殿下をくださいな、お姉さま~欲しがり過ぎた妹に、姉が最後に贈ったのは死の呪いだった~

和泉鷹央

第1話 忌み子と奇跡の魔法



「お前なんて……お前なんて――わたしよりも忌まわしい妹なんてっ――! 死んでしまえばいいッ!」


 あまりにも辛辣なその言葉を吐いた時、オリビアの心はすこしだけ晴れた気がした。

 それまで鬱屈し、妹だからわがままも仕方ない。

 と、甘やかし許して来た両親と妹にたいする怒りを、ようやく晴らすときが来たのだから。

 そして、#言霊__ことだま__#は呪いとなり、#呪詛__じゅそ__#となって、恐怖に怯える妹のサンドラに襲いかかった。


 

 半年前――。



 コンラッド伯爵家に長女として生まれたオリビアは、ある事情により家から出ることをずっと禁止されてきた。

 彼女は生まれながらにして、ある呪いを受け継いだ魔女だった。

 貴族の令嬢の結婚適齢期は十五歳がふつうのこの王国で、オリビアは少しだけ結婚が遅かった。

 そんな中、欲深い国王は、国をさらに豊かにしたいと、呪いを手にするために息子との縁談を持ち掛ける。

 第四王子、ジョシュアがその相手だ。

 ただし――彼はまだ……妹と近しい十五歳だったが。


「家からでたこともなくて、世間も大して知らないわたしを御希望になるなんて――陛下も変わった考えをされるのですね、お父様……」

「気にすることはない。本来なら死ぬまでこの館か辺境の領地で過ごすことを命じられるお前だ。王族になれるなら、素晴らしいことではないか。おめでとう、オリビア」

「そうよ、同じ呪いを受けたおばあ様は――ずっと辺境で過ごしたから可哀想だったわ……」

「おめでとうございます! オリビアお姉さま!」

「ありがとう、お父様、お母様。それにシルビアも」


 家族三人からの祝福。

 当事者は妹と自分を見比べて、悲し気にためいきをつく。


 目立たない亜麻色の髪にハシバミ色の瞳を持ち、陽光に当たることも少ない姉はやせぎすで、肌も青白く年の女子と比べても色気はないが、温和で優しい人柄を家臣に好かれていた。

 対して、妹のサンドラは金色の豊かな髪を持ち、苔色の瞳は見る者のこころを奪うほどに澄んでいる。外観も年相応になれば豊かだし、王国でも稀に見る美少女だと噂されるほどだ。

 だが、妹は引っ込み思案で大人しくて、とても人前で感情を出せるような、そんな存在ではなかった。


 この頃からだ――サンドラが変わったのは。

 歳の離れた妹の最初のわがままはその頃から始まった。

 

「お姉さまお姉さま、私あの可愛い茶色の馬が欲しいですわ」

「だめよ、サンドラ。あれは殿下との婚約祝いに陛下が我が家にくださったものなのだから」

「そんな……」


 半年前、国王陛下が婚約祝いにと、駿馬を贈ってくださった。

 見目麗しいその馬が欲しいとサンドラは駄々をこねた。

 ダメだと言い、叱りつけても妹は聞き入れなかった。

 そのうち歳の離れた妹が可愛いのか、父親は譲ってやると言い出したのだ。

 

