ある第一艦隊特務機関の一日

みゆki

第1話 ある第一艦隊特務機関の一日

 室内の所狭しと展開された仮想スクリーンに、一斉にレッドアラートが点灯する。

 同時にけたたましく鳴動するアラームを、専用のパッチを当てたコマンドをたたいて、アラート表示と共にカットする。

 アラームが収まった室内では、しかし、現在進行形で対処し続けている戦闘行為に因って、衝撃波の振動と、船体にかかる過重力のきしみ、高出力を維持して稼働中のジェネレーター作動音、限界に近い作動を強いられる油圧やモーターの作動音、船体各部センサーが告げる許容耐久値超過による警報音などと、さらにはレーダーの検出アラートやキー、スイッチ、レバーを操作した時の確認音が満たされていて、騒々しいことに変わりはなかった。

 休日明けに早朝から呼び出されて宇宙海賊を拿捕する指令を受け戦闘中の現在。対象の海賊船は逃走のためロボット操縦の艦載機を五十機ほど放出。

 大量の弾薬を抱えたまま自爆特攻で突っ込んでくるため、回避と迎撃に手を焼いている所である。

 残り約三十機。

 海賊の艦載機は全長約二十メートルで髙加速・高機動の戦闘機。対するのは全長二百メートルの超小型とはいえ、恒星間飛行が可能な戦闘艇。普通なら、あっという間に取り囲まれた上で自爆特攻による飽和攻撃でシールドが飽和消滅し被弾する未来しか無いはずである。しかし、小型艦載機にも勝る加速、回頭性能を見せる機体は、互角以上の機動で次々と戦闘機を撃墜していた。

 しかし、五十機の相手はなかなかに大変なようで、そろそろ逃走中の戦艦を追いかけなければロストの危険性が考えられる程度には距離が開いてきていた。

 このまま手こずるようでは、敵艦のエネルギーがハイパーレーンに突入するために必要な分を満たしてしまう。ハイパーレーンに逃げ込まれてしまうと、追跡がかなり面倒なことになる。

 「あーっ。もうシツッコイったら。主砲拡散角十五で十秒撃つから百度左ターンの後二秒で一度の角速度を残して右サイドスラスター全開」

「アイアーイ」

 艇長である黒髪をボブカットにした小柄な女性…嫌、少女にしか見えないのだが、が発した、敵機がほぼ一直線になって追いかけてくる今の様子から判断した指示に軽く応え、操縦パネルに指を走らせレバーを操作するのは、鮮やかなブルーグリーンの長髪をポニーテールにした、かなり特徴のある耳を持つ大柄な女性。

 返事が終わる寸前から、船体がその場で回転する横Gが、イナーシャルキャンセラーの限界を超えて室内を襲う。

 フルバケットのシートに、シートベルトで固定されているはずの体が吹き飛ばされそうな横方向の加速度を受け、それでも主砲制御のレバーを、狙いを定めた予測ターゲットからそらさず固定し、旋回が終わる直前、カウンターのスラスターが当てられて船体の高速回転が急減速し、二秒ごとに一度を残し納まった瞬間から発車レバーをきっちり十秒握り込む。

 主砲から前方へ、十五度の角度で円錐状にビームが発射されると同時に、右サイドの全スラスターを全開にして左横方向へと滑るように移動を開始する。

 二人の女性が乗る船を追っていた小型機は、反転したことで加速がなくなった追跡対象にみるみる追いつきつつあった。さらには、攻撃方法が自爆特攻攻撃となれば目標に向かって只突っ込んで行くのみ。結果、綺麗に主砲のビームに向かって突き進む形となる。しかも、攻撃を避けること等プログラムされていない。、ことごとくビーム照射にさらされて、脆弱なシールドを飽和させられた後、その戦闘機能を失うこととなった。

 五月蠅く群がっていた小型機を一掃した二人は、それらを放出後は只、逃走することに専念する大型宇宙船に機首を向け、機体を敵艦に対し相対静止させた上で精密照準へと移行する。

 相対静止とは、相手と自らの移動方向、速度、加減速を一致させ、お互いが静止した様に見える状態で、第三者から見れば、全く同じ動きで飛行しているように見えるはずだ。

 其の儘。主砲の収束を極小に絞り、逃走中の宇宙船の、メインスラスターよりやや機首寄り。ジェネレーター制御ユニットがある部分を狙い、出力二十パーセントで発射する。

 直径二ミリまで絞り込まれたビームが船体を覆うシールドを焼いた後飽和させ、強化され、耐ビーム塗装が施されたはずの船凱をあっさりと貫通。船体を貫く。

 狙いを付けるのに充分以上時間が取れたそれは、見事狙い通り制御装置のコントロールコアを破壊した。

 ジェネレーターが、制御不能に陥った際に暴走させないための安全装置により停止する。従って、エネルギー供給を絶たれたメインスラスターはおろか、サブスラスターもその他の制御スラスターも沈黙する。ハイパーレーンに突入するためのエネルギーチャージも中断。ハイパージャンプで逃げることも出来なくなった。

 ビーム兵器も、エネルギーを供給するジェネレーターが停止した今、使用することは出来ない。

 生命維持や船内活動に必要なエネルギーは、コンデンサやキャパシタに蓄えられた予備エネルギーで、当分まかなえるだろう。 きちんとメンテナンスがなされていればと言う但し書きが付くが。たとえ、為されておらずとも、全長七百メートルを超える連邦軍で言えば巡洋艦クラスの船だ。一週間程度なら生存環境は維持できるであろう。

 これで、慣性航行でひたすらまっすぐに現在のベクトル、移動速度と方向を保ったまま進むことしか出来なくなった宇宙船は、連絡を入れた近隣を巡回中の銀河連邦宇宙軍の艦隊に拿捕される下、自決して果てる未来しか無くなった。

 艦載機の発着口は、先ほど撃退した小型機が出てきた折に、更に追加されては堪らないとばかりに破壊している。各部の救命ポッド発射口も目に付いた物は戦闘開始時に粗方潰しておいた。現在、監視を続けているが、脱出手段を保有している様子は見られない。

 各部に対する攻撃で、負傷した者も居るのだろうが、宇宙海賊なんぞを相手に、通常艦隊であれば、主砲の一斉射で蒸発させられて終わりだ。殲滅されなかっただでも充分な温情である。

 さて、本来であるなら、二人の女性が駆る船、超小型恒星間宇宙船に区分されハミングバード級と呼ばれる宇宙船に搭載された主砲を、更に拡散状態で発射した程度で有れば、いくら脆弱な全長二十メートル程度の艦載機で有れ、防ぎきることは容易なシールド出力であったはずなのだが、残念なことに、この船の主砲は戦艦クラスの高出力な品。メインジェネレーターからして、二クラス上の船に搭載されてもおかしくない出力を持つ、マーレオネス級を二機搭載するという化け物仕様。

 マーレオネス級ジェネレーター。それは本来、全長が五百から千メートルのスターリング級と呼ばれる中型恒星間宇宙船用で、通常一艦に一機が搭載されるジェネレーターである。

 スターリング級の下にスパロウ級と呼ばれ、全長二百から五百メートルの小型艇に分類される船があり、更にその下に分類される、二百メートル未満の船をハミングバード級と呼ぶ。

 このサイズで恒星間飛行可能な宇宙船を作るのは最近まで不可能だったのだが、現時点では、ジェネレーターの超小型化を実現した企業、全銀河連邦内にあって、たった二社においてのみ開発製造が出来ている。

 その様な超小型船の船体に中型船を運航出来るクラスのジェネレーターを二機も搭載するという暴挙を実現した超特別仕様の戦闘艇である。エネルギーは有り余る状態にある。戦艦級の主砲であれ、相当な持続時間を持って発射が可能となる。

 本来、そんな高出力の砲など搭載すれば、二百メートルの船体では機体体積の半分を砲が占有するはずなのだが、ジェネレーター同様、超小型化された物を搭載している。

 そんな異常な装備品を搭載した、まさしく化け物状態の試作型恒星間航行宇宙戦闘艇である。簡単に言ってしまえば実用試験中の実験機だ。

 その、化け物仕様の船に与えられた固有名称はペガサス。二機目であるため、ペガサスⅡと呼ばれている。

 連邦宇宙軍、第一艦隊特務機関に属する軍用宇宙艇の一艇である。

 因みに一機目のペガサスは、実務稼働中にジェネレーター出力の制御プログラムのミスが原因で暴走し大破している。

 ジェネレーターの出力制御を行う際、通常パーセントで指定する。特殊な場合、何分の一という表現を用いるが、分母は二の倍数を使い、四分の一、八分の一、三十二分の一と言った具合だ。此所に、三分の一を指定した。割り切れない数値。市販された制御装置であれば小数点以下十桁程度で切り捨てる。そうプログラムして保護をする。これがうっかり抜けていた。メモリーがオーバーフローを起こし暴走。ジェネレーターが耐えきれず爆発した。

 所詮は実験機。こういったミスの発見も兼ねている訳だが、乗員にとっては命がけである。当然の手当として、メーカーからの全力のバックアップと言う恩恵が受けられる。現在の二号機は、プログラムを修正した上で新造された艦が無償供与された物だ。慰謝料代わりに持てる技術を目一杯詰め込んだ化け物艦が出来上がったのだ。

 そんな経緯から、官給品ではなく、搭乗する二人の共有個人資産として登録している。

 本来なら有り得ない、機体の持つ事情と特務機関員であるが故の事情による特別措置となっている。

 そして、所有者である搭乗中の二人。黒髪ボブで十六・七の少女にしか見えない女性。目は濃い茶色の黄色人種。テラ星系のモンゴロイド系と呼ばれる種族だ。この種族の特徴で、身長は百五十八センチと小柄。やや幼い感じの体型で容姿も幼い。

 名前は姫野まゆ。連邦宇宙軍第一艦隊特務機関所属の大将待遇軍属。年齢は二十二歳。と記録されている。

 そして、鮮やかなブルーグリーンの長い髪を頭の後ろでポニーテールに纏めた女性。耳が大きく、エルフ属のように、笹の葉のようなとがった形をしておりかなり目立つ。目も大きく、白目に見える淡いグリーンの部分は瞳の虹彩。瞳に見えるのが瞳孔で、縦長である。テラ星系の猫型獣の目と同じ構造に見える。口元には大きな八重歯が覗く。肌は白く、身長は百七十五センチ。猫から進化したシャリエティプス種という、既に滅亡した文明種の生き残りになる。

 無邪気な性格で、戦闘指揮者には向かないようであり、争いごとをあまり好まない種族である。

 名前は、キティ・キャット・シャリエティプス。大佐待遇の軍属で、連邦政府に最初に認識され住民登録されたシャリエティプス人。名前を持たなかったため、担当した保護官が安直に名付けてしまった様だ。誰が名付けたのか、記録が残っていないらしい。二十三歳と記録されている。

