口伝だけなので……」

「口伝だけ……? ふむ、なるほど。――おっと、パイ君は指示があるまで待機していてください。メラニ君もです」

「あ~い、わかったぜ~」

「えっ、えっ!? どういうことですか……? しかもメラニ様は何かわかっちゃったんですか?」


 座ってアクビをするメラニと、あたふたするパイを放っておいてフェアトは行動を開始した。

 とりあえず、入り口に近い一番左の本棚から攻めていく。

 数キロはあろうというズッシリとした手応えを感じつつ、高速でページをめくっていく。


「お、お師匠様。ちゃんと読んでいますか?」

「ええ、はい。僕は本に対する瞬間記憶と速読ができるので、このペースで大丈夫です」


 そう言うとフェアトは一冊数分もかけずに読み終わり、本棚の元の場所に戻した。


「この本は星見の成り立ちの一部でしたね」

「ま、マジで読み終わったんですか!? テキトーにパラパラとめくっていただけに見えたのに」

「いやぁ、面白かった。次!」


 フェアトは満面の笑みで本を読みふけっていた。

 ときおり、『ふむふむ、なるほど』などと言う以外は声すら発しなくなった。

 しばらくしてからパイは気が付いた。


「あの……メラニ様……」

「んぁ~、なんだぜ~?」

「たしかにお師匠様は本を読むのが速いのですが、それでも9個の本棚にはかなりの本が収められています。……今更ながらですが、あたしたちは何時間待たされるのでしょうか……」

「お~、そこに気が付いたか。後輩よ」


 後輩という呼ばれ方はちょっと良いなと思いつつ、もしやメラニ様が最初から気怠げだったのは――とパイは気付いた。


「たぶん先生ならこうなるだろうなとわかっていて、私様は一眠りしようかなと考えていたんだぜ」

「や、やっぱり……。で、でもあたしも何かした方が……今回の問題は星見のことだし――」

「止めとけ止めとけ。一冊読み解くだけでも日が暮れちまう分厚さだし、何より本の言語が今よりもずっと古い。ここは先生に任せちまって、あとで要点を教えてもらう方がいいんだぜ。一週間しかないしな」


 パイは感心した。

 メラニはそこまでフェアトを信頼しているし、現状を理解もしているのだ。

 ただの焦りで何かしなくてはと思ってしまった自分が恥ずかしくなってしまう。


「で、では、今後に備えてあたしもメラニ様と一緒に仮眠をします!」

「それがいいぜ~。もし手伝ってほしいことがあったら、先生は遠慮なく言ってくるだろうからな」

「そうなんですね、では――」

「「おやすみなさ~い」」


 メラニが地面に座り、パイがその仔馬の背を枕代わりにする。

 仲良く眠ろうとしていた瞬間、数十冊目に目を通し始めていたフェアトが呟いた。


「なるほど、内容がまったくわからない」


 寝る直前に聞いたその言葉に対して、二人は『えっ?』と声をあげてしまった。


「だ、大丈夫なんだぜ!?」

「僕だけでは無理ですね。お二人に頼みたいことができました」

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