第四章

第55話 魔を払う光①

 長い尾と鬣を風になびかせながら、蹄を蹴り立てて、闇夜の街を軍馬が疾走する。

(まだか――まだかっ――!)

 ミレニアを抱えながら手綱を握る手に汗が滲む。一秒が永遠にも感じられる焦燥を胸に、不自然なほどに静まり返った大通りを駆け抜けた。

 一刻も早く救援部隊を見つけて合流し、取って返すように全速力で進軍させる必要がある。

 永遠にも似たときの流れの中で――ヒュッ……と、闇の中で風が動く気配がした。

「っ!」

 息を詰め、空気が揺れた方向に反射的に剣を振るうと、闇の中で重たい手ごたえがあった。

「キャンッ……!」

 まるでイヌのような悲鳴を上げて、ドシャッ……と叩き落された漆黒の獣が地面に頽れる。

(こうして駆けて行く中でも、時折、こうして魔物が襲ってくる――やはり、魔物にも”援軍”がある――!)

 炎の壁の中に残してきた面々の顔を思い出し、ぞくり、と背筋が冷える。目に見える範囲のいくらかは討伐してから駆け抜けて来たが、もしも”援軍”が今、別のルートであの炎の壁へと向かっているとしたら――と想像すれば、焦燥ばかりが募った。

(救援部隊を見つけたら、姫を中心部の一番安全なところに匿い、周囲の魔物を蹴散らして――)

 頭の中でシミュレーションをしながら、前方を睨むようにして目を凝らしていると、ふと、闇夜に薄明かりが見えた。

「姫っ……!見えました!」

「!」

 腕の中の小柄な身体が、ビクリと震える。

「急いでっ……ロロ、お願い、急いで!」

「はっ!」

 主の必死の声音に力強く頷き、ガッと馬の腹をもう一段強く蹴って速度を上げる。グンッ……と加速度に身体が抵抗を覚え、耳元で風がうなりを上げた。

 明かりに近づくにつれて、徐々に状況が判明する。

(やはり、囲まれているか――!)

 それは、待ち望んだ救援部隊に違いはなかったが――ミレニアの予想通り、魔物の”援軍”らしき一団に取り囲まれ、進軍を阻まれているようだった。

「ロロっ……!蹴散らしなさい!!!」

「言われなくても!」

 ビュッと軽く剣を振るようにして握り直し、ギッと視線を鋭くして前を睨み据える。

(あと少し――もう少し――!)

 目測で距離を測る。

(っ――今だ!!)

 魔法の射程範囲に入った瞬間、溜めていた魔力を解放した。

 ごぉおおおっ

「わっ!!!?」「な、なんだっっ!?」

 突如として上がった火柱に、交戦中だった兵士たちが驚きの声を上げる。剣を交えていた魔物が数匹、急に現れた地獄の業火に焼かれて、一瞬で炭へと変化した。

「姫っ!しっかり捕まっていてください!!」

 ぐっと抱えるようにして少女の身体を支えると同時、ぎゅぅっとミレニアもロロの身体にしがみついた。

「はぁっ!!!」

 ドッ

 トップスピードを落とすことなく愛馬の腹を蹴り上げると、石畳を固い蹄が力強く踏み切って、疾走の勢いをそのままに高く、大きく、逞しい馬体が跳躍した。

「っ――!」

 不快な浮遊感に耐えるように、ミレニアはぎゅっと瞳を閉じて、護衛兵の逞しい胸にしがみつく。

 よく訓練された軍馬は、見事に軍団を取り囲む魔物の群れの頭上を過るようにして、一足飛びに救援部隊の内側へと切り込んだ。

「うわぁあっっ!?」「なんだっ!?増援か!?」「ぐ、軍馬!?」「誰だ!」

 混乱する兵士を無視して、ロロは部隊の中からぐるりと周囲を確認し――

 ごぉっっ

「わぁああ!」「ほ、炎の壁!?」「魔法か!?」「誰の仕業だ!?」

 つい先ほどと同じように、部隊を取り囲むようにして炎の障壁を張り巡らせた。殺到していた魔物が一部分断される。

「っ……まずは炎の内側の魔物をせん滅せよ!至急だ!」

「「ハッ!」」

 中央から、朗々とした声で号令が飛ぶ。訓練されたらしき軍人たちは、すぐに指示に従い、近場の魔物だけに集中する。炎で安全圏が造られたことで、相手にする魔物が随分限られたのだ。何が起きているのか、事態の把握が出来ている者はほとんどいないだろうが、まずは上官の命令に従うのが鍛えられた優秀な軍人のあるべき姿だった。

