BLACK CONQUEROR

立居 知敏

第1話 馬場一家

 のどかな街の一角に、一軒の洋菓子屋が立っていた。こじんまりとした外見で、オレンジの瓦の屋根が特徴的で、二階の住居と併用されている店舗だ。

 一人の男がそこで朝の仕込みを行っていた。汗をダラダラ垂らしながら生地をかき混ぜ、おぼつかない手で材料をこね、いびつな形の生地をオーブンにぶち込んでいく。とても職人には及ばない拙い作業だが、一生懸命にやっていた。

 男の体つきは大柄で、丸太のような腕で洋菓子作りのような繊細な作業をしている姿は妙な滑稽さがあった。40代前半ともなると細かい作業は肩に来るらしく、しきりに肩を回している。薄毛をごまかすための坊主頭が朝日に照らされ悲しく光る。

 男の名前は馬場万金ばば ばんきん。かつては建設業の社員だったが、パティシエだった妻と洋菓子屋を始めた。経営はうまくいっていたのだが、ある日突然妻が急死した。万金は事務作業担当だったから洋菓子の作り方などはさっぱりで、見様見真似でやってみたが、売り上げはガタ落ち。店舗及び住居を売り払うかどうかの瀬戸際まで来ていた。

 作業がひと段落すると、二階の住居スペースから、どたばたと階段を下りる音が聞こえて来た。

「お父さん何このケーキ!まず過ぎるよ!また砂糖と石灰入れ間違えたでしょ!!石灰は食べ物じゃないって何回いえば分かるの!?」

「おう、おはよう未悠みゆ。また間違えちまったか。さらさらした感じが砂糖っぽかったからつい入れちまったよ。」

「なにそれ!?だいたいなんで洋菓子屋に石灰が置いてあるの?運動会でもするつもり?」

 未悠の激しい追及に万金がたじろぐ。

「ま、まあ次はうまくやるからさ、許してくれよ。すまんかった。」

 最近では自分よりしっかりした娘の威厳に勝てなくなってきてしまった。まいったなと思いながら頭をかきながら謝った。未悠も流石に強く言い過ぎたと少しは思ったが、日ごろのうっぷんが溜まっていたので主張を続けた。

「しっかりしてよね。お母さんが死んじゃってからこの店の評判は最悪なんだから。こないだなんて『お前んちのケーキ捨てたら庭の雑草全部死んだ』なんて冗談言われたんだから!」

 なんてことだ。俺の作るケーキがそんな風に言われてるだなんて。愛はたくさんこもっているはずなのに。万金は少しショックだった。

「とにかく私があとはやっておくから、お父さんは朝ごはんの用意しといてよ。」

 万金はすごすごと台所にむかっていった。未悠は万金の散らかした厨房を片付けつつ、てきぱきと菓子を作っていった。通学までのごく短い時間の間だったので、最低限店頭に出せるだけのものをつくり、後は万金の作ったを陳列することにした。味は本当に不味いが、形だけは徐々に良くなってきているので少しだけ感心してる。一生懸命作っていることは間違いないが、指摘してあげないといつまでたっても向上しないので、帰ってきたらまだきつく言わなきゃと未悠は思った。自分の作ったものも含め一通り品出しが終わった。万金が作った緑色のなんだかヌメヌメした物体がが蠢いているやつは流石に捨てた。


未悠は万金の作った朝ごはん(これはそこそこの味だった)を掻き込むと、行ってきますとだけ万金に言って家を出た。通っている中学校まで自転車で15分弱。現在時刻8時15分。まずい。また遅刻ギリギリだ。新年度から替わった生活指導の先生が本当にめんどくさい人なので、遅刻だけはなんとも避けたいところだ。全力でペダルを漕ぐ。五月の頭だけあって、動き始めるとすぐに汗ばむ季節だ。首筋に汗を伝わせながら、学校に向かっていった。

 学校につくと生活指導の先生は自転車のハンドルの角度をいじった男子学生に夢中だった。どうやら最近男子の中では自転車のハンドルをハーレーみたいにするのが流行りらしい。あほくさ。

