【滞在期間初日:ミライから来たあの娘】

「随分と散らかっているのね」


 部屋に入るなり、女子高生──葛見千花は、苦虫を噛み潰したような顔をした。


「女の子を部屋に入れる習慣なんて、常日頃からないもんでね」


 秋葉は皮肉で返したものの、確かに酷いものだと自虐的に笑った。


「掃除をしたことあるの?」

「あ、当たり前だろう」

「それは、いつのこと?」

「えーと、だなあ……。うーん」

「呆れちゃう。思い出せないくらい、前の話なのね」


 千花はふーん、と呟き部屋の片隅に荷物を置くと、値踏みするように室内の様子をぐるりと見た。

 秋葉の部屋は、家賃五万円程度のワンルームアパートだ。明るいグレーの壁紙。フローリングの床。ゆったりとした間取りで解放感があるが、言い換えると物が少なくて殺風景だ。部屋の角に置いてあるのは、安物のセミダブルのベッド。相手もいないのにセミダブルというのが物悲しい。他にある物と言えば、二〇インチのフラットテレビと、埃を被ったパソコンにデスクくらいか。最低限の数しか持っていない衣服は、備え付けのクローゼットに押し込んである。

 部屋の真ん中にあるガラステーブルの上には、読みかけの雑誌と、コンビニ弁当の空が放置されていた。傍らに整然と並んだビールの空き缶は、まるでボーリングのピンのようだ。

 そのうちの一本が、絨毯の上に転がり汚らしい沁みを形成している。テーブルの足元には、丸められたティッシュが複数落ちていた。

 それらが、女子高生に見せられる代物ではないのに気付き総毛だった彼は、大慌てで拾い集めて屑籠へと放り込んだ。

 千花は顔をしかめて床の上に座ると、おもむろにベッドの下を覗き込んだ。秋葉は素早く彼女の視界を遮った。


「勝手にあちこち見ないでくれよ!」 

「そうやって、慌てちゃうところがいかにも怪しい。ベッドの下から、到底女の子に見せられないブルーレイでも出てくるんでしょ?」

「そうだよ! ……じゃなくて! いいから黙って座っていてくれ。今のところ君は、見ず知らずの怪しい女子高生Aでしかないんだから」

「そのわりに、あっさりと部屋に入れちゃうんだねえ。結局若い女の子がいいんだ?」


 ふふん、と目を細めた千花をじっと睨む。入れてくれと懇願したのはそっちだろうと。


「そんなんじゃない」


 と秋葉は思う。たぶん。

 床に胡坐をかいて座ると、ポケットから煙草を取り出して火を点けた。まずは、気持ちを落ち着かせるのが先決だろう。


「……それで?」

「うん、なに?」

「なに、じゃない。さっき言っていた、『俺の娘』って話はいったいなんだ? 恥ずかしながら俺は、女の子と交際をしたことはおろか、キスをしたことすらないんだよ。見た感じ君は高校生だろう? そんな年齢の子供が、いるはずないんだよ。家出か何かの口実として俺を利用しようと考えているのであれば──」


 立て板に水とばかりに捲くし立てる秋葉を、ちょっと待って、と彼女が遮った。ふうと紫煙を吐き出したのち、彼は話を止めた。


「じゃあ」と秋葉は言った。「ちゃんとわかるように、かみ砕いて説明してくれるかい?」


 千花はこくりと頷き、持ってきた旅行鞄の中から赤い表紙の手帳を取り出した。


「これはね。時間旅行をする時に必要になる、未来のパスポートみたいなものよ。ほら、ここを見て。私の生年月日が書いてあるでしょ」

「生年月日だって?」


 テーブルの上のパスポートを覗き込み、秋葉は目を丸くした。『葛見千花。四月十五日生まれ』。ここまではいい。だが、脇に記載された西暦は今から八年後のものであり、パスポートのデザインも見たことがないものだ。

