【終話:秋葉悟SIDE】

雲外蒼天うんがいそうてん

 今はどんなに困難や障害があったとしても、いつか雲が晴れるように、必ず良い方向に転じるはずだという意味の言葉。


 塞ぎこむ日々のなか、娘が残してくれたもの。

 その、目に見えるものと、見えぬもの。






 Afterday

 ──epilogue 秋葉悟 side


『ママは結構スタイル良いし美人だよ。私に似てね』


・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆


 あの楽しかった日々がもし夢であるならば、別にそれでも構わない。夢の中だけでもいい、せめて彼女に触れてみたい。

 永遠に彼女を失った、あの日の夢を見るたびに、秋葉はそう願っていた。


 けれども、何度祈ったところで、神様は彼の願い事を叶えてはくれなかった。夢は必ず、彼女に触れることができぬまま、覚めてしまうのだった。

 往々にして、お祈りするまでもないことを、神様に頼っている人がいる。その通りだ、と秋葉は思う。自分が行動すればいいだけじゃないか。そんな些細な願いなら。

 だが、一通の手紙だけを残して、娘は彼の前から消えてしまった。夢の如く楽しかった日々は永遠に夢のままとなり、彼女ともう一度会いたいと願い、行動を起こそうと考えたところで、できることなんて何もないのだ。

 当然だろう、と彼は思う。千花は遠い未来の世界に、旅立ってしまったのだから。

 ならば、千花のことはもう忘れよう。諦めようと思考を切り替えてみても、それすらもできそうにない自分の弱さに辟易する。ここまでがワンセットとなり、日々思考は繰り返されていた。


 千花がいなくなってから数日後。大晦日を迎える。

 年の瀬も秋葉はただ物憂げに、テレビを観ながら過ごしていた。

 例年であれば、大きな声で笑いながら観る年末の特番も、今年ばかりはやけに白々しく目に映る。チャンネルを歌番組に替えてみても、スポーツ特番に替えてみても、心が晴れる気配は一向になかった。

 気分転換に、初詣にでも行こうか、と考えてみた。とはいえ、自分の願い事をいっさい聞き入れてくれない神様に、いったい何を祈るのか? くだらない、と感じると、結局行くのを取りやめた。

 テレビの中継から、除夜の鐘のが聞こえてきた。どうやら年が明けたらしい、と思いながら、彼は布団の中に顔を埋めた。

 その瞬間、彼女と過ごした一週間の思い出が蘇ってきた。出会いの日、アパートの前で膝を抱えていた姿。アパートの扉を開けた時、迎えてくれた彼女の笑顔。クリスマスイルミネーションに照らされた彼女の輪郭線。すべての記憶はいまだ鮮明で、まるで昨日の出来事のようだ。

 ──でも、彼女はもういないのだ。結局人は、誰とでもずっと一緒にはいられない。そうしてみんな、少しずつ喪失に慣れていかなければならないのだ。

 そうして彼は、瞼を閉じた。


 新年を迎えると、秋葉は山形にある実家に帰省した。


「兄貴は相変わらず、一人者なんだな」


 そう言って笑ってみせたのは、二十歳になる弟。彼は、半年前から交際している、とかいう恋人と同伴していた。

 艶のある長い髪が印象的な、なかなかの美人だった。「余計なお世話だ」と弟の発言をあしらう裏で、俺の千花むすめのほうがもっと可愛いね、と秋葉は密かな優越感に浸る。

 秋葉の現状を心配し、声を掛けてくる両親や、数年ぶりに顔を合わせた気がする親戚一同に囲まれながら、穏やかな年始を過ごしていた。

 それでも──ずっと秋葉は上の空だった。

 何も変わってないのに妙な話だな、と彼は思う。

 元々、怠惰な生活だったのだ。俺はもっとずっと前から、常に上の空だった。今に始まったことじゃない。

 未来に住んでいる娘が予告なくやって来て、予定通りにいなくなった。すべては元通りであり、何も変わらないはずだった。

 はずだったのに──。

 彼女がやって来たことで、秋葉の胸の奥底に温かい感情が芽生え、だが、彼女を喪失した瞬間、その温もりは消え失せた。

 心に生じた空洞あなには、代わりに、重くて暗い感情がとどまっているようだった。そうか、これが寂しいという気持ちなんだと秋葉は思った。不思議な気分だった。人恋しくて寂しいという想いを、二十五年目にして初めて彼は知ったのだ。


