Fear

かぴばら

[1]六年一組

 ばしゃあっ。

 コップの中身は、小説を読んでいた女子に向かってぶちまけられる。


「あー、ごめん。手が滑っちまってさあ」


 薄ら笑いを浮かべて、釈明する加害者――六花絹江りっか・きぬえ

 席に座ったまま、被った液体を滴らせる被害者――美月宇佐子みつき・うさこ

 小学校。教室。昼休憩。六花及び数人の女子が、美月の席を取り囲むようにして立っている。

 

「でも、お前がいけないんだぜ。これ飲めって言ってんのに、飲まないんだからよ」


 空になった逆さまのコップを机の上方でひらひらとさせながら、目の前の被害者みつきを責め立てると、周囲の取り巻きからも、遠目に見ているクラスメイト達からも、くすくすと押し殺した笑い声が漏れる。ぽたぽたと垂れた液体は、机の上に落ちると泡を立て、甘ったるい清涼飲料水コーラの匂いと染みが、美月のくすんだ黒髪と制服と小説とを汚染する。

 茶髪、さっと纏めたショートヘアの六花は、ボーイッシュを通り越して粗暴といった印象で、素行はさながら狂犬のようだ。だが、学校生活スクールカーストにおいて頂点の地位にある彼女の行為が咎められることはなく、底辺の地位にある美月は、誰にも助けられることがない。


「あーあ、汚れちまったなあ。拭いてこいよ雑巾で」

「どうせならトイレのホースで洗えばいんじゃない? 犬っころみたいにさぁ」

「あ、それいい! やまねっち天才! 美月おまえ汚ねーもんな! ハハハッ!」


 六花達は互いを指差しながら、目の前の玩具みつきを姦しく嘲弄する。それでも美月は、我関せずといった様子で、手元の本の滲んだ文字に目を通していたが、その態度を見ると、六花は本を掴んで強引に取り上げる。


「あ……」

「こいつは捨てといてやるよ。大丈夫、新しいの買ってやるから。覚えてたらなあ」


 六花はゴミ箱のある背後側に向かって、本を放り投げる。

 当然そのまま入る筈もなく、近くの掲示物に直撃した後、タイル状の床に叩きつけられた。

 六花が鋭い目つきで後ろを見やると、付近にいた男子が、言われるまでもなく本を摘み上げ、ゴミ箱に突っ込む。

 視線の遮蔽物を失った美月は、液体の垂れる前髪の間から立花を冷たく睨み上げると、がたんと席を立って、教室から出て行く。その様子を見て、六花は確かな満足感を覚えた。


「あー、スッキリした。本当バカだよなあいつ、素直に飲んどきゃいいのに」

「でも六花ぁ、この床どーすんの。ベトベトじゃん。センセーに怒られない?」

「大丈夫だろ、だって汚れてるのはだぜ?」

「おー、あったまいいー! 六花、天才!」

「だったらアタシら、みんな天才じゃん! ハハハッ!」


 当人の退出した後も、ひとしきりの愚弄を愉しんだのち、少女らはまた別の話題で盛り上がる。

 貴族と奴隷。狩るものと狩られるもの。担任すら止めることをせず、階級カースト上位者による搾取が横行する。逆らえばどうなるかは、標的みつきが嫌というほど証明している。

 故に、クラスメイト達は上位者に媚びへつらい、彼ら彼女らの趣味嗜好のみが、クラスの秩序、クラスの指針、クラスの正義となる。

 それが、六年一組の日常だった。

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