 八年後生まれだと? なんなんだそれは、と頭の中が困惑で満たされていく。


「秋葉さんが、私のママと出会って結婚をするのが今から数年後。私はその後に生まれた長女で、二〇五〇年代の世界から、時間旅行をしてこの時代にやって来たの」

「じかんりょこう?」


 耳に馴染まない単語に、思わずカタコト言葉になる。続けて彼女が提示してきた旅行の日程表に目を落とした。


「そうよ。この時代の科学力では想像できないだろうけれど、私がいる二〇五〇年代においては、短い期間限定ながら、過去の世界と行き来できる技術が発明されているの。私は七泊八日の日程で、パパが住んでいるこの時代にやって来た。だから一週間だけ、ここに泊めて欲しいのよ」 


 日程表には、行き先、東京。期間は、この時代の十二月二十日から二十七日までと明記されており、聞いたことのない旅行会社の名前が添えられていた。

 秋葉は憮然とした面持ちで煙草の火を灰皿でもみ消した。震える指先で二本目を取り出して火を点ける。「煙草は身体に良くないよ」と千花が口を挟んできたが、とてもじゃないけれど、煙草でも吸わなきゃ聞いていられない話だ。


「あくまでも君は、俺の娘だと主張するのか?」

「うん。もう一度言おうか? 私は、パパに会うために未来からやって来た娘だよ」


 即答だった。


「わざわざ、若い頃の父親に会いに来たってことなのか?」

「まあ、そんな感じだね」


 若干、歯切れが悪くなった。


「いやいや、ちょっと待て。ここまで提示された情報の中に、俺と君を関連付ける証拠はなに一つ含まれていないだろう? そもそも、君と俺とは苗字だって違う。疑わしい事この上ないじゃないか?」


 秋葉が強い口調で問うと、千花が当惑した顔になる。「やっぱりそうだよね。……しょうがないなあ」中空に視線をとどめ、続けて彼女は言った。


「本名、秋葉悟。来年の六月二十四日で二十六歳。合ってる?」

「ああ、合ってる」


 なぜわかるんだ、とうろたえつつも、平静を装い成り行きを見守る。


「山形県、寒河江市さがえし出身。家族は両親と、五歳年下の弟が一人の四人家族。地元の公立高校卒業後、東京の四年制大学に進学。そのまま近くのスポーツ用品を扱う商社に就職。恋人いない歴は……年齢?」

「なんでお前、そんなことまで……熱っ!」


 全ての情報が合致している事実に驚き、火の点いた煙草が膝の上に落ちた。慌てて払い除けるも一瞬遅く、穴の空いてしまったスーツのズボンに目をやり秋葉は眉根を寄せた。


「恋人いない歴は、さっき訊いたことだけどね」


 種明かしでもするみたいに言い、ぺろりと千花が舌を出す。「だがそんな情報は、調べればなんとでも──」反論しようと口を開いた秋葉の眼前に、千花がカード状の物を突きつけた。「本当は、時間旅行者の情報を、むやみやたらと開示しちゃダメなんだけど」


「これは?」

「私の健康保険証だよ。ただし、期限切れの古い物だけれどね」


 やはり、この時代の物とは多少デザインの異なる保険証には、被扶養者氏名:秋葉千花。被保険者氏名:秋葉悟と記載されていた。その下にある事業所名称と所在地についても、D商事のもので間違いない。

 秋葉千花──か、と秋葉は思う。偶然の一致にしては、色々とでき過ぎている。偽造品、あるいは性質の悪いいたずらではないかと裏面まで矯めつ眇めつ観察してみたが、これといって疑わしい部分は見当たらない。他にも、娘を語る詐欺師という線も考えられたが、こんな手の込んだ仕掛けをしたところで、俺には養う家族もなければ奪うに値する資産もない。詐欺師側にメリットが無さすぎる。

