第47話 嚙みしめる無力④

「おやめください、公子!」

 大きな一喝が響き、男たちの暴行の手が止まる。

 ぼろ雑巾のようになった少年奴隷をそのままに、くるりとヴィンセントが声の方を振り返った。

「……ミレニア殿」

「……おやめ、ください。もう、よろしいでしょう。少なくとも、貴婦人の前で行う行為ではありません。由緒正しい公爵家の出自を持つ紳士たる貴方が、そのような――カルディアス公爵家の名に泥を塗ります」

 ゆっくりと、狼狽を表に出さぬように気を付けるように、声に力を込めて口を開く。

 ぎゅっとロロのマントの後ろで、相手に気づかれぬように首元の首飾りを握り締めてから、一つ呼吸を置いた。

 瞬き一つで、”女帝”ミレニアへと意識を切り替える。

「そもそも、どういったつもりで、その少年をここへ連れてきたのでしょうか。――不敬罪で処罰されたいのですか?」

「何――……?」

「貴方がどう言おうと、世間がどう言おうと、私の今の肩書は、まだ、『皇族』です。第六皇女ミレニア。――皇族の前に、奴隷をさらけ出し、暴力行為を見せつけ、部屋のドアの前一帯に奴隷の吐瀉物をまき散らせる……帰りに、これを踏んで帰れと、そういうメッセージと受け取ってもよろしくて?」

「っ……!」

「この件は、正式に、カルディアス公爵家へと抗議させていただきます。私の侍女を不必要に怯えさせた責任も取っていただきます」

「何を――そんなことを言うならば、その男はどうなるというのか!」

 カッと頬を怒りに染め上げた後、ヴィンセントはロロを指さした。

「ロロは、私の『専属護衛』です。奴隷ではありません。私の視界に入ろうが、言葉を交わそうが、私に触れようが、何の不敬もない。私が”買い上げ”たのですから」

「っ……奴隷は、買い上げた時点で、法律上は市民になるから、とおっしゃるつもりか――!それならば、この床に這いつくばる奴隷も同じだ!既に市民となったコレを、皇族の前にさらけ出そうと、不敬とは――」

「そうですわね。法律上は市民ですわ。――貴方が彼をそのように認識していらっしゃるのであれば、どうして枷と鎖で自由を奪い、理不尽な暴力を行っているか、ご説明頂きたいところですが」

 冷静極まりないミレニアの隙の無い反論に、ぐっ……とヴィンセントは口を噤む。

 どう転がっても、分の悪い論戦だ。ヴィンセントは、悔しそうに歯噛みするしかなかった。

「……やれやれ。自分より弱いものを暴力で痛めつけるのは得意でも、舌戦では一つもやり返せぬのですか。道理で、奴隷商人にうまくやり込められるはずですわね」

「っ――!」

「商人に騙されたのは、公子が迂闊だったせいでしょう。よく下調べもせず、言われるがままにホイホイと大金を動かした貴方が全て悪いのです。自業自得のそれを、他者に暴力を振って鬱憤を晴らそうだなんて、なんて野蛮なのかしら。そんなことをしてもお金が返ってくるわけでもないでしょうに」

 カァッとヴィンセントの顔が憤怒に染まるのを見ながら、ミレニアは手にした扇で顔を覆い、優雅な貴婦人のようにふるまう。

「そんな暇があるのなら、奴隷商人と交わした契約書を隅から隅まで見直して、どうやったらお金を少しでも取り戻せるか、頭を巡らした方がよほど有益な時間の使い方だと思うのですけれど」

「ふっ……ぐ、くく……」

 ぐっ、と押し黙るヴィンセントを見て、床に這いつくばった少年から、くぐもった吐息音がする。どうやら、ミレニアにやり込められる主人を見て笑いの衝動をこらえているらしい。少し笑うだけでも痛みを伴うのだろう。かすれた吐息が不格好に漏れている。

