第56話 裁きの日
断罪の広場は異様な熱気に包まれていた。神聖文字が記された赤黒い旗が舞台奥の壁に掛けられている。舞台に引き出されたカイの姿を遠目に
「ルゥ」
隣にいるサイルーシュを見下ろせば、見上げてくる彼女の瞳は今にも泣き出しそうに濡れている。
「……分かってる」
苦心してそれだけ口にし、タオはサイルーシュの向こうに立っているエリュースに視線を移した。彼は何かを探すかのように辺りを見渡しており、タオはその真剣さに声を掛けることを
「……俺は今まで何を護ってきたんだろう」
そう呟けば、隣でサイルーシュの
「――皆、カイのことを知らないからさ」
視線を寄越さないまま、エリュースの硬い声が返る。
「俺たちだってカイを知らないままなら、彼らと同じだったかもしれない。彼らの多くは無知で流されやすくて、すぐに
「……これは正しいことじゃないだろ? エル」
「その答えは……、今は出ない」
そう言ったエリュースの言葉に、タオは彼の横顔を見つめた。頬を緊張させた、彼が
その時、後方からよく響く男の声がし、タオは振り返った。人々の頭の隙間から、最上段右側に黒いローブ姿の男が見える。彼の周りには護衛と思われる
「あれが審問院長だ」
エリュースに教えられ、タオは納得した。収穫祭の時には無かった椅子が彼のために用意されているようで、あの場所は大聖堂騎士団長が舞台近くに設置したもののような異端審問院の本営なのだろう。左側を見上げれば、そこにも椅子が設けられており、身なりの良い者たちの姿が見える。おそらくはアルシラに別邸を持つ貴族たちだ。その端には、大聖堂騎士ダドリー・フラッグの姿があった。
「これより魔女の公開裁判を行う!」
異端審問院長のよく通る声が、広場に響き渡った。彼の指示が舞台にいる異端審問官に伝わったのだろう、乱暴に膝をつかされたカイの髪が掴まれ、顔を上げさせられる。彼女の表情は、怖ろしいものを見ているかのように
舞台上にいる審問官によって、罪状が
タオは異端審問官の声を聞き流しながら、サイルーシュの手の温もりを感じながらも、もし今、
「――その女は魔物だ!」
「魔物の
次々と上がる声に混じりカイの悲鳴が聞こえ、タオは怒りと共に目を開けた。
「カイ……ッ」
タオは、カイの名を口にしていた。涙に濡れたカイの唇が、何か言葉を
「……殺して」
ふいに耳に入ってきた言葉に、タオはエリュースを見た。彼の視線は真っ
「どうか、もう、殺してって、言ってる」
震える声で、エリュースが呟いた。彼の頬を、涙が伝い落ちる。タオは従士になるべくアルシラに来てから、初めてエリュースの泣き顔を見るような気がした。
カイの悲鳴が僅かに変化した気がし、タオは舞台に視線を戻す。そこには椅子から解放されたカイが床に倒されており、ローブの
「――ルゥ、エル、ごめん。俺もう無理だ。殺されたってカイの、姉さんの元へ行く」
大衆の面前で
タオは
「行ってあげて、タオ。私のことは構わないわ」
サイルーシュの涙混じりの声からは、凛とした覚悟が伝わってきた。彼女のことを愛おしいと思う。それでも、カイを見捨てることができない。あまりにも哀しい人生を歩んできた血を分けた姉を、やはり見殺しになどできはしない。
タオは死を覚悟し、その一歩を踏み出した。瞬間、肩を強く掴まれ引き戻される。驚き振り向けば、エリュースが
「エル!? 離し、」
「デュークラインだ……!」
「え!?」
エリュースの言葉にタオは驚いた。彼の視線を
彼らの歩みが止まった。彼らの前方が民衆で塞がれている中、長身の者のフードが下ろされる。そこに見えた灰銀色の長い髪と見覚えのある広い背に、タオは信じられない思いで彼を見つめた。
* * *
「その娘を離すのだ!」
デュークラインは声を上げずには居られなかった。ここは
「私は大主教様の
辺りに響き渡るよう声を張り、デュークラインは姿を
「道を開けろ!」
前方で振り返ってきている民衆に対し一喝すれば、
「――カイ!」
デュークラインはカイの名を呼んだ。それに反応するように、カイの視線がデュークラインへと向けられる。見開かれた瞳から新たな涙が生まれ、頬を伝うのが見えた。
「……だめ、来ちゃ、だめ……っ」
震える唇から発せられた、小さな声が聞こえる。悲しげな瞳で、まるで許しを請うようにして、カイが泣いている。
「大丈夫だ。すぐに行く」
デュークラインはカイにそれだけ答え、舞台の方へと足を踏み出した。その歩みを