 二人で組んで行動するようになって三年目。割と、いや、かなり特殊な案件ばかりを受け持つ機会ばかりに恵まれており、特務機関チーム内の便利屋、又は雑用係と呼ばれることもある。失礼。恵まれてはいない様だ。

 二人にとっては、かなり不本意な状態らしい。

 今回の任務は割と真っ当な方に分類されるらしい。内容は、逃走中の宇宙海賊戦艦、一艦を拿捕するという物。

 宇宙海賊など、通常発見次第殲滅されるのが常であって、わざわざ拿捕するなどよほどの事由がなければ有り得ない。

 今回はそのよほどの事由があった訳だ。内容までは資料には記載されていなかった。

 まあ、結果さえ合っていれば途中経過は関係ないので、今回も任務は無事完了となった。

 展開された儘の仮想スクリーに表示されるアラートやログをチェックし、当面影響がないものはログだけ記録してさっさと閉じる。通常の航行に影響が無いことだけ確認し、艦隊の回収船が到着次第、本隊へ帰還する旨の連絡を入れる二人。

 やがて、ハイパーレーンから、護衛の巡洋艦五隻を従えた全長三千メートルの空母が通常空間へとタッチダウンしてきた。

 引継ぎのために、相手を呼び出せば、通信用の仮想スクリーンが繋がった瞬間、空母側の艦長が「え?」という一言と共に固まった。

 乗員二人の階級章をガン見している。

 まさか、自分の指揮する艦艇と比べて、全長ですら十分の一もない超小型艦に、自分より遙か上級の士官が乗っているなどと夢にも思っていなかったのだろう。

 通常、巡視艦隊総旗艦の艦長でも将官が任命されることはない。銀河連邦宇宙軍に十ある艦隊の各艦隊旗艦艦長で最高位が中将である。

 タッチダウンしてきた空母の艦長も、階級は少佐であった。

 たっぷり三十秒固まった後、慌てて敬礼をしながら身分を口にした。

 「だ、第七艦隊恒星間空域巡回部隊第三部隊より派遣されました空母ストークオントレント、艦長シェファード少佐で有ります」

 これに対し、軽く敬礼を返した後、大将待遇のまゆが返事を返す。

 「有り難うございます。第一艦隊特務機関所属ペガサス機長姫野大将待遇です。軍属ですから、半民間人なので気楽にお願いします。作戦コードZD21100506の該当船が漂流中ですので回収をお願いします。本船は、貴船が回収作業に入り次第帰還いたします」

 返事をしながら作戦コードと確認コードを送信し、相手が確認するのを待つ。

 「確認いたしました。以後、当艦が引継ぎ、作戦指示に従い行動いたします」

 「お願い致します」

 型どおりの交信を終了し、ブラックアウトした仮想スクリーンを消して溜息を一つ。

 「あー。きちんと階級章確認してくれる艦長で良かったよ」

 シートに身を預けて愚痴をこぼすまゆ。

 「この前の第三艦隊は酷かったもんねー」

 クスクス笑いながら返すキティ。話をしながら、帰還のための操作を、手を止めること無く続けていく。

 前回の仕事では、第三艦隊の巡回部隊と接触したのだが、その責任者である中佐が階級の確認をせず一方的に威圧してきて話が通じなかったのだ。

 うんざりしたキティが総艦隊司令部に連絡を入れて無理矢理事を収めた記憶が甦ったのか、引きつった笑いを浮かべるまゆ。「当分、第三艦隊とは関わりたくないなー」

 「にゃはははは。同感ー」

 思わず口に出たらしいまゆの台詞に笑って同意するキティ。

 「準備出来たから帰るよー」

 と言う台詞と同時にハイパージャンプの起動ボタンをオンにする。

 その直後、空間を無理矢理歪める影響で、辺りに閃光と衝撃波を残してハイパーレーンへとジャンプインするペガサス。

 閃光と衝撃波が収まった後にはペガサスの機影を見つけることは出来なかった。

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 星歴二千百十年。地球人類は、天の川銀河の外腕部のほとんどと、核恒星系の一部へとその版図を広げて久しい。

 西暦が三十世紀を数える頃、とある技術者が、当時主流と成りつつ有ったタキオン粒子を圧縮して亜光速飛行を可能としたエンジンを研究中、ちょっとしたミスから一部のタキオン粒子が漏れ出た状態に気付かず亜光速飛行を開始した所、不可能と言われていた光速を越えてしまった。

 これを元に開発された超光速航法。俗に言うワープ航法により、近隣数百光年にわたる恒星系に進出を開始する。

 失敗と事故と研究を重ね、安全な超光速航法が可能となった頃、次のブレークスルー。ハイパーレーンを利用する航法が発見された。

 一気に数万光年の移動が可能となった地球人類は、天の川銀河の全域に進出を始めることとなる。

 そこで出会った他星系の文明と時に協力し、時に対立し、紆余曲折合って、多種多様な種族、勢力による連邦が形成され、統一国家の樹立へと向かうこととなる。

 天の川銀河の核恒星系外縁部に有った、まだ生物が発生する前の若いG型恒星を安定させ、この周りに九十度間隔で巡る四つの惑星を二つの公転軌道に用意。合計八つの惑星を配置し、種族ごと生活しやすい環境を維持した人工の太陽系を作り上げた。

 そこに連邦の各種行政機関を設置。天の川銀河連邦本部太陽系が誕生した。そして、これを機に、暦を星歴と改めた。

 当初、人口のバランスは二十を超える参加種族間に於いて偏りは見られなかったのだが、肉体強度が一番弱い地球を発祥地とする人種が、その分旺盛な繁殖力を発揮し、現在三割を超える勢力を維持するに至っているが、種族間の垣根は既にほぼ消えて混血化も進んでおり、人口の偏りに起因したり、種族の差異による争いは起きていない。むしろ、政党間による競争が主な争点となっている位か。かなり安定した政治を保ち続けていると言える。

 しかし、犯罪行為であったり、反抗勢力が完全に居なくなった訳でもなく、大規模なテロ行為や、強力な犯罪集団が発生することは、割と頻繁に起こっている。

 また、銀河間の交流は始まっていないが、他の銀河を探索に出掛けたり、未確認の航宙艦が銀河の最外周部で見かけられた、等の報告が寄せられることも有る。

 此れ等への対抗手段として、犯罪抑止力や万が一の侵略行為に対する対抗手段として、連邦宇宙軍が存在する。

 もちろん、平時のパトロールや護衛、災害における救助、復旧活動も担う連邦最大の強力な集団である。

 全部で十の艦隊から構成され、第二から第九艦隊が、天の川銀河を扇状に四十五度区切りで八つに分割した夫々の空域を、第十艦隊が銀河円盤最外周部からその外側一万光年の範囲を管轄し、常時パトロールを行っている。

 そして、残る第一艦隊は、連邦政府本部太陽系の防衛艦隊と、警察活動や各種調査、監察、監視を担う警察艦隊、諜報活動や研究を担う研究特捜艦体と言った専門活動部隊となる。一部からは宇宙軍のエリート集団と呼ばれる事もある。

 この第一艦隊研究特捜艦体に所属する部隊の一つが特務機関。まゆとキティが所属する部署である。

 この特務機関。他の部署と一点大きな違いがある。人員の半数が軍属、軍人の階級を有する民間人で構成されている点だ。

 対応する内容が特殊を極めるこの部門、軍人だけでは対応出来ない超専門的な知識や技能、又は、特殊な個人能力を駆使しなければならないことが多々あり、専門分野に特化した民間の超人集団が勤務することとなった。

 完全記憶を持つ者、E・S・P能力を持つ者、各部門に特化した研究者。特殊な武術を修めた者。文字通り超人達が参加している。

 そして、その者達は、軍特有の命令系統から外れ、依頼によって各々の仕事をこなしているのである。

 上官による命令は存在せず、自らに与えられた階級待遇に応じた命令権を持つ、特異な集団と言える。

 人選に当たっては、慎重に慎重を重ねた超法規的な方法が採られるが、それを知るのは組織トップの極一部となる。その分、トップからの信頼は高い。

 そんな特務機関の本部は、連邦本部太陽系の惑星上ではなく、惑星公転面に対して垂直な特殊軌道を巡る直径五千キロの人工惑星にある。

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 その人工惑星の直近。惑星表面からわずか五百メートルの位置にハイパーレーンからのタッチダウンの兆候である重力異常と空間変異が現れた。

 ほぼ、艦船港湾区画の正面に当たる位置で、時間帯によっては出入港する艦船で混み合うことも有る場所だ。

 通常、このような場所をタッチダウンポイントに指定することなど不可能だ。

 なぜなら、指定したタッチダウン先の周辺半径一千キロ以内に障害となる物体が存在すると、自動的にタッチダウンポイントは修正される。タッチダウン空域が混み合ってしまい安全なタッチダウンが保証出来ない場合など、タッチダウンをキャンセルされた上でハイパーレーンにしばらく留め置かれることすら有る。

 また、タッチダウンポイントを指定出来る空間も決められており、惑星等からは、最低十光秒離れている。約三百万キロだ。

 この条件から外れた場所にタッチダウンしようとする場合、今回のような場合だが、そのポイントは自動装置をオフにした上で自力で計算する必要がある。

 ハイパーレーンへの突入速度、方向、タッチダウン時の近くにある物体の速度、移動方向は言うに及ばず、空間に及ぼされる力場など相当数の影響を考慮しなければならない。一々測定、計測した数値を入力し計算する時間があれば、自動装置でタッチダウンしたあと、亜光速で移動した方が遙かに早い。手を抜けば大事故待ったなしの大変に危険な行為なのだ。

