第58話 魔を払う光④

「早くっ……!早く、早く、走りなさい!」

「全力で走っております、殿下……!」

 謎の光によって魔物の脅威が去った――そんな耳を疑う報告を聞いた瞬間、ミレニアは将官に今すぐに馬を飛ばすようにと命令した。

 ミレニアの脳裏に、いつか、「末娘に押し付けられて」と困った顔をしていたマクヴィー夫人の表情が浮かんでいた。

(とても信じられないけれど――もしも、夫人が、今日もあの鉄製の首飾りを持っていたとしたら――!)

 末娘の夫が見たという、「魔を払う光」の話が、先ほどの光と重なった。

 完全に、迷信だと思っていた。眉唾物だと、詐欺の手法だと、鼻で嗤って切り捨てた。

 だが――今は、どうかそれが、真実であってほしいと願っている自分がいる。

(何でもいい――何でもいいから、どうか――)

 どうか――無事で――……

 祈るべき神も持たないミレニアは、誰に何を祈ったらよいのかわからないまま、何度も将官を必死で急かす。

 すると、ほどなくして、視線の先に目当ての人影が現れた。

「ロロ!」

 既に到着していたらしいロロは、馬を降りて、立ちすくむようにして何かを見下ろしている。その背の向こう側に、誰かが座り込んでいるのが見えた。

「マクヴィー夫人!――ファボット!」

 遠目に認められたのは、二人だった。どうやら座り込んでいるのはマクヴィー夫人で、ファボットはその後ろに静かにたたずんでいるらしい。

 目を凝らせば、座り込んだマクヴィー夫人の膝の上に、黄土色の髪の毛が横たわっているのが見えた。

(怪我をしている――!?)

「おろして!」

「は、はい!」

 将官に命令すると、馬を急停止させ、緊張した手つきで馬から降ろされる。地面に足がついた瞬間に、ダッと必死で駆けだした。

 きっと、ディオは必死に戦ってくれたのだ。そもそもここを離れる時点で、腕を負傷していた。

 魔物の脅威は去ったのだ。戦士たる彼らの出番は終わり、今度は薬師の知識を持つ自分の出番だ。

(”おまじない”でも何でもいい――絶対に、絶対に助ける――!)

