第106話 <贄>の秘密⑨

「いいですか、クルサール殿。もしも、私の考察が正しいとすれば、すなわち、もう、今後の世界において<贄>など――理不尽に未来を断たれる哀れな子供たちなど必要ない、ということです」

 ミレニアの言葉に、クルサールは蒼い顔をそっと上げる。

 現実をしっかりと見据えられるよう、ミレニアはなるべく落ち着いた声音で、ゆっくりと諭すように言葉を紡いだ。

「今まで、<贄>が国防の役割を果たしていたカラクリは単純――単なる、命の危機に瀕して発動する、魔力暴走だった、と考えられます」

「――!」

 ハッとクルサールが目を見開く。

 哀しい事実を告げる辛さに胸を痛めながら、なるべく平易な言葉で、ミレニアはつづけた。

「魔物を前にすれば、脆いと言わざるを得ない鳥籠のような檻に捕らわれ、革製の枷を付けられていましたね。きっと、飢えた魔物の群れに放置されたときの恐怖は、並々ならぬものでしょう」

「……」

「檻を破壊され、鋭い爪や牙で身体を食い破られ――激痛と恐怖に苛まれれば、人は魔力暴走を起こします。これは、地水火風の魔法においても、証明されていることです」

 魔力暴走を引き起こすカギは、感情の暴走だ。普段は息をするように制御出来ている魔力を、感情の高ぶりによって制御出来なくなることで起きる。ロロが、怒りによって周囲の炎に影響を及ぼすのと一緒だ。

 魔力制御は、一度覚えてしまえば、基本的には永遠に忘れることはない。ロロのように内に秘める魔力が膨大過ぎるという特殊事情があれば別だが、基本は、魔力制御を習得してしまえば、死ぬまで感情の発露による魔力暴走など経験しないのが殆どだ。

 だが、生きたまま枷を付けられ、腹をすかせた魔物たちに食い殺されていくという地獄のような体験は、きっと、気が狂うほどのような恐怖と絶望を伴う。激痛も追加されれば、魔力暴走が起きるのはむしろ自然の摂理と言えるだろう。

(なるほど……だから、革製の枷を嵌められているのか)

 いつもの定位置で話を聞きながら、ロロは静かに納得する。

 <贄>と呼ばれる存在が身に着けていた枷が革製だったのは、彼らが無属性のため、魔封石など必要ないと思われているからだと思っていたが――何のことはない。魔力を封じてしまっては、その力を発揮できないからなのだろう。”司祭”の一族とやらが仕組んだことに違いない。

「ですが、この哀しい風習の真実が、神に捧げる生贄による犠牲ではなく、魔法の効力でしかないのだとしたら――魔法の鍛錬で、それを補うことが出来ます」

「――――……」

「見極めの儀は、<贄>を選ぶ儀式ではなく――己が光魔法使いかどうかを知るための儀式として形を変えればいい。そうして選ばれた者たちは、光魔法使いとしての鍛錬を積んで、結界を己の意志で張れるようになっていけばいい。そうすれば、哀れな罪のない子供たちを犠牲にすることなく、皆で協力して国防を成すことが出来ます」

 神の存在を信じ、神による選別の儀式の神聖さを信じ、幼い子供たちを「神の意志」の名のもとに死地に追いやってきた歴史の真実を突き付けられたせいだろうか。クルサールは、真っ青な顔で唇を震わせ、俯いて言葉を失っていた。

「私は……一体、どうすればよいのでしょうか……」

「まずは、事実の確認を。――その報告書を隅まで読んで、”司祭”の一族の調査をすることをおススメします。……大丈夫。私が貴国に赴いた暁には、二度と哀れな子供たちが出ないよう、一緒に尽力いたしますわ」

 そっとクルサールの手を握り、ミレニアは優しく微笑む。クルサールは、ほ……と頬を緩めた。

「ありがとうございます……貴女は、本当に、素晴らしいお方だ……」

「いいえ。人として、なすべきことを成しているだけです」

 言い切るミレニアの瞳は優しい。

 クルサールはやっと立ち直ったのか、立ち上がって椅子に掛け直した。

「”司祭”を続けていた一族の調査は、すぐにでも始めましょう。場合によっては、極刑もあり得ます。――我らの国において、神の名を騙り人を欺くことは、それくらいの重罪ですから」

「そう……ですか」

 ミレニアは何とも言えない顔で曖昧に頷く。

 確かに、司祭と呼ばれる者たちがしてきたことは、真実を秘匿し、罪のない子供たちを沢山生んだと言う点では重罪だ。

 だが――数百年、ずっと、国防としてそれが成り立ってきた、ということは、彼らは『見極めの儀』において、正真正銘の無属性の子供を光属性だ、と言って儀式結果を偽ることだけはしなかった、ということだ。

 彼らなりに国を守る気概があったのではないかと思うのだが――こればかりは、他国の風習も関係することなので、強く口出しは出来ない。せめて、彼らにどんな意図があったのかだけは聞いてほしい、と思った。

「――そういえば」

 ふと、その流れで思い出し、ミレニアはのどを潤すために持ち上げたカップを再びソーサーに置いた。

「何でしょう?」

「クルサール殿は、巷で話題の『新興宗教』の話をご存知ですか?」

「……『新興宗教』……ですか……?」

 少し怪訝そうに眉をひそめて、クルサールは口の中で呟く。

 えぇ、と一つ肯定してから、ミレニアはマクヴィー夫人が語っていた内容を思い出しながら口を開く。

「ギークお兄様が実権を握り始めたころから、国内で時折みられるようになった宗教らしいのですが……私の勘が正しければ、きっと、”司祭”の一族の誰かが、裏で糸を引いているような気がしています」