 そもそも、自動装置はオフ出来ない。はずなのだ。

 事故でも無い限り普通に起こりえない事態に、港湾区画にある管制室は当然のことパニックに…は、ならなかった。

 衝撃波と閃光を伴って宇宙船がタッチダウンする。同時に、待ち構えていた管制官の強制通信の電波による怒鳴り声が飛ぶ。

「ペガサス!このバカヤロー!他の船の出入り時間じゃなくてもこんな近くにタッチダウンするんじゃないと何度言わせるかー!」

 タッチダウンしたのはペガサスⅡ。まゆとキティーの乗る船だった。その位置は、ぴったり港湾区画出入り口とベクトルが一致している。完全に静止して見える状態だ。

「ごめーん。遠くからちんたら帰るの面倒なんだもん。ぶつけたりしないから勘弁してよー」

「せめて事前に連絡しろ!ッたく。お帰り。始末書はちゃんと提出しろよー」

「りょーかいー。まゆが書くよー」

「お前が書けよ。張本人!」

 管制室でマイクを握る担当者以外から笑いが起きる。いつもの遣り取りのようだ。

 通信を終えた管制官は憮然とした表情の儘一人呟く。

「っとに、毎度毎度よくぴったりベクトル合わせたタッチダウンが出来るよな。あいつ」

「お前が配属される前日だっけか、ハンガーに直接タッチダウンして衝撃波で整備班が出し放しにしてた工具ワゴン、吹き飛ばしてたぜ」

「エアーシールド突き抜けて百個近くの工具がそこらの宙域にばら撒かれたって言ってたな」

「あぁ。小物用の強力なレーダー抱えて整備班総出で宇宙遊泳してたの、それか」

「俺が担当したぞ。それ。ちょうど混雑が始まった時間帯でさ。他の船が出入り終わるの待ちたくなかったとか言ってたな」

「嘘だろー…」

 頭を抱えたくなる情報ばかりが、笑いながらあちこちから告げられる。

「せめて直前で良いから何処に出るのか連絡しろよー」

 ついに頭を抱えてしまった。周りからはまだまだ慣れが足らないな等と慰めにならない言葉が飛ぶ。特務機関に配属され、まだ間もない担当官であった。

 さて、管制室の騒ぎなど我関せずと、いくら超小型艇とはいえ全長が二百メートルの恒星間飛行宇宙船を、港内侵入からわずか数十秒で接岸させ、ガントリーアームで船体を固定する作業に従事する港湾作業員が、その接岸スピードに恐怖し顔面を蒼白にさせた後、更にガントリーアームのフックを閉じるだけで固定が完了する位置で船体が静止していることに口と目を大きく開いて固まってしまったことなども知るよしもなく、いくら待っても接岸完了の信号が来ないので、ペガサス側からガントリーアームのフックを閉じ、勝手に接岸を完了させて特務機関事務室へと移動すべくコミューターを拾って移動開始したまゆとキティである。

 この港湾区画に設置された港では、通常ペガサスに匹敵するサイズの船舶は惑星間を移動する際に使用するウイーゼル級の通称シャトルシップと呼ばれる船となる。

 このクラスの接岸所要時間は通常四十分。最も急いで二十五分程は必要である。

 港湾内の移動速度が制限されているのはもちろん、人工惑星内部の施設であることから、スラスターの噴射自体が禁止である。施設内でスラスターなど吹かそう物なら辺りの設備を巻き込んで吹き飛ばし、焼き、溶かして重大事故一直線なのだから当たり前なのだ。

 ではどうやって移動するかと言えば、通常の入港では、入り口でいったん静止。その後は、慣性制御を担っている重力制御装置を使う。

 進みたい方向に重力を偏移させ、船体を落下させ移動する。停止するには反転させて押し戻す。重力制御装置が小型で船体を動かすに至らない船体では、トラクタービームという牽引装置で港から引っ張って入港させる。速度を上げて接岸しようなどとすれば普通に衝突事故を起こす。おおよそ、時速五キロ程度の低速で行われる。

 そこからの停泊作業は、本来ガントリーアームを三十メートル以上伸ばして船体を掴み、停泊位置まで引っ張ってガントリーアームが最も縮んだ位置で固定する。この時の船体と港の桟橋との隙間はわずか二メートル。操船でここまで接近することはない。行ったとすれば、その作業だけでも三十分は必要となるだろう。ガントリーアームによる接岸ですら十分程度は必要とするのだから。

 キティの取った方法はといえば、入港時、入り口に向けて移動する為にスラスターで稼いだ速度を殺さぬ高速なままの慣性飛行で侵入し、重力偏移を巧みに操って船体を反転させた後、過剰な重力偏移で速度を急速に落としながら横移動。位置決めを終了する直前にイナーシャルキャンセルを全開にして静止させるという荒技を使った。

 其れだけで、全ての行程を終えて、ガントリーアームを使用せずともフックするだけで停泊まで終了してしまったのだ。全てを終えるまでが一分を切る超高速で。

 恐るべき操船技術と、ミリ単位以下で把握している超絶的空間把握能力のなせる技である。

 通常の数十倍の速度で飛び込んできて反転し、到底止まれるはずのない速度で接岸する宇宙船を目の前に、間近で見ていた港湾作業員の感じた恐怖は計り知れないモノだった。此所に配属されて間もない新人の彼にとっては。

 その後、固まった状態から回復出来ないでいた彼は、心配した先輩作業員に肩を叩かれた直後意識を手放し、救護室に搬送された。当然の事、港湾担当部署から特務機関に対しての厳重抗議が為されるのだった。

「たっだいまー」

 と言う声と共に特務機関事務室へと入室するキティと無言のまゆ。

 時間短縮のために安全を確保した上で操船しているので、全く悪いと思っていないキティはのんきなモノだ。

 まゆの方は、キティの操船によるあちらこちらからの、半ば常習化している抗議を思い、げんなりとしている、

 部屋に入ったまゆを見るなり、研究特捜艦隊隊長で有り特務機関のまとめ役である秋山信二上級大将は、にっこりと微笑んだまままゆを手招きする。

 反対側の手に、分厚い紙の束を持ったまま。

 言うまでもなく、各部署から寄せられた抗議や警告に対する始末書の山である。航行法違反に始まり、入港手順違反、申告漏れ、危険行為などなど多岐にわたるそれらの中に今回、一枚たりとも器物損壊に対する物が含まれていない点に付いてはさすがと言うべきかどうか。

 黙ってそれらを受け取った後、恨みがましい視線をキティに対して送りつつ深い溜息をつくまゆである。

 無言の儘で始末書の束を受け渡ししている辺り、信二とまゆの二人も既に慣れ切った出来事であるようだ。

 秋山信二上級大将は、銀河連邦宇宙軍第一艦隊に三人いる艦隊司令の一人だ。

 第二から第十艦隊に於いては艦隊司令は各一人ずつとなるが、第一艦隊は防衛・警察・研究特捜の各艦隊ごとに指令が存在する。

 何故、第一艦隊だけが三つの艦隊を寄せ集めた形で存在するのかと言えば、只単純にパワーバランスの問題である。他の艦隊に比べ、防衛艦隊だけでは圧倒的に規模が小さいのだ。他の艦隊は銀河腕を八つに区切ったり更にその外側を担当する関係上、艦艇だけでも数百万という規模になる。

 これに比べ、本部太陽系周辺が担当となる防衛艦隊は艦隊規模が万で収まる。百倍にも及ぶパワーの差を埋めるため、百万規模の艦艇を持つ警察艦隊と、特殊戦力を持つ研究特捜艦隊を合して第一艦隊として成り立っている。

 そんな特殊な艦隊の司令に就いている彼だが、階級章がなければ、誰もその地位を予想出来ないほど若い。

 正確には、若く見える。

 長命種。俗に言うメトセラ種ではない。テラ星系人。地球人だ。

 外見年齢は二十八。体格も良い方ではあるが身長が百九十を越えるため着る物によってはかなり痩せて見える。

 顔の作りも整っており、モデルとして雑誌の表紙を飾っていても違和感を感じないだろう。

 実際の年齢は三千年を超えているのだが。

 彼の体はほぼ全て人の手が加えられている。機械的なサイボーグ化はもとより、人工細胞や細胞の強化処理など、あらゆる方法で強化された改造人間なのだ。三千年を超える過去にあった大戦争に於いて投入されたサイボーグソルジャーの生き残りである。

 当時は機械化が主体のサイボーグ技術であったのだが、その後、人工細胞やクローン細胞を強化するなど、バイオニクス系の技術が主流になった際、摩耗・損耗した器官をそれらと入れ替え、その後も様々な調整やメンテナンス、修理や治療を繰り返し現在に至っている。

 この事実は将官以上には周知されているが、佐官以下には必要が無ければ伝えられないため、軍服を着用していない時に絡まれる、言う手合いのお約束は結構な頻度で発生している。本人はそれを楽しんでおり、事実を知るものからは悪趣味と言われているのだが改善する予定はないようである。

 そして、姫野まゆ。成人前の少女にしか見えない彼女であるが、登録年齢二十二歳。ここ数十年変わっていない。

 彼女はAクラスエスパーである。

 一口にAクラスと言っても、十キロを超える重さの物体を持ち上げる事が出来る程度の能力者から記録に有る限りでは、惑星を破壊出来るに至る者まで含めている。

 幅が広すぎるのは、クラス分けを決める際に頭が化石化した役人が参加していたのが原因らしい。

 そして、ほどほどの能力が使えるエスパーの中に、自らの細胞や染色体などを操作したり、治療出来たりする者が現れる。

 こういった者が、老化を緩め。結果長命化する事が知られており、彼女もこの一人である。

 信二ほどではないが、かなりの長きにわたって生存しているらしい。

 更に、特記事項に記されているのだが、彼女の右腕は、肩から先がロボット義手である。

 幼少期に事故で失い、義手を付けて育ったため、現在では自己治療で腕の再生が出来なくはないのだが、慣れ親しんだ義手を愛用しているらしい。

 尤も、只の義手であるはずもなく、色々と仕込みがあるらしいのだが、明らかにされてはいない。

 彼女も信二同様、長命化の事実や大将待遇の軍属である事を知るものは将官以上となるため、私服などにおけるトラブル発生率は推して知るべしである。此方も改善する予定はないらしい。

 更に、キティ・キャット・シャリエティプスであるが、ある恒星系の滅んだ文明跡で保護されたシャリエティプス人の生き残り。

 彼女は長命種と思われる。どの程度寿命があるのかは記録がないため不明だ。

 現在、保護されてから既に三百年を超える。三歳ぐらいで保護され、二十年生活した辺りで成長が止まったため、登録された年齢は二十三となっている。

 彼女の特徴は、驚異的な身体能力にある。

 普段、その筋肉や皮膚はテラ星系人と変わらない柔らかさを保つのだが、力の込め具合で、五十トンを超える戦闘車両に轢かれようともびくともしない強度を発生する。

 その上、轢かれた状態から車両を蹴り飛ばす事も可能な膂力を発生する。

 加えて、ある種の超能力を持ち、身体強化を行えるため、連邦軍の所有する戦闘用パワードスーツ程度なら圧勝出来てしまう。

 次に、一度目にした物は全て記憶してしまう超記憶力も持つ。只、記憶を引き出すためには相応の集中力が必要なので、普段はその恩恵が現れていない。

 性格はのんびりマイペース。明確に禁止されていなければ気にせず違反行為を行うのはこの性格に寄る所。

 周りに被害を及ぼさないならいいじゃない、とは本人の弁。

 今回、帰りに行った危険区域へのタッチダウンも。禁止事項としては規則に明記されていないのだ。

 記載されているのは安全な宙域にタッチダウンを行う事。と言う文言と、危険行為には罰則を与えるという警告文。

 諸事情により、やってはいけませんと書かれていないのだ。こういった所には、記憶能力を全力で使ってくるため、注意しても治らない。否、直す気が無いようである。

 更に、空間把握能力がとんでもない事になっている。

 操艦能力テストに於いて、全長が一万二千メートルの大戦艦を操艦し、前後上下左右に各最大五十ミリの隙間しか残らない格納空間に納めて見せた事がある。

 この時は、さすがに三時間ほど掛かっているが、外部カメラを一切使用せず、艦橋からの目視だけで納めて見せた。

 因みにこの大戦艦、専用のドックに、専用の設備を使って入港するために必要な時間は五時間。この際の周囲のクリアランスは前後左右上下とも五百メートル以上開いている。

 このテスト後、誰も戦艦を格納スペースから出す事が出来ず、壁を三面取り払う事になり、一ヶ月の期間を要したそうである。それでもアンテナなどを幾つも変形させてしまったと記録されている。