 そこまで考えたところで自嘲した。

 悲しすぎるだろ。

 第一、詐欺師にしては無垢で幼すぎる。


「けれど、どうして君の苗字は秋葉から葛見に変わったんだ? その情報から想像できるのは、正直、あまり良い内容ではないが……」


 たとえば、離婚とか。恋人もいないのに離婚の心配をすることになるとは心外だ。

「う~ん」とこめかみ付近に指を当て、千花は考え込む仕草をする。


「私の苗字が変わってしまったのは確かだけど、その理由については教えられないかな」


「言えないような事情でもあるのか?」と秋葉が訊ねると、「まあ、そうだね」と彼女は即答した。

 悪い予測を肯定されたみたいで、秋葉は無駄に憂鬱な気分になる。


「とりあえず、君の発言の中に、嘘だと断定できるものは含まれていなさそうだ。時間旅行の件とか、証明しようがないものもあるにはあるが、一先ず納得しておくよ」


 事情はよくわからんがな、と彼は内心で思う。


「信じてくれたようで、嬉しいよ」


 半信半疑だけどな、と出かかった皮肉を飲み干して、最後の確認をした。


「それに、このまま放りだしたところで、行く当てもないんだろう?」

「もちろんです。私は未来から来た人間、家がありません。そうですね……たとえるならば、絶賛ホームレス状態です。だから、ここに置いて下さいとさっきから頼んでいます」


 喜色満面、彼女は笑った。やれやれだ。


「ああ、それから。私のことは千花と呼んでね。親子なんだからさ、君、じゃよそよそしくて落ち着かないよ」


 今のところ、君は限りなく他人に近いのだがな、という愚痴を再び喉の奥に押し戻し、彼は「わかった」と不承不承頷いた。


「ああ、そうだ忘れてた。お風呂を貸して欲しいの。身体が冷えてしょうがない」


 女子高生が自分の部屋で風呂に入る。ありえないシチュエーションに瞳を白黒させた秋葉だが、かすかに震えている彼女の様子を見て考えを改めた。これで風邪なんかひかれた日には、今以上に面倒なことになりそうだ。


「生憎風呂は沸かしていない。シャワーでも良ければな」


「やった、ありがと!」と満面の笑みを見せた彼女だが、旅行鞄の中身を確認してすぐ固まった。 


「どうした……?」

「パジャマ忘れてた……」

「しょうがない奴」


 肝心なところが抜けているんだな。いったい誰に似たのやら。俺なのか? 思い当たる節がなくもない、と嘆息しながらクローゼットの中を秋葉は漁る。古着のトレーナーを彼女に差し出した。「どうせ捨てるような物だから、それを着ていればいい」

「ありがとう」と受け取ると、トレーナーを広げてしげしげと千花が見つめる。


「このワンポイントロゴといい、センスの悪い服だね。どのくらいセンスが悪いかと言うと、ハロウィンパーティに美少女キャラのコスプレで現れる男子大学生くらいには、センスが悪いわね」

「そこまでおかしくはないだろう!?」


 冗談だよ、と言葉を残し、彼女は脱衣室の中に入って行った。

 ぱたん、と扉が閉まる。やがてザーザーから始まり、ぱたぱたと水が滴る音が響いてくる。壁を一枚隔てた向こう側で、今さっき出会ったばかりの女子高生が全裸になっている姿を妄想すると、気持ちが昂ぶりそうになる。そんな自分がいたたまれなくて、秋葉はそっとアパートを出た。

 冷たい夜風に当たると、思考がクリアになってくる。ついでにコンビニにでも立ち寄って、もう一つ弁当を買ってくるべきだろう。散歩の目的地が定まると、歩きながら考える。

 葛見千花。

 数年後に結婚して生まれてくる長女……か。

 俺に、そんな勝ち組の人生が約束されているとはな。

 本当だろうか?

 本当だったら……いいなあ。

 これらが真実かどうかはともかくとして、彼女は最低でも一週間、俺の部屋に居座るつもりらしい。ということは、年末近くまでの間、あの女子高生と昼夜を共にするということだ。


 ──マジかよ……。


 彼女が未来から来た娘だとしても、幾つか疑問は残る。彼女は、どうしてこの時代を選んでやって来た? 将来俺の嫁になる女性って、いったい誰なんだ? そして彼女の苗字は、どうして『葛見』に変わってしまったんだ? それはやはり、母方の姓なのか?