 千花がいなくなってから、部屋の掃除をまめにするようになった。

 立つ鳥跡を濁さず。彼女が隅々まで綺麗にし、片付けて行ってくれた部屋を、自分の怠惰な生活で穢してしまうのが許せなかった。

 可能な限り、自炊もした。レンジの周辺も食器類も、綺麗な状態を維持するよう心掛けた。

 調味料も生活用品も、数か月単位で買い物をしなくて良いだけの買い置きがされており、そのすべてが探しやすいよう整理整頓されていた。

 そういった、彼女が残していってくれた気遣いの痕跡を見つけるたび、理由もなく秋葉は悲しくなった。


 彼が上の空だったのは、私生活だけに限定されなかった。

 仕事中も秋葉は上の空だった。いや、普段から物憂げな表情をしていることが多い彼のこと。社内でも、彼の変化に気付いている人物はさしていなかっただろう。

 それでも秋葉が仕事で致命的なミスを犯さなかったのは、元々大した業務を任されていなかったから、なのかもしれないが。

 薄々と、秋葉の異常に気づいていた社員の一人である田宮が、ある日話しかけてきた。


「いつにも増して上の空ですね。なにか、辛いことでもありましたか?」


 パソコンの画面から視線を外すと、彼女は少々気遣うような目を向けていた。


「そう、と言えばそうかな。辛いことがあったのかと問われるならば、その通りなんだけど、生活に何か変化があったのかと問われるならば、実は何も変わってないんだよ」

「ちょっとよくわかりませんね」


 謎掛けのような秋葉の台詞に、田宮は瞳を白黒させた。


「だろうね」と秋葉も苦笑いを浮かべる。「でも、うまく説明できないんだ。申し訳ないね」

「いえいえ、謝るようなことじゃないです」


 意図して軽い口調で笑い飛ばしたあと、田宮はこう付け加えた。


「昨年末は、ご迷惑をお掛けしました」


 殊勝な態度で頭を下げた田宮を見ながら、彼女のアパートで起こった過ちの一夜を思い出す。


「いや、こちらこそ。君があれだけ勇気を出してくれたのに、むしろ恥をかかせたみたいで悪かったよ」


 もっと気の利いた台詞がないだろうかと秋葉は思案に暮れたが、彼の貧困な語彙力ごいりょくでは、大した台詞も浮かばない。結局、「ゴメン」ともう一度謝るに留めた。


「どうして謝るんですか? 私、何もされてません。触れられてすら、いない」


 田宮が笑った。笑っていたけれど、どこか傷ついたような笑みだった。


「むしろ、あれだけ隙を見せても何もされないなんて、それはそれで傷つきました」


 それは、ある意味予想できた不満の声。慌てて頭を下げようとしたところを、田宮に制止された。


「だから、謝らないでください。私が勝手に秋葉さんを呼びつけて、勝手にやったことですし」


 それに、とパソコンの画面に目を移し、田宮が続ける。


「秋葉さんこそ、大丈夫だったんですか。あの時、彼女さんと一緒だったんですよね」


 あれから一月以上経つけれど、ようやく訊かれたな、と秋葉は思った。たぶんこれは、田宮にとっても怖い質問だったのだろう。


「……彼女とは別れたんだ」


 秋葉の言葉に、田宮が息を呑んだ。キーボードを叩いていた手が止まる。


「だけど、恋人としての関係を解消した、という意味ではない。こんなことを言っても信じられないだろうけど、あの子は俺の娘なんだよ。だから、親子としての別れだ」

「本当ですか? 流石にそれは、笑えない冗談ですよ」


 言いながら、言葉とは裏腹に大きな声で田宮が笑った。声が大きすぎたことに自嘲して、オフィスの中をキョロキョロと見渡した。


「荒唐無稽な話ですが、どうしてでしょう? 信じられる気がします。いえむしろ、そうだったらいいな、なんて、私が信じたいだけなのかもしれませんが」


 話を合わせてくれているのかそれ以上詮索することもなく、複雑な感情を笑みに混ぜて、田宮は唇をキュっと結んだ。


「では、私にもチャンスありますか? もう一度チャンスありますか?」

「田宮……」

「秋葉さん。私のこと、今度こそ慰めてくれませんか? ──いえ、この際はっきり言いましょう。私の恋人になってくれませんか?」


 二人の視線が、正面からかち合う。

 最初に会ったとき、可愛い子だと思った。正直。自分とは違い、仕事にも恋にも前向きで、一生懸命に取り組む田宮の姿は眩しすぎるほどだった。それでもあの夜、アパートに戻ってからした後悔こそが、田宮の問いかけに対する答えになるんだろうと思う。