 キティが操艦して出せば良かったのだろうが、納めた所でテスト終了を宣言してしまったため、即刻遊びに行ってしまって捕まらなかったらしい。長期休暇申請が受理されており、その後二週間に渡って行方が掴めなかったとの事だ。。

 報告書を読む限りでは、楽しいエピソードてんこ盛りの人物である。

 此所で、時間や距離などの単位系、先ほども出てきた長命種や、それ以外の種族特性についても説明しておく。

 まず、基本となる時間や距離、質量といった単位系についてだが、種族特性から銀河連邦最大勢力のテラ星系人種の使う二十四時制、メートル・グラム単位系が使われている。

 これは、圧倒的なシェアをテラ星系で占める工業製品に使われる制御装置がこの単位で設計されているからである。

 また、生命が存在可能だった自然発生の惑星では、おおよそこの単位に近い物が使用されている事が多く、自転、公転周期もプラスマイナス数パーセントに収まる事がほとんどであった事も影響している。

 只、あくまで公共での表記や表示であって、星系毎の時間や単位は其の儘使われ続けている。

 そして、長命種、常命種、短命種という区分について、短命種は二百年程度の寿命を持つ種族で、一般的に活動的、精力的で、気性の荒い者が多く、突発的な発明や、様々なブレイクスルーを起こす確率が高い種族。

 常命種は、五百年程度の寿命を持ち、短命種に比べればのんき、のんびりな性格で突き詰めた研究に向いた種族。長い研究を必要とする発見や発明が多い。動植物の品種改良などは得意な分野となる。

 長命種は千年を越える寿命を持ち、かなり穏やかな考え方をする種族となる。のんびりし過ぎていて変化についていく事を苦手とする。反面、過去の記録を大切にし、応用力に優れている。芸術分野に於いては圧倒的な力量を発揮する。

 この三種に分類されない、一般的に公では言及されない超長命種も存在するが、種族柄人数が極端に少なく、よく言えばオンリーワン。良くも悪くも、自由気ままな者ばかりである。型に収まらない者がほとんどなので割愛する。

 さて、色々説明をしている間に、その義手の動作プログラムを利用した始末書処理モードで、圧倒的な速度で分厚かった書類の束を片付けつつあるまゆだが、残り数枚となった所でその手が止まった。

 残された書面は、全てが始末書ではなく指令書と書かれている。サインする位置が違うので気が付いたのだ。

 其の儘サインを続けてしまえば、大変な事になるのは間違いない。現時点に於いては大変危険な代物である。

 念の為、最後にサインした書類を読み直し、始末書である事を確認したまゆは、その目を信二に向け、ジトっとした視線を送る。

「たいちょー。姑息なまねをしてきますね」

 残りの書類を摘まんでひらひらさせつつ声を掛けるまゆ。

「おお、そんな所に混じっていたのか。すまんすまん」

 全く済まなさそうに聞こえない声でそう言いつつ手を差し出す信二。

 持って来いというサインだろうと、片付けた始末書と一緒に手にすると立ち上がって信二の元へと向かう。

 信二の前に、山を分けて二種類の書類を置くまゆ。

 始末書の山を手にし、サインを確認してゆく信二。中程でその手がふと止まり、一枚の書類を抜き出すとまゆに向けて差し出してくる。

「此所にも混じってたなー。済まんがサインしてある以上は、片付けてくれるかな?」

 目を見開いて、差し出された書類をひったくるように受け取って確認するまゆ。サインする位置が通常の指令書と異なり、始末書と同じ位置にある。明らかに誤認識を狙った誘導だろう。

「はーめーらーれーたー!」

 書類を持った手をぷるぷるさせながら天井を睨んで叫ぶまゆ。

「おお。此所にも混じってたなー。すまんすまん」

 更に書類が追加される。

「たーいーちょー!」

「あはははははははははははははははははははは」

 叫ぶまゆに続いてキティの爆笑が響く。

「きちんと確認しないからー。あわてんぼーだねー」

 まゆを指差して笑い続けるキティ。

「他人事じゃない。君はわたしとペアなのよ。意味分かってるかい?キティ」

「は? あーっ! わたしも一緒にお仕事じゃん! いーやーだーっ」

 まゆへの指令は自分も一蓮托生である事を思いだして叫ぶキティ。時既に遅し。

「たいちょーのひきょーものー」

「いや、間違って混ざり込んだのは悪かったがサインしたのは姫野大将待遇だからなあ。階級から言っても直筆サインを取り消すのはなかなか処理が大変だぞ?手続きするか?」

 叫ぶキティに答える、すっとぼけた口調の信二。撤回するつもりはないようだ。

 以前、本当に間違って回ってきた指令書に気付かずサインした折に体験した、指令書へのサイン撤回手続きの煩雑さと手数の多さに、此所は指令自体を片付ける方が簡単だと半ば諦めた表情で内容の確認に入るまゆ。

 一見すると、何故特務機関に回ってきたのかと疑問を覚える内容なのだが、渡された二枚の内容を比べてみて問題点に気付く。

 一通は、第十艦隊から発行された物。開発の最終段階にある自動哨戒システムの回収依頼。

 哨戒対象空域がべらぼうに広い第十艦隊では、以前から自動哨戒システムを多数配備し、運用している。そして、現在開発中の新型システムに置いて事故が発生した。

 仕上げの段階に入った所でシステムに致命的なバグが見つかって暴走。現在、テスト宙域に於いて警戒態勢で稼働を続けており、システムの十光秒以内に接近すると必ず攻撃を受ける。攻撃用兵装が、これまたテスト中の強力な物で、戦艦クラスでも大きなダメージが発生するため、対応に困っている状況である。

 システム自体は、直径五十キロほどの人工惑星で、自動航行が可能な全長五百メートルクラスの軽巡洋艦を二十艦以上格納するためのスペースが存在し、現状では戦闘艦は用意されていない。キティであれば、この空間に直接タッチダウン出来るので、内部に突入する事は問題ではない。

 一通は、特務機関が所属する研究特捜艦隊から発行された物。

 同じ自動哨戒システムに関する依頼ではあるのだが、内部に技術スタッフが残されており、これを救出して欲しいというもの。但し、開発中のシステムが暴走したことで、機密保持のための自壊装置が既に待機状態となっており、外部からの侵入を検出した場合、作動する。内部から離脱するものを検出した場合も同様。自壊方法が物質の分子間結合を破壊し、爆散させるというもので、通称を素粒子破砕爆弾という。原理的には一定の範囲を強固なシールドで隔離、内部に強力な破砕振動波を生成して分子間又は原子間の結合を破壊し、粒子状態にするもの。最後に破砕爆弾本体が自壊すると同時にシールドが消滅。内部圧力による爆発が発生する。

 この作動時のシールドが問題で、通常の脱出手段では設定された範囲から離脱する前にシールドが生成されてしまう。おまけに、哨戒システムから出た所で敵認定されて攻撃を受けることとなる。

 実際、此方の内容が問題で救出作業も回収作業も出来なくなっている。 近付いて内部に侵入し救助後離脱するのは、廃艦間近の大型戦艦をシールド最大展開で盾として使えば不可能では無い。事実、この方法で一度接近し、突入寸前までは至っている。只、この際に自壊装置の件が明らかになり、作戦が中断されて以降進展が無い。

 内部の技術者始め兵士も暴走したシステムの停止を何通りも試してみたものの、メインシステム及びそのコントロール関係、動力通信に至るまで接近すると自動兵装による妨害攻撃で接近すら出来ない状況。サブシステムを使っての妨害工作も全て防がれてしまい、為す術が無くなったらしい。

 残されている人員総数二千五百三人。

 しばらく指令書を睨んでいたまゆが、おもむろに端末の仮想スクリーンをいくつか展開し、何やら検索を始める。展開したスクリーンに、検索結果が次々に表示されて行き、次に、それらの情報を調べ始める。

 やがて、何やらメモを作成し、神事のデスクへと転送するまゆ。その後も資料の確認は続く。

「これを用意すれば行けそうかい?」

「はい。ちょっと無理させるんで、ウオルター大佐の重巡洋艦が良いんじゃないかと思います。今日の今時分だと、待機組でしたよね?」

 まゆからのメモを確認した信二が訊ねれば、スクリーンから目を離すこと無く答えるまゆ。

「待機所に居るね。他も用意しておこう」

「お願いします」

 直後、待機状態だったベンジャミン・ウオルター大佐以下の第一艦隊特務機関所属遊撃部隊に緊急発進の指令が飛び、乗艦隊員とドック作業の整備補給隊隊員が慌ただしく動き出す。

「艦載機は要らないらしいから全部降ろしちまえ。それから二千五百人のお客さんを乗せるスペースとシートの確保。緊急加速用ブースターと主砲のオーバーチャージャーを接続だ。作業が終わったら最低限必要な人員を残して退艦。急げよ」

 艦長のウオルター大佐の指示が飛ぶ。そこへ、まゆからの作戦内容を記したメモが送られてくる。内容を確認した大佐がにやりと笑う。

「嬢ちゃん、相変わらず楽しいこと考えてるな」

 隣で只一人、その言葉が聞こえた一人の副官が青い顔になったのを見た者は、慌ただしいメインブリッジの中には存在しなかった。

 突貫で通常運用時の倍に当たる二千人を収容出来る耐Gシートの準備と技術者のための船外活動用ハードスーツを人数分。

 艦の前後、夫々上下左右甲板に二門宛装備されている主砲十六門。このうち前方の八問に対してオーバーチャージャーの取り付け。

 艦最後尾のメインスラスターを囲むように上部甲板左右、下部甲板左右に緊急加速用ブースターを一機宛計四機、メインスラスターの軸線と平衡、且つ等距離に固定。

 その他必要な物資を搬入し、出港準備が完了したのは三時間後である。整備補給隊隊員達が記録達成だとハイタッチで喝采を上げている。何しろ、一般的な作業時間の半分を切っていた。次は三時間を切るぞと気勢を上げる者が多数見られる当たり、無茶ぶりに対する耐性度合が察せられるという物である。他の部隊では決して有り得ない状況だ。

