第120話 よしひろとみつなりの蜜月の関係に迫る
※今回のお話は特に歴史とフィクション両方を扱っています。
基本、人名が漢字の時は歴史ベース、ひらがなの場合には本作の架空世界をベースにしたお話としてご愛読していただけますようお願いします。
日本の戦国時代!島津義弘と石田三成の関係が極めて良好だったというのはかなり信憑性の高い話ではないかと思います。
三成視点で見ると、武闘派で有名な福島正則を始め、多くの武将、大名に嫌われていたという点を考えると武闘派である義弘との関係の良さは不可思議と言っていいかもしれません。
一方義弘サイドから見ても、命令に従うどころか、機嫌を損なうことも極端に恐れていた兄、島津義久が毛嫌いしていた豊臣秀吉の代理人でもある三成との関係の悪さを考えると、三成に対して、意思疎通はもちろん、尊敬の念すらあったのではと思えるほど丁寧な応対はこれまた不思議な事でした。
ご存じの通り、関ヶ原の戦いで石田三成が敗北したために、島津の歴史から義弘と三成の良好な関係に類する記録は消されていくことになります。
私たちが現代、目にする歴史は敗者となった三成との距離をわざと置いたある意味粉飾の歴史と言ってもいいかもしれません。
私たちがよく聞く、関ヶ原前の現場主義義弘と、戦の苦手な三成との意見の相違という話の多くは、軍記物のようなフィクション多めの資料や、先ほど述べた通り、三成と島津との良い関係を否定する意図をもった後付けの資料も多いと言われています。
では、実際の島津義弘と石田三成との関係とはどのようなものか?
そしてどうしてそうなったのかについて、一つの仮説を紹介したいと思います。
でも、これから紹介するのもあくまで私の仮説なので、あえてしまづの県の世界観で説明していきたいと思います。
この話の結びに「信じるも信じないもあなた次第!」
では次回のお話は彼らの関係が蜜月になった経緯について推理していきます。
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