 だから、秋葉はこう答えた。


「田宮の気持ちは凄く嬉しい。でも──」


 秋葉が口ごもると、すでに田宮の表情は強張っていた。


「俺は君と付き合うことはできそうにない。今だからこそ言ってしまうが、実は俺も、田宮のことが好きだったんだ」

「でも、過去形なんですね」

「う~ん、そうだな」と秋葉は言葉を選ぶ。「正直な気持ちを吐露すると、君のことは今でも魅力的な女性だと思う。でも……何故だろう? 今のところ、誰とも交際できる自信がないんだ。気持ちの切り替えができないって言うか……。だから、ごめん」


 こんな要領を得ない説明でも納得してくれたのか「はい」と田宮は頷いた。それからしばし黙考すると、伺いを立てるように言った。


「秋葉さんが気持ちを引きずっている女性が、昨年末に会った女子高生の彼女さん……いえ、娘さんなんですね?」


 相変わらず鋭いな、と感心しながら「ああ、そうだ」と秋葉は肯定した。

 田宮嫁の可能性を自ら放棄した自分に、秋葉は心のどこかで驚いていた。だが同時に、腑に落ちてもいた。そう。きっとそれはダメなんだ。何故ならば、未来にいる娘の存在が消えてしまう。何よりも、俺が千花に再会できなくなってしまうから。


「いよいよ、犯罪の匂いがしますよ!」


 田宮は目元を指先で拭うと、大きく背伸びをしてみせた。


「あ~あ。こんな短い期間で二度も失恋かー。どっちつかずの感情で揺れ動いてばかりだったから、きっと神様のバチが当たったんですね! そうそう、ついでに私も言っちゃいますね」


 そこで一度言葉を切ると、眼鏡の奥の丸い瞳を田宮は細めた。


「私も入社した当初から、優しい秋葉さんのことが気になっていました。今さら言うのも気が引けますが、本当ですよ? ……なんだか、皮肉な話ですね。相思相愛だったはずの二人が、結ばれることなく終わっちゃうなんて」

「すまん。なんていうか、俺にはそれしか言えそうにない」

「いいんですよ。この埋め合わせ、いつか必ずしてくださいね」


 田宮の顔は、殆ど泣き笑いと言ってよい表情だった。


「ああ、約束するよ」


 秋葉は右手を差し出すと、田宮と握手を交わした。今後彼女とは良い友人になれそうだ。そんな予感めいた確信を、彼は抱いていた。



 数ヶ月が過ぎ去って、季節は冬から春へと移っていた。

 道端では蕗の薹ふきのとうが顔を出し、辺りは春の陽気に包まれている。咲き始めた花の甘い香りが街には漂い、行き交う人々も、分厚いコートを脱いでジャケットやパーカーに衣替えを済ませていた。

 次第に秋葉も、千花のことを忘れ始めていた。

 いや、正しく言えば忘れてなどいない。自分の中で彼女がいなくなった現実を消化して受け入れることで、うまく気持ちを切り替えて生活できるようになった、という表現がより適切だろうか。

 葛見千花かのじょへの未練を断ち切っていく代わりに、仕事に打ち込むようになっていた。相変わらずどこか上ずったような気持ちのなかでも、不思議と営業成績は向上していった。

 おかしな話だと、秋葉は思った。もしかしたら千花が、遠い未来で自分の成功を祈ってくれているのかもしれない。そんな期待を一時持ったが、都合の良い妄想はすぐに引き取った。

 彼女はもう――この世界にはいないのだから、と。


 今日も秋葉は、いつものように中央本線の満員電車に揺られていた。

 その時のこと。とても懐かしい化粧品の香りが、ふわっと漂い彼の鼻腔をくすぐった。


 ――千花?