 今回用意、あるいは取り付けられた物だが、先ずはオーバーチャージャー。これは主砲や副砲など大型砲座のビーム照射時間を延ばすための物である。主砲や副砲などに多く採用されるビーム砲は、その威力を調整出来るようになっており。弱く設定すれば長時間。強く設定すれば短時間と、ビームを照射出来る時間が変化してくる。一回に発射出来るエネルギーの総量が決まっているためこれは当然と言えるのだが、今回は、そこそこ強い威力で更に長時間の照射を必要とする。そこで、取り付けたのがオーバーチャージャーという装置。これを使えばエネルギー総量を増加出来るため、同じ強さのビームであれば、より長時間の照射が可能となる。多用すると当然デメリットが発生するのだが、今回は一回限りの使用であるため無視出来ると判断された。

 次に、緊急加速用ブースター。これは名前の通り、前進のためのスラスターを増設して加速力を上げる装置だ。通常の艦艇に搭載されているメインスラスターは、最大出力を維持した際に得られる加速度は、イナーシャルキャンセラー、加速中和装置の限界を超えないよう設計されている。今回の作戦に於いて、これでは脱出には加速度が不足するため、ブースターを使って、最大加速能力を倍増する事となった。ブースター一本で三十パーセントの増給が可能なので、今回四本の取り付けで、元の状態の百二十パーセント増しとなっている。当然、イナーシャルキャンセラーの限界値を超えてしまい、最悪乗員が超過加速重力で押しつぶされる危険があるのだが、そこは操艦手の腕の見せ所である。

 続いて耐Gシート。乗員が各種慣性加速度に耐えられるよう設計された椅子である。艦艇の機動に於いて、とくに戦闘機動では思わぬ方向の慣性加速度が生じる場合がある。これを有る程度サポートし、乗員を保護するための椅子が耐Gシートである。場合によっては頸椎や、場合によっては脊椎を損傷する可能性もあるため必要な物なのだ。

 そして、船外活動用ハードスーツ。宇宙服である。但し、慣性中和機構(簡易版)付きの物で、最大五Gまで中和出来る。

 今回のよう救助対象に技術者が多く含まれるため用意された。自動哨戒システムから離脱する際、かなりのGが船内に及ぶ予定であるため、耐G訓練を受けていない技術者を守る必要がある。ハードスーツを着用してもらい、Gを軽減させる予定である。

 そして、本来艦載戦闘機を格納するスペース、幅百五十メートル、奥行き二百メートル、高さ百二十メートルの空間が空っぽにされている。此所にペガサスⅡを格納して持って行く予定である。

 ペガサスⅡは、全長二百メートル、最大幅百八十メートル、最大高さ百十メートルの上から見ると二等辺三角形。横から見れば艦底後部に直角を持つ直角三角形に近いシルエットを持つ。

 形状は、三角翼を持つ航空機を大きくした外観で主翼とX字尾翼、カナード翼が付いている。本来不要な翼が付いているのは、大気圏内での機動運用を想定しての事で、通常は冷却用の放熱フィンとして使用される。

 主翼を上方に畳めば艦載戦闘機の格納スペースに収める事が可能である。着艦口を通過することさえ出来れば。

 キティに確認した所、X時尾翼まで畳めば余裕で通過できるとのことである。

 現在主翼とX時尾翼を畳んだペガサスが、誰が見てもアクロバットと表現しそうな動きで艦載スペースへと侵入している所だ。まるで、軟体動物が巣穴に潜り込む様なぬるりとした動きで艦内に侵入し、着艦する。ガントリーアームが機体を固定した瞬間、見守っていた乗員から盛大な拍手が湧き上がった。

 彼らの持った感想は共通していた。

「このサイズでも入るんだな」

 であった。

 ややあって機内から出てきたまゆとキティは迎えに来ていた副官と挨拶を交わした後案内されてメインブリッジへ向かう。

 艦長のウオルター大佐と挨拶を交わした後キティは主操艦席へ、まゆは砲術席へと別れる。

「操艦関係と砲術関係の乗員は二人のやる事をよく見ておけよ」

 と、艦長の声が飛び、夫々関係する乗員が二人の座る席を取り囲む。

 一通り、操作パネルを確認し、各コントロールレバーの反応をチェックした後まゆがキティをちらっと見て艦長に声を掛ける。「発進準備完了、出港許可よろしいですか?」

「緊急発進扱いになっています。任意のタイミングでかまいません」

 ウオルター大佐から返事が返る。

「判りました。キティ、出て良いよ」

「アイアイー」

 キティの返事と同時に通信員が管制室へと出港を告げた。

 慣性制御の重力偏位を巧みに操り、離岸、出港を極短時間で完了すると、周りから溜息がこぼれる。いくら緊急発進であっても、通常二十分ほど必要とする出港がわずか二分もかからず終了していた。

 その後、サブスラスターに切り換え、メインスラスターを使用可能な宙域まで移動し一旦空間に対して停止する。本部人工惑星に対して相対静止した状態に当たる。

「ブースターの調整とジャンプの設定しちゃうね」

 と声を掛け、姿勢制御関係の全自動装置オートバランサーをオフにした後で、取り付けたブースターを出力三十パーセントで一秒間噴射するキティ。その後、操舵パネルの一部を調整し再び噴射、これを計四回行って四機のブースターの出力や噴射ベクトル、圧力などのバランスを調整する。噴射時の艦の動きで、どのブースターがどちらにズレや圧力のバラツキを発生しているかを読み取ったらしい。最後に三秒間出力五十パーセントで噴射し、バランスが取れた事を確認後、パラメーターの基準にセットし直しロックする。この間わずか二分。専用のアナライザーで解析し、設定するはずの工程を手動で、しかも専用の装置を使うより遙かに短い時間で完了してしまった。周りでこの様子を見ていた操艦関係者はただただ唖然とするばかりである。

 姿勢制御オートバランサーを自動に戻した後、ハイパージャンプの設定に入るキティ。まず行うのは、自動ジャンプ設定装置の解除。エンジニア用の百桁を超える暗証コードを三種類入力すると解除出来る。これは装置の共通仕様で、暗証番号は本来極秘。しかも三種類とも知っている、いや所持している者は存在しない。してはいけない。暗記出来る物ではないのでコピー不可のメモリーチップに記録して組織の責任者三名に渡されるのが本来の運用方法である。しかも、解除が必要なのはオーバーホールに関わるメンテナンス時だけだ。

 以前、解除している所に居合わせたキティは、これを見る機会があった。画面に流れた一瞬の暗証番号を三つとも、瞬間記憶で読み取って覚えてしまったというのだからその動体視力と記憶力。呆れるばかりである。

 続けて入力を始めたのは、ハイパージャンプのタッチダウンポイントデータ。九次元の英語アルファベットを含む三十六進数で、通常はナビゲーター画面から目的地を選択すればセットされる各四十桁のデーターである。実はこの四十桁の下に更に十二桁データが存在するが、此所はハイパーレーンで目的地近辺に到達した際自動で補完され、目にする事が無い部分である。

 今回移動する先は、軍の管理する空間であるため、元々ナビには登録されていない。そのため、メモリーチップに記録された物を受け取っては居るのだが、打ち込んだ方が速い。と手打ちしている。入力する度にナビ画面が移動して、最後何も無い空間で固定された。これで、ハイパーレーンへのジャンプアップは準備が完了である。

 後は、脱出工程をボタン一つで起動出来るようセットし、脱出の際の加速、進路設定をプログラムすればキティの準備作業は終了となった。

 一方のまゆは、主砲の設定を変更するべく、諸元表をスクリーンに呼び出して確認していた。

 先ずは、ビームの絞り込みと軸線の確認をと、出力を百分の一パーセント、発光出力寄りの周波数に調整し一秒の斉射を行う。ビーム直径が十ミリほどに絞り込まれた光の線が空間に伸びる。

「え? え? どうすれば口径五百ミリの主砲で十ミリのビームが撃てるんだ? 今の、主砲で間違いないよな?」

 大混乱である。口径五百ミリの主砲からはいくら絞り込んだ所で五百ミリのビームが発射される。砲術担当者の常識が打ち壊された瞬間であった。

「あれ? 口径設定の方法、伝わってないんだ。ビーム収束用の電子レンズ口径って変更出来ますよ。この砲だと最小軽十ミリだから最小径のビームも十ミリまで絞れるわね。此所。このパラメーター変更すれば十ミリから五百ミリまで自由に出来ます。演習の時にでも試してみて?」

 調整可能なパラメーター群の一ヶ所。幾つも枝分かれした階層の末端を指差すまゆ。マニュアルにも載っていないこんな深い階層のパラメーターを弄る者は居ない。普通の運用をする限りに於いては。慌ててメモを取る砲術担当者達であった。

「後、一、二、四、六、八番が軸線にズレがあるから直しちゃうわね」

 そう言いながら該当する砲塔のパラメータを調整する。再度試射。先ほど、僅かに曲がっていた八本のビームが今度は何処までも平衡に真っ直ぐ進んで消えてゆく。確認できたところでパラメーターをロックするまゆ。

「今のパラメーター位置、教えて下さい」

 即座に声が掛かる。これまで、精密射撃の際は手動で補正を掛けていたのだ。メンテナンスの度に修正依頼はしていた物の、測定器の誤差範囲内なので調整出来ないと言われ続けてきた。それが、一度の試射であっさり修正されてしまったのだ。

「此所ですよ。この中のこれとこれとこれ。三つ弄れば大抵治ります」

 と、やはり複雑に深い階層の三点を示す。こんな深い階層、気が付かないよ!とは、周りの砲術担当者の総意では無かろうか。

「五百ミリ口径の儘調整しても曲がってるのすら分かんないからねー。最小径まで絞れば測定器でハッキリ計測出来るはずですよー」

 周りで真剣にメモを取り、話を聞き取る砲術担当の面々を余所に、まゆの指先は新たな設定を行うべく、操作パネルの上で動き続ける。現在行っている設定は、主砲の出力並びに照射継続時間及び収束角度とその間の砲の動きをプログラムして記録し、メインスラスターの作動と連携して自壊用の素粒子破砕爆弾が展開するシールドから逃れるための物だ。艦体の大半がシールドの領域から離脱するまで、主砲でシールドの展開を妨害し、閉じ込められるのを防がなくてはならない。時間にすれば、ほんの十数秒の事ではあるが、収束率、出力、発射角度、ビーム口径に至るまで連続修正を掛けながら発射し続ける必要がある。しかも八門同時に最適な状態を維持するのであれば、人力でどうこう出来る物ではない。

