第99話 <贄>の秘密⑤
「勿論、私と一緒になる話よ」
ゆっくりと弧を描くふっくらとした朱唇が、ねっとりと囁く。ロロは、眉間にこれ以上なく深いしわを刻んだ。
「何度言われようと、あり得ない。御免被る」
「どうして?私達、身体の相性は抜群だわ。一生この最高のパートナーを己の物にしたいと思わないの?」
「思うわけがない。反吐が出る」
不機嫌に顔をしかめて吐き捨てる。しかし、いつもならそれで引き下がるラウラが、今日は珍しく食い下がった。
「私と一緒になれば、私の情報網は全て貴方の物よ。今は依頼された情報を報酬と交換で渡すだけだけれど、今後は依頼がなくても有益な情報を全て手にする事ができる――とても大きなメリットじゃない?」
「――――……」
ラウラの真意を探るように、胡乱な目で美女の顔を眺める。
「……何か、重要な情報を掴んだのか?」
「さぁ?ここから先は、私の心と身体を縛り付けられる男だけにしか話せないわ」
ロロの問いかけを煙に巻く女に、頬をピクリと煩わしげに戦慄かせる。
彼女と生涯を共にする伴侶にならなければ、今まで通り、報酬ありきの情報提供しかしないという意思表示をされたのだ。
(コイツが何かを掴んだらしいことは間違いない。報酬と引き換えにするなら、明確な依頼が必要だが、それが何か、現時点ではわからない――)
ミレニア個人に関すること、皇族やクルサールに関すること、逃亡ルートや逃亡先のエラムイドの安全確保の問題、紅玉宮に雇い入れた奴隷たちの裏切り――……
ロロの頭の中を、無数の選択肢がよぎる。
ミレニアの命を救うため、何一つ失敗が許されない身であることを思えば、全て虱潰しに聞きたい気持ちではあるが、現状の関係では、そのたびに"報酬"を支払う必要がある。月が出るまでに帰らなければならない身で、現実的とは言い難い。
(……かといって、この女と一緒になるなんざ、論外だ)
この快楽主義者が、帝都とエラムイドという距離での別居などという形態での婚姻生活を許可するとも思えない。ミレニアを中心に世界を回したいロロにとっては、ミレニアがいる場所が己のいる場所だ。彼女が暮らす屋敷で住み込みで従事することは当たり前過ぎて譲れない。勤務時間外でも何かあればすぐに対応出来る距離にいなければならない。
一瞬、互いの腹の内を探るような緊張感が、部屋の中に満ち――
「さっき、報酬以上に楽しんでいただろう」
「え……?」
ロロの言葉に、パチリ、とラウラの目が瞬く。
「気をやって意識を失うほど快楽に溺れた癖に、依頼された内容だけで終わらせるつもりか?」
どうやら、報酬の過払いだと言いたいらしい。
蔑むような視線をよこして吐き捨てるロロに、ラウラの瞳が輝く。
「あぁ……ふふ……そう。それでこそ、貴方だわ。乱れる私を前にしても、冷静に、いっそ侮蔑の視線を投げながら抱くその瞳が、私の身体に火を点けるの」
「末期だな」
恍惚とした雌の表情でうっとりと口を開くラウラに、顔を顰めて吐き捨てる。
「奴隷小屋にいたころから、貴方だけは他の男たちと明確に違っていた。どんなに偉そうに振舞っている男でも、いざ本番になれば、私を前に汚い涎を垂らしてこの身体を貪るのに――貴方だけは、いつも、冷めた目で淡々と私を抱くのよ」
「ふん……おかげで、二度とそっちの見世物に呼ばれなくなって助かったが」
奴隷は、仕事を選べない。予定されていた見世物に急な欠員が出れば、他の奴隷を割り当てることも当たり前だ。
かつてディオが、労働奴隷でありながら剣闘に出場させられたように。
――剣闘奴隷であっても、性奴隷の見世物に駆り出されることもある。
元々、剣闘奴隷としてあり得ない人気を誇るロロだ。顔立ちも、性奴隷にしてもおかしくないと商人が言っていたように、目鼻立ちが酷く整っている上、身体つきも男らしさの塊と言って差し支えない。
当時、圧倒的人気を誇っていたラウラとロロの見世物という前評判は、欠員が出たことによる直前広報だったにもかかわらずそれはそれは話題性を持って顧客の間を駆け抜けた。普段性奴隷の見世物になど興味がない顧客も、ロロが見られるのなら、といって殺到したと聞いている。
