日曜日 その三

真っ黒なおたまじゃくしは葉月に向かって、まっすぐに跳びついた。葉月は髪で壁を作りながら、おたまじゃくしと距離をおいた。


「やはり、お嬢ちゃんのお陰で出てきたおたまじゃくしは、他のものと比べ物にならないくらい、すばらしいよ。ほら、でかいでしょう?強いでしょう?それに、速いでしょう?」


運転士の興奮に満ちた笑い声が、夜空の下で響いた。


葉月の前を守るはずだった髪の壁は全部、おたまじゃくしに食べられた。


熱いのか、服を脱ぎ棄て、下着一枚になった運転士は、段々遠くなっていく葉月とおたまじゃくしの姿を眺めているだけだ。ズボンはおたまじゃくしが出てくる時、敗れたので、脱ぎ捨てることはなかったが。


おたまじゃくしと戦っている葉月を見た僕はこのままここにいてはいけない気がした。葉月の手助けにはなれないけど、傍で待っていたら、何か役に立つ機会にめぐまれるかもしれないと思ったから。それに、葉月の様子が心配だ。あんな傷をおっていながら、長く戦い続けられない。



こそこそと隠れた場所から離れ、葉月がいる場所の近くに向かって、動き始めた。最初はゆっくりと足を動かしたが、運転士から十分離れたと思った時、僕は走りだした。心の中では速く葉月においつくようにと強く念じながら。


必死に走っている僕から見れば、葉月とおたまじゃくしはまだまだ遠いところにいる。


もう少し、スピードを上げようとしたその時、僕のすぐ横で僕を呼ぶ声が聞こえた。


「兄ちゃん、どこへ行くつもりなの?」


運転士だ。運転士もすごい速さで僕と並んで走っている。彼の黒魂はあのおたまじゃくしを生み出す能力だけではないようだ。


僕は運転士にかまわず追い払おうともっとスピードを出したのだが、振り切れなかった。かわりに、運転士は手を僕に差し伸べた。掌には小さなおたまじゃくしがあって、僕に向かって飛んできた。


反射的に手をおたまじゃくしを払うと、足取りが乱れ、転がてしまった。走るスピードが速いだけあって、かなりの勢いで地面に転がった。


身体のあちこちで走る痛みをこらえながら、なんとかして立ち上がろうとした。


すると、足音が聞こえてきた。運転士が歩いてきた。僕は手で後ずさりする。


「兄ちゃんよ。そんなに嫌がらなくてもいいよ。このおたまじゃくしはね、あんたの脳に入って操るだけだから。それに、ただ操るんじゃなく、すっご~~くいい気持になるんだから。麻薬のように兄ちゃんの体をふわっとさせるから。怖がらなくてもいいんだよ」


僕をあやす運転士の声。彼は顔をぐっと僕に近づけた。


「セックスはしたことある?その様子からしてみりゃ、童貞みたいんだね。まぁ、童貞だとしても一人で解決したことはあるんだろう?おたまじゃくしにあやつられると、射精の時の快感を永遠に感じられるんだから、いいんじゃない?それにいいこと教えてあげる。体が傷づけられると、快感も高ぶるから、彼女たちも最高の気分を味わいながら死んだんだから、本望なのかもね」


言いたいことを言い終えた運転士はやらしい笑い声を出した。


僕はできるだけ、運転手と距離を置いた。足はまだ痛いけど、我慢して走れる。


立ち上がろうとしたら、運転手は素早く僕の前まで走ってきて前に立ちふさがった。


「先の戦いで、女性を操っていたおたまじゃくしが全部やられたかと思っていたが、一匹は生き残っていたよ。あんたを操るにはうってつけってわけだ。おたまじゃくしが全部殺されたら、また出せばいんだけど……射精しないといけないでしょう?射精するには相手が必要でしょう?一人でもぬけるんだけど、どうせなら誰かとやるほうがもっと気持ちいいでしょう?まぁ、相手がいたって、ここでやれるわけないし。あんたが黙ってみているとは思わないし。先は、ちょうどいい具合に月の姉さんが射精させてくれたからあんなにもでかいのが出たんだねぇ」


運転士は手を開いた。僕が払ったはずのおたまじゃくしがいつのまに彼の掌の上でちょんちょんと踊っている。


僕に手を差し伸べるで、僕はとっさに足で運転手の脇を蹴った。


葉月がくれた月の力のおかげて、運転手は飛ばされた。


やはり、葉月がくれた力は足の速さをあげるだけではなかった。


運転手は遠く飛ばされたけど、僕もダメージを受けた。まともに力の加減ができなかったので、骨にヒビがはいったか、それとも骨折したのか、動かせない。脚からすごい痛みが伝わってきた。


どうにか立とうとしたけど、無理だった。


この時、闇を切るような鋭い悲鳴が海岸に響いた。まるで、黒板を爪で引っ搔いたような音。


悲鳴のする方を見ると、あのでかいおたまじゃくしの体はすでに数本の太い髪に体を貫かれた。


僕が見ている間も、おたまじゃくしの体の中から髪がすっと現れた。まっくろな体から出現した葉月の髪は月の光に鮮やかに輝いた。


身体の全身に髪が生えたので、ハリセンボンのようになった。


これで残るのは運転士本人だけだと安心していたら、体が急に熱くなってきた。頭も恍惚になり始めて、身に覚えのある気持ちが全身の細胞を刺激している。


いい気持ちに浸っていると、僕の体が勝手に起き上がろうとした。動けないはずの足も今はしっかりと地面を踏んで立ち上がった。痛みは伝わってきたけど、いい気持ちの中に埋もれた。痛みより快感のほうが上回った。


しっかりと立った僕は体をくるっと回して、葉月の方を向いた。


僕の意志に関係なく、体は勝手に葉月に向かって歩きだした。


いい気持ちで思考が止まっている中でも、必死にこの状況から逃げ出そうとした。けど、僕の反抗はむなしかった。


これが運転手がいってた「おたまじゃくしにあやつられる」ってことだと僕は気づいた。


確かに、いい気持ちでいられる。ただ、これから自分がやるかもしれないことに不安を感じた。


「不安しなくていいのよ」


耳元で運転手の声がした。まるで僕の考えを呼んでいるかのようだ。彼は僕の傍に立っている。


「あんたの足どうなってるんだ?すごい力だね。骨が何本も折れたよ。普通の人間なら動けないかもしれないけど、おれは普通じゃないから」


僕の体は葉月に反応している。殺したいという気持ちが快感と一緒に頭を刺激している。理性ではこれはいけないと分かってはいるけど、感情には勝てなかった。


葉月も僕の異常に気付いたらしく、遠くから僕も見つめている。彼女の体は傷だらけになった。傷口から滲んだ血を見ると、もっと欲しくなってきた。


僕の感情がおたまじゃくしによってもう、めちゃくちゃになった。


我慢できず、僕は葉月に向かって走りだした。

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