 反射的に匂いの主の姿を探すと、いるはずもない愛しい人の名前が口から零れて落ちた。


 ──バカなことを。


 自分の愚かな妄想を笑い飛ばし、香りが漂ってきた方向に目を向ける。そして次の瞬間、彼はハッと息を呑んだ。

 視界に入ったのは、ブレザーの制服に身を包んだ女子高生。肩口まで伸びた、艶のある波打った黒髪。色白で細いうなじに、形の整った薄い唇。電車の吊り革を、ぎゅっと握りしめて佇んでいるその子の特徴のすべてが、彼の目が釘付けになってしまうほどには、見慣れた少女―─葛見千花のものと似通っていた。

 だが一点だけ違うのは、その女子高生が眼鏡をかけていたことか。

 そうだよなあ……いるはずがない。苦い笑みを零しながら、秋葉は視線を逸らした。

 だが……なんだろう? 妙な違和感を覚え、彼の視線は再び女子高生に吸い寄せられる。

 彼女は右手できつく吊り革を握り締め、左手で通学鞄を抱えていた。電車の揺れに耐えるように両足を踏ん張ったまま、時折視線を床に落としたり、左右に彷徨わせたりしていた。


 ──なんなんだ?


 彼女の仕草は実に不自然だった。目を閉じる。瞳を瞬かせる。眉間にしわが寄る。辛そうな表情になる。切ない表情に変わる。口元を歪めて何かを必死に耐えるような顔になる。

 さらに身を捩るような仕草を見せたことで、彼は確信した。

 目の前で行われている行為は、満員電車の中で女性が感じるストレスのうちでも最大級のもの。

 彼女は──痴漢にあっている。

 助けてあげたい……という正義感が芽生えるが、すぐに不安の波に押し流された。せめて、触っている男の顔を確認しようと視線を飛ばしてみるが、混み合っている車内では特定には至らない。


 ──くそっ。


 怯えた感情に支配されたまま、秋葉の足はすくんでいた。

 その時不意に、彼の頭のなかに昨年の光景が蘇ってくる。今日と同じような満員電車の車内。千花の背後に身体を密着させていた中年の男。彼女のお尻に触れていた手のひら。

 脳裏に浮かんだ娘の姿と、女子高生の姿がオーバーラップした瞬間、えも言われぬ怒りが沸々と湧き上がってくる。

 もう一度女子高生のほうに視線を向けてみると、今まさに、彼女のスカートを捲り上げて侵入を試みる、無骨な男の手が見えた。


 ──彼女が抵抗しないと思って、調子に乗りやがって……!


 ぐいぐいと、満員電車の人波をかき分けて秋葉は移動していく。周りの乗客に鋭い目で睨まれたり、迷惑そうに眉を潜められたりしながらも。

 見ず知らずの他人に、いきなり痴漢行為を非難するほどの度胸は、彼にはない。

 けど、何かを堪えるようにして震え、怖がっている女の子を前にすれば、そんなことを言ってもいられない。竦みそうになる自分の心を叱咤して、意図的に大きな声を絞り出した。


「葛見? 葛見じゃないか? 久しぶりだね」と、まるで女子高生に呼びかけるように。


 次の瞬間、弾かれたように女子高生が顔を上げる。彼女の下着の中をまさぐろうとしていた男の手は、逃げるように静かに離れていった。

 そこまでを見届けて、「すいません、人違いでした」と秋葉は愛想笑いを浮かべる。何事もなかったかのように、元の場所へと戻って行った。


 八王子の駅に着くと、秋葉は電車を降りる。彼の心は、やり遂げたという達成感で満ち溢れていた。

 これまでの自分では、及びもつかない勇敢な行動だったなと彼は思う。矮小な自分の心を奮い立たせ、人並み以上に勇敢な人間に変えたのは、間違いなく千花と過ごした日々によって強くなった俺の心。これもきっと、娘のおかげなんだ。

 満足そうに笑んで、改札口のあるエスカレーターの側に足を向けた。丁度その時のこと。


「──あの」


 通勤ラッシュ時の雑踏の中でも、よく通る声が響いた。階段に向かって無心で流れていく人波に逆らい、佇んでいたのは先ほどの女子高生。頬をほんのり赤く染め、視線は地面に落としたままだ。


