第33話 別離の日④

「ところで、ミリィ。――ソレが、噂の奴隷、か?」

「元、よ。今は私の専属護衛なの、お兄様。言葉には気を付けてくださる?」

「くくっ……それは失礼した。専属護衛殿」

 ニヤリと笑うザナドに、ロロはすっ……と無言で帝国式の礼を取る。

「お前が気を許しているというのは、本当のようだな」

「えぇ。――安心して、お兄様。ロロは、とても寡黙なの。決して秘密を漏らしたりはしないわ」

「お前が自分から、ザナドと呼びかけてきた時点で、心配などしていないさ」

 ザナドの存在は、皇族にとってのトップシークレットだ。その存在を知っているのは、彼ら皇族が特別に気を許した絶対の存在だけである。

 秘密を漏らすには、責任を伴う。万が一、その人間から秘密が漏れれば――どれほど親しい相手だろうと、有能な臣下だろうと、必ず首を刎ねて一族郎党を処罰する。それが鉄の掟だ。そして、情報を朗詠させたその皇族もまた、皇位継承権の剥奪など、厳しい処罰に遭う。

 ゆえに皇族たちは、生半可な気持ちではザナドの存在を漏らすことは出来ない。先ほどザナドに下げられた従者たちも、秘密を知らない者たちだろう。

 皇族の中には、側近や血縁者にも漏らしていない者もいる。ミレニアも、ロロ以外の誰にも、その存在を知らせたことはおろか、ほのめかしたこともなかった。

「帝国一の武勇を誇ると聞いたぞ。俺にも、全盛期の体力があれば、一度くらいは手合わせを願いたいものだが」

「体を労わって、お兄様」

 一人称を”俺”に変えて、気安い口調に代わった兄に、ミレニアは苦笑して答える。これからの発言は、第七皇子としてではなく、ザナドとしての発言として聞け、ということだろう。ならばミレニアも、第六皇女としてではなく話をしなければならない。

「だが、そいつが今度の北方地域への侵略作戦の肝だろう。実力の片鱗くらい見ておきたいと思うのは、『軍神』の”影”として当たり前の感覚じゃないか?」

「ロロは前線では戦わないわ。本陣で私を守ってくれるのよ。ヴィンセント殿もついでに守ってくれるわ」

「ほう……確かに、そんなことが上申書に書いてあったな」

 ついで、と言い切った妹の言葉に、笑いをかみ殺しながら可笑しそうにミレニアを見返す。

「えぇ。彼を前線に送らない分、私の指揮で、労働奴隷と剣闘奴隷を駆使して、必ず勝利に導いてみせるの」

「ふっ……勇ましいことだ」

 ザナドは吐息だけで嗤って、チラリと頭を下げたままの護衛兵を見やる。白に近いグレーの旋毛は、ピクリともせずじっとそこに控えていた。

 ロロは知っている。――ザナドの不興を買えば、元奴隷のロロの命など、一瞬で消え去る。

 それに抗うことは難しく――無様に足掻けば、ミレニアの立場が悪くなる。

 だからこそ、やり過ごす。奴隷時代に得た教訓だ。理不尽をやり過ごすには――とにかく無言で、従順に、心臓の鼓動が途絶えぬことを祈りながら、ただ嵐が過ぎるのを耐えるだけだ。

「俺は、父上の剣闘奴隷の実践投入施策には賛成だった。事実、長年不可能だと言われてきたエラムイド侵攻において、奴らは目覚ましい活躍をした。幼いころから剣技を習ってきた兵士たちの何倍も頼りになったと、ゴーティスから聞いている。剣闘奴隷に対する偏見は、他の皇族よりは少ないつもりだ」

「…………はい」

「本当に、ミリィの言う通り、寡黙な奴だな」

「ふふっ……そうでしょう?」

 頭を下げたまま一言しか発しなかったロロにザナドは苦笑する。何故か、ミレニアはどこか嬉しそうな声を上げた。

 ロロの返事からは、支配階級に対する反発も、彼らから理解を示されたことへの感謝も懐疑も、何も感じられない。

 一般的な奴隷とは異なる反応を前に、ザナドはしばらく何かを考えた後、ゆっくりと口を開いた。

「俺は、公の場で、最後の最後、決してミリィを助けない」

「――――……」

「俺にも立場がある。大切な者がいる。――残念ながら、精一杯譲歩しても取れる立場は”中立”だ」

「……はい」

「本当に守りたいものは、誰にも頼らず、己の手で守り抜け。ミリィにとって、家族は家族ではない。安心できるのはせいぜい紅玉宮の中だけだ。ひとたび紅玉宮を出て俺たちの庭に足を踏み入れれば、そこはどこもかしこも敵だらけだと胸に刻め。――それが、俺がこの場で伝えられる唯一の言葉だ」

