理不尽不幸のイクメン・オートマタ英雄譚

川口さん

第一章

第1話

「貴様は何度言ったらわかるのだ!」


 しゃがれた怒声と共に、目の前の椅子に座る白髪の老人が、力任せにテーブルを叩く。シワシワのたるんだ頬は、茹で上がったように真っ赤だ。


「村長であるわしの許可無しに、冥霧めいむの中に入るなと言っているだろう!」

「世界に光を取り戻すためだ。大目に見ろ」


 村長に相対する赤い短髪の青年ーー アドニス・アゴニアは少しも悪びれる様子もない。

 そんな彼の不遜ふそんな態度に、村長の顔がますます歪んでいく。


「光を取り戻すだと? 父親と同じで、英雄の真似事か! わしの権限があれば、いつでも貴様を村から追放できるのだぞ! わかっているのか!」

「ああ。だから、ああして食料を持ってきてやっただろ?」


 アドニスは親指で後ろを指し示す。


「ふざけるな! 資材ならまだしも、冥獣めいじゅうの肉だと!? 汚らわしい! 誰があんな物食うものか!」

「食わないのか?」

「当然だ! わしらはそこまで落ちぶれてはおらん! お前のような化け物にはわからないだろうがな!」


 村長の視線が、アドニスの右手の甲へと注がれる。そこには、羽ばたく蝶を精巧に象った、黒い紋様が刻まれていた。

「そうか」と彼は回れ右をする。


「おい、どこへ行く!」

「食わないなら、元の場所に捨ててくる」

「え、いや…… ちょっと待て!」

「なんだ?」

「その、肉はもらっておく…… 何かの役に立つかもしれんからな…… 次、村の掟を破ったら、どうなるか覚えておけよ」


 聞き取り辛い声。すっかり冷や水を浴びせられたような村長の顔を見届け、アドニスは部屋を出ようとする。

 と、その時、不意に蝶の紋様が妖しく光った。直後、急に足元の感覚が消える。


「なっ」


 なすすべもない。床がみるみる目の前に迫る。

 そのままアドニスは、派手な音を立てて床に倒れ込んだ。顔を持ち上げると、床板の一部が凹んでいた。だが、彼自身にはかすり傷一つない。

 どうやら床の一部が抜け落ちたようだ。


「ふっ、この程度他愛もない」


 言葉通り軽やかに起き上がると、今度こそ外へ向かう。


「後で床の修理をしておけよ、不幸な化け物」


 村長の言葉はスルーした。


 外に出ると、すぐ近くの通りで、数人の男たちが丸くなって何か話し合っていた。

 その人垣ひとがきの隙間から見えたのは、四、五メートルはある獣。既に絶命していて、動く気配はない。


「いいか、結晶化した部分は素手で触れるなよ? 俺たちもこれと同じようになるかもしれん。それと、外皮から近い肉は必ず廃棄しろ」

「ちょっとくらい大丈夫じゃないですか? ただでさえ、最近は食料不足が続いてるんですし」

「これは村の掟だ。それとも、お前もこんな醜い姿になりたいのか?」


 男が説明を終えると、皆が一斉に作業を始める。

 その際、獣の全身が見えた。猪のようなそれの頭部の右半分。そこを覆い尽くしていたのは、びっしりと生えた黒い結晶だ。

 と、男の内の何人かが、アドニスに気づく。彼らの目は一様に、こちらを煙たがるように細められていった。


「誰が狩ってきたと思ってる」


 一人呟くと、アドニスは平然とした様子でその場を離れた。


 少し歩くと、彼のお気に入りの場所が見えてくる。

 村の端に生える一本の木。ここにはほとんど人が寄り付かないので、静かに過ごせるのだ。彼はほぼ毎日ここに来る。

 だが、今回は先客がいた。


「あ、アドニス!」

 