 歯を食いしばって、駆け寄ろうとした、その時。

「――失礼します」

「ぇ――!?」

 駆け寄ってくるミレニアに気づいたロロが振り返ったかと思うと、まるでミレニアを抱き寄せるかのようにして腕の中にすっぽりと閉じ込めてしまった。

「な――ちょ、ちょっとロロ!?何をするの!?は、放しなさい!」

「放せません」

「何を――ディオの怪我を見せて!すぐに――」

「――――――報告を、させてください」

 響いた声に――思わずミレニアの抵抗が、止まった。

 いつも淡々と響く、寡黙な護衛兵の声に――わずかな、感情の揺らぎを、見つけてしまったから。

「……な……に、を……」

「……姫。落ち着いて、聞いてください」

 ぎゅっと抱きしめられ、低い声が呻くように響く。

「……炎の障壁は、俺が到着するより前に消滅」

「っ――!」

「救援部隊の前方にいた魔物たちの一部がこちらにまで来ていたのか――障壁が消滅した段階で、当初よりもたくさんの魔物が、障壁の外に待ち構えていたようです」

 ドクン ドクン

 ミレニアの心臓が不穏にざわめく。

 普段であれば、ミレニアに手を触れることすら忌避するロロが、自分からミレニアを抱きしめた。

 それはまるで、何かから守られるような体勢でもあり――視線を塞ごうとするような体勢でも、あった。

「襲い掛かる魔物を前に――ディオルテは、戦いました。その名の通り、勇敢に。諦めることなく」

「ま……って……」

 ドクン ドクン

「しかし……残念ながら、健闘虚しく――襲い掛かる沢山の魔物の前に、倒れました」

「っ――――!」

 ざわっ……と全身の毛が逆立つ感覚。

 咄嗟に、バッとロロを振り切ろうとするも、鍛え抜かれた身体で、ロロはそれを許さなかった。

「離して――!」

「離しません。――遺体の、損傷が、激しい。……見るべきじゃない」

 ヒュ――と、ミレニアの細い喉が、掠れた音を立てた。

 ドクン、ドクンと、心臓が痛いくらいに脈打っている。

「……ディオが倒れた後、馬車にも魔物が殺到。縋るようにして、マクヴィー夫人が首飾りに助けを求めると――眩い光線が放たれ、どうした理由か、魔物たちが去っていったとのことです」

