第26話 ただよし爺ちゃんのスパルタ教育
ただよし爺ちゃんは基本的には優しい人、しまづ4兄弟共通の認識です。
それは、よしひさが腐っていた時にも見捨てず、彼の優れた点を公にしてよしひさを元気づけた点でも明らかです。
そして普段もとてもやさしいお爺ちゃんだったのは間違いありません。
しかし、教育をするときはまるでそれが嘘かのように厳しい時がありました。
例えば、次男のよしひろには、常に兄を守り、兄を助け、場合によっては兄の為に命を捨てる覚悟をせよと厳しく教えられました。
兄のよしひさを守るようにという教えは三男のとしひさも四男のいえひさも何度もたたきこまれました。
それと、これは4兄弟共通の教えですが、男は人生の中で死を覚悟しなきゃならん時が必ず来る、そういう時が来たらあたふたせず覚悟を決めるように!という教えも小さいころから叩き込まれました。
体を鍛える時もまるで容赦がなく、川に投げ込んだり、海を遠泳させた挙句、山登りを休みなくさせたり、剣術を熱心に行ったりとまさにスパルタ教育でした。
体が弱いよしひさに対しては多少手加減をしていたようですが、それでも決して尋常な訓練ではありませんでした。
そして、ただよし爺ちゃんはよしひさに、「兄弟はお前の為に命を懸けて戦ってくれるのだからお前は簡単に死んではならぬ、死ぬときは全ての責任を負ってから覚悟せよ」
こうして、よしひさは全ての責任を負うという役割を祖父や父から受け継ぐことになったのです。
ただよし爺ちゃんの特訓も終わりが見えてきたころ、爺ちゃんは4兄弟それぞれに励ましの言葉を送りました。
長男のよしひさには、「しまづの県をまとめる大きな器があるぞ!」
次男のよしひろには「勇気と統率の面で凄い!」
三男のとしひさには「頭が切れる!」
四男のいえひさには「作戦たてさせたら見事なもんだ!」
と激励しました。
しまづの爺ちゃんは戦も政略も凄かったのですが、一番すごかったのは「教育」でした。
今は爺ちゃんも父ちゃんも第一線を退いて「相談役」として陰でしまづを支えています。
※島津忠良 (日新公、日新斎)は島津の本家ではなく分家の出で、本家から実力で当主の座を手に入れる剛腕の人物でした。
しかし、決して野心的な人物ではなく、彼自身は島津本家の当主にはつかず、息子を当主に据え、自分はその補佐役に徹しました。
もともと若いころから寺で学問をしていましたが、その寺の住職から儒教や仏教、そして日本の神道を学ぶインテリだったようです。
彼は自分が学び、研究した学問を自分の子や孫だけでなく、領民にも教えるために分かりやすく「いろは歌」という形で教育しました。
幕末に活躍した薩摩藩士の殆どはこの教育の影響を大きく受けていたようで、東郷平八郎のようにずいぶん後の時代の人物もこのいろは歌を講演するなど、多大な影響を日本に残しています。
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