第32話
「どうした、リゼ?」
「ミロが勝手に…… !」
そういえば、腹の辺りに巻かれていた、黒い紐状の冥獣がいない。それは後ろのリゼに体を掴まれながら、大暴れしていた。
「そいつは何をしているんだ?」
「わかんない…… ! ミロ、そっち行っちゃだめ!」
どうやらミロは下に向かおうとしているらしい。その必死さは、何かに取り憑かれているのではないかと思う程。
このままではリゼが誤って滑り落ちかねない。アドニスは片手でミロをしっかりと掴んだ。
「俺が持っておく」
「落としちゃだめだよ?」
「ああ」
リゼは相当この冥獣を気に入っているようだ。
チラリとミロの方を見やる。それは依然脱出を試みていた。
「ちょっ!? アドニス、大変だよ!」
先頭にいたペイルが大声を上げる。
「どうした?」
「あの巨人! 黒くなってく!」
アドニスは前方に目を向けた。
確かに、巨人の根元の方が少しずつ黒くなっている。やがて、その黒はシミかカビのように、樹皮を
「やはり、あいつは他の生き物を吸収して、自分のエネルギーに変えているようだ」
「そういうこと!? え、待って! じゃあ、この周辺に冥獣がいる限り……」
「あれは倒せないだろう」
ペイルは愕然としたように口を開ける。
先程の冥獣たちは、巨人の栄養分として連れて来られたものなのかもしれない。
「だが、あれも冥獣の可能性が高い。それなら、核がどこかにあるはずだ」
「あ、そっか! 君には核の位置がわかるーー」
「わからん」
一瞬全ての動きを停止したペイルだったが、こちらに鬼気迫る顔を急接近させてきた。
「なんかすごい上げて落とすじゃん! もう落とすのやめて! 心臓とお腹に悪いから! うっ…… ほら、僕のお腹が……」
「俺は謝るべきか?」
「い、いいや…… 今のはちょっとした文句というか…… 僕の方が悪いから…… ぐっ……」
お腹を押さえ、うずくまるペイル。なんだかとても辛そうだ。
と、巨人の表面から、大量の枝がこちらに向かってくる。かなりの本数だ。
「やばっ!」
ラードーンは体を上に傾け、一気に上昇する。後方からは、根が物凄い速度で徐々に追い上げてくる。
「でも、どうするの!? 核を破壊しないと、冥獣は倒せないんでしょ!?」
「ああ。だから、まずは核の場所を特定することが先決なんだが」
アドニスは目を細める。一体どこに隠してあるのだろうか。
皮膚が分厚いから、体内の核が見えないのかもしれない。もしくは、ここから離れた位置に核が存在するのか。
「どこかにあるはずだ」
「オレス・ティアーズ! リゼさん!」
にわかに、どこからともなく聞こえてきたのはサラの声。
「あ、あそこ! 塔の上の方にある穴! あそこにサラが!」
本当だ。
今やほぼ全体が樹皮や根に覆われてしまった塔。その頂上付近に、小さな穴が空いていて、そこから金色の髪が辛うじて見える。穴が小さ過ぎて、その表情までは見えない。
「誰か! 誰かいないのですか!?」
「サラ! ここだよ!」
ペイルが大声で呼びかけると、穴の中で髪の毛が揺れ動いた。
「ペイル!? なぜここに!? え、アドニスさんまで!? はっ、まさかこれは夢…… ? わ、私はもう既に……」
後半はよく聞き取れなかったが、まだ元気そうだ。
「大丈夫!? 怪我は!?」
「私は大丈夫です! 外はどうなっているのですか!? ムカデとフード姿は!?」
「今まさにそのフード姿と木の巨人と戦闘中!」
「木の巨人!? なんですかそれ!?」
事情を知らないサラは仰天したように叫ぶ。彼女のすぐ側に、件の巨人がいるというのに。一から説明すると長くなりそうだ。