「オリビア。お前は殿下との婚約が決まり、あと少しすればこの家を出る。馬は我が家に国王陛下が下賜されたものだ。お前個人の持ち物ではない。わきまえなさい」

「――ッお父様……?」

「聞き入れなさい。お前は忌み子なのだから」

「……そんな……っ」


 ……忌み子。

 それはこの王国において、呪われた魔法を受け継いだ者に使われる隠語。

 オリビアは、国内でも数少ない#言霊魔法__ことだままほう__#を使える。

 言葉に願いをかければ奇跡を起こせるし、呪いを吐けば相手を呪殺することもできる。

 禁忌の魔法の一つだった。

 この魔法を使えることがオリビアの結婚を遅らせていた。

 誰でも得体の知れないもの、見えないものには恐怖を感じるからだ。

 オリビアの結婚が遅れ、周囲には友人がおらず、生家である伯爵家を出ることを許されなかった理由がそこにはあった。




「いい加減にしなさい。お前には夫ができるのだから。次に大変なのはサンドラなのだよ」

「それは――理解しています……」

「なら聞き分けなさい。姉なのだから」

「はい、お父様……」


 実家の周りには、宮廷魔導師による魔法封じの結界が貼られていた。

 この中でならオリビアは普通の少女として生活をすることができた。

 友達もおらず、同年代の貴族の子弟子女が通う王立学院で学ぶことも許されない。

 狭い世界でしか生きることを許されない彼女にとって、長年傍に支えてくれた専属の侍女たちは唯一、心を許すことができる存在だった。

 馬の次に妹が欲しいと言い出したのは、そんな侍女たちだった。


「お姉さまっ、お姉さま!。お姉さまが殿下と結婚なされたら、この家を受け継ぐのは私だけになります。そうなったら私だけの信頼できる家臣が欲しいですわ」

「だめよそんなこと。あの者たちは、わたしの専属の係なのだから。あなたは新しい家臣をお父様に雇っていただきなさい」

「そんな――っ、ひどいですお姉さま。私はもういつ結婚してもおかしくない年なのに! 今から家臣と信頼を築くなんて無理ですッ!」

「あなたっていう子はどうしてそうわがままばかり言うのですか」


 最初は断ればいいとオリビアは思っていた。

 与えられるものと与えられないもの。

 その区別を妹に付けさせることは、姉の役割でもあったからだ。


 しかし、オリビアのその考えはあっけなく砕かれてしまう。

 父親は共に王宮に入る予定の侍女たちを妹にねだられて、与えてしまった。

 実家にいる限りはたとえ婚約者が王子だとしても、伯爵がそうと決めれば通ってしまう。

 こうしてオリビアは、二つ目の憎しみを心に抱えた。

 姉は妹に苦言を呈する。


「いいですか、サンドラ……あなたはもう十五歳になるのですよ。そろそろ、わがままを言っていい歳ではないのです」

「そんな――ッ! お姉さま、私がたまに欲しいとおねだりするのが、そんなにいけないことですかっ?」

「たまにって……。はあ……、わたしがこの家を出れば、あなたが家を継ぐのだから……そう、ね」


 姉のオリビアはため息をつく。

 わがままな妹は、姉の心を理解せず、ただあれが欲しい、これが欲しいとねだってくる。

 もうそろそろ、オリビアの心も限界を感じ始めていた。



「ありがとうございます、お姉さま!」

「いいのよ……。いずれはあなたの物になるのだから……ね」

「はい、お姉さまッ!」


 透明な湖の底に真っ青な空のブルーを流し込んだような瞳を輝かせて、サンドラが大きな声で返事をする。

 その響きにはこれ以上ないくらい嬉しいという感情が溶け込んでいて――オリビアは何も言えなくなった。

 いつからだろう。

 妹がこんなにはつらつとして、感情を出すようになったのは。

 

