デュラハン

@iron_key

出会いと、別れと、その後の全て。





「お釈迦様の足元には、睡蓮の花が咲いてるらしいよ」


藪から棒に、彼女はそう言った。


「…暇だから読んでたの」


ベッドの上の彼女を、モニターが上から覗いている。

『蜘蛛の糸』の最後のページの上から、「次はこちらも如何ですか?」というセールス文句が無機質にポップアップされている。


「…馬鹿みたいだよね。お釈迦様って居ないんでしょ?」


彼女は、無感情だった。

泣き晴らして、恨み尽くして、全てを諦めたあとだ。

色を失っても仕方ない。


だから僕は、漫画を書いた。






「…なにこれ?」


漫画を描くのは思ったより大変で、思い立ってから二週間も経ってしまった。

彼女のモニターにpdfファイルにしたそれを送って、最初のページを見せる。

無感情の灰色に、疑うような紺色が混じる。


「……」


僕には絵心がないし、物語だって書いたことはない。

小学生が書いたみたいに下手くそで、下書きを消した跡が目立つ一作目だった。

王子様が悪魔と戦って勝つだけの、つまらなくてありふれた話。


カメラが彼女の目の動きを認識する。

モニターが次のページを映す。

胴も手足も動かない彼女にとって、このカメラとモニターは体の一部だった。


「………」


最後のページを読み終えた彼女は、黙りこくっていた。

そして、首だけを向こうに倒して、ふてぶてしく言った。


「また読ませてよ」






その十日後も、漫画を見せに行った。

漫画を描くのは難しくて苦しかったが、彼女が待っていると思うと頑張れた。


「今度はどんな話なの」


ヘルメス山っていう大きい山の話だよ、と告げる。

ふぅん、と息のような相槌を返して、彼女は読み始める。


「…この空に浮かんでる生き物、なに?」


それは雲羊だよ、と答える。


「雲羊って、いるの?」


その世界にはね、と答える。


「ふぅん…」


彼女の口元に、仄かな赤色が混じった。






それから、漫画を描いては彼女に見せに行く日々が始まった。



「アダムとイブがアップルパイって…ふふっ」


雪が降っている窓辺には目もくれず、彼女は笑った。



「あっ、だから象がいっぱい居たんだ!」


雪解けを知らぬまま、彼女は目を輝かせた。



「いいなあ…プシュケーの花嫁姿、とっても綺麗…」


花咲きの時を忘れて、彼女は目を細めていた。



「やっぱり裏切られた!この騎士、明らかに怪しかったもん」


雨が降りしきる音を気にも留めず、彼女は怒ってみせた。



「いいなあ…私もツキイルカと泳いでみたいなあ」


蝉の音から耳を塞ぐように、彼女は目を潤わせた。






ある日のことだった。

僕が面会に向かうと、彼女は一作目を読み返していた。

今よりずっと下手くそな漫画を、彼女はうっとりした顔で読んでいた。


「持ってきてくれたの、全部好きだけどね。私が一番好きなのはこれだと思う。」


モニターは、王子様ではなく悪魔を大きく写していた。


「この首のない悪魔、デュラハンっていうんでしょ?私、デュラハンが好きなの。首なしの身体が、自分の生首を持っている……ちょっとグロテスクな姿だけど、私たちみたいだって思うの。首から上しか動かない私を、貴方という身体が色んな世界に連れていってくれるから」


彼女は、綺麗な瞳を揺らめかせて、モニターに目を移した。


「いつもありがとう」


そして二週間後、彼女が亡くなったと、病院から連絡が来た。






死に化粧のおかげで、彼女はいつもより綺麗にみえた。

一人きりの病室は、ひどく狭くて、暗くて、静かだ。

全て洗い流され、無色透明になった彼女を思って、虹色を思い出す。


…彼女は幸せだっただろうか。











「…」


私の身体は、ゆっくりと眠りについた。

光も闇も遠ざかっていくような暗転のなかで、死を悟った。

リラックスして、全ての力が抜ける心地よい感覚に浸った。


「…もっと漫画読みたかったなあ。」


それが、私の最期の思考になるはずだった。



「……」


ゆっくりと終わりを受け入れる。


「………」


しかし、いつまでも意識の消滅は訪れなかった。


「………?」


いつまでも迎えが来ないことを不思議に思って、思考を復活させる。

それどころじゃない。なんだか身体の芯が温められるような感覚がして、

…身体の感覚?


驚いて目を開けた。

目は、あっけなく開いてしまった。

眩しさと共に夥しいほどの視覚情報が入り込んでくる。


「あ……」






そこにあったのは、永遠の虚無ではなく、ヘルメス山だった。






すごい。

心が膨らむのを抑えられなくて、駆け出した。

一歩踏む。もう一歩踏む。

ダンッ って音がして、硬い地面が私を受け止めてくれた。

すごい。すごい!

大きくジャンプしながら、ゆっくり近付く景色に目を向けた。



ヘルメス山を見た。

天まで届くほどの大山は、綺麗な瑠璃色に染まっていた。

頂上近くでは沢山の象がバナナの木で作った大きな家で人間の赤ん坊を育てている。

ぱおーんという鳴き声が、仲良く響いた。


青空を見た。

雲羊の群れが可愛く足をぱたぱたさせて、ぷかぷかと浮かんでいる。

かわいい。私も空に浮いて、雲羊を抱きしめたい!

思わず、もっと早く走ってしまう。


街を見た。

煉瓦造りの街は花々でカラフルに彩られている。

白磁の大教会ではプシュケーたちが幸せに結婚式を挙げているに違いない!

ドキドキしすぎて、口元が緩むのを抑えられない。


お城を見た。

騎士団の人たちが玩具の剣でぽかぽかと悪い騎士を叩いている。

友達は大事にしないといけないよ。そんなことを思いながら、にまにましちゃう。

このあと、皆は仲直りするって知ってるから。


人魚たちの住む大海を見た。

大きなツキイルカがいくつも追いかけっこしてる。

私も身体が動くなら、追いかけっこできるかもしれない!






世界を走り抜けて、最後に辿り着いたのはヘルメス山のてっぺんだった。

そこには、大きな樹と、普通の一軒家があった。

世界樹の下で、アダムとイブが手を繋いでいた。

庭では、芝生のうえで王子様が寝っ転がって、楽しそうに漫画を読んでいる。

デュラハンさんは、まだいない。

だって、私にとってのデュラハンさんは、まだ向こうにいるから。



私は一軒家に住み始めた。

世界を旅して、沢山の人と仲良くなったり。

仲良くなった人々を招いてお家でご飯を食べたりもした。

そして大好きな場所への扉を作って、何度も何度も足を運んで。

まだ知らない、この世界の向こうを想像して。

貴方を待ちながら、幸せな日々を送ることができた。



デュラハンさん。

首だけの私に、身体をくれた人。

灰色の私を、虹色にしてくれた人!

貴方へのお礼は、感謝の言葉だけじゃ足りない気がするんだ。

一緒に旅をして、笑い合って、貴方の教えてくれた世界をぜんぶ愛したい。

そして…もしできるならだけど、私も貴方に世界を教えてみたい。

睡蓮の花は、泥のなかにしか咲かないからこそ、どんな花よりも綺麗に咲いた。


だから、今度は私が…!







温かく、ぴんぽーん、と音がした。




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