「先ほどは助けていただきまして、ありがとうございました」

「いや――俺は、知り合いに似ていると思って声を掛けただけだから」


 女子高生の容姿を、うっすら千花と重ね合わせている自分に秋葉は戸惑っていた。なんとなく目を合わせる勇気がなくて、彼女同様秋葉も俯いていた。しかし、日々千花に会いたいと願う気持ちを拗らせていたなかでは、この女子高生の姿を拝むことなく別れてしまうのも惜しい、とそうも思えた。

 躊躇いながら、秋葉はゆっくりと顔を上げる。女子高生の姿を目に映し、ありえないものを目の当たりにして、彼は瞳を大きく見開いた。

 緩やかに波打った艶のある黒髪。長さは、肩にかかる程度か。睫毛が長くて切れ長の瞳。白磁のごとく色白の肌。顔はそうだなあ、中の上と言ったところか。とても親近感の湧く顔立ちだと思った。いや、そんなことはどうでもいい。遠目に見ても、娘の面影があるとは感じていたのだし。だが――ここまで似ているとは想定外だ。

 女子高生の容姿は、彼が逢いたいと数ヶ月間願い続けていた葛見千花かのじょと、完全に瓜二つだった。


「それから……どうして私の名前を知っていたんですか?」


 ──高くて澄んだ彼女の声も。かすかに漂う香水の香りも。何もかもが懐かしい。


「質問に質問で返すようで申し訳ないんだが……。君のフルネームを教えてもらえないだろうか」

「え?」


 予想外の反応に戸惑ったのだろう。ようやく合った視線が再び逸らされる。言葉を選ぶように数秒沈黙したのち、秋葉と目を合わせて女子高生は宣言した。


「葛見──葛見透子くずみとうこです」と。


 そうか、やはり君が、と秋葉は思った。そして一瞬で恋に落ちた。千花。お前、『ママの情報は漏らせないの』とか言っていたけれど、ほぼほぼ漏らしているぞ。


「名前を教えてもらったお礼と言ってはなんだが、君に纏わる予言めいた話を教えよう」


「……予言ですか?」と葛見透子は訝しむ。ああ、と秋葉は頷いた。


「そうだ。これはあくまでも俺の推測だが、君はラーメンが好物で、得意な料理はオムライスで、妙なたとえ話をしては、友人に煙たがられているだろう?」

「どうして、そんなことまで知っているんですか?」と透子の顔に警戒の色が滲む。「……ただし、オムライスは練習中ですし、友達は私の冗談で笑ってくれます」


 あのたとえ話は、千花も冗談のつもりだったんだろうか。


「私のことを色々と知っているなんて、ストーカーですか? それとも変態ですか?」

「そうだなあ、君の言う通り、俺は変態なのかもしれない。……何を隠そう女子高生とセーラー服が、俺の性癖なんだ」と自分の秘め事を包み隠さず告白する。

「変態から助けてもらえたと思っていたのに、救ってくれた相手も変態だった。たとえるならば、こんな話でしょうか?」


 たとえ話は、娘のほうが一枚上手うわてだな、と秋葉は含み笑いをもらす。


「そうだな。たとえ話じゃなくて真実かもしれない。笑い話になればいいんだが」

「まあ、それも良いんじゃないでしょうか」と彼女は警戒を解いたように相好をくずした。「危害を加えてこない変態さんならば、それは人畜無害な存在ですからね」

「物分かりが良くて助かるよ」


 それから透子は、一度だけためらうような素振りを見せたあと、秋葉の眼を真っ直ぐに見つめ、意を決したように言った。


「あの……あなたが良かったらなのですが、連絡先を教えてもらえないでしょうか? ……後日、改めてお礼がしたいので」


 たどたどしく言葉を紡ぐ透子がおかしくて、秋葉の顔も自然と笑みになる。


「構わないよ。それに奇遇だな。俺も君の連絡先を聞き出したいと思っていたところなんだ」


 秋葉の口から飛び出した発言に透子は驚いたが、その表情はやがて柔らかい笑みと差し替えられる。


「過度な期待はしないでくださいね。──変態さん」


 二人で顔を見合わせると、もう一度大きな声で笑った。それは秋葉悟が、久方ぶりに心の底から笑った瞬間だった。

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