第7話 探偵の願い事

一息ついた後、「これぐらいなら晩御飯の邪魔にならないわよね」と、先生は熱いココアと手作りのクッキーをごちそうしてくれた。

光一は小さく舌打ちした。

先生の家で、世にも珍しい体験をして、しかもおやつまで食べたのだ・・学校で話したら話題沸騰にちがいない。しかし約束した。話すわけにはいかない。隣にいるメガネの相棒と喜びを分かち合うしかないのだ。

「一緒に来てよかったな」

気を取り直していうと、勉はクッキーをかじりながら振り向いた。その表情は少し雲っている。

「どうした?」

「光一君、もう九時ぐらいだよ。思い出したんだけど、明日、英単語のテストがあるよね」

「なんだよ、そんなこと気にしてるのかい」

光一はガクリと肩を落とした。テストなど、どうでもいいことではないか。

「そうよ、二人とも勉強してる?」

先生の細い眉がぴくりと上がった。

「はい、勉強はしてあるのですが、せっかくだから単語の語源にも目を通しておこうと思って」

「ふふ、そうね。もう帰らないといけないわね」

先生は清水探偵に視線を投げた。

「さてと、坊やたちには、すごいことを知られてしまったわけだ。それを秘密にすることは約束してもらったんだが、実は、もう一つお願いがあるのだ」

清水探偵は耳を立てて、首を伸ばした。ちょうど飼い主の命令を聞く犬のようだ。


「お願いって?」

「二人に、仕事の手伝いをしてほしいんだ。ほれ、わしはこの姿だろう。だから外を歩くのには便利なんだが、建物の中には入れない。絵里子も手伝ってくれるんだが、なにせ人手が足りなくてな」

『仕事とは、さっき話していたように精霊のために働くということ?』

光一の胃の辺りが急に重くなった。

『清水探偵は精霊のせいで、犬になってしまった。もし、相手がヘビとかの精霊だったら、どうなる・・いや・・精霊のために働く・・そんなこと普通なら絶対にできやしない。それに何より、清水先生も仲間だ』


「はい」

光一は力強く返事をした。横を見ると、勉の表情は曇ったままだった。

短時間だが、内容の濃い付き合いでわかった。彼の宇宙人レベルは、そんなにひどいものではなかった。

『確かに変わっている。けど勉は誰よりも純粋なんだ。自分の考えを素直に口に出してしまうことが多いから誤解されてるんだ』


「どうしたんだい?」

「やりたいんだけど、勉強する時間がなくなりそうだし、それに」

「それに?」

「自分ではよくわからないけど。僕、皆から変わり者だと思われてるでしょう。だから、清水探偵の仕事を手伝ったら、よけい変になってしまうんじゃないかと思って」

「そうね」

先生が優しく勉の疑問に答えた。

「確かに勉君の考えることって他の皆とは違うことが多いわ。でも、それは皆が気付かない視点を持っているという事よ。だからこそ、普通ではないこの仕事にはぴったりだと思うわ。それにここまで、光一君とも上手くやってるじゃない。自信をもっていいと思う」

光一は深く頷いた。

「そうだよ、一緒にやろうよ。それにここじゃ、学校の教科書には出てないこともいっぱいありそうだし、こんなチャンス滅多にないよ」

「うーん、まあそうだけど。テストの前とか、勉強したい時は手伝えないよ」

「そんな時は、僕一人で手伝う。それでいいよね」

光一が聞くと、清水探偵はよしとばかりに牙をカチカチと鳴らしたが、先生がその頭をコツリとやった。

「だめ。テストの前は光一くんも手伝いはなし。だから勉君、安心していいのよ」

「わ、わかりました。僕も手伝います」

勉は少し口ごもりながらいった。


「ありがとう。じゃあ、今夜だけの特別サービスをするわね」

言いながら先生は、暖炉の前に進み出て、軽やかなステップを踏み始めた。それに調子を合わせるように、メラメラと燃えている炎が、奇妙な形に変わり始めた。

「ァアア」

勉が声にならない声を出した。

先生と一緒に躍っている炎の形は、よく見れば、英単語の形をしていたのだ。長くなったり短くなったり、次々と変化している。サービスとしかいわなかったが、目の前にくねくねと現れるのは、明日のテストに出てくる英単語に違いない。勉の表情の緩み方を見ると、彼の知りたがっていた語源も現しているのかも知れない。

『けど、綺麗だ』

光一は単純に思った。毛糸がいろんな文字に変わる動画を観たことがあるが、それとそっくりだった。いや、炎の方が赤橙黄青・・様々な色が混じり合い、動きが滑らかで、もっと美しい。光一が見とれている内に、炎は元の形に戻った。

