第4話

「これでいいはずだ」


 手についた土を払いながら、アドニスは高く盛り上げられた土を眺める。冥獣の血を浴び、彼の全身は不気味なほど黒い。右腕のメラメラは収まったものの、黒く変色したままだ。

 今アドニスたちがいるのは、村の広場。その真ん中に、彼が村中の死体を集め、埋めたのだ。


「なんでお山作ったの?」


 隣で見ていたリゼが、不思議そうに尋ねる。


「よく知らないが、村の人間が死んだ時、こうしていた」


 アドニス自身は遠目に見ていただけだから、この行為にどんな意味があるか知らない。見よう見まねだ。


「ウルカヌいなかった」

「ああ」


 かなりの時間をかけて、村全体を探したが、見つからない死体もあった。ウルカヌもその一人だ。皆、冥獣に食われたのかもしれない。

 さすがに、辺りに転がっている冥獣の死骸の中まで探すことはしなかった。


「そういえば、お前はなぜ親父のことを知ってる?」

「おやじ?」

「ウルカヌ・アゴニアのことだ」


「あ」と、薄い反応のリゼ。


「ウルカヌ、リゼを助けてくれた」

「あいつが?」

「うん。怪我治してくれたし、食べ物くれた。あと、この場所教えてくれた。ママに会えって」

「そうだったのか」


 ウルカヌはかなり気難しい性分ではあったが、他人が困っていたら見捨てられない人間であった。お節介を焼いている彼の姿が、ありありと浮かんでくる。実に彼らしい。

 彼は命のたすきを託すために、リゼをこの村へ送り出したのだろうか。


 それからアドニスたちは、小一時間ほどかけて民家から必要な物を拝借し、村の端へと移動した。途中、杖を見つけられたのは幸運だった。


「お前はこれからどうする? 俺は西に向かうつもりだが」

「ママと一緒にいる」


 即答か。


「俺はママじゃない。お前は別の場所から来たんだろ? そこに戻らないのか? というか、ここ以外に冥霧に呑まれてない場所があるのか?」

「知らない。リゼ、ずっと歩いてた」

「冥霧の中をか? お前は何者なんだ? なぜ生きていられる?」

「覚えてない」

「覚えてない…… 記憶喪失か?」

 

 リゼはこくりと頷く。

 アドニスはしばらく黙り込む。彼の脳裏には、村の人々の姿が浮かんでいた。


「やはり、だめだ。俺は他の人間と関わるつもりはない。一人で勝手に生きてくれーー」


 言下に、服が引っ張られる。

 リゼがその小さな手で、アドニスの服をちょこんと摘んでいたのだ。そして、こちらを見上げる、痛々しいまでの悲哀に満ちた瞳。

 アドニスにその目の意味は理解できない。だが、なぜか彼女の手を振り解くことができなかった。


「…… 俺と来れば、死ぬことになるかもしれない。それと、もし俺のペースに付いて来れなければ置いていく。それでも来るのか?」


「うん」と何の迷いもなく答えると、リゼは出し抜けに両手を上げる。


「なんだ?」

「おんぶ」


 どうやら本当について来る気らしい。


「そうか」

 

 村を出る前に、アドニスは一度振り返った。

 目に写るのは、破壊し尽くされた村の有様。彼のお気に入りの木は、半ばから二つにへし折られていた。もう二度と、そこからアネモネが手を振ってくれることはない。


 いや、彼女を助け、世界に光を取り戻すことができれば……


「行ってくる」


 ふと口をついて出た言葉。それに返事がくることはなかった。



◆◇◆◇

 


 アドニスたちは、村周辺の地形が載った古地図とコンパスを頼りに、とにかく西へ進むことにした。魔王の言葉が正しいとは限らないが、手がかりは他にない。


 道のりは順調だった。

 彼自身、冥霧のことはある程度心得ていたし、度々襲ってくる冥獣は難なく倒すことができた。たまに予期せぬ事態が発生し、危うい場面もあったが。それに、彼には食事の必要もないし、休息もほとんどいらない。