「あなたには沢山の物を残してあげれると思うの。でもねサントラ、誰もがわたしのようにあなたに優しいと思ってはだめよ……」

「誰もが?」


 姉の心配をよそに、まだ世間を知らない妹はきょとんとして首を傾げる。

 この子とおなじ年頃の少年を夫に迎えなければならないなんて――と、婚約者であるジョシュアに、オリビアは不安を抱く。


「ええ。誰もがみんなあなたに優しいと思ってはだめよ」

「……大丈夫ですよ、お姉さま。お義兄さま――ジョシュア殿下もきっと優しいと思います」

「そういうことではなくて……」


 まだ幼い妹には分からないのかもしれない。

 自分がいなくなった後に両親が妹をさらに甘やかさなければいいのだけれど――。

 姉のそんな心配は、妹にも両親にも伝わらなかった。

 三度目にサンドラが欲しがったものは、祖母から受け継いだ辺境の領地だ。

 忌み子のオリビアにとって、そこは行ったことはないが――亡き祖母の思い出を感じることのできる、大事な土地だった。


「お姉さま、お願いがありますの」

「何かしら。今日は改まって言うのね、珍しい」

「珍しいって……いつも私は礼儀正しいですわよ?」

「そうかもしれないわね。それで、要件はなに?」

「はい! お姉さまが持つ、辺境の領地の件ですのッ」

「ッ――!? ……どういうことかしら」


 オリビアの声のトーンが一段低くなる。

 ここ最近では珍しく妹はわがままなま成りを潜めてやってきた。

 おねだりをすることが恥ずかしいことだと、気づいてくれたのかもしれない。

 と、淡い期待を寄せたのだが――。それは徒労に終わった。



「家臣ができましたら、土地が必要になります」

「それはそうかもしれないわね。それとこれがどうつながるというの?」

「――ですからっ! 家を出るお姉さまの領地なら、私が受け継いで家臣たちに与えるのも普通かと」

「あのねえ、サンドラ。常識を欠いた発言はいい加減にしなさいッ。何でもかんでも欲しがれば貰えるのが当たり前なんて考えないで!」

「……お姉さま、それは当たり前です」

「何ですって!?」

「お姉さまがいなくなれば、家督を継ぐのはこのサンドラです。出来がいい家臣や領地を私がいただいてなにが悪いのですか」

「あなたって子は……ッ。家督を継ぐのは、正しくはあなたの旦那様になられる方なのよ」

「いえ――、私は婿を取る気はありません。お姉さまがいなくなったら出来ない、馬の世話も家臣の管理も、領地の経営も……」


 ね? とサンドラは頬をにんまりと緩めて嬉しそうに目を見開く。

 無能な姉にかわって有能な自分がそれをするのだから、さっさと寄越しなさい。

 そこには、そんな瞳の色があった。

 オリビアは溜まり兼ねて、ついつい声を荒げてしまう。


「――できるはずがないでしょう! あなたなんかにできるはずがないわ。わがままで自分勝手に生きてきた、そんなあなたにはねッ!」

「私ができるかできないかは関係ありません。私は家臣たちに命じて、お父様とお母様がそれを補佐してくださいますし、それに――」

「それに、何ですか」

「それに、私にはお姉さまよりももっと、幸せになる権利があるのですから」

「あなた……」


 ここまではっきりとものを言う妹なんて、これまで見たことがなかった。

 欲望の限りを知らない幼さは――とんでもない怪物を生み出してしまったのかもしれない。


「下さらないのですか? なら、お父様にお願いするだけですわ」

「そこまで言うなら、お父様に相談していらっしゃい。まだあなたには早いと言われるに違いないわ――」


 この時、オリビアは本当にそう思っていた。

 サンドラは両親が甘やかし過ぎたせいで、限度をいうものを知らないのだ。

 最近、サンドラの欲しがりは度を越している……。

 しかし――父親が出した許可は……妹にオリビアの領地を譲れというものだった。

 譲らなければならないのだろうか? 祖母とのゆかりの地なのに?

 返事に迷い、父の伯爵には返事を数日、待ってもらうことにした。

 このままではいけない。

 自分の大事なものたちが――何もかも、あの子に奪われてしまう。

 オリビアはようやく、妹の甘えを正す決意をする。


「サンドラ、ちょっといらっしゃい」

「……? はい、お姉さま」


 サンドラは訪れていた宮廷魔導師と戯れていた。

 宮廷魔導師のライオットはまだ若い二十代。癖のある赤毛に、人懐っこい黒の瞳が印象的な、無口の大柄な青年。

 王子ジョシュアと共に来ることもあれば、彼だけで訪ねてくることもある。

 オリビアの禁忌の魔法を封じる結界の維持と管理が、彼の主な仕事だった。

 

 いつもとは違う、姉の毅然とした態度を見て、妹は違和感を感じたのだろう。

 サンドラはライオットの作業にあれこれと質問し、無邪気な笑顔を見せていた状態から、昔の引っ込み思案な彼女に戻ったかのように、静かで清楚で可憐な令嬢を演じるかのごとく近寄って来た。




