第26話 玉(ぎょく)の座への道
冬休みを間近に控えたある晩のこと、光一は父さんと回転寿司の店に行った。母さんは主婦の仲良しグループで二泊三日の旅行に出かけている。
父さんは一日目こそは「僕だって料理ぐらいできるさ」と、お手製の中華料理を振る舞ってくれたが、それで精一杯だったらしい。二日目は「やはり主婦にはかなわん。外食にしよう」とあっさり降参を認めたのだ。
「今夜は二人だけだ。好きなだけ取っていいぞ」
もぐもぐと口を動かし続ける父さんの前には、既に十枚以上も空皿が積まれている。一方、光一の前にはまだたったの二枚だった。いつもなら目の前を通る寿司に間をおかずに手が伸び、その度に母さんの眉が跳ね上がっているのだが、この日は気分が乗らなかった。
「あれ、さっき、貝柱並んでたよな。来なくなっちまった」
「他の人に取られたんだよ。注文したら」
「そりゃ、そうだ」
父さんの手が注文モニターに伸びた。
「光一は?好きなのが流れていないのなら、一緒に注文してやるが」
「いや、僕はいいよ。いいのが出てくるのをまってる」
「じゃあ、貝柱と焼き肉とウニと!」「はい、ただいま、お作りします」
マンガのキャラクターの声が注文モニターから返った。
光一は寿司の行列を見つめていたが、これぞというのは流れてこなかった。
「最近、ぼうとしていることが多いみたいだけど、何かあったのか」
茶の湯を付け足しながら父さんが聞いた。
「いや、べつに」
「何もないなら、寿司を食べろよ」
「関係ないじゃん」
仕方なく、光一はカッパ巻きに手を伸ばした。
「食べるならば美味そうな顔をして食え、キュウリさんに失礼だぞ」
父さんはぶつぶついいながら、新幹線のミニチュアに運ばれてきた寿司を口に放りこんだ。
「じゃあ、帰るぞ」
何となく重苦しい雰囲気の中、二人は家路についた。だが道がおかしかった。父さんが運転する車は、家とは反対の方角に向かっている。
「どこかに寄ってくの?」
「さあね」
しらばくれた父さんは、そのままハンドルを切った。
車は、町外れの山の上に伸びるドライブウエイに入っていった。元旦の初日の出を見に、何回か連れてきてもらったことがある。高さは五百メートルほどの山だが、頂上には小さな展望台とベンチぐらいしかない。
「山に何かあるの?」
「なんもないさ。いつもより高い所に登って、見つけるんだよ」
「何を」
「そいつは光一しだいだ。ぐるぐる回っている寿司にピーンと来なかったら注文する。それも気乗りしないなら、山に登って魚を釣るってわけだ」
「・・」
父さんは訳が分からないことをいう。滑ってばかりだ。光一や母さんが頷かないと機嫌を損ねる。全くタチが悪い。しかし今回は違った。光一の心に何かが引っかかった。
「山で、魚は釣れないけど」
「そこがポイントだ。自分が海を泳いでいたら、どんな魚だって釣れっこない。どうせ釣れないなら、高い山から糸を垂らして、じっくりと待ってみるのさ、思いも寄らない魚が引っかかるのをな」
車は展望台の駐車場についた。
ドアを開けると、さすがに山上らしく、体をこわばらせるような冷たい風が吹いていた。先に車を出た父さんは、あちこちにいるカップルを見てはにやついている。
「お熱いこったね」
「結婚する前、母さんとよく来たんでしょう。夏に来たときは、蚊に刺されて大変だったって」
「あのおしゃべりめ」
父さんは見晴台の鉄の柵を指で弾いた。
カーンと長く響く音に、横にいたカップルが、迷惑そうに振り返っている。そんなことに構うことなく、父さんは腕を広げて深呼吸をした。
光一も真似をして大きく息を吸ったが、
「あれっ」と、途中で息を止めた。
眼下に広がる夜景、山の裾に沿って並んでいる町の明かりが、弓のように反って見えたのだ。
「まるで三日月だ」
「そりゃそうだよ。美月市の名の由来は、三日月からきているからな。今でこそは山の裾が切り崩されて、住宅地になってるが、ずっと昔は、もっときれいな曲線を描いていたと思うよ」
父さんが説明した。
「じゃあ、三日月谷って呼ばれていたこともあったってこと?」
「そりゃ、そう呼ばれていてもおかしくはないわな」
光一は改めて町を見下ろした。千年以上も昔に、ひかりが、そしてサイダがそこに住んでいたのだ。
「・・」
急に胸が苦しくなってきた。サイダの目を通して見た濁流が、そのまま蘇り、町を襲うように見えたのだ。
