第57話 魔を払う光③

(っ――まだなの――!?)

 厳重に身辺を警護されながら、ミレニアは焦燥に駆られていた。

 馬車を取り囲む炎の障壁を飛び越えてから、一体どれくらいの時間が経ったのだろう。

 永遠にも似た長い時間が過ぎ去ったようにも感じるし、ついほんのさっきの出来事だったようにも感じる。

「えぇい――またか!」

 報告を聞いた将官が苛立ち紛れの舌打ちをする。

 ロロが特大出力の炎を前方へと放ったおかげで、一団は風のような速度で進軍することが出来た。

 しかし、時折、どこからともなく襲来する魔物に襲われ、進軍の速度が落ちる。辛くも撃退し、再び風のような速度で進み――また、襲撃に遭って鈍化する。その繰り返しだ。

 そして今――ついに、軍団の歩みが止まってしまった。前方の襲撃が苛烈になったと言うことだろう。

(どうしよう――私たちが駆けてきたときよりも、確実に魔物が増えている――!)

 ミレニアはぐっと拳を握り締めて蒼い顔を俯けた。

 当たり前と言えば、当たり前だ。ロロは、単騎で駆け抜けた。それを襲ったとしても、魔物にさほどの利はない。たくさんの血と肉が溢れている人間の集団を襲う方が圧倒的に彼らにとっても効率が良いはずだ。

 魔物の巣から生み出された魔物たちが、近くの小さな集落よりも、人口の多い領地を狙うのと同じだ。それが、彼らの本能によるものなのか、知性のある魔物の指示なのかは知らないが、基本的にはより多くの食いでのあるものを狙う、ということなのだろう。

(馬車の位置まで、あと少しなのに――!)

 こうして、馬車のすぐ近くで魔物の援軍が絶え間なく襲い掛かってくる状況で、もしも今、炎の障壁が消えてしまったらどうなるのか――

 ぞくり、とミレニアは恐怖に震え、嫌な考えを振り払うようにして、ぷるぷる、と頭を振った。

(ロロ――)

 ぎゅぅっと無意識に首飾りを握り込んで、心の中で名前を呼ぶと――

「姫っ……ただいま、戻りましたっ……」

「――!」

 胸中で縋るように呼んだ名前の主の声が響き、ハッと驚いて目を見開く。振り返れば、肩で息をしながら、全身血だらけの男が、馬を並べていた。

「ロロ!」

「遅くなってしまい、申し訳ございません……っ……次の、指示を――」

 さすがに魔力も体力も消耗が激しいのだろう。少し苦しそうに顔を顰めて、荒い息を吐いている。

「待って――お前、怪我をしているの!?」

「いえ、殆どが返り血です。――離れてください。御身が穢れます」

 思わず手を伸ばしたミレニアから逃れるように身を躱すロロは、いつも通りだ。こんな時にまで、奴隷根性が染み付いている。

「今の状況は?なぜ進軍の足を止めている?」

 ロロは将官に直接問いかけた。ミレニア以外の存在に敬語などというものを取り繕っている余裕はない。

「あ、あぁ。前方で、ひと際数の多い魔物の集団と鉢合わせたようだ。戦線が拮抗し、足を止めざるを得ない」

「そうか。――では、姫。次は、前ですね」

「ロロ――!」

 心配する主人の悲痛な声を聴きながら、ふぅっ……と一つ大きく息を吐き、無理矢理上がっていた息を整える。

(魔力の消耗が激しい。体力も、どこまで持つかわからないが――やるしか、ないか)

 魔法使いも多く有している、対魔物の戦闘に特化した一団が、足止めを食らっているのだ。相当数を討伐した今、敵もおそらくこれが最後の砦だろう。――そうだと、思いたい。

(ここを切り抜ければ、馬車まであと少しだ。――何としても、切り抜ける)

 無意識に、手は胸元へと伸びていた。

 服の下から、固い感触が返ってくる。

(大丈夫。――大丈夫だ)

 瞳を閉じて、ゆっくりと息を整える。

 この胸に、翡翠の石を抱く限り――無限の力が、沸いてくる。

 仮に、力及ばず命を落とすような結果になったとしても――この石を抱いて、主を守って逝けるなら、何も思い残すことはない。

「それでは――」

「まっ……待ちなさい!待って、ロロ!」

「ミレニア殿下!」

 覚悟を決めて歩みだそうとしたロロを前に、将官の腕を振りほどき、馬から飛び降りてミレニアは必死にロロへと駆け寄った。

 紅玉の瞳がぎょっと見開かれ、慌ててロロも馬から降りる。

「何をしていらっしゃるのですか!はやく馬に――」

「石を――石を、出しなさい!」

 驚くロロを遮り、強い口調で手を差し出す。

「は――」

「翡翠の首飾りよ!持っているんでしょう、今も!」

「は、はい……」

 いきなり何の話かと困惑しながらも、剣幕に押されて、思わず首飾りを差し出した。

 ひったくるようにそれを受け取ったミレニアは――何一つ躊躇することなく、その首飾りへと、桜色の美しい唇を寄せた。

「な――!?何を――!?」

 驚きすぎて、言葉が出なくなる、というのは本当だ。動揺のあまり、ロロは色と言葉を同時に失った。

 ミレニアは、ぎゅっと眉根を寄せて、真剣な顔で何かを祈るようにして、自分の瞳と同じ色をした宝石に唇を触れさせた後、すっと再びロロへとそれを差し出した。

「”おまじない”よ。――お前の身体が軽くなり、再び一騎当千の武力を振るえるように、精一杯の念を込めたわ」

「――――!」

「今まで、私の”おまじない”で、怪我や病気が早く治った、という者はいたけれど――疲労を回復させたことはないから、効くかどうかはわからない。それでも――それでも、お前のために、必死に願いを込めたの。受け取って、ロロ」