「どういたしましたか、お姉さま。本日は、ライオット様が我が家にいらっしゃっております。あまり大きな声を出されるのは淑女らしくありませんわ」

「年相応に戯れていたあなたに言われたくありません……」


 この数か月で口だけは達者になってしまった。

 外観だけは美しい妹は、作った笑みを張り着かせたまま、可愛げもなくそんなことを口にする。

 ライオットと対面していた時とは大きな違い。

 こういうのをなんていったのかしら――面の皮だけは厚いというか。厚顔無恥というか。

 まあ、どうでもいいわ。

 オリビアはさっさと話しを進めてしまい、これから後は妹とは関わらずに精神の安定に努めようと決めていたから、結論だけを簡潔にサンドラに伝えた。


「いいこと、サンドラ! あなたに領地は与えます。あれはわたしがおばあ様から頂いたものだけど、いずれが伯爵家に必要なものになるかもしれない……あなたに貸し与えることにします。避暑に行ける場所だと思って受け取りなさい」

「でも、お父様はもう私にくださると言いましたわ。お姉さまには関係のないことです」

「――ッ……あなたって子は……。そのわがままがいずれ自分の身を滅ぼしかねないと気づかないの!?」

「気づかない? それはお姉さまではないですか」

「わたしが? どういう意味?」

「何ですかお姉さま? 殿下も歳のいったお姉さまよりも、若い私の方がいいに決まってます」

「口が過ぎるわよ、サンドラッ! いい加減になさい、あなたの欲望にはキリがない。殿下とのことにまで言及するなんて……そんな情けない妹は死んでしまえばいいのよ!」


 決して口にしてはいけないその一言を、我慢の限界が来たのかオリビアは妹に向かい叫んでいた。

 可愛いはずの妹、倍ほども年の離れた子供のような可愛い妹――サンドラ。

 その可愛さがここに来て、妹への憎しみを倍増させた。

 いつものように姉に向かいわがままを口にしたサンドラは、信じられないといった感じに目を見開き、衝撃を露わにする。

 血縁という名の信頼関係は音を立てて崩れ去っていた。

 幼い少女の唇がわなわなと震えた。

 自分のわがままが叶わないことを知ると、サンドラはぎりっと奥歯を噛み、唇を醜く引き寄せて、目の奥に憎悪の炎を映し出す

 

「そう……くださらないんですね、なんて心の狭いお姉さま。妹に向かって死ねばいいので死ねばいいなんて――。私はただ、お姉さまに甘えたかっただけなのに」


 苦しみを吐き出すように妹がそう言った。

 オリビアはその感情を理解できないと首を振る。

 死ねばいい。

 消えてしまえばいい。

 わたしの大事なものを全て奪っていく妹なんて――いなくなればいい。


「甘えたい? はっ、笑わさないでちょうだい! この半年間、あなたが欲しがるものはすべて与えてきたわ。国王陛下が下賜してくださった駿馬も、辺境のわたし名義の領地も、王宮に上がる際に連れて行こうとした侍女たちだって与えて来た。それを今度は何ですかッ!」