「――!」

 今日、何度目になるだろうか。クルサールが、驚きに目を見張る。

 ミレニアは、用意されたスコーンに手を伸ばしながら、思い出した雑談をそのまま口にした。

「えぇと、確か……”神”の声を聴くことが出来る”救世主”が作った”魔を払うお守り”を、安価で売り出しているらしいのです」

「――……」

「最初は、さすがにそんな、どう考えても怪しげなものを信じて買う愚か者はいないだろうと思っていたのですが――一年半前、その”お守り”の効果で帝都の魔物が退散していくのを見ました」

「それは――……つまり、そのお守りに、魔を払う奇跡の力がある、と――?」

「ふふっ……まさか。意外に察しが悪いのですね」

 クスクス、と笑いながらミレニアはスコーンにジャムを塗る。ベリージャムの鮮やかな色が目に飛び込んできた。

「どう考えても、”光”魔法でしょう。――魔法ならば、物体に効力を付与することが出来る。付与する効果は『魔物を退ける』です。……お守り、というのはなかなかいい着眼点ですね。魔物に襲われたときに、お守りを手に「助けて」と願えば――魔物を退けるイメージを持つことでしょう。そうすれば、持ち手の魔法属性の如何に関わらず、勝手に光魔法が発動する」

「――――……」

「魔を払う以外にも、いくつかの効力を持ったお守りがあるとも聞きました。おそらく、からくりは同じでしょう。……いずれにせよ、”光”魔法の存在を知っていて、それの効果を熟知している使い手にしか出来ない行いです」

「…………」

 はぐ、とスコーンに齧りついて咀嚼し、飲み込む。クルサールは、じっと手元を見つめるようにして何かを考えているようだった。

「それを”神”の声が聴ける、などといって広めているあたりがとても悪質ですね。……ですが、もしも伝承に残っている、神の化身と呼ばれた少年が起こして見せた奇跡に近い効果を実現できるのだとしたら、未知の魔法属性による効果であるなどと知らぬ民からすれば、確かにそれは、”神”の御業と錯覚するでしょう。奇跡の御業を行使できる、神の声を聴く救世主――縋る者を持たない民は、全力でその存在に縋りますから、”神”の名のもとに世界は全てその”救世主”の意のままとなります。……人心掌握術に長けた、稀代のペテン師と言わざるを得ません」

 最後のひと口を運び、もぐもぐと咀嚼する。ベリージャムの甘酸っぱさが口の中に広がり、絶妙なおいしさが広がった。

「しかし、貴殿のいう通り、”神”の名を騙って私の大切な民の心を惑わすなど、言語道断。司祭の一族というのが、どれくらいの規模の一族なのか知りませんが、私が貴国に赴いた暁には、その”救世主”とやらを突き止め、その悪行を必ず暴いて――……クルサール殿?」

「あ――あぁ、すみません。考え事を、していました」

 顎に手を当ててじっと黙り込んでしまった未来の夫に、ミレニアは疑問符を上げる。ニコリ、といつもの完璧な笑みを湛えて、クルサールは未来の妻に答えた。

「この調査報告書は、原本のみですか?」

「えぇ。さすがに、膨大な量だったので、写しまで作っている暇はありませんでした」

「そうですか。……いえ、さすがに内容が内容なので、私も慎重に動かねばと思いまして……司祭の一族は、わが国でも大きな力を持っているので、そう簡単に糾弾できるものでもない。意図せぬところで情報が漏洩しては、動きづらくなりますから」

 言いながら、そっと分厚い紙束を手元に引き寄せる。

「一度、こちらの調査報告は持ち帰り、しっかりと目を通します。我が国に伝わる研究とも照らし合わせ、悪しき風習を断ち切るため、人々を納得させる方法を探しましょう」

「そうですわね。それがいいと思います」

 こくん、と素直にミレニアは頷く。――エラムイドも、属国とはいえ、彼女にとっては大切な帝国の一部。そこに住まう人々が納得できる一番いい方法を探したい、というクルサールの考えには全面的に同意していた。

「それでは早速、ゆっくりと目を通したいので――今日は、このあたりで、失礼いたします」

 クルサールは調査書を手に立ち上がる。ミレニアも立ち上がり、未来の夫を送り出した。

 紅玉宮を出る直前――ふと、クルサールが、横顔だけで振り返る。

「――ミレニア姫は、優秀ですね」

「……ぇ……?」

「貴女と――もっと前に出逢えていたら、と心から思いますよ。神の気まぐれを恨みます」

 少し仄暗さを湛えた声音に、ぱちぱち、とミレニアは瞬きを繰り返す。

 変なことを言う人だな――と、その時、少し思った。

「それは、光栄な言葉ですが――これから先、何十年も、ずっと一緒に人生を歩むのですから……私がお力添えできることは、精一杯いたしますわ」

 素直に思ったことを口にすると、クルサールはニコリ、といつもの完璧な笑みを湛えた。

「ありがとうございます」

 今にも振り出しそうな曇天の下、向けられた笑みは、どこか影を湛えているようにも思えた。



 ――この時、違和感を追求しなかったことを、ミレニアはその後、後悔することになる――

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