本題に入るため、アドニスが話を引き継ぐ。
「その女の話では、塔の中に灯晶塊があるらしい! 光を灯すことはできないか!?」
「す、すみません! あのフード姿の力のせいで、今は術が使えない状態なのです! それに、灯晶塊の周りに何かがこびり付いているらしく、私には破壊できません!」
アパテーにそんな力があるのか。それよりも、アドニスはサラの言葉に引っかかりを覚える。
「何かとは、具体的に何だ!?」
「暗くてよくわかりませんが、何かブヨブヨした物でした!」
「…… そうか」
謎が解けた気がした。
「灯晶塊の周りに核をまとわり付かせて…… 俺が探知できなかったのは、それが原因なのか……」
無論、今までそんな奇抜な手法で核を隠す冥獣はいなかった。だから、アドニスもそこまでは思い至らなかったのだ。
「おそらく、核は塔の中だ」
「本当に!? じゃ、じゃあ早くサラに伝えてーー」
「待て。そんな大声でやり取りをしたら、アパテーに全て筒抜けだ。すぐに対策をされる」
今の会話で気取られている可能性もあるが。
そもそも、サラが生きてるとわかった時点で、彼女を殺すこともできるはずだ。だが、今のところ、アパテーに目立った動きは見て取れない。サラを殺さない訳でもあるのか。
「でも、早くどうにかしないと、こっちもいつ捕まるかわからないよ!」
ラードーンは縦横無尽に飛び回り、枝の追跡を躱している状態。早く打開策を考えなければ、いずれ捕まる。
塔の周辺は、あの危険な根で包囲されている。特に、塔の外壁には何本かが巻き付いていて近づけない。いかなアドニスでも、あそこに突っ込むのは自ら死にに行くようなものだ。
サラに灯晶術が使えさえすれば、万事解決するのだが。
「灯晶術…… そうだ、ペイル。自分の灯晶術を他人に持たせることはできるのか?」
「え? まあ、できると思うよ。その間、使用者が灯晶術を維持していれば」
「よし。お前の灯晶術を、あの塔の隙間に投げ入れてくれ」
それで、サラが核を破壊できれば。だが、ペイルからは予想外の反応が返ってくる。
「何が『よし』だ! あんな小さな隙間に、しかも動き回ってる状態で、上手く投げられる訳ないよ! 僕を何だと思ってるの!? 騎士団万年最下位だよ!」
「なに? できないのか?」
「うん、絶対無理!」
はっきりと否定されてしまった。
「それなら、無理か…… 他の方法を考える。ごめんなさい、お前ならできると思ったんだが」
「リゼが届けに行く?」
「それは無理だ」
すぐに断る。なぜ急にお使い感覚で聞いてきたのか。
だが、どうすればいいだろう。良さそうな代案は浮かびそうもない。
「やはり、俺が突っ込むかーー」
「だぁぁっ! わかったよ! やるよ! やればいいんでしょ!?」
突然叫び出すペイルに、二人の視線が集まる。
「なんだ? どうして、急にそんな大声を出す?」
「怒った?」
「違うよ! 特殊な方向からのツッコミやめて!」
アドニスとリゼに、思わぬ方向からのツッコミ受け、ペイルは面食らったようだ。ペイルは大きく深呼吸してから、再び話し始める。
「ほ、本当は誰かに期待されるの、大嫌いだし…… それも、みんなの命がかかってるって…… でも、僕がそれを成功させる以外、方法はないんでしょ? それなら、僕が……」
言葉の途中で、ペイルは自分の左胸を押さえうずくまる。大きく肩息を吐き、非常に苦しそうだ。
しかし、再び上げられた、汗の滲んだその顔には、強い決意の色が表れていた。
「僕がやり遂げてみせるよ…… !」
「わかった。俺は巨人の方に行って、できるだけお前に注意が向かないようにする」
ペイルはこくりと頷いた。