「私の方がすべてに置いてお姉さまよりも相応しい、それだけですわ……どうして理解なさって下さらないの」

「なんてことを……ッ」


 家督を継いで恥をさらすようなそんな妹なら――。

 もう死んでしまえばいいと、そう思っていた。




「オリビア様、サンドラ様っ!?」


 姉妹の口げんかを聞きつけた宮廷魔導師は、膨れ上がる憎悪の負の感情のすさまじさに目を見開いた。

 これは自分では抑えきれないかもしれない――。


「オリビア! なりませんっ――心を鎮めるんだ!」


 場を諌めようとするライオットの叫びはしかし、オリビアの耳には届かない。

 彼女の心に入り込める誰かは、この場にはいなかった。


「醜い顔をしていらっしゃるわ、お姉さま。それでも――殿下の婚約者なの……」

「心の醜さが顔に出てこないあなたよりはましよ……」


 両親はどこまでも妹の暴走を許してしまうだろうから。

 姉である自分が最後に手を下すしかない。

 いつものわがままだったら、温和なオリビアもここまで怒らなかっただろう。

 だが、この日は話しがちがった。

 妹はオリビアの婚約者をよこせと言い出したのだから。

 だからこそ――だからこそ、この場で妹を止めなければならない。

 理性の壁が怒りを押し止めようとして、しかし……最後の妹の一言が、オリビアの中に積もりに積もった憎しみを解放してしまう。


「やはりあなたはここで死ぬべきだわ、……サンドラ」

「お姉さま――ッ!? 実の妹を本気で殺すおつもりなの……?」

「ええ、そうかもね……」


 オリビアは不敵に笑う。

 その意味を知る妹は、途端、襲いかかって来る恐怖に打ちひしがれて全身を震わせた。

 

 姉は、禁じられた魔法を使おうとし、その意識は結界を管理している宮廷魔導師の目の間で、いびつな悪意ある波動を生み出してしまう。

 ぴしりっ、と見えないはずの世界の壁に異質な亀裂が走るのが、その場にいた全員の目に確認できた。

 死ね。

 その呪いの言霊がサンドラに、黒い羽虫の群れのようになって襲いかかったとき。

 宮廷魔導師は壊れかけた結界を最小化し、妹の側へ走り込むと、呪いを遮るそれをどうにか張り巡らすことができた。

 

「サンドラ!?」


 オリビアの呪詛は一瞬だけのものだった。

 陽光に霞が溶け消えていくかのように、煙となって消滅する。

 後に残されたのは光の膜のようなものに覆われた二人の男女――宮廷魔導師ライオットと妹のサンドラだけ。

 姉は魔法の失敗を悟ると、その場に崩れ落ちてしまう。

 彼女は感情や心が壊れてしまったかのようにただただ涙を流し、後悔の許しを得る言葉を呟き、どうみてもまともな状態ではなかった。


「一体、何が起こった……。娘たちに何が――!?」

「……一部始終を聞いていたわけではありませんが、どうやらサンドラ様の際限のない欲求が――オリビア様の心に抱えきれないほどの負担をかけ続けた。その結果ではないかと、思いますな」


 伯爵の問いかけにライオットは説明をする。

 そこには甘やかし続けた両親たちへの嫌味がふんだんに込められていた。


「どういうことだ? 娘たちはどうなる? 元に戻るのか!? オリビア――お前、なんてことを――!!」


 床に伏して神に許しを請う言葉を唱え続ける姉に向かい、伯爵は暴力をもって彼女を裁こうとする。

 しかし、彼の心には言霊魔法への本能的な恐怖があったのか……手を上げても近づいてそれを振り下ろすことは、伯爵にはできなかった。



「……伯爵様。まだ魔法は生きております」

「なんてことだ! 我が家にかけられた呪いは、私まで苦しめるとするのか!」

「家だの自分自身だのと、我が身可愛さに生きてきたあなたはご自身の娘ですらも、優しく抱きしめてやろうとしないのですね……」

「そんなこと――呪いを持つ魔女など恐ろしくて、抱きしめられるはずがない」

「あなたは――最低の父親だ……」


 宮廷魔導師は吐き捨てるようにそう言うと、オリビアの体を抱え上げた。

 サンドラはただ倒れ伏しているだけで意識が戻れば、大丈夫だろう。

 自分が仕える王子の大事な婚約者を、いまは守ることが先決だと彼は考え、オリビアを彼女の寝室に運び込むと静かに寝かしつけてやり、そして新たな結界を屋敷の周囲に張り巡らせた。