 やがて、キティに設定した脱出用加速プログラムに連動させて作業は終了である。

 その様子を、艦長席からにやけた顔で眺めているウオルター大佐に気付く余裕のある者はブリッジには一人もいないのであった。全員が、まゆとキティの操作する手順や手法に驚き、はたまた呆れつつもその有用性に気が付けば自らのスキルに取り込むべく必死の形相で見つめていたのである。

「それじゃ現在の宙域に対してテイクオフスピードまで加速後速やかにハイパーレーンにジャンプアップして目的地近辺まで移動。精密観測したらベクトル合わせとタッチダウンまでお願いね」

「アイアイサー。出発しまーす」

 キティの言葉が終わると同時に艦のジェネレーターが出力を上げ、その振動と作動音がメインブリッジまで低く響いてくる。

 軍用の強力なイナーシャルキャンセラーにより、動き出した事を加速度で感じる事は出来ない。スクリーンに表示された母星との相対位置や距離、速度などのデータで動き出した事を確認出来るだけである。やがて、一部の表示が色を変えると共に点滅し、艦のスピードがハイパーレーンへのジャンプアップが可能になるテイクオフスピードに達した事を知らせる。

「ジャンプアップしまーす」

 同時にキティが宣言しジャンプアップ操作を行う。ひときわジェネレーターの動作音が高まると、可視光線による映像を表示していたスクリーンに一斉に虹のような輝きが表示される。ハイパーレーンへと突入したのだ。この際、多少の揺れを感じるものなのであるが、今回全くその様な感触が感じられていない。通常空間からハイパーレーンへの接続手順がスムースである証拠であり、見学中の操舵手は只感心するばかりである。何せ、通常の操作は自動装置任せであって人の操作を必要としない。自動装置であっても若干の衝撃が残るのが普通である。手動でこれを行おうとすると、接続のタイミングを誤れば、最悪船体が分解する危険さえはらんでいる。それを今、全く衝撃を感じる事が出来ない精度で、しかも全て手動で行って見せられたのだから感心する以外出来る事が無い。

 ハイパーレーンに上った事を確認すると直ぐに、装備されている事は操舵手であれば知ってはいても、使う事の無い代表装置であるペリスコープを引っ張り出すキティ。これは、ハイパーレーンから通常空間を観察するための装置で、自動装置が無かった頃には必須であったものだ。現在は形骸化しており、装備されている事は知っていても使い方はおろか何処に収納されているのかすら知らない操舵手も多数存在する。さすがに、軍艦であれば、非常時の緊急タッチダウンのために、訓練だけは行っているが、緊急扱い以上のものでは無い。

 周りで見学中の操艦関連乗員は何を行うのかと興味津々である。

 ペリスコープを覗き込むと直ぐに操艦レバーやスラスターのコントロールレバー他小刻みに素早く操作し始める。

 やがて、ハイパーレーンの流れに対して、艦体が垂直に向きを変えるが、其の儘レーンの流れに乗って進んでゆく。このような状態を経験した事がないものは、いや、まゆとキティ以外事故の経験でも無ければ全員未経験のはずだが、何が起こるのかと固唾を飲んでいる状態。

「一致したよ」

 そう言いながら、仮の設定したハイパージャンプのタッチダウンポイントのデータパネルと、ナビの上に表示された、今宣言した通りに固定表示された目的地のデータを表示、隠された十二桁のデータを素早く入力する。実は、このナビに表示させている普段隠されたデータは、実際にタッチダウンするポイントとの相対位置データである。移動速度や方向、偏角など、全てを一致させれば現在の様に固定数値として読み取る事が出来るが、多少ズレがあっても問題なくタッチダウン出来るため、又、ハイパーレーンの脱出ポイントはこの数値が極力変化しなくなる位置を選んでいるため隠しデータとされている。

 今回キティが行ったように、ハイパーレーンの脱出ポイントで、ペリスコープを見てタッチダウンポイントとの相対ベクトルを一致させれば数値の変化が止まる。そして、周囲への影響が最小の、狙った場所にピンポイントでのタッチダウンを可能とする技術なのだが、すっかり忘れ去られて久しい。

「じゃ、降りまーす」

 宣言と同時に最後のデータを入力し、確定するキティ。データを入力し終わると同時に、タッチダウンが実行される。此所は自動装置が普段替わって行っている作業であるが。全五十二桁を九次元分確定するとタッチダウンが開始されるように作られている。自動の場合、変化し続けるデータをタッチダウンポイント近くに多の質量物体が無い事を検出した上で適当なタイミングで取り込み確定する。従って、必ず多少のズレが発生する。それを見込んでの安全なタッチダウン宙域の設定なのである。

 次の瞬間、哨戒システムの港湾区画で見学しているものがいたとすれば、空間を転移した際の衝撃波がまき散らされた後、忽然と出願した重巡洋艦に度肝を抜かされる事となったであろう。その様な物好きがいなかったのが非常に残念である。

 直ちに、港湾区画に強制通信でガントリーの動作を指示し、接岸を完了させる。やはり、ガントリーフックを閉じるだけの最短固定作業である。

「到着。接岸完了です。以後は、格納庫からペガサスを出した後、素粒子破砕爆弾の解除準備に向かいますので脱出作業の方はお任せ致します」

「了解致しました。脱出作戦を開始致します」

 麻由が席を離れ、ウオルター大佐に挨拶の声を掛けると、自らも立ち上がり敬礼で答える大佐。

「此所に残されている全員の回収を終えたらスタートボタンを押すだけの簡単なお仕事ですから、落ち着いて、気楽にお願いしますね」

 軍人では無いためぺこりとお辞儀で返すまゆ。それを受け、敬礼を直して大佐が続ける。

「一から十まで用意していただいた行程ですから心配はしておりません。お客さんを乗せたらボタンを押すだけの仕事なんだ。失敗したら合わせる顔が無くなりますよ」

「失敗すると物理で顔が無くなっちゃうから成功させてね?」

 格納スペースを見て、脱出時の操艦プログラムに若干の修正を加えていたキティがそれらを終えてまゆの隣にやって来るなり大佐の発言を茶化す。内容はすこぶる物騒だが。大佐の苦笑いに、二人でクスリと笑うまゆとキティ。

「では、脱出作戦発動は一六○○以降で、それまでには爆弾の横に待機しておりますからそちらの任意でかまいません」

「一六○○以降こちらの任意。確認しました。ぴったりで発動させて見せますよ」

 まゆと大佐が作戦の発動時刻を確認する。

「おくれても良いから確実にね?」

 やはりキティが揶揄う。

「総員整列!敬礼」

 ウオルター大佐が大声で号令を掛けると、それまで固まったままだったメインブリッジの乗員があたふたと出口に向かって整列し敬礼の姿勢を取る。

 その前をキティと麻由が出口へ移動、ドアを潜った所で振り返り一礼をする。

「直れ。総員直ちに作戦開始」

 顔を上げ出口を背に歩き出した所で大佐の号令が飛び、全員が動き出し、脱出作戦が開始された。

 歩き出したまゆとキティの背後で出てきた通路の扉が閉じると同時に副長による艦内への指示が飛ぶ。

 通路のモニターで、目的地に到着している事に初めて気付いた者達が慌てて持ち場へと走ってゆく様を眺めつつ二人の専用機が格納されているエリアへと急ぐまゆとキティ。

 格納スペースに到着すれば、事前の打ち合わせ通り、既に着艦口は全開になっている。二人がペガサスに乗り込み、まもなく動き出す。

 そして、見守る作業員が呆れた、又は驚いた視線を向ける先で、何か軟体動物が巣穴から這い出すようなぬるりとした動きで艦外へと出て行くと、折りたたんだ主翼、尾翼を展開し、重巡洋艦が脱出の際に後方へ噴き出す噴射炎の影響を受けにくい一角へと移動。機体から伸ばした固定用アームで、近くの壁面に固定する。

 作戦が実行されれば、緊急加速を行う重巡洋艦のメインスラスターと四本のブースターが吐き出す噴射炎にさらされるこの格納エリアは、内部がほぼ焼き尽くされる。

 区画内のガントリーで機体を固定した場合、焼かれて機能消失し、解除出来なくなる恐れが高いため、自力で固定し、噴射に巻き込まれて飛ばされないようにしたのである。

 更に、作戦開始時に自動で船体を覆う強力なシールドを展開するようセッティングも行う。

 全ての準備を終えて、二人は格納庫に搭載している高速移動用の小型の機動装甲車を引っ張り出して。素粒子破砕爆弾が設置されている、自動哨戒システムの中央区画へと向けて通路を走り出す。

 入手済みの情報によれば、自動哨戒システムを制御しているメインシステムと、その動作に影響を及ぼすと目される動力、通信等などの供給装置に近付こうとしなければ、攻撃を受ける事は無いはずである。

 何故か、素粒子破砕爆弾自体も除外されているため、順路を選べば、接敵すること無く爆弾の設置された区画に到達出来る予定だ。多少、遠回りになるとしても。

 現在時刻は一四二五。カバー類を取り去って、破砕振動波の発振回路を止める準備時間を含め、残り九十五分。

 目的地までの総延長三百二十五キロを走破すべく、まゆのナビゲート、キティのドライブで鋭意爆走中。

 走行している車両の諸元は、全長四千七百五十ミリ。全幅二千百五十ミリ。全高、千七百ミリ。六輪マルチ駆動の機動装甲車は最高速度こそ三百キロではあるが、あちこち回り道をする上に、広い場所では幅十メートルを超える通路も、所々三メートルを切る場所も有る。最高出力の千五百四十五キロワットを維持し、回転数を固定されたタービンエンジンから、これもロックされたままのトルクコンバーターと、無段変速装置を経てデファレンシャルが常に最適な駆動力を六本の車軸へと送り続ける。更に、キティの巧みな速度の制御と六輪操舵、前輪一軸輪操舵、前輪二軸操舵、前後二軸操舵、後輪一軸操舵、後輪二軸操舵の切り換えを駆使して走り続ける様は、さながらターマックを走行するラリーマシンを彷彿とさせる。

 通路上のゴミ処理や、床面の掃除、メンテナンスを行うためのロボット型ドローン。通称ベースキーパーがあちらこちらで慌てふためいて逃げ惑っている。二百メートルごとに配置されているため、動き回るパイロンのような状態なのであるが、これまでの所幸いにして事故は起きていない。

 一度など、幅二メートル七十五センチの通路で出会った時は、お互いに、壁をなめるようにして避け合って擦れ違い、肝を冷やしたものである。すれ違った後、硬直したベースキーパーが其の儘倒れ込んだあと、二十分ほど再起動出来なかった事を二人は知らない。運悪く出会ってしまったベースキーパー達が、浅くないトラウマを植え付けられた事は間違いない。