「…………ディ、オ……は……」

 頭がガンガンと痛む。絞り出した声はみっともなく震えていた。

「……魔物に食い破られ、身体の半分近くを欠損しています。……剣闘で、たくさんの死体を見てきた俺でも、ここまでの酷い状態のものは、見たことがない」

 ミレニアは、その言葉に息を詰め――

「ならばなおさらっ――私が、見なければならないでしょう!!!」

 カッと頬を怒りに染め上げ、怒号を張り上げた。

「ディオが命を落としたのは、私のせいよ!分の悪い賭けだとわかっていて、それでも死地に残れと命じた!私の責任だわ!」

「姫――」

「もっと早く、救援部隊を連れて来られていたら――そもそも、私がディオを買い上げたりしなければ、彼は、今日、ここに居合わせることもなかった!」

「姫!」

「私が、私が殺したのよ!その私が――彼の死の現実から、目を背けていいはずがない!」

 来るかどうかもわからない救援を待ち続け、障壁が掻き消え、外にいた想定よりもたくさんの魔物の存在を知ってしまったとき――少年は、何を思ったのだろうか。

 怖かっただろう。絶望しただろう。

 それでも――最後まで、剣を取って、戦い抜いた。

 人知を超えた凶悪な魔物を相手に、勇敢に戦ったのだ。

「放しなさいルロシーク!これは命令よ!」

 それは、強い、強い力を持っていた。

 ここを立ち去った時の、弱く震える、涙にぬれた声とは、正反対の、声音。

「――――……かしこまりました」

 ロロは、苦悶の表情を浮かべてから、そっとミレニアを閉じ込めていた腕を解き放つ。

 温かく優しい腕の中から、ミレニアは勢いよく飛び出した。

 いつまでも――いつまでも、この腕の中に居られれば、きっとずっと幸せなのだろう。

 だが、それでは駄目なのだ。

 もうこれ以上――誰かに守られ続ける自分では、いられない。

「っ――――!」

 ミレニアは、ロロの腕をかいくぐって、マクヴィー夫人の膝の上に横たわる黄土色の髪の少年の遺体に向き合おうと――して。

 その姿を見た瞬間、思わずたたらを踏んで、立ち止まる。

 ひゅっ――と喉が音を立て、反射的に胃の奥から熱い何かがせり上がってくるのを感じた。

「っ――ぐ、ぅっ……!」

「姫。……ご無理は、なさらず」

 身体を折って、襲ってきた激しい嘔吐の予感に必死に耐える。ロロが、気づかわし気に、丸められた背中を撫でた。

 ロロの言った通り――それは、確かに、目を覆いたくなるような状態だった。

 身体の半分――下半身が、ほとんど丸々、欠損している。腹から食い破られたのか、横たわったそこから、赤々とした臓物らしきものが覗いていた。

 あまりの惨状に、胃の中のものを全て吐き出してしまいたい衝動に駆られながら、ミレニアは無理やりそれを抑え込む。

 ――こんな姿に、させてしまったのは、自分だ。みっともなく、吐いて膝をついてショックを受けるような資格はない。

「……っ……はぁっ……」

 熱い息をついてから、ぐっと唇を引き結び、ミレニアは意を決して顔を上げた。

 そして、ゆっくりと、マクヴィー夫人へと近づく。

 淑女は、まるで幼子をあやすように、己の膝の上に少年の頭を乗せて、髪を好くように優しく手を当てていた。

 ただ――静かに、静かに、涙をとめどなく流しながら。

「……マクヴィー夫人……」

「……ミレニア様。……ディオは、ディオルテは、勇敢でした。――本当に、勇敢に、戦いました」

 顔を上げることもないまま、ただ涙を流して少年の顔を見つめ、力のない声で夫人がつぶやく。

「魔物が去った後――最期の最期、ほんの少しだけ、会話を交わすことが出来ました」

「――……」

「『姫サン、褒めてくれるかなぁ……』と――そう、言って――っ……!」

 はらはらっ……と大粒の涙が零れ落ちる。思わず、ミレニアは顔をそむけた。――熱い衝動が込み上がるのを、必死で堪える。

「『きっと、きっと褒めてくださる』と私が答えたら――彼は、とても満足そうに――」

 言って、黄土色の髪を愛しそうに撫でる。

「見て、下さい。身体は、こんな状態でも――最期、ディオは、微笑って、逝けたんです。ミレニア様を想って、心から幸せそうに、微笑って、死出の旅路に向かえたのです」

「っ……」

 ぎゅぅっとミレニアは強く拳を握り締める。爪が食い込み、血が出るほどに握り込んだそれは、真っ白になっていた。

 はぁっ……と熱い吐息をついて涙の衝動を堪えてから、ミレニアはそっと自分も夫人の前へと膝をついた。

 身体の損傷は激しいが――顔だけは、最後に別れたときと変わらない、綺麗なままだった。

 そっと指を伸ばして、左の焼き印が刻まれた頬に触れる。冬の冷たい外気に晒されたこともあってか、既に冷たくなり始めている肌は、彼の死という事実をこれ以上なく知らしめて来た。

「……ディオルテ。勇敢な、守り人――」

 ゆっくりと頬を包むようにして撫でる。確かにその顔は、目を覆いたくなるほどの悲惨な遺体の損傷を忘れる程に、穏やかで安らかな、微かな笑みを浮かべていた。

「ありがとう。お前が命懸けで守ってくれたおかげで、マクヴィー夫人と、ファボットは、生き残ることが出来たわ。何よりお前がここに残ってくれると言ったから、私は、ロロに単騎で駆けさせるという策を思いつくことが出来た。――お前には、感謝してもしきれない」

 本当は、みっともなく謝罪をしたかった。

 こんなにも悲惨な、激痛と苦悶と絶望に満ちた最期を迎えさせるために、彼を引き取ったのではない。

 彼には、光のように輝かしい未来を用意してあげたかったのだ。

 マクヴィー夫人の下で、彼女を第二の母と慕いながら、使用人としてのスキルを覚え、逞しく生きて行ってほしかったのだ。

 そんな風に思い描いた未来を、現実のものにさせてあげられなくてごめんなさい――と。

 謝ることが許されるなら、謝ってしまいたかった。

 だが――それは、ディオルテが望んでいる言葉ではないだろう。

 彼は――『褒めてくれるかなぁ』と言ったのだから。

「少しの間ではあったけれど――お前を従者に迎え入れられたこと、心から、誇りに思っているわ。お前のような従者を持てて、私は幸せ者ね。――お前のことは、決して忘れないわ、ディオルテ。……一緒に、城に帰りましょう。お前はもう、私が従者として、紅玉宮に、迎えた”人間”なのだから」

 言葉を聞いていたマクヴィー夫人とファボットが、ぽろぽろと大粒の涙をこぼしていく。


 ――帰ったら、すぐに葬儀を上げよう。

 紅玉宮の一画に、特別に、彼を弔う墓を建てよう。

 彼は、”道具”ではなく――命の限り生き抜いた、”人間”に他ならないのだから。


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