「あ、待ってアドニス。ほ、本当に僕にできるかな…… ?」
もう少しで飛び降りるという時になって、ペイルが恐る恐る聞いてくる。相当不安な様子だ。
「わからん。だが、お前が嫌いだと言っていた期待だが。別に俺は期待していない」
「え…… ?」
「俺はオートマタだからな」
「…… ふふっ、なんか君らしいアドバイスだね…… ちょっとだけ安心したかも」
着地点を見るのに集中しているから、ペイルの顔色は窺えない。だが、さっきまでその声に含まれていた、余計な震えは消え去っていた。
「リゼ、やはりこいつを持っていてくれ」
「わかった」
アドニスは、ミロをリゼに手渡した。ミロは先程よりかは幾分落ち着いている。
ラードーンが徐々に巨人の頭上へと接近していく。高度は十分にあるから、腕の攻撃は来ない。
「行ってくる」
「死なないでね! 二人とも!」
ペイルの言葉を背に受け、アドニスはラードーンから飛び降りた。
巨人はそんな彼を目敏く発見する。体の至る所から飛び出す大量の枝。それらは網の目のように、彼を捕らえようとする。だが、彼の爪の一振りでそれらは消し飛んだ。
「粗い網だ」
網の目を抜けると、次は巨大な手のひらがアドニスを叩き落さんと迫る。彼はそれを爪で貫く。そして、そのままめちゃくちゃに掻き回した。すると、巨人の手のひらは真っ二つに引き裂かれた。続けて来る、もう三本の手も同じ手際で破壊していく。
巨人の頭部はもう目前。邪魔をする物はない。
「喰らえ」
快音響かせ、巨人の頭はぱっかりと寸断された。中身は途中から空洞になっている。
「頭は空っぽか」
と、切断面から細かいツルが飛び出し、あっという間に頭の再生が始まる。その速度は、並の冥獣の比ではない。
「お前の再生と、俺の破壊。どちらが速いか確かめてみよう」
そこへアドニスは再び渾身の一振りを放つ。
すぐさま再開する再生。間髪入れず、アドニスによる破壊。その度に、巨人の悲鳴のような甲高い音が響く。もはや襲い掛かってくる枝や手では、彼を止められない。傍目からすると、彼は猛り狂った冥獣のように映っただろう。
「お前は見てるだけか?」
アドニスが問いかけた相手は、未だ巨人の肩からこちらを静観しているアパテー。
「アパテーちゃんは傍観者役ですし」
「理解できない。お前の目的はなんだ? 見てることに何の意味がある?」
「それはプロロゴスちゃんを倒せたら、教えてあげますよ」
てっきり何か仕掛けてくるのかと思っていたが。それよりも、アパテーはまだこちらの作戦に気づいていないようだ。
「そうか。なら、すぐにでも話を聞けるようになる」
「え〜、そうです? たぶん、その調子じゃ無理だと思いますよ? あ、ヒントをあげちゃうと、その子の再生はほぼ無限にできちゃうんですよ。だから、別の方法を考えないとーー」
アパテーが得意げに講釈を垂れていた途中。その声に被せるように、ペイルの声が響き渡った。
「サラ! これを受け取って!」
ラードーンの背から、キラキラと藍色に光る小さな塊が放たれた。それは塔に向かって真っ直ぐ伸びていく。
「なんだ、やっぱり気づいてたんですか」
アパテーはようやくこちらの作戦に気づく。
「でも、そう簡単にはいかないと思いますよ?」
アドニスの妨害をしていた枝が、一斉にペイルの結晶を追い始める。
「頭部は治り切っていない。なのに、場所がわかるのか」
視覚や聴覚が機能しなくなると思っていたが。
頭部以外の部位が、それらの役割を担っているのか。それとも、アパテーが何か関係しているのか。
いや、この際どちらでも構わない。
「だが、手出しはさせない」
