第10話 紅の剣闘奴隷⑥
いつも通り、低く響く特徴的な角笛の音と共に、狂った命のやり取りを期待して熱気が渦巻く闘技場へと足を進める。
首に着けられた鎖を引かれ、まるで獣か何かのように。
そんな姿に尊厳を傷つけられたと憤る高潔な精神など、あいにく持ち合わせてはいない。――物心ついたころから、これは当たり前の環境だったのだ。
薄暗い通路から、まばゆい灼熱の陽光が降り注ぐ闘技場へと足を踏み出すと、一瞬、明暗の差に瞳孔が縮むのが遅れたのか、目がくらんで世界が光に包まれる。
真っ白な世界に目を眇めてやり過ごし、数度瞬きをして瞳を慣らすと、予想と異なる光景が目の前に広がっていた。
「……相手は五人と聞いていたが」
ぼそり、と呟くも、鎖を外していく男は何も答えない。
奴隷と口を利くことなど御免だと思っているのか、回答を持っていないのか。
(……七人……しかも、全員が上級以上、だな)
剣闘奴隷には強さによって階級があり、剣闘当日は決められた色の布を腰に身に着けることを義務付けられている。強さがわからないと、次の対戦カードを組む主催者が困ると言うのはもちろん、それを他者の目にも明らかにしておかないと、その試合の面白さが伝わらないためだ。
同程度の実力者同士が争う手に汗握る戦いなのか――強者が弱者をいたぶる様を楽しむ戦いなのか。
(今までも、当日になって対戦内容が変更になることはいくらでもあったが――上級以上を七人同時に相手にしろとは、なかなか無茶を言ってくれる……)
ガチャガチャと足枷を外される音を聞きながら、呆れたように嘆息し、ぐるりと相手の腰元を眺める。
赤布の上級が五人と――青布の最上級が、二人。
「……手加減が出来そうにないんだが、いいのか?」
ぼそり、と足枷を外している男に声をかける。
しかし、先ほどと同様、頑なに答えが返ってくることはなかった。
嘆息して、瞳を伏せる。上級以上の剣闘奴隷は商人にとって貴重な収入源だ。殺してしまえば、後で奴隷商人に文句を言われるだろう。何かしらの報復があるかもしれないが、その理不尽に異を唱えても無意味だろう。
(殺されるのが嫌なら、手加減できるようなカードを組め、という話だ。俺だって、みすみす殺されてやる義理はない)
筆舌に尽くしがたい一方的な暴力も、恫喝も、迫害も――支配階級から無慈悲に与えられる理不尽をやり過ごす術は、知っている。ただ、無言で、言われるがままに、全てを受け入れる。口答えをせず、抵抗もせず、ただ淡々と。――己の生命力に期待し、ただ心臓が鼓動を止めないことだけを祈りながら、耐えるだけだ。
その身に”奴隷紋”を入れている以上、支配階級から理不尽な扱いを受けることに不満はない。彼らの前では、自分の命の灯など蠟燭よりも儚く頼りない存在だ。
勿論、彼らの気まぐれでふっ……とかき消されるその灯に、思うところがないとは言わない。
奴隷の命など、虫けらにすら劣ると思われていても驚かないが、虫けらなりに命への執着と言うものはある。
世の中の汚物を詰め込んだような底辺で生きるとしても――それでも、確かに、生きているのだ。息をして、心の臓を動かし、毎日を確かに生きている。
(さすがに、皇族を前にしたときは、抗えない”死”を覚悟したが――)
神に近しい存在の鶴の一声には、足掻きようもないと覚悟したが、何の冗談か、あの翡翠の瞳を持った少女が必死に助命をしてくれた。
(高貴なる御方とやらの考えることはわからん……人の命を、戯れに奪ったり、救ったり)
ロロは、表情一つ変えないまま、目の前の敵を観察し、戦術を練る。敵が手にしている武器と身体つきから、相手の得意戦術を想像した。
生き残ろうと思えば、相手の命を奪うしかないだろう。ここを出て生き残った先に、貴重な”商品”を壊されたと、奴隷商人から理不尽な暴行を受け、命の危険を脅かされるかもしれないが、少なくとも、ここを生き延びなければその心配も無意味だ。
(まぁいい。今日は魔法を使える。最悪、闘技場ごと丸焼きにすれば――)
物騒なことを胸中で呟いていると、ガシャッ……と手枷についていた鎖が――鎖だけが、地に落ちた。
「――――――……?」
さすがに眉をひそめて、怪訝な表情で目の前の男を見やるが、男は視線を合わせることなくずいっと見慣れた双剣を差し出してきた。
「おい……?これはどういうことだ……?」
とりあえず剣を受け取りながら、問いかける。
案の定、無表情のままロロの問いかけを無視した男は、懐から一枚の布を取り出し、ロロの腰へと結びつけた。
「――――……赤色……?」
(何の冗談だ、これは)
ぎゅっと眉根を寄せて、己の腰を見下ろす。
いつも、この闘技場に立つとき――自分が身に着ける色は、”黒色”だ。
それは、最上級を超越すると認められた、闘技場に参加する者の中の頂点とされる一人だけが身に着けることを許される色。
一番の花形であることを示すその黒布の試合は、悪趣味な人々を魅了し、観覧の金額は跳ね上がっていく。
(俺を、”黒布”だと思わせたくない誰かが、観客席のどこかにいるのか――?)