 木の下から朗らかな声を上げ、こちらに手を振ってくる少女。それに合わせて、金色の長い髪の先が揺らめく。アネモネ・フォーチュナーだ。

 引き返そうか迷ったが、結局彼女の横まで進む。


「なんだ、アネモネ。また来たのか」

「なんだとはなんだ! せっかく来てあげたのに!」

「誰も頼んでない」

 

 不服そうに頬を膨らませるアネモネを尻目に、アドニスは彼女から離れた位置に腰を下ろした。彼女の方は見ないようにする。


「また今日も村長と喧嘩してたでしょ? ウルカヌさんの真似して、勝手に冥霧に入って」


 アネモネが切り出す。まだ少しぶっきらぼうな声で。


「なぜわかる?」

「大っきい冥獣が村の真ん中に倒れてたら、誰だってわかるよ。あれを狩れるのは、今はアドニスだけだし。今日はごちそうだって、みんな言ってた」

「そうか」

「もう、毎日毎日掟を破って。村長がウザいのはわかるけど、あいつに嫌われてたら、いつまで経ってもみんなと仲良くなれないよ?」

「構わん」


 そこでぷつりと会話が途切れる。

 いつもお喋りなはずなのに、今日はどうしたのか。

 確認しようと思った矢先。突如、アドニスの視界に二つの赤い球が現れた。それがアネモネの瞳だと、遅れて気づく。


「仲良くなるの」

「いや、だがーー」

「言い訳禁止。人は一人じゃ生きていけないんだよ?」

「俺は化け物だ。一人でも生きていける」

「またそういうこと言う。本当、頑固者なんだから」


 アネモネは小さくため息を吐いた。


「ウルカヌさんが帰って来た時に、安心させてあげないとでしょ?」


 ウルカヌとは、アドニスの父の名だ。


「冥霧の中に消えてから、もう四年だ。いくら親父でもとっくに死んでる」


 アドニスは、すぐ目の前に立ち塞がる暗闇へと目を転じた。


 天空まで立ち昇る黒い霧。人はそれを冥霧と呼ぶ。この村は直径百メートル程の小さな円形をしているのだが、その先は延々とこの冥霧に侵されている。

 村に当時の記録が残っていないため、この霧の詳細はわからない。ただ、百年以上前に、魔王ハオスが放った瘴気だという事だけが言い伝えられている。

 そして、常人が冥霧の中に入れば、数分の内に自我を失い、やがて先程の冥獣と同じ道を辿る。もしくは、その前に冥獣の胃の中に収まるか。どの道、人が生きていける環境ではない。


 そんな場所に、四年前ウルカヌは消えてしまった。村では既に死人扱いだ。


「ウルカヌさんは生きてるよ」


 また始まった。


「嘘はいい。俺はお前らと違って、何も感じない」

「嘘じゃないよ」


 アネモネが真っ直ぐこちらを見据える。


「時々ウルカヌさんの感情みたいなのを感じる。ウルカヌさんだけじゃない。他にも、顔も知らない人たちの気持ちが、時々伝わってくるの。冥霧に呑まれてない場所は、ここだけじゃない。きっと、そこでウルカヌさんは生きてるんだよ」


 何の根拠もないではないか。

 だが、不思議とその熱弁には、他人を頷かせるような説得力があった。アネモネの曇りのない瞳がそうさせるのだろうか。

 アドニスは再び目を逸らす。


「勝手に言ってろ」

「むぅ。ウルカヌさんが戻って来たら、ちゃんと謝ってもらうからね」

 