アドニスは頭部の破壊を中断する。
彼は巨人の体を自在に移動し、次々に枝の根元を断ち切っていく。肩からリゼが、「首の方」とか「右腕」とか指示を出してくれるため、対処はスムーズにできる。
もう少しだ。あれがサラの下へ渡れば。全てが終わる。
だが、往生際の悪い巨人だ。それは四本の手を伸ばし、何としても結晶が届くのを阻止しようとする。その姿は、何か大事な物を守ろうとする子どものようにも見えた。
「お前も自分の命を守ろうとしてる訳か。だがーー」
アドニスは猛然と巨人の体を駆け上がる。そして、腹部を蹴り飛ばすと、その反動で腕の方へと飛ぶ。
「俺は皆を守る。それを阻む者は、俺が尽く倒す」
だが、アドニスの決意に反対する者がいた。彼の右手が光を発する。
「またお前か」
毎度タイミングが悪い。今度は何が来る。
と、急に前への勢いが衰える。見ると、先程切り刻んだはずの枝のいくつかが、奇妙に絡み合いアドニスの体を投げ縄のように捕らえていた。さらに、真上からは彼の頭に影を落としたのは、大きな木片。直撃すればひとたまりもない。
「リゼ、できるか?」
「うん、頑張る」
リゼの声の後、蝶の紋様は明滅を繰り返し、そして消えた。
すると、枝同士の結び目が緩んだ。抵抗がなくなる。
「よくやった」
「たあいもない?」
いつの間にやら、アドニスの口癖を覚えてしまったようだ。彼自身、この口癖はウルカヌのものがうつったのだが。
「ああ、他愛もない」
伸び行く巨人の腕は、肘の辺りから切り落とされた。巨人は腕の一本を高速で再生させるが、もう間に合わない。
結晶が塔の中へと消える。
「サラ! その剣で、ブヨブヨを破壊して! それが巨人の核だ!」
ペイルが叫ぶ。
「はい! 確かに受け取りました!」
どうやらサラに届いたようだ。それから数秒後。
「はあっ!!」
塔の中から、サラの威勢の良い声。
直後、巨人の方から耳をつんざくような悲鳴が起こった。その巨躯が激しく震え出す。全身からは、出血でもするように、大量の木製の塊が流れ出てくる。
本当に、人間が苦しみながら死に行く様を見ているようだ。
「や、やった! やりました! 核を破壊しました! 外はどうなりましたか!?」
サラの報告を受け、アドニスはアパテーの方を向いた。今彼は振動する巨人の肩にいる。
彼女は目の前。
「核は破壊された。俺たちの勝ちだ」
アパテーはまだ
「約束だ。話を聞かせろ」
「いやですね〜。まだプロロゴスちゃんは負けてないですよ」
「何を言っている、核は破壊した。こいつの力が急速に弱まっていくのがわかる。こいつはもう風前のーー」
「ママ、危ない!」
リゼが急に後方に体重を乗せる。咄嗟のことで、アドニスそのまま後ろに倒れていく。
そんな彼のすぐ上を、何かが物凄い勢いで通過していった。巨人の腕だ。反対方向からすぐに次が来る。彼は巨人の胴体を蹴り、それから大きく離れる。
彼が着地したのは、近くの家屋の屋根。
「リゼ、助かった。ありがとう」
「怪我してない?」
「ああ」
アドニスは巨人の方を見やる。
少し目を離した隙に、それは朽ちかけた枯木のように全身が細くなっていた。地面を覆っていた根も痩せ細り、機能していないように見える。腕の一本はぽきりと折れ、下に落ちていった。
だが、その顔は真っ直ぐに彼を見ている。
「吸収した力が残っていて、まだ動けているのか。だが、もう再生はできないはずだ。それでも、戦うか」
巨人は手を広げると、最期の
「わかった。今度こそ、これで終わらせる」
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