第2話 レイ・チャオの報告書
その日、宇宙航空管理機関に勤務するレイ・チャオは、報告書の作成に追われていた。
先日起きた謎の電磁的フレアの調査報告を上司に急かされていたからだ。
会議に使うとか、誰かに報告するとかそんな理由だ。時間は限られていたが、レイ・チャオは懸命に仕事をこなしていた。
10月21日宇宙時間14時4分に起きた広範囲に広がった混乱は電磁的フレアによるものと推測される。
数値は太陽フレアによるものと比べると極めて低いもので、一部の電子機器に些細な影響を与えるだけにとどまった。
コーヒーメイカーや電子レンジ、携帯電話、はては腕時計の機能の一部を阻害したがどれも致命的なものではない。
現象は約8秒程で終わり、物質的な被害もなく、地球と月の広範囲に経済的損失は最小限にとどまっている。
一番の謎は方向である。
この電磁的フレアは太陽の反対方向、つまり太陽系外方向から来たことになる。太陽フレアではないという事だ。太陽フレアの逆風説もあったがこれはいまひとつ信頼度が低い。
もうひとつの可能性は、超新星爆発から発生した電磁フレアが銀河を越えて遥々太陽系にたどり着いた可能性だったが、太陽系に点在する観測基地、コロニー及び、軍事的施設、航宙艦のいずれからも観測していない。不思議な事に影響を受けたのは地球と月の生活圏だけなのである。
ということは少なくとも月から火星までの宇宙空間のどこかで電磁的フレアが発生したという事になる。
そして一番の問題は……。
ここでレイ・チャオは分析報告を見て思案していた。
報告書に入れ込むべきかどうか。
この電磁的フレアにはあるパターンを持つ電気信号が含まれていたというのだ。
そして信号パターンにはは何らかのメッセージの意味を含んでいる可能性があると推測される。
この報告が正しければ、この電磁的フレアは宇宙空間で偶発的に起きた自然現象ではなく意図的に発生させられた可能性があるのだ。
目的は、攻撃か、事故か、あるいは知性生物からの有効メッセージなのか……?
彼はこのデータ報告書に入れるか迷った。
事は重大だ。別の真実が後から見つかったら、自分は世紀の大間抜けということになってしまうのだ。
何度もデータを慎重に照査した。結果、彼は電磁的フレアに含まれていた謎の信号の件を報告書に入れることにした。
書き上げた報告書を送信する。
これで今日の仕事は終了だ。
彼は、帰り支度を済ませるとオフィスを出た。
「おかえりですか? チャオさん」
セキュリティゲートで警備のオートワーカー(※1)が声をかけてきた。
「ああ、君はまだ仕事? 一体、いつ休むんだい?」
「私の次回のメンテナンスは540時間と39分後です」
「それは酷い。君は少し働きすぎだよ。休みをとったほうがいいと思うね」
「お心遣いありがとうございます」
オートワーカーは礼を言ったが、そこに感情はない。
「いいさ。それじゃ、おやすみ」
「お疲れさまです。お気をつけて」
「ありがとう。君もな」
たとえプログラムによる決められた答えであろうと、それでもちょっとしたやり取りが気休めになるものだ。
レイ・チャオは、宇宙航空管理機関ビルから出ると駐車場に向かった。
自分の車に乗り込むと一息ついた。
車をオートからマニュアルハンドルに切り替えるとアクセルを踏み込んだ。
明日は報告書を読んだ上司から説明を求められるのを覚悟をしておこう。
いつもの道をいつものように車を走らせる。
赤信号に気がつくと踏み込むアクセルペダルからブレーキペダル切り替えてスピードを落とした。
流れてくる音楽に思わず口ずさむ。
ダイスケ・アサクラの生み出すメロディは素晴らしいな、とチャオは思った。
2世紀前のクラシックだが流れるこの曲がチャオが大好きだった。
こんな時は気分転換が一番だ。何も家には持ち帰らない事が最良の手段である。
長い赤信号だと感じた頃、ようやく信号が変わってくれた。
レイの車が、ゆっくりと交差点に入って時だった。
大型トレーラーがスピードを落とさずに交差点に入ってきたのだ。
トレーラーのライトに気がついた時には遅かった。加速のついた20トン以上の重量が運転席のレイ・チャオめがけて突っ込んでいった。
その夜、彼が家にたどり着く事はなかった。
宇宙航空管理機関ビル前の道路を赤いライトを点滅させた救急車両が近づいた。
警備オートワーカーが通り過ぎる車に視線を向けた。赤い光が一瞬、オートワーカーの顔を照らしたが救急車両はそのまま通り過ぎた。
救急車両が走り去っていくと彼は再び警備の仕事に戻っていった。
同じ時刻、サーバーに保管されてレイ・チャオの報告書ファイルが何者かによって削除された。
そして誰も彼が報告書を書き終えていた事を知らない。
※1 オートワーカーは、この世界でのロボット、アンドロイドの類。
元々は商品名だったが人々の生活に深く浸透している事もあって一般名詞化している。
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