第27話 奴隷解放③
ミレニアは、ひょこっと座り心地の良さそうな椅子から立ち上がると、壁に向かって歩き出した。
「一番の課題は、数の多い労働奴隷の働き口よ。彼らに支払う賃金を賄うには、そもそも国内の経済を爆発的に成長させる必要が――」
語り始めたミレニアの言葉に、ロロがぎゅっと眉間に皺を寄せたのを見て、くすっと笑う。小難しい話は回避した方がよさそうだ。
「まぁ、色々考えた結果――結局、やっぱり、お父様の考えに習うのが一番だと思ったの」
言って、ぴたりと壁の前で立ち止まる。
その壁一面に掲げられているのは――
「これが、大陸地図よ。――知っている?」
「……見たことだけは」
「ふふっ……帝都はここ。この、赤い丸が、ちょうど皇城の位置。一番太い線が、国境――これで囲われているところが、全て、イラグエナム帝国の領土なのよ」
言って、ミレニアは壁の地図を指さし、ロロに示す。今まで対して気にも留めていなかったその壁を、ロロは素直にじぃっと見上げた。
「……この、緑色は何ですか」
「これ?これは、森ね。帝都は東半分を森で囲まれているの。かなり深い森だから、慣れないものが踏破するには難しいと、首都防衛の役割も果たしているらしいわ。実際、帝国民ですらめったに入り込まないわね」
「こちらの水色は」
「湖よ。お前が今指差したそれは、ラムダ湖と言うわ。……ほら、上に小さくラムダ湖と書かれているでしょう」
「………へぇ」
本人は、自分のことを「学がない」と蔑んでいたが、知識を増やすこと自体に興味がないわけではないらしい。素の口調で呟かれた相槌からは、感情の読めない彼が、珍しく興味を惹かれていることを示していた。
ふと、ロロは地図上の一点で目を止める。怪訝に小さく眉が顰められた。
「……この、黒い靄みたいな物は何だ?」
珍しく――本当に珍しく、口調が素になっている。独り言に近かったのかもしれない。
酷く懐かしいその粗野な話し方に、まるで心の隙を垣間見せてもらえた特別感を感じて、ミレニアはあえて指摘をすることなく、気分を良くしながら口を開く。
「魔物の巣、と呼ばれるものよ」
「………巣……?」
「ええ。地図にあるのは、観測されている物だけだけれど。……この黒い靄の地域からは、魔物が後から後から湧いてくるの。とても踏破することは難しいから、さすがの帝国も、巣を避けるようにして領土拡大を図ってきたわ。……ほら、右のあたりは国境が不自然に曲がっていたりするでしょう。あれは、その奥にある魔物の巣を避けたせいよ」
「……なるほど」
地図を眺めたまま神妙な顔でロロは頷く。
「巣の周りは、資源が豊富なことも多くて、帝国としても喉から手が出る程に欲しいのだけど――人間相手ならどこまでも侵略出来るのでしょうけれど、流石に魔物となれば話は別だわ。圧倒的武力をもって一度巣を切り抜けて領土を拡大出来ても、巣の脅威が無くなるわけでは無いから、その後の領土の治安維持が出来ないの」
魔物の巣のそばには、小さな集落が点在していることが多い。それらは、国と呼ぶには小さすぎる単位だが、それ故魔物からは興味を示されにくく、何とか営みを継続出来ているという背景がある。後から後から湧き出る魔物が腹を満たすためには、人口が多い帝国領土を目指す方が圧倒的に食いでがある。小さな集落には目もくれず、より人が多い帝国領へと魔物は殺到するのだ。
だが、集落の資源を目当てに進軍し、魔物の群れを切り抜けて侵略したとして――その集落を帝国領土とし、交通網を発達させて物流を活性化し、人を送り込んで資源採掘に邁進させようとすれば、当然集落だった箇所に人口が増えてしまう。そうなれば、今まで安全だったはずの集落は魔物の群れに襲われる羽目になるため、軍隊を送り込んで防衛に当たらせる必要がある。
絶え間なく毎日のように襲い来る、現存する中で最も脅威的な生物と名高い魔物たちと、終わりのない戦いの日々を余儀なくされ、まともな救援も期待できぬ土地で士気高く戦い続けられるような軍隊があれば、ぜひとも教えて欲しいものだ。