「それで、おまえはどうしたいんだい?」
「どうしたいのかって、それが分かれば苦労はないよ」
光一はつっけんどんに返した
問題は、もちろんひかりのことだった。明るい笑顔の裏で、彼女は苦しみ続けている。その黒い瞳で見つめられると、光一の胸は喜びに高まったが、一方、悲しくもなった。
それは他の人には決して向けることのない瞳…
人間への恨みの呪縛から解放されながら、未だにその自由を握っている光一だけに向けられる瞳なのである。
「君に自由を与える!」
と言って、ランプの魔人を解放した映画があった。しかし、光一にはできない。そんなことを言っても、霊力を握る左手の窪みは消えやしないのだ。それに、実際のところ、彼女が何を望んでいるのかもわからない。
「父さん、このままでいいのかって悩んでいる時、どうしたらいい?」
光一は聞き返した。なぜか今日の父さんは、まともに答えてくれるような気がした。
「ほれ、問題が見えてきたじゃないか」
「答えになってないよ」
「問題を言葉にできたということは、答えも分かってるということ。あとはそいつを素直に見ようとするかだ。もし見られないなら」
「もし見られないなら?」
光一は急に黙ってしまった父さんを見つめた。父さんは、町の明かりのせいで見えにくくなっている星を探すように首を振っている。
「霧だ、そいつを晴らすんだ」
「へ?」
「よいか、見ていろよ」
「痛!」
光一の髪の毛を一本引き抜いた父さんは、地面の枯れ葉をかき集めた。そして、
「
心霊番組に出てくる呪術師が使うような
「いきなり、なんの冗談?」
苦笑いを浮かべかけた光一は息を飲んだ。
目の前に霧が立ち登っていた。たくさんの人の顔が浮かび、そして消えている。学校か、近所か、どこかで見たような顔ばかりだが、はっきりとはわからない。ふわふわと漂いながら、光一を囲み始めた。と、右肩を誰かに掴まれた。
・・光ちゃん、なんもするない・・
・・そうさ・・・そうだよ・・
振り返ると、亡くなったお祖母さんが立って言葉を発していた。周囲からは、その言葉への賛成の声があがっている。
「な、なんなんだよ!」
光一は叫んだ。隣にいるはずの父さんの姿は見えなかった。
「今、おまえが見ているのは、おまえの心の内側の霧。それを見続けるのも、目を背けるのもおまえ次第」
これまで聞いたことのない厳しい父さんの声が響いた。
・・そのまんま。そうすりゃ、大切なもんは光ちゃんから離れない・・
前に回り込んだお祖母さんが、光一の手をそっと握った。
これは明らかに幻覚である。なのに
「バアちゃん」
光一はほっと息をついた。悩んでいたことが馬鹿らしく思えてくる。
「何もしなければ、これまで通り。ひかりちゃんは僕を見続けてくれる。それでもいいんだよね」
・・そうしなさんな・・
お祖母さんはこっくりとうなずいた。そして手を握ったまま背を向けた。
「どうしたんだい」
呼びかけても返事はなかった。握っている手から温もりが消えていった。慌てて手を引こうとしたが、石のようにびくともしない。力ずくでもだめだった。
「放して、バアちゃん!」
返事はなかった。
「父さん、どこにいるんだよ、これって幻覚なんでしょう?」
「幻覚だが、おまえにとっては現実にあるものと変わりない。ポイントは、おまえが作り出している世界ということ」
「僕が作り出している・・」
父さんの言葉が胸に突き刺さった。
『ああ。僕は、大切なものを失う怖れをごまかしていたんだ。心の底で、幼子のようにバアちゃんに甘え、なだめてもらっていたんだ・・ごめん、バアちゃん』
口から思いが小さく漏れた。と、万力のように掴んでいた手が緩んだ。
・・それでよいわな、いつまでも甘えなされ・・
そっと振り返ったお祖母さんは、微笑みを浮かべて消えていった。
辺りを覆っていた霧が徐々に晴れていき、目の前に、濃紺の夜空と町の明かりが広がった。
光一の心は決まった。
『僕は大切な人のために、やるべきことをやるのだ。
果たしてそれが、その人を苦しみから解放することになるのかはわからない。しかし、僕ができることはそれしかない。サイダがひかりに届けようとしていた青蛇の剣。どこにあるのかはわからないが、それを探し出して、彼女に渡すのだ。サイダの精霊だって今まで存在していたのだ。剣だってきっと、きっとどこかにあるにちがいない』