「――その者は偽者だ!」
しかしその時、後方上部から声が発せられた。振り仰げば、最上段で立ち上がっている異端審問院長の姿が見える。
「その者は大主教様の侍従などではない! そのデルバート卿は偽者なのだ! 今すぐに捕らえよ!」
異端審問院長の言葉を受け、周囲の
* * *
――
異端審問院長が叫んだ言葉を聞き、ジェイはそう思った。舞台
「ジェイ様」
言外に「どうするのか」と聞いてきたギレルに、ジェイは軽く笑った。
自分なら、「構わん、その者を捕らえよ」と言う。事情を知らない部下を動かすには、責任の所在を明らかにしてやらねばならないのだ。そうすれば、たとえ相手が格上だろうと部下は動く。ウォーレスはその辺りのことを考えたこともないのだろう。
「
ジェイはそれだけ伝えた。今すぐ声を上げ、指示すれば、
それに加えてジェイの胸の内には、この警備の中を逃げられはしないという自信があった。警備体制はジェイが計画し、配備した人員がそのまま使われている。姿を隠し
「分かりました」
そう答えたギレルを従え、ジェイは舞台に
* * *
デュークラインは、目の前を塞ぐ異端審問官と
「デルバート卿、大主教様は
「承知の上だ。理由は後で大主教様が説明してくださる。ウォーレス殿は何か勘違いをされているようだが……大主教様はこの処刑には以前から反対されていたのだ。それをあのウォーレス殿が強硬しようとしている。お前は教団の最高位である大主教様の意向を無視し、彼に加担するのか?」
「そ、それは――……」
異端審問官の男の視線がデュークラインを越えて上がり、最上段の異端審問院長に向かったようだ。そして戻ってきた彼の
堂々と立っているように見せてはいるが、実際は戦闘になればまともに戦うことは難しい。カイから与えられた魔力がほぼ
デュークラインは死を覚悟してここに来ていた。それは、
しかし意外にも事情を知る者が声を上げず、異端審問院側の動きが鈍い。この事態はデュークラインにとって予想外であり、捨てた希望を拾うに値する現実だった。このままカイを保護し、この広場を出ることができるかもしれない。居場所が無いというのなら、いっそ王都側へ行くのも良い。この体がいつまで持つかは分からないが、
「さぁ、そこをどけ……!」
デュークラインは片手で異端審問官を押し
瞬間、背に鋭い痛みが走った。それは体に深く刺し入り、次いで引き抜かれた感覚が訪れる。
「な……ッ、なに、」
デュークラインは突然のことに体勢を崩しながらも、振り返った。そこには背後を護っている
* * *
ファビウスがデルバートのことを知ったのは、ある男の口からだった。城壁外の貧民街で乞食
「君の復讐、手伝ってあげてもいいよ?」
その男は耳元で
「人違いじゃないか」
ファビウスはそう返し、
「君、あの黒装束の連中に
「お前……」
ファビウスは
「僕を殺しても、君の得にはならないよ。僕は君の味方なんだから」
そう言ってのけた男が、ファビウスは分からなかった。斬られる心配をしていないのか、
「ねぇ、いいこと教えてあげる。明日、断罪の広場でやる
「……魔女の公開処刑か」
「そう。そこにね、デルバートって男が現れる。そいつは君の大嫌いな黒装束の連中が探している男なんだ。そいつを捕まえたくて連中は
にこやかな声で話す男を、ファビウスは怖ろしいと感じた。と同時に、異端審問院への復讐の機会が巡ってきたのだと思う。
「僕がデルバートを連れていくから、君は民衆に
信じていいのか、とファビウスは悩まなかった。異端審問院への復讐心だけで生き延びてきたようなものだ。たとえ罠であっても広場に血の雨を降らせ、異端審問院の奴らに思い知らせてやろう。そう、ファビウスは心を決めたのだ。
「お前個人には恨みはないが――死んでもらおう! 私の神のために!」
ファビウスは
「デルバート卿……!」
周囲からは心地良い悲鳴が上がり、異端審問官の動揺した声が聞こえる。それを掻き消すように耳に届いた高い悲鳴に、ファビウスは顔を上げた。舞台で枷に繋がれた血
「デューク、いや、デューク……!」
魔女が呼ぶのはこの男のことか――そう思い、ファビウスはデルバートの首元の衣服を掴んで僅かに頭を持ち上げた。藍色の瞳を僅かに覗かせてはいるが、男からは
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