「オリビア様。同じ魔法使いとして……今は殿下に代わり自分があなたを守りましょう」


 宮廷魔導師はオリビアの部屋の周りに、彼以外が入れないような結界を張った。

 伯爵が我が身可愛さに娘を殺しに来ないように。

 また、新たな被害者が出ないように。

 そうして彼は、魔法を用いて王子に連絡をする。

 この稀有な言霊魔法の使い手を裁くのか。

 それとも、助けるのか。

 問いかけた返事は、「薄気味悪い魔女はいらない」、と、簡素なものだった。


「主といい、伯爵様といい。どうしてこうもこの国の人間は、自分たち魔法使いに対して冷たいのか。オリビア様、呪いの魔法使ったことはあなたの罪かもしれない。だが自分にはあなただけを責めることはできませんよ」


 少女の返事はなく、今はまぶたを閉じて一人闇の中に、心の殻のなかに籠もっているのだろう。

 宮廷魔導師には、オリビアのことがそんな感じに見えてしまう。

 言霊魔法はそれを抑える術も、扱う技も知らない魔女にとってあまりにも大きすぎる力であり、負担だった。

 しかし、と宮廷魔導師はいくつかの問題を数え上げる。

 自分は男で彼女は女性。

 生きている人形のようになってしまったオリヴィアの世話をするというのは、少しばかり問題がありすぎる気がした。

 そんな彼の力になってくれたのは、妹のわがままによりサンドラに仕えることになっていた、侍女たちだった。

 十数年を共に生きて来た侍女たちは、オリビアの世話を申し出たのだ。

 結界が新しくなり、屋敷の中であれば魔女の力は発動しない。

 そのことを正しく知っていた侍女たちは、意識を取り戻そうとしない主を慰め、優しく介抱した。



 騒ぎを聞きつけて家人たちが集まり、オリビアの秘められていた魔法が行使されたことを人々は知る。

 サンドラは意識を失い、まるで綺麗な人形であるかのように身動き一つしなかった。

 伯爵はオリビアを拘束し、国王に婚約の破棄を申し出る。

 起こってはならないことが起こってしまった。

 よみがえった悪魔は再び封じられなければならない。

 オリビアを殺すべきかそれともどこかに追放するべきか、屋敷の中には置いておけない。

 そう考えた伯爵は、あれ以来ずっと滞在している宮廷魔導士に相談を持ちかけた。


「どうだろう。我が娘を妻にもらってやってはくれないか。そうすればあれの呪いはこれから先もまた新たに災いを生み出すことはないかもしれない」

「つまり自分では面倒を見切れないから、言霊魔法を封じることをできる自分に押し付けてしまえ、と。そういうことですか」

「……受けるのか、受けないのか。どっちなんだ!」


 あからさまに透けて見える本心を言い当てられて、伯爵は言いよどんでしまう。

 彼は、父親という義務を放棄して、叶うことならばこれから先もずっと問題起こすであろう娘を、さっさとどこかに片付けてしまいたかったのだ。

 こんな家にいてはオリビア様も救われない……。


「幸いなことに国王陛下からも、魔女の監視をするようにと申し付けられております。夫婦という形になるならば色々な遠慮は無用になるかもしれませんな。しかし、自分の妻にした場合は伯爵家との縁は切らせていただく。それが条件です」

「いいだろう……。だがそれでは与えようと思っていた辺境の領地を渡すことができないではないか」

「辺境の領地? 今回の問題は妹のサンドラ様が身の丈を超えた願いをしたことが、原因ではないのですか? 辺境の領地は譲れないと、オリビア様は断られたとか。それなのに伯爵様が、オリビア様の意向を無視したために――サンドラ様と口論になったと聞いておりますが?」

「そっ、それは――っ! 王家の嫁になればより多くのものが手に入るではないか。何より、辺境の土地はわが伯爵家の国境守る砦がある場所なのだ。あの場所を失えば、我が家の国内での立場が危うくなる――ッ」


 つまり国境警備をするためにあの土地は必要で、その重要な任務を持つ土地の権利を王家に嫁ぐ娘に与えたら、権利はそのまま王家のものとなり、伯爵家の威信は地に堕ちる……。