「――はい」

 言われなくても、とでも言わんばかりに、ロロは頭を下げたままで静かに言葉を返す。

 静かだが力強い意志を感じる声音に、ザナドは小さく嘆息した。

(女帝になる野心を捨ててまで、拾ってきた剣闘奴隷とはどんな奴かと思っていたが――少し、予想外だな)

 体調が予期せぬ形で崩れることがあるザナドは、基本的に用事がない限り、城内を出歩かない。ロロが来てこの三年で、不意の遭遇は一度もなく、今日が初めての対面だった。

 見目形が良い男だと言うのは、風のうわさで聞いていた。そして今日、実際に見てみれば、確かに噂通りの美丈夫だった。

 ミレニアを嫌う皇族や貴族たちは、若い少女がその美しさに惚れこんで、性奴隷を買い上げる感覚で傍に置いているのだ――などと、悪意を持った噂を流している。

 ミレニアに限ってそんなことはないだろうと思っていたが、皇族としての誇りを誰よりも持っていた彼女が、奴隷を傍に侍らせる理由は他に思いつかない。ザナドは半信半疑だったのだが――

(まさか、こんな面白みのない真面目腐った男とは)

 ロロは、確かに”真面目腐った”男だった。

 下げられたままピクリとも動かない頭も、ただ一言しか発せぬ口も――何もかも、全て、幼いころから奴隷小屋にいたという境遇には似つかわしくはない。生粋の奴隷が支配階級に対して取る態度と言えば、たいていは、不当な扱いを強いる権力者に対する憎悪のまなざしを向けるか、自分の命を左右する強者を前に必死に媚びるか、のどちらかだ。

 だが、この左頬に奴隷紋を刻まれた青年は、そのどちらでもない。

 まるで、本当の臣下のように、首を垂れ、静かに、冷静に、ただただ真面目にミレニアを守っている。

(もっと、何か、皇城にいる人間とは異なる、わかりやすい興味を惹く要素がある男かと思っていたが――いや、逆か。一般的な奴隷らしくないからこそ、ミリィの興味を惹いたのか?)

 賢いミレニアが、己の道を諦めてまで望んだ奴隷の魅力がわからず、ザナドは軽く頭を振った。

「……まぁいい。今は、国内も荒れているからな。お前の施策が成れば、ちょうどいい目くらましと求心力の補填になるだろう」

「荒れている……?日照りによる西の地方の不作のお話?」

「ふっ……そんな平和な話ならよかったのだが」

 翡翠の瞳をぱちぱちと瞬かせて尋ねるミレニアに、ザナドは口の端に苦笑を刻む。ギュンターに毎晩ねだっては国政について議論を重ね、時に視察に同行して自分の目で国内を回っていた幼少期とは状況が違う。今やミレニアは、用事が無ければ紅玉宮から一歩も外に出ることのない、正真正銘の深窓の令嬢状態だ。紅玉宮の外で起きている出来事についての情報源は、貴族令嬢たちとのお茶会の噂話と、侍女や護衛兵たちからポロリと漏らされる雑談くらいしかない。

 不穏極まりない兄の言葉にミレニアの表情が険しくなる。詳しく話を聞こうと口を開こうとした妹を、ザナドは軽く手を上げて制した。

「お前は余計なことを考えず、年頃の女らしく、二年後のデビュタントと将来の結婚生活にでも想いを馳せておけ。下手に首を突っ込めば、ギーク兄上殿をはじめ、皇城の中にいる様々な者たちを敵に回すぞ」

「でも――」

「悪いことは言わん。今回の上申で、国政に携わろうとするのは最後にしておくことだ。――次の会議には、俺が出られるはずだ。北方侵略の本格的な検討に入るだろうから、それまでに――」

 最後に、次の会議を有利に進めるためのちょっとしたアドバイスをこっそりと伝授しようとザナドが口を開いたところで、不自然に言葉を切る。

 タタタッと小さな足音が響いたからだ。

 音に気づいたロロも頭を上げ、軽くミレニアを背後へと庇う。

「お、お話し中大変失礼いたします、殿下!」

「何だ」

 まるで、仮面をかぶるように。

 ザナドは瞬き一つで『ゴーティス』へと成り代わり、走ってきた男――先ほど下がらせた従者の一人へと振り返った。

「す、すぐに皇帝陛下の居室へ向かってください!」

「何……?」

「陛下が危篤とのことです!集まれる皇族の方々は全員集まるよう、指令が出ました!」

「「――――!!」」

 兄妹は、同時に息を飲んだ。


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