 一方の、脱出作業を受け持つウオルター大佐側だが、残されていた技術者や作業者、護衛の兵などの誘導と、訓練を受けていない者へのハードスーツ着用を終えて、発進の準備を終えていた。作戦予定時間の五分前であった。メインブリッジで各自の席に着き、発進手順を確認していたのだが、操舵席の兵が狼狽えたように声を上げる。

「艦長。脱出時の設定なんですけど…」

「何か問題があるのか?」

 歯切れの悪い報告にいぶかしげな表情で問い掛けるウオルター大佐。

「発進一秒後から十一秒までの十秒間。加速九点五が設定されていますぅ」

「は?」

 一瞬、メインブリッジが静まりかえる。

 加速設定が九点五。加速Gがイナーシャルコントロールの限界を九点五G越えるという事だ。乗員に九点五Gの重力がのしかかってくる。それが連続十秒。これは訓練を受けていても意識を失う可能性が高い。

「かーっ。ぎりぎりを狙ってくるなあ。総員に通達。耐えろ。以上」

 冷や汗を流しつつ決断するウオルター大佐。決断するも何も、変更出来ないのだから実行するしか無い。潔く諦めた。

 作戦開始時刻まであと百秒。カウントダウンが始まった。

 その頃、素粒子破砕爆弾の元へと到達したまゆとキティは、直ちに解体の準備に入っている。

 予定時刻七分前に爆弾の設置された部屋の前に到着し、機動装甲車のビーム砲を目一杯絞り込み、入り口の分厚いシャッターを焼き切るのに二分。中に突入し、爆弾の外を多うカバー解除の準備を行う。二種類のネジを、五十本と五本使って固定されている。五十本のネジは問題なく外せるため、直ちに片端から外してゆく。只、時間が無い。どうするのか。まゆの義手が活躍する。

 手首部分の有線接続を全てパージすると、無線操作でドライバー工具を握り、手首部分で回転させる。緩めていたのでは時間が掛かるため、逆に締め込んでネジの頭を飛ばしてしまう方法を採る。

 爆弾の、カバー部分のサイズは縦二メートル横一メートル半。身長の低いまゆでは上のネジに届かない。キティがまゆを抱え上げて上のネジから外してゆく。五十本全て外し終えたのが作戦開始予定時刻の一分前。残り五本のネジは、素粒子破砕爆弾が作動を始め、対象範囲を囲い込むためのシールドを展開開始後に行う必要がある。このネジはトラップになっている。てきとうに緩めると、その時点で爆弾が作動する。そのため、作動開始後に行う必要がある。ネジはカバー上部に一本。左右に夫々二本宛。そして、カバーの重さが百二十キロ。これはキティの怪力がものを言う。

 キティに抱えられたまゆが上のネジを外す態勢で、作戦が開始されるのを待つ。

 そして作戦決行時刻。カウントゼロと同時に、キティが重巡洋艦のメインブリッジに用意したスタートボタンが押し込まれる。同時にメインジェネレーターの出力が最高値まで一気に跳ね上がる。

 ガントリーが解除されると共にサイドスラスターが数秒全開される。弾かれる様に重巡洋艦の艦体が岸壁から離れる。直後から反対弦のサイドスラスターが行き足を殺し、艦体を格納スペースの中央に停止させる。同時にメインスラスターとブースターが運転を開始。後方へ向けてすさまじいまでの噴射を開始する。一秒後、設定された加速を維持し、格納エリアの中を焼き尽くしながら前進する重巡洋艦が、哨戒システム惑星の内と外を隔てるエアシールドを通過する。

 その瞬間、自壊装置が作動を開始。直ちにシールドが哨戒システムの表面から一万メートルの範囲を覆い尽くすように展開を始めた。

 同時に重巡洋艦の前方主砲八門がプログラム設定された手順でシールドの展開完了を防ぐべくビーム砲の照射を開始。約十三秒後には、充分な速度を得て加速をイナーシャルコントロールが吸収出来る範囲まで減らした重巡洋艦はシールドの範囲を離脱し、直後にビームによる妨害が無くなった自壊システムのシールド展開が完了した。

 そして、十秒の過大な加速度にさらされた重巡洋艦艦内では、ほぼ全ての乗員が半ば意識を飛ばしかけてもうろうとする中、プログラムされた通りにハイパージャンプへの準備を始め特務機関の所在する惑星基地へ帰還する手順を整えるのだった。

 さて、哨戒システム内で、自壊システムの作動妨害を行っている二人だが、素粒子破砕爆弾がシールドを展開し始めると同時に、まずまゆがカバーを止める残り五本のネジを切り飛ばす。これに掛かった時間約三秒半。直後、百二十キロのカバーを、事もなげに片手で掴んで投げ飛ばすキティ、これが約一秒。束になった動力配線から、破砕振動波を発生させるジェネレーターへの配線を特定し、切断するまゆ。この作業に約六秒。合計ほぼ十秒で無害化を終了させた。

 後は、脱出した船が、哨戒システムの攻撃射程から外れた後、シールドの発生を止めれば此方は無害化終了となる。

 因みに、キティが投げ飛ばした爆弾のカバーはと言えば、犬好き御用達の某円盤型遊具よろしく飛行して、壁の一角に半分ほど突き刺さっていた。

 その後、予定のコースから計算した射程外への退避と、設定された通りハイパージャンプが行われていれば既にハイパーレーンにジャンプアップしている時刻を待ってシールドを停止、破砕爆弾自体を動作停止させる。

 二人にとって、第一段階が終了である。残るのは、哨戒システムを制御している暴走中のマスターシステム停止。そのための防衛装置との戦闘が最大の山場となる。

 マスターシステムが納められた区画にたどり着くためには、道中の自動迎撃システムを始め、様々な防御システムを突破する必要があるからだ。

 マスターシステムの納められた区画は哨戒システムの中央から一階層下。ちょうど今いる区画の真下であるが、通路を移動した場合、最短で二十キロほどの道程となってしまう。

 正常な状態であれば、哨戒システム内各所に設置されたエレベーターやチューブウエイが使用出来るので簡単に行き来出来るのだが、現状、戦闘態勢下では使えない。

 此所に来るために乗ってきた起動装甲車に乗り込み、移動を開始する二人。

 出入り口に向かって装甲を開始するのかと見えた車両は、部屋の中央と出入り口のちょうど中間当たりで停車する。其の儘、車体を固定するためのジャッキを展開し、マニピュレーターを二本伸ばし始める。そして、この区画へ侵入する際シャッターを焼き切るために使用したビーム砲を先端に固定。車体前方で床に砲口を向けると、床を切断し始める。

 およそ三十分で、ビームの照射が止まる。同時に、丸く焼き切られた床が落下し始め、直径二メートルほどの穴が出来上がる。ややあって、階下からドーンという重量物が落下した際の轟音が響いてきた。

 マニピュレーターの先に保持しているビーム砲を車体に戻し、替わって、ウインチに巻き上げられたワイヤーを夫々の腕に一本ずつフックに引っ掛けて穴の直上に移動させる。

 車内から、手足を引っ掛けるためのストラップが付いたハーネスを一本ずつ持ち、周囲に大量に漂う、床を切断する際に発生した床材の蒸気と熱から身を守るため、簡易宇宙服を装備した二人が出てくる。そうはいっても、着ていたジャケットのファスナーを首元まで閉じて、専用の軽量なヘルメットを被り、襟部分で密閉させるだけのものである。小型のボンベと、外部に空気がある場合用のフィルターが装備されたヘルメットは、現在フィルターにより内部の空気を賄っている。

 ワイヤーの先端にハーネスを取り付け、ストラップに手足を掛けると、其の儘リモコンでウインチからワイヤーを繰り出して穴の中へと降下してゆく二人。

 穴を通り抜ける手前でキティに合図をして一旦下降を止めるまゆ。其の儘階下の様子をうかがう。

 階下では、直径約二メートル、長さ約五メートルの円柱が転がっており、その近くの床が大破しているのが見て取れるが、それ以外目立った動きは見られない。

「やっぱ、出入り口の監視しかしてないんだ。どっか抜けてるよな、開発陣。楽が出来て助かるけど」

 ぼやきとも批判とも取れる言葉を呟くと降下を再開する。其の儘何の妨害を受ける事も無く階下へと降り立つ二人。

 目の前には、哨戒システムを集中制御している巨大なコンピューター本体。マスターシステムが稼働している。

 本隊の一角にあるコンソールへと向かい、キーボードを展開するまゆ。

「キティ、強制コマンドお願い」

 と、隣の相棒に声を掛けるが、

「えー? 思い出すのめんどくさいー」

 と、非常に投げやりな答えが返ってきて苦笑い。キティ、記憶力は良い。一度見れば絶対に忘れない程度には。しかし、その記憶を自由に思い出せるかと言えばそうでも無い。使用頻度が多い事は直ぐ思い出せる。しかし、使用頻度が低かったり、本人が興味ない事となれば、思い出すために相当な集中力が必要となる。まゆの依頼した強制コマンドは、キティの興味を引かない事柄に該当しているようであった。

 軽く左右に頭を振って、ポケットから携帯型の端末を取り出し、何やら操作するまゆ。しばらく画面を眺めると、おもむろにキーボードを叩き始める。異常な早さで。義手に強制コマンドを記憶させて打ち込んでいるのであった。

「ほらー。わたしがやるより早く終わったじゃん」

 キティの文句と共に、マスターシステムの稼働音が急速に低下してゆく。

 数分後、キーボードの近くにあるポーズ(休止)と表示されたランプの点滅を残して完全に動きを停止するマスターシステム。

 サブシステムに切り替わって、正常に通常運転状態になっている事を確認し終えてから、幾つかエレベータードアの並ぶ壁に向けて歩き出すまゆ。

「サブシステムの動作を通常態勢で固定してくるから、上で待っててね」

「りょーかい」

 と会話を交わし、エレベーターで移動するまゆ。哨戒システム中央部を境にしたマスターシステムの対照位置に存在するサブシステム、要するに二階層上方へと上がっていくと、ものの数分で戻ってくる。

 キティは既に上の階へと戻っている、残ったハーネスに捕まると、ウインチの巻き取りをリモコン操作しようと手をベルトのリモコンに伸ばした途端、急速に巻き上げが開始される。ワイヤーの揺れを見て、キティがマニュアル操作したようだ。リモコンでは出せないマニュアル専用の速度で巻き取られ、瞬く間に階上へと至るまゆ。床より全身が登り切る寸前でハーネスから離れて横に飛ぶ、同時にワイヤー先端のコネクタが切り離されてハーネスが放物線を描いてまゆの手元へ。