見物料は過去類を見ないほどに跳ね上がり――だが、サービス精神の欠片もないロロによって、過激な見世物を好む従来顧客の満足度は全く満たされなかった。結局、一回だけでロロは見世物小屋からお払い箱となり、剣闘に集中できるようになった。
だが、その一回でどうやらラウラの何かの琴線に触れてしまったらしい。従順な奴隷として休日を与えられることもあったラウラは、休日の度にロロの元へやってきては、見世物に関係なく関係を迫るようになった。
そんなこんなで、だらだらと、もう何年もこの爛れた腐れ縁が続いている。
「炎のような瞳をしているくせに、いつだってどこまでも冷え切った貴方の瞳に、一度でいいから私の手で情欲の炎を灯してみたいわ。あぁ……ますます、貴方を手に入れたくなった」
「どうでもいい。報酬の過払いに関してはどうなんだ」
「ふふ、冷たいのも好き」
うっとりと頬を上気させる変態に、ロロは侮蔑の視線を投げる。それがまた、ラウラの執着を増すとわかっていても。
「でも……そうね。確かに、さっきは凄く
「守銭奴が……」
「ビジネスですもの。恋人には無条件で教えてあげるわよ?」
クス、と色めいた吐息を漏らす。彼女が、夜の女王にまで上り詰めた背景には、ビジネスにおいてはしっかりと一線を引くシビアさもあったのだろう。
「そうね……じゃあ、ヒントを一つだけ」
「?」
「――最近は貴方、帝都の様子を聞かないのね?」
「……は……?」
ぎゅっとロロの眉根が怪訝を表すように寄せられる。
眉間にこれ以上ない深いしわを刻んだ青年に、甘ったるい香りを漂わせた女は、勿体つけるようにして細い指を這わせた。
「エラムイドのことや、<贄>のこと――……そんなことばっかりで、一年前にはよく聞いてきた、帝都の様子を全く聞かないじゃない?」
「それがどうした」
帝都の様子など、このラウラの”表の顔”を形成するための店にやってくる途中でも見ることが出来る。
一年前の魔物による大規模侵略によって壊滅した帝都復興のための重課税も重なり、人々は皆、飢えて、苦しみ、怨嗟の呻きを漏らしながら日々を生きている。治安の悪い箇所が増え、間違いなく、良い方向に向かっていない。
だが、それはミレニアも事前に予想していたことだ。だからこそ、ギークへ進退をかけた上申をしたし、己が<贄>になってでも民を救おうとした。エラムイドに嫁ぐとしても、帝都の防衛を恒久の物にしようと、今、必死に寝る間を惜しんで調査を続けている。
「ふふ。さっきの快楽では、ここまでしか教えられないわね」
「なんだと……?」
「私が持っているのは国の行く末すら揺るがすトップシークレットよ?あの程度では、ここまでしか教えられない」
嘯く美女に、チッと大きく舌打ちを響かせる。
「クソが――足元を見やがって……次に来た時は続きを寄こせ」
「あら。伴侶にならず、あくまで報酬ありきで考えるつもり?そうねぇ……この情報を全て伝えるだけの報酬となると、いくら貴方でも、一回や二回じゃ渡せないわ」
「ぁ゛あ゛?」
苛立ちを隠しもしない剣呑な声が上がる。
いつも涼やかな顔をしているロロを翻弄出来ていることが楽しいのだろう。ラウラは愉快そうに笑いながら流し目をよこした。
「そうね……大負けに負けて、二十回。それも、全部を私好みのプレイで心行くまで楽しませてくれる前提で、ね?」
「ふざけるな!!!」
カッとロロが怒りを露わにしても、ラウラはどこ吹く風、という様子で悠然とした笑みをたたえる。
「毎回、帰る時間を気にしながらの貴方じゃ、一回払いは無理でしょうね?ふふふ……分割払いでもいいけれど……情報は、鮮度が命。支払い終えるころに、鮮度が落ちていないといいけれど」
「っ……」
ギリッと奥歯を悔し気に噛みしめたロロに近づき、そっとラウラは机の上に置いてあった紙を取ってロロの懐へと忍ばせる。
ねっとりとした手つきは、男を誘うそれだった。
「私の知り合いの養子縁組の契約書と、婚姻届けよ。二枚一緒に提出すれば、貴方は晴れて私の物。ふふ……いつでも、色よい返事を待っている」
「クソが……死ね、女狐!」
これ以上なく口汚く罵り、懐で怪しい動きを始めようとした女の手を振り払い、踵を返す。
――書類を叩きつけて返すことは、出来なかった。
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