長い帝国史の中で、その過ちは嫌と言うほど繰り返されてきた。結果、採掘量は少ないかもしれないが、集落は集落のまま自治をさせつつ、最低限の貿易行路を整え、定期的に軍隊で武装させた者達を行き来させ、互いに利のある交易をする関係を築くことが最良の策だと言われている。
「……だが、ここは」
「え?あぁ……エラムイド、ね。そこは例外。お父様が執念で切り開いた土地だから」
大陸地図の真ん中――真っ黒な靄でぐるりと四方を囲まれている陸の孤島は、帝国領として記載されている。ロロの疑問も当然だろう。
「私のお母様の生まれ故郷よ。魔物が無視するとは思えないほどの人口を有しながら自治を保っていた奇跡の土地――”神様”とやらが守ってくれているらしいわ」
「神……?」
ロロの眉がこれ以上なく胡乱げに顰められる。どうやら彼も、自分と同様の無神論者らしいとわかり、ミレニアはホッと息をついた。
「この土地は、独自の風習のおかげで、魔物の襲撃を防いでいて――って、話が逸れているわね。ここの話はいいの」
(そういえば、<贄>の儀式の秘密を暴く――なんて息巻いていたときも、あったわね。今となっては懐かしいわ)
ふと苦笑しそうになるのをぐっと堪える。
帝国の未来を思えば、それもまた、ギュンター存命のうちに明らかにしておきたかったことではあるが、時間の限られた今のミレニアには余裕がない。
――本当に叶えたい、ただ一つのことだけを、優先する必要があった。
「私が話したいのはその上、大陸最北端よ」
「上――」
背伸びをするようにして指差すミレニアに導かれ、ロロは言われるがまま視線を上げる。
「白い……?」
「そう。――凍土、というものらしいわ」
地図には、上部一面に真っ白な土地が広がっていた。いくつかの集落が集まっているようだが、近くに黒い靄――魔物の巣は見当たらない。
黒い靄が傍にないにもかかわらず、帝国領になっていないのは、この大陸地図において非常に珍しい。軽く首を傾げるロロに、ミレニアは解説を続ける。
「ここはね、一年の半分以上が冬なんですって。とても寒くて、普通に暮らしていくには厳しい土地だそうよ」
「一年の半分以上が冬……?」
「どれくらい寒いかと言うと――魔物が寄り付かないくらい、らしいわ」
パチパチ、とロロの睫毛が数度風を送った。
「魔物は、寒いのが苦手なのか……?」
「さぁ。魔物の生態は、帝国でもかなり長く研究が進められているけれど、謎が多いから。――だけど、この凍土が広がる北方地方には、昔から魔物の出現に関する話を聞かないわ。一帯の集落を全て集めればそれなりの人口がいるはずなのだけれど、寒すぎるせいで、集落間の移動がままならないせいか、集落一つ一つの人口はかなり少ないの。当然、集落単位では大した武力など持っていないのだけれど――長い歴史の中で、魔物の脅威に晒されたことは殆どないらしいわ。……自然の厳しさと戦うか、魔物の脅威と戦うかで、前者を選んだ者たちの集落、とでも言えばよいかしら」
「そんな土地が――……」
「実はこの地域、宝石の元になる鉱物が取れる場所が近いのよ。そこまでの道を整備して発展させれば間違いなく貴重な地域になるんでしょうけれど、何せ人が少ないから、産出量が限られていて。質の高い宝石は、ここから仕入れることが多いらしいけれど、希少価値が高いから他の産地の石よりも値が張るわ。――私の首飾りについている紅玉は、この地域のものだろうと、昔宝石商が言っていたわね」
すぅっといつもの癖でミレニアは首飾りを指で辿る。いつも通り、固く冷たい感触が伝わってきた。
「魔物が寄り付かないから、大した武力を投入せずとも治安維持が出来る上に、金を生み出す鉱脈が近い――だけど、自然の厳しさを前に、侵略も、侵略後の発展も難しいと判断されて、長いこと帝国は、年に数回の交易を持つだけの関係性を築くに留めざるを得なかった。――宝の山を指をくわえて見ているだけだったのよ。泣く子も黙る軍国主義国家”イラグエナム帝国”が、ね」
そこまで行ってから、くるり、とミレニアはロロを振り返る。夜空の色の長い髪がふわり、と美しく空に舞った。
「前置きが長くなったわね。――これが、私が考えた、奴隷解放施策のカギを握る土地なのよ」
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