 完全にコケにされたことを悟り、ギリギリと歯を噛みしめた後、ヴィンセントは少年を痛めつけていた家人を呼び寄せた。

「今すぐ、商人に便りを出せ。――商品に不備があったと、納得の行く説明を要求すると言ってな」

「は、はいっ……!」

 主人がやり込められる場をハラハラしながら見ていた家人は、商人との連絡役も兼ねていたのだろう。握っていた少年奴隷の鎖を手放し、慌てて退室していく。

 最も暴力的な男が退室したのを見て、ほっとミレニアは扇の下で安堵のため息を吐いた。

 それを見たヴィンセントは、歯噛みしながら低く唸るように怨嗟の声を漏らす。

「貴女が……悪いのだ……!」

「……?何のお話でしょう」

 悠然と、笑みを浮かべる余裕すら持ちながら、ミレニアは将来の夫から絞り出された言葉に聞き返した。

 ぎゅっと握り締めた拳を白くしながら、ヴィンセントは憎々し気に顔を上げる。

「貴女がっ……奴隷解放などと、訳の分からぬ施策を考え、皇族でありながら奴隷を侍らすなどと、自覚のない行いばかりするから――!」

「……」

「だから、私が、貴女に、将来の夫として、正しい貴族の在り方を教えて差し上げねばと――」

「……まぁ、お優しいことで」

 ふぅ、と扇の裏側で呆れた嘆息を吐く。

「何だ、その態度は!私は、将来の夫だ!お前の主人となる男だぞ!」

 ザッと大股で足を踏み出したヴィンセントを警戒し、ロロの視線が鋭くなる。サッとミレニアを背後に庇おうとしたロロを手で制して、ミレニアは悠然と怒りに燃える男を見据えた。

「止まってくださいな、公子。私の護衛はとても優秀なのです。それは、貴方自身が、骨身に染みて理解しているでしょう」

「っ……!」

「貴方に痛い思いをさせたいわけではないのです。――公子は、未来の、私の夫ですから」

 ふわり、と完璧な笑みを浮かべるミレニアに、ヴィンセントの顔がどす黒く染まる。

「貴女の――皇族にあるまじき態度は、その奴隷のせいか……!」

「奴隷ではありません。――護衛、ですわ。公子」

「関係ない!常々、思っていたことだ!奴隷を”人間”のように扱うなど、馬鹿げている!――その奴隷を伴って家に入るなら、我が家の方針に従ってもらうぞ!」

「それは承服できません。――そもそも、彼は奴隷ではありませんもの。法律上は市民となる、とおっしゃったのは公子ではありませんか」

 舌戦でミレニアに叶うはずもない。悉くやり込められ、ヴィンセントのボルテージはどんどんと上がっていく。

「貴女がソレを護衛だと言い切るならば!――ソレが従者だというならば、無礼極まりない!将来の主たる私に対して、不遜な態度を取ることをどうお思いか!?」

「どう、も何も――公子、そもそも勘違いしておられるようですが。健全な主従関係を結びたいのであれば、それは役職だの雇用関係だので縛られるものではありません。主に足る振る舞いを心掛け、それを従者に認められてこそ、健全な主従関係が築けるのですよ。従者に不遜な態度を取られるとすれば、それは主たる己の不徳の致すところと反省すべきであって、決して鞭を振るうことなどないはずです。――貴族としての基本的な心得を、カルディアス公爵は教えて下さらなかったのかしら?」

「~~~~っ!」

 わなわなとヴィンセントの唇がわななく。

(これは……相当、怒っていらっしゃるな……)

 ロロは、笑みすら湛えたまま舌戦を繰り広げる少女を見て、胸中で呟く。

 婚約者に会うのだからと、うっすらと可憐な色味のルージュが引かれた口元は、貴婦人らしい笑みに彩られているが、目が全く笑っていない。――先ほどまでの少年に対する行為と、それによりマクヴィー夫人を怖がらせたこと、そして今のロロに対する発言に、これ以上なくミレニアが腹を立てている証拠だ。

「ミ……ミレニア様……」

 そっと、後ろから蒼い顔をしたままのマクヴィー夫人が恐る恐る声をかける。さすがに見ていられなくなったのだろう。将来婚姻関係を結ぶ相手を前にした会話とはとても思えぬ殺伐さだ。