 そういうことかなんとくだらない。

 宮廷魔導師は話の裏側にあった真実を知ると、あまりにもバカバカしくて一笑に付した。

 国王陛下は予測できない危険がある言霊魔法を使ってでも、この国を豊かにしようと考えていた。

 オリビアン王族に迎えたら言霊魔法の利用方法めぐって様々な問題が起こるだろう。そんな中に、辺境のたったひとつの国境警備の問題など、引き受けたがるはずがない。


「伯爵殿、物事を正しく知ることができないということは、あまりにも愚かなことですな」

「なんだとっ!?」

「いやいや失礼。それでは本日、只今をもってオリビア様は自分のこの手で、王都の我が屋敷へとお連れいたします。彼女のことを慕ってくれている侍女の方々とともに」

「……勝手にしろ。それと、サンドラの方はどうなる? あれはここ最近明るかったのに、また昔のように引きこもりがちなじめじめとした暗い性格になってしまった」

「さあそれは分かりませんね。それは本来のサンドラ様なのではありませんか? 殿下からの婚約という奇跡を受けたその日から破綻したあの日まで、この家には神の祝福がもたらされていたのかもしれませんね」

「それはどういう意味だ?」

「あなたには……いいえ、伯爵家にはもう関係がないことですよ。それでは失礼」


 意味ありげなそんな台詞を残し、宮廷魔導師はオリビアを連れて王都にある自分の屋敷へと戻ってしまった。

 サンドラは伯爵が言うとおり、以前のままの彼女に戻ってしまい、外見だけは国内でも有数の美しさを保つが、人見知りと引っ込み思案と、姉を追い込んでしまったという自責の念を抱えてそれから後も結婚することはなかったという。