 ハーネスをキャッチすると同時に着地する。ワイヤーはウインチへと巻き取られ、マニピュレータも素早く格納されてナビ席のドアが開かれる。

 車体を固定するためのジャッキは既に収納済みだ。

 ナビシートへとまゆが収まると同時に発信し、走り出してからドアが閉まる。

「帰ろー帰ろー。どんどん帰ろうー」

 聞いた事の無い歌を軽快に口ずさみながら来た時同様、全速力で走行を開始するキティ。

 いつもの事だとあきらめ顔でシートベルトを装着するまゆ。

 当然帰りは最短コース。途中エレベーターも使用しつつ、トラウマを抱えるベースキーパーが、追加で大量に増産されたのであった。

 やがてたどり着いたのは直接タッチダウンを行った格納エリア。しかし、現在のその区画は、到着した時とはまるで違う様相を呈している。

 明るいグレーを基調とし、落ち着いた景観であったそこは今、壁はあちらこちらで変形し、表面はひび割れ、あるいは溶けかかって黒や茶色へと変色している。張り巡らされていた桟橋も変形し、溶け落ちて壁にへばりついている状態。

 二人の乗機、ペガサスⅡの周辺だけが、その機体が搭載する強力なシールド装置の恩恵で丸く元の状態を維持している有様である。

 緊急離脱のために、格納エリアから直接、メインバーニアと更に緊急加速用ブースターをほぼ全開で使用した結果がそこに拡がっているのだった。

 現在の宇宙船が搭載するスラスターノズルから噴出されているのは、科学ロケット噴射やジェット噴射のような燃焼ガスでは無い。内部ジェネレーターによって生成されたタキオン系重粒子である。此れ等は、ノズルから吐き出される際には光速を越えた速度を保持しているが、噴射後、急速にその保有速度を減じ、光速に至った所で崩壊する。宇宙空間では、この時に主には光波やエネルギー波、僅かな重力波などををばら撒いて消失してゆくのだが、周囲に空気などの物質粒子が存在すると、爆発的な熱反応を起こして数千度から場合によっては一万度を超える熱が発生する。格納エリアには、エアーシールドによって、一気圧の大気が与圧されていた。そこでスラスターを全開にすれば、当然の結果と言えた。

 宇宙船の搭載するエネルギージェネレーターなどの事故に備え、最大クラスの強度で設計された格納エリアで無ければ、他の区画への被害拡大は免れない所である。

 そのあたりも充分織り込んで、今回の作戦計画は練り上げられている。戻った時に、格納エリアがこの惨状であるのは、二人にとって当然想定されている。

「おー。見事にコンガリって感じだねー」

 暢気なキティの感想がそれを裏付ける。

 通路から、人工重力が影響していない格納エリアへと、その移動速度の儘軌道装甲車で飛び出すと、姿勢制御を補助する目的でいくつか取り付けられているバーニアノズルを吹かし、巧みにペガサスの格納庫へと着艦させる。

 車体を固定し、コックピットへ戻るとすぐさま発進の準備を開始。唯一残っていた無事な壁を溶かしながら、メインスラスター全開でペガサスが飛び出してゆく。この時の加速設定は十二で十秒間。機体全てにイナーシャルキャンセラーの限界値を十二G超過した加速Gが十秒間襲いかかっていた。加速を緩め、イナーシャルキャンセラーの限界付近の加速度で自動哨戒システムから攻撃が飛んでこない事を確認しつつ、一旦自動哨戒システムの哨戒宙域を離脱する。百八十度機体を回転させると、自動哨戒システムに向けた反転加速を行う。哨戒宙域へ再度侵入し、自動哨戒システムの態勢が通常態勢の儘変化しないで固定されている事を確認する。そして、確認すると同時に、ハイパーレーンへとジャンプアップし、自動哨戒システムの宙域からペガサスⅡの姿が消え、辺から、それまでの騒々しさが消え去った。時刻は十八時丁度であった。

 ペガサスにコクピットでは、まゆがハイパーレーンへとジャンプアップ完了した時点で、超空間通信を使って特務機関の本部が設置された人工惑星管制室へと通信を接続する。

「此方特務機関所属のペガサスⅡ.管制室班長のダフィー中佐いらっしゃいますか?」

『えーと、姫野大将待遇で? ダフィーです。もしや、いつものですかね?』

「その通りです。ちょっともう止まりそうにありません。既にペリスコープ覗いてますので至急周辺の諸々、固定と片付けお願いします」

『はぁ。十五分だけ待って下さい。片付けときます』

「感謝します」

 スクリーンの中で諦めの表情を浮かべるダフィー中佐と、その背後で右往左往し始めた管制官達に向かい深々と頭を下げるまゆ。

『旨い酒でも見つけたら差し入れよろしく』

 そう残して通信が切れる。

「キティ。十五分後だからね。フライングしたらお仕置きするよ」

「あ、アイアイサー」

 表情を引き攣らせて返事をするキティ。お仕置きの言葉に恐怖しているようである。一体どんな摂関が待っているのか、消して本人の口からは聞き出す事はで来そうにない。彼女の怯えた表情が、それを物語っている。

 そしてきっかり十五分後、ペガサスⅡは華麗にタッチダウンを終了した。港湾区画内にある専用埠頭の接岸場所へ寸分の狂い無く。

 前回同様、新人港湾作業員が恐怖で硬直してガントリーでの固定操作が出来なくなり、ペガサス側から強制操作によって接岸完了させる所まで含めて。

 まゆの通信によって事前に付近一帯の片付けを済ませ、タッチダウンの衝撃波による事故が防げた事は唯一の僥倖ぎようこうであった。

 港湾区画到着時刻、十八時二十分。近隣宙域が、定期便の出入りで混雑する時間帯のど真ん中であり、キティが最も入港を嫌う時間帯でもある。

 事実、一時間も前にタッチダウンエリアへと到着していたはずの、ウオルター大佐達、脱出組が乗艦する重巡洋艦は、未だ、通常空間を港湾区画に向け航行中なのである。入港予定時刻まであと十五分ほど残していた。最優先で誘導を受けていたにもかかわらず。

 安全を見て、慎重に運行する以上はこれが普通なのである。

 直接タッチダウンを強行する気満々のキティを見て、止める事は不可能と判断したまゆのファインプレーとも言えた。

 タッチダウンエリアへの帰還を厳命すれば、その後の管制官指示を無視した大暴走待ったなし。近隣宙域を大混乱に陥れたあげく、数時間に及ぶ大渋滞を引き起こし、強行接岸によって港湾機能を麻痺させていたであろう事は、火を見るよりも明らかだった。

 深ーい溜息と共に、ペガサスから降りてきたまゆの表情がその事実と苦悩を物語っていた。多分、恐らく、いや間違いなく、この判断こそが最善であったはずだと。

 キティ・キャット・シャリエティプス大佐待遇。こと乗り物の運用に関しては殊更ことさら、やんちゃな事この上無しな残念一言の性格の持ち主であった。

「たっだいまー」

 と言う声と共に特務機関事務室へと入室するキティと無言のまゆ。

 時間短縮のために安全を確保した上で操船しているので、全く悪いと思っていないキティはのんきなモノだ。

 まゆの方は、キティの操船によるあちらこちらからの、半ば常習化している抗議を思い、げんなりとしている、

 部屋に入ったまゆを見るなり、研究特捜艦隊隊長で有り特務機関のまとめ役である秋山信二上級大将は、にっこりと微笑んだまままゆを手招きする。

 反対側の手に、分厚い紙の束を持ったまま。

 昼前に戻った時は閑散としていた室内も、この時間となるといくらか人数も増えている。任務を終了した隊員が戻っているからである。今戻っている隊員達は、恐らく昨日か一昨日から依頼任務をこなしていたものがほとんどのはずだ。まゆとキティのコンビの様に、一日に二軒もの依頼を片付けられる様な異常な能力者はさすがに多くない。後二組ほど、特に面倒な依頼をこなすチームが存在するが、二人組はまゆとキティだけ。破天荒な行動とは裏腹に、最も依頼完遂率が高いのがこの二人組なのだった。

 但し、始末書の発行数が最も多いのもこの二人組。次点組の五倍の枚数は伊達では無かった。何に対してだという突っ込みは拒絶する。

 そんな訳で、常に注目されている二人は、今回もやらかした事に対して拍手で出迎えられているのである。

「今日は何を仕出かしたんだ?」

 と言う質問と共に。

「午前中が港湾区画前、五百メートル位置へのタッチダウンと入港接岸タイム一分切りの強行接岸。今は埠頭への直接タッチダウンだな」

 と言う信二の暴露に室内がどっと湧き上がる。手を振って答えるキティと頭を抱えるまゆ。実に対照的である。

 そして受け取る書類の束。それを持って自分の席に戻り、先ずは仕分けを始めるまゆ。

 書類の種類ごとに仕分けを始める。始末書に混じって指令書が一通見つかった。

「これは隊長に返しといて」

 と、キティに手渡す。

 信二の元へと向かうキティを見送って、始末書の山へとサインを開始するまゆ。瞬く間に処理が終わってゆく。

 そして、全てにサインし終えた書類を手に信二へと提出に向かう。

 差し出された始末書を確認して受け取ったのを見て席に戻ろうとしたまゆに声が掛かる。

「これ頼むな」

 と差し出された書類は、先ほどキティに隊長へ返却する様手渡したものであった。承認欄にキティのサイン入りで。

 しばし、手にした書類を呆然と眺めていたまゆであったが、やがて声を絞り出す様に発する。

「キティ? なんでサインしちゃったのかな?」

 地の底から響く様な低い声で問い掛けるまゆ。

「えー? まゆがサイン忘れてるから代わりに書けって言われたから?」

 のほほんとしたまま答えるキティ。まゆの悲鳴にもにた叫び声が上がった。

「おばかー! お仕事の指令書だ!これはーっ! 返しておいてって言ったでしょーがぁ!!」

 ぽかーんとしているキティ。何故叱られたのかまだ飲み込めていない。

 目の前に突き出された書類を見る。鬼の様な形相のまゆを見る。再度書類を見て内容を読む。

「あぁ。わたし、だまされちゃったのか。あははははははははははははははははははは」

 ぽんと手を打って納得し、大笑いを始めた。と思った途端笑い顔の儘ピタッと固まる。直後、

「たぁーいちょーっ! 何で欺すんですかー?」

 叫びながら信二の元へ駆け寄ると、その机をバンバンと叩くキティ。

「欺してはいないだろ?サインしてないぞって言っただけだし」

 しれっと答える信二。

「えぇー?」

「わたしで良ければ代わりにサインするよって言ったの、キティだろ?」

「えええーーー?」

「と言う訳だから。よろしくな」

「「えええええーーーー??」」

 膝から崩れ落ちるまゆとキティ。

 室内は大爆笑に包まれたのだった。連邦宇宙軍第一艦隊特務機関。本日も通常営業中である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る