 驚いて言葉を失ったままの青年の大きな手に、そっ……とそれを乗せて、ミレニアはぎゅっと泣きそうに顔を歪める。

「私を必ず――必ず、今も恐怖に震える従者の元へと連れて行くと、約束して」

「っ――はい――命に代えても、必ず――!」

 主の想いを確かに受け取り、ロロもまたぐっと何かに耐えるように顔を歪めて約束した後、バッと首飾りを胸にかけ、ひらりと馬の背へまたがる。

 ドッとその腹を蹴って、一心不乱に前方を目指した。

(――身体が、軽い――!本当に、姫は、神か何かなのか――!?)

 至上の主と定める彼女が、ロロの回復を祈って唇を寄せた首飾りを胸に抱いているという思い込みのせいだ、とするには強引すぎるほどに、身体が軽い。いかに彼女の言葉に鼓舞され、舞い上がるほどに心が高ぶっているとはいえ、物理的に腕を上げることすら辛かった疲労が掻き消えるというのは、説明がつかないだろう。

 神の御業としか思えぬような超常現象と、主からの期待に応えたい気持ちの高ぶりから、もはや、どんな敵を前にしても決して屈さぬという自信が漲る。

(――あれか!)

 一団の先端へと躍り出ると、確かにそこは酷い混戦状態にあった。

 一刻も早く切り抜ける必要がある。もう、馬車は目と鼻の先なのだ。

(だいぶ時間が経っている――これ以上足止めを食えば、確実に障壁が消える――!)

 ぎゅっと双剣を握り締め、ロロは最短距離を――ど真ん中をまっすぐに切り開く覚悟を決める。

「はぁあああっ!」

 双剣を操り、目につく獣を屠りながら騎馬で駆け抜ける。

「手の空いたものは俺に続け!強行突破するぞ!」

 叫びながら、混戦状態の戦場へと躍り出て、無心で剣を振るっていく。助けた兵士を後ろに伴い、前へ――前へ。

(最終的に、数騎でもいい――!俺と共に、馬車にたどり着く者が最低でも三騎いれば、それでいいんだ――!)

 ミレニアのおかげで、体力が回復した。これならば、ロロ一人でも、馬車にたどり着いて馬車の中に隠れる者たちを守って戦うことが出来るだろう。

 その間に、伴った騎馬兵が馬車の中に隠れる者たちを共に馬に載せさせて、全員でこの部隊のところまで駆け戻ってこればいい。

「黒衣の兵士に続け!」「進め!進め!」「諦めるな!」

 ロロによって加勢された兵士たちが、自分を鼓舞するように口々に叫びながら、次はロロのフォローに入る。

(数が多い――!あと少しなのに――!)

 気ばかりが急いて、まるで全く進んでいないかのような錯覚に陥る。じっとりと、冬の入り口にもかかわらず、全身が汗で濡れそぼっていた。

 一体何匹の魔物を屠っただろう。

 永遠にも似た時間で、少しずつ前に前にと進んでいたところで――


 カッ――!


「「――――――――!!?」」


 闇夜を切り裂く、閃光が、前方から放たれた。 


 それは、まるで煌々と光輝く朝日のように、周囲を放射線状に照らしていく。

「「なんだ――!!?」」

 眩い光に視界を焼かれ、兵士たちは皆一様に目を覆う。

 ロロも、思わず腕をかざして、視界を守り――

「――――!?」

 目の前の光景に、絶句し、瞳を見開く。


 コォ――……


 徐々に光が収まっていき、視界が蘇ると――それまで猛攻を仕掛けていた魔物たちが、散り散りになって、一目散に逃げていくところだった。

「な……何が、起こったんだ……?」「今の光はいったい――…」

 兵士たちは、突然の出来事に困惑を隠しきれず、茫然とその場に立ちすくむ。

 ロロも、同様に一瞬呆けた後――ハッと我に返って、手綱を取った。腹に蹴りを入れると、愛馬が高く嘶き、全速力で何も障害物のなくなった大通りを駆け抜ける。

(頼む――無事でいてくれ――!)

 光が放たれたのは、前方――馬車がある方角だ。光の正体が何かはさっぱりわからないが、まずは彼らの安全を確かめるのが第一だろう。

 一心不乱に駆け抜けた先――見覚えのある馬車が、横倒しになって転がっていた。

(やはり、障壁は消えてしまっていたか――!)

 だが、光の効果はこの周囲にも影響していたらしい。見える範囲に、魔物の影も気配も、何一つ認められなかった。

 取り急ぎの危険がないことに安堵しながらも、蹄を高く鳴らして馬車へと駆け寄る途中で、違和感に気が付く。

「――――――」

 紅玉の瞳が、大きく、見開かれた。

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