 ぶつくさ言いながら、アネモネは元いた位置に戻っていった。

 それからまた、沈黙が訪れる。聞こえてくるのは、穏やかな風の音と、遠くで作業をする村人の声だけ。

 そんな中、ふとある疑問が浮かんだ。


「おい」

「なに?」

「どうして俺に付きまとう?」

「その質問、前にもしなかった?」

「その時は、『秘密』とか言ってはぐらかされた」


「そうだっけ?」と首を傾げ、空惚そらとぼけるアネモネ。だが、目付きの悪さで定評のあるアドニスの視線に屈し、彼女はとうとう口を開いた。


「んー、秘密」

「おい」

「わかったよ。じゃあ、ヒント。アドニスが自分の感情に気づけたらわかるよ。私と同じ気持ちになる…… はずだから」


 アネモネにしては歯切れの悪い言い方だ。


「なら、俺には一生理解できないな」

「そんなことないよ」

「なぜ言い切れる?」

「それは、私の長年の勘。ほら、アドニスってまだ五歳でしょ? 私の方が人生の先輩じゃん? 先人の教えってやつだよ」

「いや、それは俺がこの身体になってからの年月であって、年齢とは関係ーー」


「はい」と唐突にアドニスの言葉を遮り、アネモネがこちらに手を伸ばしてくる。彼女の手のひらには、糸の通った赤い鉱石が乗っていた。


「ん、なんだこれは?」

「この前、アドニスが持ってきてくれた綺麗な石。あれで首飾りを作ってみたんだ。おばあちゃんがそういうのに詳しかったから」


 そう言って、アネモネはアドニスの手をすくい上げ、そこに首飾りを置いた。

 そういえば、数週間前に彼女に変わった石をあげた覚えがある。たまたま拾った物なのだが。彼女はキラキラする物が好きなのだ。

「ほら、お揃い」と彼女は顔を上げ首元を見せる。そこには同じ形の首飾りが。


「どう? 嬉しい?」

「わからんが、たぶん」

「よかった! じゃあ、ほら、嬉しい時は笑顔!」


 アネモネがニコリと笑う。首飾りの石よりも澄んでいて、太陽のように眩しい笑みだ。もう何百回見ただろう。

 アドニスはそれを真似ようと、自分の目を、口角を動かしてみた。


「んー…… まあ、確かにわらってる! 意味合いは違うけど!」


 アドニスは眉根を寄せる。


「お前のとどう違う?」

「まだ思い切りが足りてないんだよ。もっとこう、ニコッて感じ」

「ニコッ…… ?」

「でも、最初の頃に比べたら、すごく良くなってるよ。あの時のは夢に出てくるレベルだったからね……」


 勝手に話を進めて、勝手に青ざめた顔をするな。


「やっぱりアドニスは成長してるんだよ。感情が理解できる日もすぐそこだね」

「本当か?」

「うん! でも、そのためにはもっと他人から感情を学ばなきゃ」

「なぜだ? お前から学べば十分だろ?」

「私の感情ばっかり学んでも、それは私の丸写しになっちゃうの。絶対アドニスには似合わないよ。色んな人の感情に触れて、それで自分に合った、あなたらしい感情を作っていくの」


 よくわからない。

 アネモネの顔がほとんど目と鼻の先まで近づく。


「というわけで、まずは村長と仲良くなること。いい?」

「……わかった。努力する」

「よく言えました! じゃあ、私からもう一つプレゼントを……」


 勢いづいた出だしから一転。後ろを向いたアネモネは、頻りに「あれ?」と呟きながら、木の下を探している。

 

「やば、家に置いてきちゃった」

「ん? 一体何をーー」

「すぐ戻るから、ここで待ってて! あ、それと、肩に鳥のフンが付いてるよ! 四つも!」


 アネモネは大慌てで駆け出していく。その後ろ姿は段々と小さくなっていき、やがて建物に隠れ見えなくなった。

 肩を見ると、確かに鳥のフンがいくつもついていた。いつものことだ。

 

「ニコッ……」


 残されたアドニスは、一人笑顔の練習をしてみる。だが、どうしても頭の中にある、あの輝かしい笑顔には到底及ばない。数回繰り返した後、自分には無理だと判断し、後ろに向き直った。

 そして、彼は自分の目を疑った。


「誰だお前は?」


 冥霧の黒しか映らないはずの視界。そこには、銀色の髪を垂らした、小さな少女が立っていたのだ。


「ママ」

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