第110話 運命の夜④

 ゴゴゴゴ……

「何だ――?」

 誰かが声を上げる。

 ――最初に気づいたのは、微かな振動音。

「地震――!?」「このタイミングでか!?」「待て、かなりデカいぞ!?」

 身体を震わす重低音と共に、徐々に揺れが大きくなっていく感覚に、兵士が一瞬で色めき立つ。

 誰もが一瞬、自分の足元へと視線を移し――

 ドォオオオオオオオオオオンッ

「「「――――――!?」」」

 地面が。

 ――隆起した。

「ぅっ――ぅわああああああああああ!!!!」「何だ!!!?なんだ!!!?」「地震か!!?」「違う!土砂崩れか!!!?」

 ドンッ ドンッ ドンッ

 腹の底まで響き渡る重低音。

 大地がうねり、裂け、その間から土砂が天高く舞い上がる。

「な――――」

 まるで、意思を持ったように荒れ狂う大地は――

 ――ミレニアとロロの周囲だけを除いて、兵士たちの視界を塞ぎ、悉く無力化した。

「っ――!」

 千載一遇の、チャンスだった。

 何が起きているかはわからないが、ロロは咄嗟に傍らでへたり込むミレニアを抱え上げる。

 その瞬間――甲高い声が、土砂を切り裂いた。

「――”妖精の抜け道”を!!!!」

「――――!」

 耳に響く声とその意味を察し、混乱を喫する兵士たちを置き去りに、迷うことなく一直線に駆け抜ける。

 荒れ狂う大地の余波を受けて濛々と舞い上がる土煙の中――細い両手をかざして、菫色の瞳に強い光を宿した少女が立っていた。

「レティ!」

 ミレニアの声が響く。

 いつも男を前にしただけで怯えて涙を湛える菫の瞳に、恐怖の色は、欠片も無かった。

「っ――!」

 ロロは、一瞬も速度を落とすことなく、黒い風のようにその脇を駆け抜ける。

「御武運を――」

「すまない――恩に着る――!」

 駆け抜けざま、互いに呟くように言葉を交わし、視線を合わせることなく駆け抜けた。

「レティっ……!」

 ミレニアの悲痛な声が響く。

 この紅玉宮において、唯一”仕様書”の中で魔法属性を偽っていた少女は、きっと、ミレニアが逃げ切る最後まで――魔力が尽きるその瞬間まで、ずっと大地を暴れさせ続けるのだろう。

 その結果、彼女を待ち受ける運命は、碌なものではないはずだ。

 しかし、わかり切っているはずのその未来を――少女は、己の手で、選び取る。

「っ……」

 ピィ――!

 ロロは短く指笛を吹き、当初の計画用に逃走用に用意していた軍馬を呼び寄せる。

 クルサールの手が回っているかと心配したが、どうやら杞憂だったようだ。すぐに蹄の音が響いて、愛馬が馬身を現す。

「捕まってください――!」

 小さく身を固めるミレニアに囁き、走る馬に並走するようにして、速度を落とすことなく一息で身体ごと乗り上げる。すぐに手綱を握り、全力で腹を蹴った。

 かつてレティに聞いた場所を思い出して馬の首を振れば、想像通り、いつもは何もない城壁にぽっかりと不自然に穴が空いている。

 情報共有のためにと、己が五年間で見つけたすべての逃走経路をクルサールに伝えたロロが、ただ一つ伝えていなかった、城の外に通じる唯一の道。

 ――レティの力でしか作ることのできない、”妖精”たちの通用口。

「クソ……!」

 魔法で造られた真っ暗なトンネルを馬で駆け抜けながら、無力感に口の中で舌打ちする。

 ヴァイオレットと名付けられた少女がここへやってきたときの、痩せ細った今にも折れそうな身体を思い出す。

 震えて、怯えて、叫んで、ただ泣いていただけのあの脆弱な少女が、唯一無二の主のため、己の命を捧げる覚悟を決めたのだ。

(必ず――必ず、姫を最後まで守り抜く――!)

 脳裏を、紅玉宮で最後の一年を共に過ごした奴隷たちの顔がよぎっていく。

 ロロは胸中で、得体の知れぬ”神”ではなく――己の命と引き換えにしても、とミレニアを救うために尽力した彼らの覚悟に、決して違えぬ誓いを立てた。

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