第6話 ラボラトリー
お腹すいたなぁ。
ヨシコは目を覚ました。
さっきまでタカハシといた研究室。しかし、タカハシの姿はない。人造人間の女王が入っていた水槽は壊れ、パソコンからは電流が流れ、モニターは青く光り、エラーの文字が並べられている。
ヨシコは、寝ている間に何が起きたのか確認しようとすると、手首を天井からぶら下がった縄でくくりつけられ、縛られていることに気がついた。……眉をひそませる。
「……なんだ、これ……」
「起きたか」
はっとして、声の方向に顔を向けた。
「おはよう。ヨシコ」
パソコンデスクの椅子に優雅に座ったナカハラがナイフを握りしめたまま、振り返った。
「気分はどうだ?」
「……っ、おじさんはっ……!」
ヨシコがはっと息を呑み、目を見開き――眉を下げた。
「だれ?」
ナカハラがすっ転んだ。しかし、すぐに再び椅子に座り直した。
「……たしかに、名前は一度しか言ってなかった」
「はい?」
「では、これでわかるかな?」
ナカハラが歌うように喋っていく。
「調布市一家殺人事件」
「千代田区スーパー爆発事件」
「山手線赤ん坊ロッカー密閉事件」
「女子高生バラバラ死体事件」
「その犯人」
ナイフがいやらしく笑うナカハラの顔を反射して映す。
「
「いや全然わかんねえ」
ナカハラがなんとも言えない顔をした。ヨシコは純粋に質問する。
「え、何の話ですか?」
「神宮神社放火事件、新宿歌舞伎町第一ホテル大量殺人事件」
「はあ」
「大阪妊婦切り裂き事件、名古屋サラリーマンバラバラ殺人事件」
「はあ」
「女性会社員コンクリート詰め殺人事件、新潟パチンコ店男児誘拐殺人事件、埼玉スーパー強盗殺人事件、東横線線路事故の原因その犯人!」
ナカハラが胸を張った。
「おれは、日本で恐れられた
「……あー……」
ヨシコはにっこり微笑んだ。
「そうなんだあ。すごーい」
ナカハラがカッ! と目を見開き、怒鳴った。
「ニュースを見ろ!!!!!!」
ヨシコがなんとも言えない顔になった。
「今、犯罪者は数え切れないほどいるんだぞ!? チェックしないと明日には我が身なんだぞ!?」
「えー……」
「病院でもテレビくらいあっただろ!?」
「部屋から出られなかったし」
って、
「……おじさん、なしてあたしが入院してたって知ってるの?」
「ふん。病棟もわかるぞ」
ナカハラが立ち上がり、にやりとした。
「『精神科』だ。それも閉鎖病棟の、一番奥の棟だ。重度の病人が入って閉じ込められていた。だから部屋から出られなかった」
「ハズレ」
ヨシコがヒヒっと笑った。
「内科だよ」
「心療内科か?」
「ううん。普通の内科」
「そんなわけない」
「内科だよ。たまに皮膚科で皮膚も見てもらってた」
「おれは何人もの人を殺してきた。突然襲うこともあれば、わざと近づいて交友を深める場合もある。おれは俗に言う、イケメンらしいからな。黙ってても人が寄ってくる」
特に女がな。
「おれは人と関わる。そして殺す。……殺してきた中で、お前のような奴は何人も見てきた」
ナカハラがヨシコを見て言った。
「お前の中身は異常だ」
ヨシコはぽかんとしている。
「同類以外に容赦ない。人間でなければ食の対象と見なす。本能が優先。妄想癖。気分の激しい気流。家族構成は言えるか? 目はちゃんと見えているか? 視界ははっきりしているか? 自分の考えをまとめて言えるか? リンゴはいくつだ? 指は何本ある? おれは誰だ? おれの目の色は見えているか?」
言えるものなら言ってみろ。
「おれの目は、何色は?」
「黒」
ナカハラが鼻で笑った。
「おれの目を見て、どう思った?」
「え、黒い目しか見えません」
「もっとよく見てみろ!!」
「ひぃっ!!」
「もっと何かを感じるはずだ! 恐怖、不安、怒り、悲しみ、憎しみ! 負の感情が!」
ヨシコは不安に思った。――この人、変態だ……!!
「どうだ!? おれの狂気の目を見てどう感じるんだ!」
黒いくりくりの瞳がヨシコを見つめる。
「答えろ! ヨシコぉおおおおお!!」
「うるせええええええ!!」
ヨシコがナカハラの顔面を裸足で蹴飛ばした。ナカハラがふっ飛ばされ、大の字で倒れた。
「キモい!! 近づくな変態!! この、……変態!!」
びりびり震える体を起こし、ナカハラが再び鼻で笑った。
「ふん。おれが変態に見える……か……」
ナカハラがヨシコを見て、せせ笑った。
「妄想が始まったようだな! ヨシコ!」
「いや、絶対違う!」
(この人全然話が通じない!! お兄さん、助けに来てよぉ……!)