「父さん、おかげで霧が晴れたよ」
光一はそっと言った。
「背を向けず、否定せず、ただ心の在りようを認める。なかなかできることじゃない。さてと、それはそれとしてな。ちょっと前から、そいつが気になっていたんだが・・」
父さんは、光一の左手を取り、そこにある窪みを指で触った。
「あいたた!」
弱いながらも、電撃が襲ったらしい。慌てて手を引きながら話した。
「・・
父さんの家系に古くから伝わる謎の言葉だ。その不思議な傷跡をもった光一には、なんのことかピーンとくるのでないかな」
「玉の座・・」
まさに光一にはピーンときた。
文の意味はわからないが、
サイダは言っていた・・我は血脈のかけらをもつ者に宿りて・・と。
『僕とサイダはどこかで血が繋がっているに違いない。父さんだとて、たった今、不思議な
「父さん。僕らの先祖って、
「呪術師だって?確かに僕の曾祖父さんは町の
「オヤジって、あの家出したっていうジイちゃんのこと?」
実際、光一は祖父とは会ったことがなかった。ただ祖母から話を聞いていただけだ。父さんが高校生になった時、山で修行してくると家を出て、帰って来なくなったそうだ。
「そう、あの頑固オヤジだ。先祖から伝わったことを絶やしたらいかん!とそりゃ厳しかった。そう考えれば、確かに先祖は呪術師だったかもな。くそう、思い出したら腹が立ってきた」
父さんは拳で柵を殴った。
怪しい父と息子から距離をおいたカップルが、またも迷惑そうに振り返るかと思いきや、今度は違った。首をかしげながら光一の頭上を指さしている。
「ん?」
見上げれば、三メートルほどの上空に、まだ霧が残っていた。少しずつ濃度を増し、白く輝き始めている。光一だけが見ていた映像とは違い、他の人にもはっきりと見えているらしい。
見ている間にも、霧は、
きつくはないが風は確かに吹いている。なのに、まったくあおられることはなく、空中に静止して羽ばたいていた。
「父さん、道だよ」
「道?おいっ、あの蝶は何だ。ピーターパンの妖精か」
「謎の言葉が実現されたんだよ。あの蝶はきっと’道’を教えようとしているんだ」
「ってことは、あの蝶を追いかけろってことか」
いいながら父さんは駆けだして車を回してきた。光一が乗るのと同時に、輝く蝶は高く舞い上がり、前に進み始めた。
「ほわー、なんてこったい。本当に動き始めた」
父さんは興奮気味にアクセルを踏み込んだ。
蝶は信じられないような早さで空宙を進んだ。スピードメーターを見れば、時速六十キロを超えている。
「光一、シートベルト締めろよ」
急カーブでハンドルを切りながら、父さんが怒鳴った。光一はシートベルトを掴み損ね、ドアに激しく叩きつけられた。
「大丈夫か?」
「うん、蝶、見失わないで!」
「了解」
そのままうねうねと山道を下り、大通りに出た。蝶はさらにスピードを上げている。
「光一、あいつの行く先に何があるんだ?」
額に浮かんだ汗を拭いながら父さんが聞いた。
「サイダの剣、青蛇の剣だよ」
光一は答えた。自信があったわけではない。しかし、他には考えられなかった。
「なんだい、そりゃ」」
調子はずれの声が響いた。詳しいことは本当に知らないらしい。
しかし、父さんが呪いを使えるなど、今の今まで知らなかった。仕事から帰宅したら、ゴロりと横になるだけ、冗談好きのただの冴えないサラリーマンだと思っていた。少し見直した。
「ねえ、他にも呪い、使えるの?」
「もちろんだとも。だがな、おまえにはまだまだ教えられんぞ」
「なんでだよ」
「呪いのほとんどは危険だ。オヤジに内緒で枯れた花を蘇らせたら、近くに生えていた木がみんな腐って折れてしまった。後でばれて、こっぴどく叱られた。おまえに教えたら、なにをしでかすかわかったもんじゃない」
父さんは苦々しい顔でいったが、声は楽しそうに弾んでいた。
「光一、さっき、ひかりちゃんとか言ってたな。あの蝶と関係があるのか?」
「それは言えないよ」
「けち!」
「どっちが」
そうこうする内に、車は以前通っていた小学校までやってきていた。
フェンス横の脇道に入って、そのまま進んでいく。やがて舗装されていないガタガタ道になり、いきなり行き止まりになった。前方には、黒々とした森が立ちはだかっていた。
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