 伯爵は辺境の領地に避暑に訪れた際、突如として戦争を仕掛けてきた隣国の兵士たちに囚われてしまったらしい。

 伯爵家の人々はオリビアを失ったあと、不幸に次ぐ不幸に見舞われて散々な目にあったということだった。



「君が自分を責めてふせぎこんでいた二年間の間、あちらにはいろいろと不幸が起こったらしい。大変なようだ」

「そうですか……。でも、もう――」

「ああ、構わないよ。あちらから去る時に、金輪際縁を切ると言い渡してある。問題はない」


 二年後。

 憔悴しきっていたオリビアは、宮廷魔道士の屋敷で手厚い看護を受けてどうにか歩き回り喋ることができることには回復をしていた。

 まだ夫婦としての籍は入れてないが、心許せる唯一の男性として彼女はライオットのことを受け入れていた。

 でも不思議な話ですね、とオリビアは首を傾げる。


「なぜお父様と最後に話をした際に、実家である伯爵家に神の祝福が与えられていたとあなたは言ったのですか?」

「その話か。そうだな、どう話したものだろう……君の呪いの言葉を受けて死にかけたサンドラを守った時、彼女の体から別の誰かが出て行くのを、俺は目にしたんだ」

「? 別の誰か?」

「そう、別の誰か。別の人格というかそんなものだ。一言、去り際に伝言を預かってね」

「不思議なこともあるものですね。それはどこの誰で、どんな意思により、わたしをあんな目にあわせたのですか……」


 もし誰かがあらかじめ画策したことによってこんなひどい目にあったのだとしたら、それは神様ではなくてまるで悪魔みたいな。

 とてつもなく恐ろしい存在が妹を中にいたことになる。

 オリビアは話を聞いてそう思ったが、しかし、彼の意見は違うらしい。


「伝言は簡単なものだった。甘えすぎてごめんなさいお母様。だったかな?」

「どういうことッ?」

「君は珍しい言霊魔法の使い手だが。俺はどんな魔法を使えると思う?」

「……え? そんなことわからないわ、あなたは世間に一般的に知られた普通の魔法を使う魔法使いではないの?」


 その言葉を受けて宮廷魔導師は思わずクスリと笑いをこぼしてしまった。

 一般的に知られた普通の魔法なんてものは存在しない。

 それぞれに得意な分野がありが、それぞれの特殊な事情がまた存在する。

 宮廷魔導師の場合、力と力の狭間を操って結界を張ると魔法は、ある程度の力を持った魔法使いならば誰でもできるものだと語る。

 彼が持つ特別な魔法。

 それはほんの少しの過去や未来の、誰かの記憶を垣間見ることができること。

 国王が彼をオリビアの元に派遣したのも、伯爵家の過去や未来の誰か。

 言霊魔法を受け継いで苦しみながらも、その魔法を使いこなした誰かの過去の記憶を探らせるためだった。


「つまり俺があの家にいてやっていたことは、言霊魔法の制御法を調べる。そんなことだったのさ」

「……まあ、呆れた。人様の家庭事情を盗み見するなんて……」

「いやいやそんなつもりはないよ! ただそれが俺の使命だったというだけの話だ。人の秘密を覗き見するようなそんな根性は持ち合わせていない。だが今回は俺の使える魔法が良い方向に働いたと言っていいだろうな」

「もうっ。隠さないで教えてくださいな、その誰かのことを。お母様ってどういうことですか? わたしはまだ、未婚なのですよ?」


 オリビアが不満そうに唇を尖らせて言うと、宮廷魔導師はすまんすまんと笑い、彼の魔法で見つけ出した真実を教えてくれた。


「あれはなオリビア。未来において君が産むはずだった子供の魂だよ。その子供がまだ胎内にいる時、君はあの伯爵様が囚われてしまった辺境の領地にいて、子供と夫とともに死ぬことになるんだそうだ」

「ちょっとッ!? そんな未来の話を不幸な話を当たり前のように語らないで!」

「いやそうじゃないって。言っただろう、君は伯爵様の代わりに夫とともに領地に行き、そこで死んだんだ。もっとも、いまから起こるのではない、別の未来での話だがね」

「ちょっと理解ができないわ。その夫って一体誰なの」

「それはほら――君のお父様が婚約を破棄したいと望み出た相手。第四王子ジョシュア様だよ」

「……」


 それまでの話をまとめると架空の未来で、オリビアはあのまま代表王子と結婚し子供を妊娠して辺境の領地へ、家族全員で避暑に行き、殺されてしまったことになる。

 もしもそれが本当ならば、産まれなかった子供は過去に転生して母親である自分と王子を救ったことに……。


「だからあなたは伯爵家に神の祝福が下りたと、お父様に言ったのですか……!?」

「まあそういうところだ」

「じゃあ――妹は? サンドラのあの奇行ぶりはどういうこと? 子供の霊が母親に甘えたいという思いが強すぎて暴走でもしたって言うの?」

「いや、多分それは違うと思う。もし未来から子供の魂が過去に転生したとしても、肉体の持ち主はサンドラだ。他の誰かの魂に憑依されたからといって、人格までが代わるということは考えにくい」

「難しい事ばかり言うのね、あなた」

「だから俺が言いたいのはだな……。子供は確かに甘えたかっただろうし、母親と父親を救いたいという思いもあったはずだ。だからといってあんな無茶苦茶な醜い行為をすることは考えにくいと思う。あれは言っては悪いが、サンドラの本性なんだろう。あの子もいつかはあんなわがままで暴虐で人を人とも思わないような、そんな女性に育ったのかもしれない」

「そんな……。でも、だからといってわたしに言霊魔法を使わせる必要はなかったじゃないの……」


 それも理由は着くとライオットは語った。

 死んだ者はいつまでもこの世には存在できない。

 それが生きていた時代とは違う別の時代だとしたら、その場所にいることだけでもつらくて苦しかっただろう。

 宮廷魔導師はオリビアにそう語るのだった。


「あの子も早く安らぎが欲しかったんだよ。殺されるなら母親である君の魔法で死にたかったのかもしれない」

「そんな……だって、そんな――っ」

「もしかしたら俺と君の間に生まれる子は、あの子の生まれ変わりかもしれない。だからもう泣くのやめて自分を責めるのはやめて、こことは違う別のどこかの自分が産んだ子供の冥福を祈ろう、な?」

「はい……」


 こうして謎が謎を呼んだ言霊魔法の一件は、一旦の決着を見たのだった。

 オリビアはこの後ライオットと結婚し、無事に元気な赤ん坊を産んだという。

 その子は――女の子だった。



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