 だが、油断は禁物だ。中には狡猾で特異な冥獣もいる。例えば、周囲の木々に不自然に土の塊が張り付いていた時。近くの地面に注意する必要がある。


「野苺モドキか」


 アドニスの視線の先には、大きな赤い実をいくつも付けた植物が一本。それが不自然な程、等間隔に生えている。


「美味しそう。あれ食べたい」

「だめだ。お前が食われるぞ」


 リゼは首を傾げ、わかっていない様子。実演した方がいいだろう。

 そこで、アドニスは近くに落ちていた大きめの石を手にした。そして、それを植物の近くに投げる。すると、すぐに恐ろしいことが起こった。

 岩が落ちた周辺の地面が一気に崩れ落ち、代わりに深緑の巨大なあぎとが地中から飛び出してきたのだ。それは、一瞬の内に口を閉じ、地面ごと丸呑みにしてしまう。今はただ、数メートルはある緑色の壁がそり立っているように見える。


「ああやって、実を食べにきた冥獣を飲み込んで、底に溜まった消化液で体を溶かす。その時、大量の土が飛び散るから、周りにはその跡が残る。わかったか?」

「あれ食べたかった……」


 ちゃんと理解してくれただろうか。


 数日が経つ頃、ある問題が浮き彫りになってきた。

 それは、アドニスが周囲の安全確保を終え、木の幹にできた空洞に戻った時のことだ。ちなみに、長い間冥霧にさらされた地帯の木々は、通常の数倍大きい。


「どうした、なぜ食わない?」


 アドニスが作った、冥獣の肉と毒々しい色の木の実の串焼き、が放置されていたのだ。村から持ってきた食料は、昨日底をついてしまった。


「いらない」


 リゼは隅の方でうずくまり、そんなことを言う。


「味が合わないか?」


 リゼは首を横に振る。


「人間は何か食わないと死んでしまうんじゃないのか?」


 リゼの反応は同じだ。いよいよ訳がわからない。


「おい」


 肩を掴み、軽くこちらへ引き寄せる。すると、リゼは力なく地面に倒れ込んでしまった。

 その際、彼女の横顔が目に入る。


「なんだ、顔が真っ赤だぞ?」


 それだけではない。呼吸は浅く、目はどことなく虚ろだ。


「何があった? 怪我でもしたのか?」

「寒い……」


 アドニスは自分の羽織っていた服やら、運搬用に持ってきた布袋などを、リゼに被せた。


「これで良くなるか?」


 リゼはようやく縦に首を振る。そして、しばらくすると小さな寝息が聞こえてきた。


 それを確認すると、アドニスは空洞の入り口まで行き、そのへりに足を放り出して座った。下を覗くと、地面は遥か下だ。大抵の冥獣はここまで登って来れない。

 この穴は元々冥獣の住処であったらしいが、今はもぬけの殻である。その証拠に、干からびた木の実や、古くなった羽が落ちていた。それでも、いつここの住民が戻ってくるかわからない。だから、こうやって見張りをしているのだ。

 彼はふと、外に向けて手を伸ばしてみた。

 

「そうか、ここは寒いのか」


 赤くも青くもならない肌を見て、アドニスはぽつりと呟く。ここの気温が、リゼを衰弱させたのだと思っているのだ。


「そういえば、親父が寒い時にスープとやらを飲んでいたな」


 鍋に色々な食材をぶち込むウルカヌの姿を思い出す。意外と簡単そうだ。


「他愛もない。明日、ここを離れる前にスープを作ってやるか」


 そうすればリゼも元気になるだろう。


 そして、明朝。


「ほら、これを飲め」


 アドニスは適当な具材を煮詰めた、ドロドロの液体を容器のまま置いた。

 しかし、リゼは布にくるまったまま、一向にそれに手をつけない。そこで、彼は木の皮をスプーン代わりにして、彼女の口に運んでやった。少しずつだが、彼女はそれを飲んでいく。