 ロロは、号令を発した男へとすぐに駆け寄る。――それが、この軍隊を率いる将だと辺りを付けた。

「何だお前は――っ、皇族護衛兵!?」

 怪訝な顔をしていた将は、近づいてきたロロが纏う黒衣に気づき、サッと顔を青ざめさせる。

 なぜここに、皇族の護衛兵がいるのか――受け入れたくない現実に頭が混乱して、一瞬フリーズする。

「その左頬――まさか、お前があの巨大な火柱を――!?」

 炎に照らされ、浮かび上がった頬に特徴的な奴隷紋を認め、ロロの正体に気づいたらしい将官は、驚愕の声を上げる。

 三年前に皇城に迎え入れられたと言う、帝国一の武勇を誇ると噂の、史上初めての奴隷による専属護衛兵――

「わかっているなら話が早い。今すぐ――」

「今すぐ、周囲の魔物を蹴散らして、最大速度で進軍しなさい。これは勅命と心得なさい!逆らう者は残らず軍法会議に掛けるわ!」

 ロロの言葉を遮り、腕の中からミレニアが叫んだ。それを見て、ざぁっと将官の顔から本格的に血の気が引く。

「み――ミレニア殿下――――!!?」

 将官ということは、ギュンターの治世下から戦場で活躍した男だったのだろう。その時代の軍人は、皆、ギュンターを神と崇めて従った。

 彼が晩年、全身全霊をかけて愛した愛娘の存在を、知らぬはずがない。

「私の従者が、この先でまだ魔物の群れの中に取り残されているの!!ロロを戦力として使っていいから、全力で前進しなさい!」

 炎に喉を焼かれることすら厭わず必死に叫ぶミレニアを伴い、ロロは将官の真横へと馬を付けた。

「……姫を、託す」

「は――」

「この軍で、一番ここが安全だと信じる。――死ぬ気で、守ってくれ」

 マントでくるんだ状態のまま、ふわりと少女を抱きかかえ、将官の馬へと引き渡した。つい、何も考えず、男は手渡された少女を受け取ってしまう。

「ロロ!っ……まずは、前方の敵を全て蹴散らしなさい!軍の進行が始まったら、次は後方へ!追っ手を振り切るまで、お前が殿を務めなさい!」

「かしこまりました」

 将官に抱きかかえられた状態のまま、先ほどまでの涙の跡など微塵も感じさせない毅然とした表情で指示を下す主に、こくり、と力強く頷いて、くるりと馬を操り今来た方向へと踵を返す。ジャッと音立てて、腰に刺さったままだったもう一振りの剣を引き抜いた。

(炎の中の魔物は――殆ど、討伐済みか。さすが、手慣れているだけある)

 視線だけで状況を確認してから、ロロは声を張り上げた。

「皆聞け!――合図をしたら、炎の障壁をかき消す!」

「「――――!」」

「各自、合図と同時に障壁の外へと突進し、不意を衝いて、壁の向こうにいる魔物を討伐しろ!」

 言いながらロロは前方へと馬を進める。

 一つ、瞳を閉じてから、大きく深呼吸をした。

(救援部隊と合流した……もう、区画を焼き尽くす最終手段を考える必要はない。ディオたちがいる場所まで辿り着けさえすれば、三人を馬に載せて全力で逃走すればいい。――つまり、魔力の温存は考えなくていい)

 考えをまとめて、瞳を開く。炎と同じ色の瞳が、鋭さを増した。

「障壁を消すと同時に、俺は前方に向けて特大の炎をぶっ放す。前方にいる魔物を全て、一瞬で消し炭にする炎を、だ」

「「!!!?」」

「炎をぶっ放した後、俺はすぐに殿を務める。前方に切り開いた道を、全軍で進め!いいな!」

 兵士たちの間に動揺が走る――が、異論を唱える者はいないようだった。

 ここにいる者たちは、日々、戦に身を置く軍人ばかりだ。

 最初に見た、天高く登る巨大な火柱も――この場で、救援部隊を取り囲むほどの広範囲に一瞬で展開された炎の障壁も。

 その威力を見るだけで、誰もが察していた。

 この、左頬に奴隷の証を刻んだ青年が――おそらく、帝国史上類を見ないほどの、とんでもない炎の魔法使いであることを。

 最後にもう一度、ロロは炎の中を見渡す。もう、障壁内の魔物は全て倒された後だった。

 すぅ――と息を吸い込んで、ぴたりと息を止める。

 すっ……と剣を持った手を前方へとかざし、神経を研ぎ澄ました。

 ごくり、と兵士たちが生唾を飲み、軍隊すべてに緊張が走る。

「行くぞ――――進めっっっ!!!」

 号令と共に、ふっ……と一瞬で幻のように部隊を取り囲んでいた炎の障壁が掻き消えた。障壁の外にいた魔物たちが虚を突かれるところに、兵士たちが武器を手にして躍りかかる。