絶対不審者だ。変態だ。
ヨシコは冷や汗を流し、自分の両手首をナカハラに差し出した。
「おじさん、なんでも良いからこれ外してよ!」
「まあ、そう焦るな。話をしよう。ヨシコ」
「あたしは話したくないんだよ! 知らない人とは話しちゃいけないって、お兄さんが言ってた!!」
「お前のその強さはこの世界で役に立つ。おれはな、お前に危害をくわえたくないんだ。どういうことかわかるか?」
「……は?」
「おれと来い」
ナカハラが手を差し伸べた。
「おれと楽しく人生を過ごすんだ」
殺しという名の人生を、
「一緒に味わって楽しまないか?」
「ぜっっっっっっったいに、やだ!!!!」
断固拒否。お断りします。
「近づくな変態!! 怖いんだよ!! キモいんだよ!! さっさと就職してちゃんと真面目に働けよ! どっか行けよ!! この不審者!!」
「……。残念だ」
ナカハラがナイフを握り直した。そして、冷たい目をヨシコに向け、黙ってナイフを振り下ろした。
「あ」
ヨシコの首に切れ目が入った。次の瞬間、ヨシコの首がぱかりと開き、血が飛び出し、ヨシコの首と体が別れを告げた。それを見て、ナカハラは恍惚とした表情になったが――すぐに口角を下げて、はっとした。自分が切ったのはヨシコではない。
縄だ。
素早く目を斜め下に向ける。ヨシコが両手首を縛られたまましゃがみこみ、――顔を上げた。ナカハラはすぐさまナイフでヨシコを切りつけようとしたが、ヨシコがその行動を予想し、先に自分の両手首を差し出し、縄を切らせた。そこでナカハラの背中がゾッとした。
――しまった。縄が。
一瞬の隙をヨシコに取られた。ヨシコが思い切りナカハラを蹴り上げ、壁に飛ばした。あまりの衝撃に研究室内が揺れ、パソコンモニターがデスクから落ちた。ゆらゆらとベッドが揺れ、ランプが揺れ、静かに立ち上がり、ヨシコが壁に不快そうな目を向けた。
「これでしばらく動けないね」
そこには壁にめりこんだナカハラがいた。ナカハラは、なおも諦めず、ふっと鼻で笑った。
「ヨシコ、素晴らしい力だ。その力はどこで身につけたんだ?」
「力ぁ? そんなものないってば。おじさん、まじで病院行ったほうがいいよ」
ヨシコがデスクの上にあったバンダナとウィッグを見つけた。
「うわっ」
自分がウィッグをつけてなかった事実がわかり、改めてきちんと装着し直す。それを眺めながら、ナカハラはまだ続ける。
「ヨシコ、お前は正常じゃない。そんなお前がなぜ病院から出られたのか。答えは二つだ」
逃走。
症状悪化による移動。
「おれの言ってることは、間違えているか?」
「間違ってるよ」
ポニーテールになったヨシコが振り返った。
「あたし、退院したの。引越し先の新しい家に行く途中だった」
そこで人造人間たちの暴走が始まった。
「それだけ」
本当に?
「それだけなのに、こんなことになっちゃった。せっかくお父さんとお母さんと暮らせるようになるはずだったのに」
ぐー。
「もう、最悪」
お腹すいた。
(……良子ちゃん、さがしにいかないと)
ヨシコの視界からナカハラが外される。もうあの不審者に用はない。ヨシコは良子の空けた穴に飛び込んでいった。
一人、壁にめり込んだナカハラだけが残される。
「……ぬ」
力んでみる。しかし、
「抜けない」
ナカハラが笑みを引きつらせた。
「……やってくれたな、ヨシコぉ……」
力んでも抜けない。抜けないから抜けない。様々な犯罪を犯してきたナカハラ。彼を壁にめり込ませることが、そもそも、人間というのものを足一つで壁にめり込ませることが出来る者などいない。
ならば、なぜヨシコにはそれが出来るのだ。
(おれの勘は間違ってない。ヨシコは普通じゃない)
おれは見た。あいつが平然とした顔で人造人間の『脳』を食べているところを。他の部所は口にすら入れない。それは機械だからか? 作られた人工的な肉だからか? ならば、なぜヨシコは人造人間の脳を食べる? そこになにか秘密があるのか?
(あの狂気が欲しい。『ヨシコ』が欲しい)
愛おしさすら感じるあの狂った気。
(『ヨシコ』がいればおれの理想の殺しが実現できるだろう。あれは『最強の道具』だ)
ヨシコという存在は、最恐の破壊の武器だ。
(あんな状態で退院なんてできるわけがねえ)
なにかあるんだ。おれにはそれがわかる。
「おれはおかしくねえ。おれの脳が言ってるんだよ。あれは人間じゃねえ。狂気という名の宝物だ」
だから、ヨシコ、
「おれと来い」
ナカハラが見つめた。
その先には、さっき穴に潜ったはずのよしこが立っている。
『よしこ』が、立っている。
「良子ちゃーん」
好子の声が響く。
「おにーさーん」
階段は、赤い液体で滑りやすくなっている。
「どこー?」
頭を割られて脳を引きずり出された人造人間を、ヨシコが踏みつけた。
「ご飯、先に食べちゃったよー!」
赤い液体だらけのヨシコが大きな声を出す。
「降参! もう降参するから、出てきてよ、良子ちゃーん!」
ヨシコは、一段一段、階段を下りていく。
階段の先には、大きなドームが存在していた。
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