「貴女はっ……!未来の主人に、恥をかかせたいのか!!?」

「そんなつもりはありませんけれど――恥をかくようなことをしたというご自覚がおありなら、すぐに行動を改めればよろしいのでは?」

 悠然とした笑みを崩すことなく相手を煽っていくスタイルは、とても物事を丸く収めようとしているとは言い難い。マクヴィー夫人が蒼い顔になるのも頷ける。

 激昂にかられた公子から、婚約破棄を言い渡されてはたまらない。今のミレニアと婚姻関係を結びたいなどという奇特な人間など、どこを探しても見当たらないだろう。

 そんなマクヴィー夫人の懸念も理解し、ロロは静かに瞳を揺らした。

「……姫」

 そっと黒衣が一歩足を踏み出した。チラリ、とミレニアが視線だけで振り返る。

「構いません。――俺の不遜な態度が気に入らぬ、ということでしたら、責め苦を受けるのは俺です」

「ロロ……?」

「それで、公子の気が済むのであれば――いくらでも、殴られようが、鞭で打たれようが、構いません」

「――――!お前、何を言って――!」

「それが、奴隷のあるべき姿であり、従者の姿であるというのならば――俺に、異論はありません。従います」

 言って、ロロは片膝を床につき、そのまま軽く頭を下げる。――何も考えずに蹴り飛ばせば、ロロの頬に公子の上等なブーツがめり込むだろう位置に、静かに控えた。

(……これでいい。この男は、わかりやすく権力を振りかざし、自分の優位を示したい男だ。かつて一杯食わされて、実力では敵わないとわかっているだろう俺を、無抵抗にさせて殴れることは、胸がすく思いだろう。これで一連のことをご破算にしてくれれば――そんなことで、姫の婚約を維持できるなら、安いものだ)

 今更、人間としての尊厳だのにこだわるような気概など、持ち合わせていない。

 そんなものははるか昔――奴隷小屋にいるときに、捨ててきた。

 無様に膝をつくことも、無抵抗で理不尽な暴力にさらされることも、何一つ、ロロの心を揺らしはしない。

 この身体も、心も、命でさえも――すべては、皇女ミレニアのためだけに存在しているのだから。

「ほう……奴隷の身で、存外、物分かりがいいじゃないか」

 ロロは、男の言葉を聞きながら、静かに瞳を閉じる。

「俺は、”物”です。――ヒトではない。言われずとも、自覚しています」

「ほう――……」

 激昂していた男の声が、わずかばかり冷静になって、響きに高揚が混じるのが分かった。帝国最強の武を誇ると言う男の、己を蔑む発言を受けて、くだらない自尊心が満たされたのだろう。

 コツ……とひとつ、硬質的なブーツの靴音が響いた。ヴィンセントが、ロロに一歩近づいたのだろう。

(拳か、蹴りか――まぁ、蹴りだろうな。奴隷の血で己の手を汚すことなど我慢がならんと思っていそうだ)

 あたりを着けて、ロロはぐっと歯を噛みしめて来るべき衝撃に備える。

 そのまま瞳を閉じてじっと待っていると――ふわり、と微かに風が動いた。

「――――……」

 鼻腔を擽る、花の香のような、香しいほのかな風の匂いには、覚えがあった。

 怪訝に思って、瞼を上げる。

 ――目の前に、ミレニアの美しく繊細なレースが重なるドレスが広がっていた。

「いい加減になさいませ、公子。私にも、許容出来る範囲と、出来ぬ範囲がございます」

「――――……姫……?」

 跪いて折檻を待つロロを背に庇うかのように、小柄なミレニアがまっすぐに胸を張って、将来の夫の前に立ちはだかっていた。

 ぱちぱち、と紅玉の瞳が驚きに何度も瞬かれる。

 ミレニアは、先ほどまで浮かべていた笑みさえ消して、怒りを押し殺した低い声で、公子に告げる。

「ロロは――私の、物です」

「わかっていらっしゃるではないか。そう。こいつは、物だ。だから、私が――」

「いうなれば私の所有物。――私の許可もなく、勝手に触れないでくださるかしら。汚らわしい」

 ひくっ……とヴィンセントの頬が引き攣る。

 少女は、臆することなく翡翠の瞳に怒りを灯し、毅然と軍服に身を包んだ五つも年上の男を睨みつける。

 発言を撤回する気は、ないようだった。

「貴様――――!」

 カッと男の顔に怒気が現れたのを見て、ハッとロロが腰を浮かす。

「姫――!」

 咄嗟に腕を伸ばすが、一瞬遅い。

「どけ!!」

「キャ――!」

 ヴィンセントが乱暴にミレニアの肩を、殴るようにして横に跳ね除けた。

 小柄な少女の身体は、鍛えられた軍人の腕力に逆らうことも出来ず、あっさりと慣性に従って吹き飛ばされる。

「全く……カルディアス公爵家に入るならば、貴女も妻としての自覚を持っていただかねば」

 吹き飛んだミレニアを見て、追い打ちをかけるような言葉が飛ぶ。

「ミレニア様!」

 マクヴィー夫人の慌てた声が響く。

 ドシャッ……と少女が床に倒れ込み、華やかなドレスと漆黒の髪が床へと散った。


「――――――――――――――」


 ぶちんっ……


 ロロの脳裏で、何かの音が響いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る