「寒くなくなったか?」


 リゼは小さく頷く。それを真に受けるアドニス。

 彼は彼女の側を離れると、地面に地図を開いた。


「よし。そしたら、今日は王都という場所まで移動しよう」


 地図に一際大きく記されている場所。アドニスがいた村の何十倍あるのか。

 他にもいくつか町があるが、彼のいた村と王都にだけ、中央にひし形の印が付いている。何を示しているかは不明だ。


「この調子なら、地図の端まで一週間もかからない。アネモネを救える日もすぐそこーー」


 アドニスは地図の上をなぞっていた指を止める。

 激しく咳き込む声がしたのだ。見てみると、リゼがこちらに背を向け、うずくまっていた。彼女は嘔吐していた。


「やはり不味かったのか?」


 リゼは口を押さえ、懸命に首を横に振る。

 彼女の身に何があったのだろう。


 アドニスは一度地図の方をかえりみた。

 自分一人だけなら、すぐにでも出発できるが。それに、付いて来れないなら置いていく、と約束もした。


『後は頼んだ……』


 ふとウルカヌの言葉が頭をよぎった。

 あれはもしかすると、リゼのことを言っていたのだろうか。


「今日は休んでろ。移動はまた明日だ」


 リゼは申し訳なさそうに、上目でずっとこちらを見ていた。


 だが、次の日も、その次の日も出発できなかった。

 リゼの容態が日に日に悪化していったのだ。料理をほとんど口にせず、一日に横になっている時間の方が多くなった。原因は不明だ。


「体調はどうだ?」

「大丈夫……」

「全くそうは見えない。なぜ治らない? どうすれば寒くなくなる?」

「ごめんなさい……」

「なぜ謝る?」


 この二日間、こういう噛み合わない会話ばかりだ。


 話が途切れ、アドニスは空洞の入り口に向かった。

 そこで、彼はおもむろに手帳を開く。アネモネからのプレゼントだ。実は、今日まで一文字も書いていなかった。


『リゼと同行することになって約一週間。理解できないことが多い。体調が悪そうだが、どう対処すればいいかわからない。わからない事ばかりだ。人間との正しい接し方を、もっとお前に教わるべきだった。


 いつか、本当に俺はお前のようになれるだろうか?』


 これではただの日記ではないか。

 どう書き進めるか考えていると、後ろから「ママ」と呼ぶ声が聞こえた。振り向くと、リゼが立ち上がっていた。


「ほら、リゼ大丈夫」


 それを証明するように、リゼはその場でくるりと回ってみせた。


「寒いのは治ったのか?」

「うん」


 なんとなく足元が覚束おぼつかない感じもするが。本人がそう言うのだから大丈夫なのだろうと、アドニスは考えた。


「それなら、今すぐ出発しよう」


 アドニスは荷物を急いで袋にまとめた。


「手を離すなよ」

「うん」


 アドニスはリゼを背負い、木の幹を降り始める。

 降り方は単純で、黒化した手を幹に突き刺す作業を繰り返すだけだ。だが、足でも滑らせようものなら、数十メートル下に真っ逆さま。さすがの彼も死んでしまうだろう。


 まあ、何か予想外のことが起こらない限り、そんな失態はしないが。

 しかし、半分程降った辺りのこと。突然リゼが激しく咳き込み始めた。


「大丈夫か?」


 返ってくるのは言葉にならない、うめきのような声。加えて、今までにない程荒い呼吸。

 そして、不意にアドニスの肩に回されていた、リゼの手が離れた。


「おいっ」


 間一髪。すんでの所で、アドニスは片手でリゼの背中を、自分の方へ押さえつけた。


「何があった? 治ったんじゃなかったのか?」


 リゼから返事はない。


「降りた方が早いが、下は冥獣だらけ……」


 一度上に戻ろう。

 そう決断した直後。遠くの方で、雷鳴のような咆哮ほうこうが轟いた。しかも、それはどんどんこちらに近づいてくる。


「まさか、帰って来たのか?」


 そちらを見てみると、アドニスの予想は的中した。

 巨大な翼を広げた、鳥のような冥獣がこちらに向かって来ていた。

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