 思考を重ねるごとに、際限なくわいてくる疑問。だが、捲し立てるように問いただすのも酷だろう。彼女はまだ高校生なんだしな。そう結論を与え、秋葉は思考を切り上げた。

 まだ時間はある。ゆっくりと聞き出していけばいいさ。


 コンビニで買い物を済ませた秋葉が部屋に戻ると、千花はガラステーブルの脇に、ちょこんと膝を折り座っていた。風呂から上がったばかりなのだろう。濡れたままの髪がうなじに貼り付いた湯上り姿は、なかなかに艶やかで色っぽい。

 暫定、自分の娘だぞ。わずかに乱れた鼓動を沈め、秋葉は彼女に弁当を差し出した。


「パスタとかで良かっただろうか? 好みがよくわかんなかったから」

「うん大好きだよ、ありがとう」と言って千花は受け取ると、早速食べ始めようとする。「いただきます!」


 現金なものだ、と秋葉は苦笑する。もう冷めきってしまっただろうな、と辟易しながら壁際に放置していた自分の弁当に手を伸ばす。丁度その時、千花の下半身が視界の隅に入って、反射的に彼は叫ぶことになる。


「ちょっと待て! どうして下に何も履いてないんだ!!」


 パジャマ代わりのトレーナーを羽織っているだけで、千花は下に何も履いていなかった。下着パンツは辛うじてトレーナーの裾で隠れていたが、雪のように白い太腿が存分に露出していた。


「どうしてって言われてもなあ……。これしか、準備されていなかったし」


 パスタを啜りながら、心外そうに呟いた彼女を見て、初めて自分の愚かさに気が付いた。言われてみると確かに、下に履くものを準備していなかった。だからといって下着姿とは。これでは気持ちを落ち着けてきた意味がない。ぶつぶつ言いながら秋葉はクローゼットの中を漁っていく。


「別に、このままで良いよ。親子なんだから、恥ずかしがることでもないでしょ」

「しかしだなぁ」

「だから、全然構わないってば。パンツくらい見えても平気だし。どのくらい平気かと言うと、エスカレーターを登っているとき下から変な男にスカートの中を覗き込まれて、これはヤバいと一瞬身構えたけれど、下に履いていたのは見せパンだったと気付いて安堵した。そのくらいには平気だよ」

「見せパンでも、パンツはパンツだ」


 秋葉は溜め息混じりに愚痴を言い、千花にジャージの下を放り投げた。

「下が見せパンでも興奮するんですか?」と千花は眉を潜めてジャージを履いた。


「変態ですね」

「そんなんじゃない。これは、言うならば男のさが


 なんで俺がうろたえにゃならんのだ、と再びボヤいて、千花の対面に秋葉は座った。冷めきって、かちかちになったご飯を口に運びながら項垂れる。こいつは、想像していた以上に面倒な事態になったのかもしれない。

 差し当たって明日以降、彼女には留守番をしてもらうほかないが、本当に大丈夫だろうか。帰宅したら、金目の物が全部なくなっていました、とか真っ平御免だぞ。


 ──娘だという話を、不本意だが今は信じるほかないか。


 これといった刺激はないが、それでも平穏だったはずの彼の日常は、一人の来訪者の存在によりもろくも崩れ去っていた。

 床にもう一組布団を準備しながら、千花――いや、娘? の背中を見つめて彼は思う。

 ひとつ屋根の下、娘だと主張する女子高生と二人で過ごす夜。俺は、この状況をはたして喜ぶべきなのか?

 夜半前なのに、さっきから欠伸が止まらない。疲れているのだろうか。今日のところは早く寝ようと秋葉は考え、千花にベッドを使うよう促して、自身は床に敷いた布団の中に潜り込む。本当に彼女が娘だとしても、女子高生とベッドを共有するわけにもいくまい。久しぶりに感じる固い床の感触に、これが一週間も続くのかと悪態をつきながら。

「おやすみ」と言うか言わないかのうちに、千花は寝息を立て始める。規則正しい呼吸のリズムを聞いているうちに、自然と瞼も重くなる。知らず知らずのうちに、眠りの海に沈んでいった。

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