先生は軽く息を弾ませている。

「どう?すぐ終わってしまったけど、勉強熱心な生徒の頭を刺激するには、十分だったはずよ」

勉はにっこり頷いたが、光一の頭の中では、英単語がごちゃまぜに集まってダンスをしていた。

「あんなのなしだ。知ってる単語も、他のと混じって、わけがわからなくなってしまった」

文句をいったが、先生は知らん顔をしていた。


「さあ、仕事仲間となった坊やたち、家に帰る前に見せておきたい部屋がある」

清水探偵が尾を振りながらいった。

部屋を出ると、薄暗い廊下に黄色の裸電球が並んでいた。時折、霧が生まれては、動物や人の形、なんとも表現しがたい物の形になっている。光一と勉は、先生のすぐ後ろを歩いたが、横壁から巨大な狐の顔が現れた時にはさすがに驚いた。


「お坊様がこの場所を出たあと、住み着いている精霊たちよ」

「けど、こんな所に家を建てるなんて、よっぽど物好きな人がいたんですね」

「ええ。いざ住んでみると、一日ともたずに逃げ出したそうよ」

上機嫌になった勉に、先生が笑いながら答えた。


そのまま突き当たりのドアを開け、部屋の中央に置かれたテーブルの上の蝋燭に火を灯した。

そこは、壁中がつたの葉に覆われた小部屋だった。

「ここは?」

「いわば中央情報センター、つまり精霊たちのSOSや暴走を知らせてくれる場所なんだ。君たちには、ぜひ見てもらいたくてな」


光一はあらためて部屋を見回した。

蝋燭の炎はまっすぐに立っている。風は吹いていないが、壁をおおう蔦の葉は細かく揺れていた。陽が当たっていないせいか、葉は皆白みがかっていた。

「あれっ」

光一は壁に近寄り、茂みをかき分けた。どす黒い血のような色をした葉が見えたような気がしたのだ。

「この部屋の蔦は、外の蔦とつながっている。そして葉は、ちょうどパラボラアンテナのように、世界にうごめく精霊たちの動きを拾っている。ここの葉が細かく震えているのはそのせいなんだ」

「じゃあ、この葉は」

光一は見つけ出した赤い葉について聞いた。

「それこそ、最近取りかかったばかりの仕事だ。葉がそのように赤黒く色づくのは、精霊が苦しんでいるサインなんだ」

「じゃあ、あれは?」

後ろから勉の声がした。その手はドーム型の天井の中央を差している。そこにある葉は、色こそは変わっていないが、ヒラヒラと羽ばたくように揺れていた。

「あれは、この建物の真上の空にいる雷丸を現しているのよ。精霊が喜びに溢れていると、あんなふうに葉が揺れるの。葉の色がオレンジ色になると、暴走し始めたということだけど、あの色ならまだ大丈夫」

先生が答えた。


「ということは、蔦の葉の状態で、問題のある精霊のいる場所もわかるということ?」

「その通りだ、光一君。その精霊が上空にいる時は天井の葉、そうでない時は壁の葉が示している。その赤い葉が示すのは、ここから北の方角で、床からの高さを考えると、だいたい五キロから十キロの範囲にいる精霊に、異変が起こったということになる」

ここから北といったら、ちょうど光一の家のある方角だ。

「その場所は見つかったの?」

「いや、残念ながらまだなんだ。それで今朝、その場所を探している時に、ものすごいエネルギーを発している少年がいた。もしやと思って、滅多にしないことなんだが声をかけてみた。すると、すったか早歩きで逃げ出した」

「それって、光一君のことだね」

勉がぷすっと吹き出した。

「じゃあ、清水探偵が郵便局に来たのは、僕の後をつけていたってこと?」

「まあな。そして君は都合よく、わしの後を追い始めた。正体をここで暴いてやろうと待っていると、君は地底霊の穴に飛びこんでしまった。君が持っているエネルギーからして、すぐに脱出してくるとは思っていたが、まさか雷丸の雷光の瞳を持っていたとはな。そこのところが計算違いだったが、君への疑いは見事、晴れたというわけだ」

清水探偵は自慢そうに尾を立てたが、先生があきれ顔でその尾をはたいた。

「なにが計算違いよ。仕事を忘れて、テニス中継に夢中になっていたくせに。光一君が、私達の後を追いかけたのはたまたまよ。それに勉君まで巻き込んでしまって。二人とも本当に危ないところだったのよ」

「ふむ、そうともいえる」

清水探偵は面目なさそうに尾を丸めた。


「それで、苦しんでいる精霊の問題は?僕らは何を手伝えばよいのですか?」

赤い葉を心配そうに見つめながら勉が聞いた。

「今のところ精霊の居場所もはっきりしないし、まだお願いできることはないの。ただ精霊が苦しむと、必ず事件が起こるわ。何か変わったことがあったら教えてほしいの」

「それぐらいならできます」

勉はほっとしたように頷いた。

「じゃあ、伝えることは伝えたし、お二人さんを家に送っていかなきゃね」

先生がいった。


「ちょっと待って。雷丸は?」

「それは、これからご対面といったところだ」

清水探偵が意味ありげに、にやりと笑った。蝋燭の炎に照らされた牙が鈍く光り、光一は思わず身震いした。



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