 それと同時に、ギッとロロの視線が鋭くなり――

 ゴォォォオアアアアアアアアア

 前方にかざされた手から放たれたとんでもない熱量を持った炎が、大通りの半分ほどを埋め尽くしながら前方へと突き進んでいった。

 地獄の業火を思わせる炎が黒い影を幾多も飲み込み、断末魔すら残すことなく灰となって消えていく。

「「わぁあああああ――――!」」

 炎を追いかけるようにして、たくさんの騎兵が雄たけびを上げながら前進した。石畳を数多の蹄が踏み鳴らし、一斉に騒がしくなる。

「っ――!」

 怒涛の進軍が始まるのを見届ける暇すら厭って、ロロは踵を返し、進軍する騎馬たちの流れに逆らうようにして部隊の中央を最短距離で後方へと駆け抜けた。

「ロロ!」

 交差が部隊の中心部に差し掛かったころ、少女の声が響く。兵士たちの雄たけびや、各地での激しい戦闘音の中でも、不思議とその高い声はロロの耳にしっかりと響いた。

「必ず――必ず、やり遂げて!」

 部隊の中央、一番安全な将兵に守られる形の少女が叫ぶ声に、ぐっ、としっかりと頷き返し、軽く片手を掲げて合図を返す。

 脳裏に浮かぶのは、己と同じ文様を左頬に刻印された、まだ年若い少年の顔。

(アイツは――似すぎている――)

 母の記憶は殆どないと言っていた。おそらく、ロロと同じく、物心つく頃には既に奴隷小屋に入れられていたのだろう。

 首に枷を嵌められ、鎖を引かれ、家畜のように扱われて――理不尽な暴力を受けることを、当たり前のように受け入れる姿。鳶色の瞳には、世の中に対する怨嗟と虚無が同時に渦巻いていた。

 あれは、世界の肥溜めの中に埋められ、支配階級の気まぐれ一つで掻き消える命の灯を――ちょっとした運命のいたずらで揺らめくその微かな火を、それでもしっかりと燃やし尽くそうと足掻く瞳だ。

 そして――ロロと同じく、そんな小さな足掻きがどうでもよくなるほどに心酔する、主と出逢った。

 生まれて初めて名前を与えられ、”人間”として扱われる喜び。汚泥に塗れた自分に、己が汚れることなど微塵も厭わず差し伸ばされた綺麗な手。

 ――残りの生涯はすべて、この女神のために生き、死ぬと、誰に言われるでもなく、理解した。

(その覚悟も、姫への想いも、誰より俺が一番よく理解している――)

 幼いながらに、突然魔物の襲撃に遭うなどという、予想もしていない事態に、すぐに順応し、己の役割を全うした。

 きっと彼は、つい数刻前に主になった少女のために、命を賭けることに何の疑問も持たなかっただろう。

 だが――彼は、白布。魔法の一つも使えず、まだ発達しきっていない身体を駆使して戦っていた。

 黒布のロロとは、実力も経験も、何もかもが劣っている。三回目の襲撃に耐えきれず、たった五匹をさばききることが出来なくなって、左腕を負傷していた。肩で息をして、荒い息を吐いていた姿を思い出す。

(姫には、”あんな子供”と偉そうな口を利いたくせに――その”子供”に助けられている、自分がいる――!)

 彼が居なければ、あんなに何度も、襲撃を防ぐことは出来なかった。

 彼が居なければ、こうして単騎でミレニアを安全圏まで運ぶことなど、出来なかった。

 脳裏によぎるのは――蒼い顔をしているくせに、一丁前に安心させるように軽口を叩いて笑った、あどけない顔。

 ――勇敢な守り人ディオルテと名付けられた、少年。

「っ――……!」

 焦燥が募った先、視界の先に部隊の後方が現れる。

(まだ――まだ、数刻だ――!アイツが”人間”としての生を歩み始めて、まだ、たったの数刻なんだ――!)

 彼は、きっとこれから先、今までの人生が覆るほどの幸せを享受するはずだ。ミレニアの傍で、ミレニアのために仕えるとは、そういうことなのだ。

 今、死なせて良い人材ではない。

(必ずすぐに駆け付ける――だから、待っていろ、ディオルテ――!)

 ここを切り抜け、たどり着いたら――何度でも、名前を呼んでやろう。

 その名を呼ばれるたびに、心の奥底に、言葉に出来ぬほどの喜びが溢れることを、誰よりロロは、よく知っているから――

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