 だがおかげで遅刻ギリギリだったがすんなり校内に入れた。いいぞ。今度は背もたれもつけてくるといい。心の中で感謝を済ませ、教室に入る。


 それからはいつもの日常と変わらなかった。未悠にとって学校は楽しい時間を過ごせる場所だ。友達と昨日のドラマの内容を話したり、先生のあだ名を考えた。授業についていくのは大変だが、勉強会をするいい口実になるので苦にはならない。あっという間に時間が過ぎ、気づいた頃には帰りの会も終わり、皆部活に向かっていった。


 未悠はすぐに下校した。未悠は部活に入っていないからだ。小学生の頃はバレーボールクラブに入っていたが、母が亡くなってからもうやらなくなった。部活に打ち込むほど生活に余裕がないというのもあったが、それ以上に父親が心配だったためだ。 

 二年前、母が亡くなった時、万金の心はぽっきり折れた。人前で涙を見せることはなかったが、明らかに目の光を失い、大きな背中は見る影もなくしぼんでいた。幼いころから見てきた、活気に満ち溢れ、力強さを感じる父の姿はもうそこには無かった。未悠も毎日泣いていたが、支えを失い、ぺちゃんこになってしまった父の方がもっと見ていて居たたまれなかった。


 ある日、とうとうこらえきれなくなった未悠は父の部屋に押し入った。こもりがちになっていた父を部屋から引きずりだし、かつて自分が母に教わった様に、菓子作りを教えた。尻を叩き、鞭を振るい、時には口から火を噴きながらそれはもう熱心に教えた。

 最初は乗り気ではなかった父も、日に日に楽しくなってきたようで、次第に自分から教えてくれと頼んでくるようになった。未悠自身も菓子作りを楽しんでいたし、何より父に活気が戻ってきたことが嬉しかった。二人で作業に没頭している時だけは、楽しい時間を過ごせた。


 そんな訳があるから、父が材料を間違えようがバイオテロを起こそうが許すことにしている。昔のあのしょぼくれた父に戻るくらいなら、今の方がずっといい。もう少し続けていれば、いつかは完全復活してくれそうな予感がする。

 でも今日の失敗は何回目だろう。流石に言わないと気が済まない。帰ったら厳しく指導しなくちゃ。と、そんなことを思いながらのんびり自転車を漕いでいた。


 家の近くまで来ると、未悠は異変に気付いた。車が4台もうちの駐車場に停まっている。しかも全部黒塗りのセダンタイプだ。おかしい。こんなことはお父さんがイノシシと一緒になって芋畑を荒らした時以来だ。あの時は地主さんが無理にお父さんに呑ませたという理由があったからなんとか『しばらく首輪をつける』という条件で何とかなったが、今回はなにをやらかしたのだろう。不穏な空気が漂っている。

 

 店の看板は営業時間中にも関わらず「CLOSE」になっていた。店の中に入ってもだれもいない。恐らく二階にきているのだろう。店のなかを見ると未悠の作ったものは何個か売れていた。父の作ったものは1つだけ売れていた。心優しいおばあさんが毎日一つだけ買いに来てくれる。ありがたいことだ。


 二階のリビングに上がると、父と、テーブルを挟んで黒服の男が座っていた。男の両隣には私服姿の男が立っている。町内会の人でも警察でもなかったからとりあえず一安心したが、和やかな雰囲気でもなさそうだ。ドアの付近でもじもじしていると、男と目線があった。

「こんにちは。未悠ちゃんだね。今お父さんと話をしているんだけど、君も聞くかい?というか居てくれた方が話が早そうだ。」

「すみませんが、どちらさまですか?」

 おお、いけないといった風に慌てた素振りを見せてから、彼は名刺を出した。

『朝日工務店営業係長 希市透真まれいちとうま』と書かれている。どうしたのだろう。工務店の人と関わるような話はないはずだが。話を聞くため、一応席に着こうとした時、父の正面にだけ湯呑があることに気づく。あ!この人自分だけ飲んでる!急いで来客三人用のお茶を用意したのち、席に着いた。

「それで、工務店の人が何の要件ですか?」

未悠が首を傾げながら尋ねると、横から万金が口を挟んできた。

「いや、それがこいつら工務店の人間じゃないんだとよ。」

予想しないことの連続で未悠はますます混乱した。

「じゃあ、一体この人達は誰なのよ?」

万金が頭を掻いたのち、苦虫を食い潰したようなしかめっ面で呟く。

「CIA職員だそうだ。」


黒服の男はニヤリと笑った。

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