プァーーーーー!
「!」
甲高い喇叭の音が闘技場に響き渡り、ハッと我に返る。腰に布を巻きつけて役目を終えた男はさっさと身をひるがえして闘技場を去っていき、目の前では敵たちがブンブンと自分の獲物を振って具合を確かめていた。
試合が始まる前の、わずかな時間。この時間に、奴隷たちは今日手にした武器の具合を確かめる。――奴隷の武器は、愛用の物が支給されるわけではない。時には主催者によって指定され、時には自分で選ぶことが出来るが、申告制だ。申告された種類の武器を、そこらの武器商人から二束三文で仕入れた無銘の中から適当に選んで、こうして直前に渡される。
今日限りの相棒の具合を確かめながら、見世物として観客を沸かせるパフォーマンスを行う――それが、この、試合開始のわずかな時間に与えられた猶予の理由だ。
(仕方ない――……奴隷が”外”の理不尽に文句など言ったところで、何も始まらない)
ロロは静かに現実を受け入れ、くるり、と手の中で双剣を回転させる。
優雅なその仕草に、おぉっ……と観客から色めき立つような声が上がった。
(手枷のせいで、魔法は使えない。手枷を着けたまま戦うのは初めてじゃないが、上級以上を相手に七人と戦うなんて無茶はしたことがないな。重さで速度が落ちるのをどう補填するか――……)
双剣を手の中でもてあそびながら、血の色をした瞳がギラリと鋭い光を放ち、周囲の敵を睨み据える。
(当日、直前になってここまでイレギュラーな変更が成されたのは初めてだ。余程の緊急事態らしい。――俺を殺した方が、商人の利になると判断されたか)
敵のパフォーマンスを眺めて、一人一人の武器を扱う際の小さな癖を脳に刻みつけながら、ロロは頭の中で考える。
(だが、当日の変更ってことは、追加された二人は予定外の間に合わせだ。他の剣闘でも引っ張りだこの”青布”を、当日いきなり用意できるはずはないだろうから、追加されたのは”赤布”の二人だろう。――連携に穴が出来るとすれば、予定外の二人か)
本来今日は、五人を相手に、魔法使用許可という条件で戦うはずだった。その中であれば、ロロは手加減をして相手を戦闘不能に陥らせ、助命することが可能だとして、対戦を組まれていたはずだ。――金の生る木を五本もみすみす殺す奴隷商人はいない。
敵に選ばれた奴隷たちの立場で考えれば、”黒布”のロロを倒すことが出来れば、奴隷小屋での地位向上は間違いない。その腕を見初められ、貴族に買われて奴隷から解放される未来もありうる。当初の対戦相手たちは、ロロを倒すため、相互にコンタクトを取り、事前に戦略を練っていたはずだった。
それくらいしなければ、ロロ相手に良い試合が出来るはずがないと、商人も熟知している。事前の作戦会議を規制するはずもないだろう。
(そこに、間に合わせの二人が投入された――おそらく、打ち合わせは皆無。……そこをうまくつくしかない、か)
ロロが舞を踊るようにして優雅に剣を振るうと、歓声がワッと大きくなった。試合前のパフォーマンスとしては十分だろう。武器の具合も十分に確かめることが出来た。
「……さて……生きるためだ。悪く思うなよ」
ギュッ……と今日初めて手にした双剣を握りこむ。なじまない柄が、硬質な感触を返してきた。
プァーーーーー プァーーーーー
長音が二つ響くのは――交戦開始、の合図。
熱狂する観客の声援と、場を盛り上げる楽器隊の演奏を聴きながら、ロロはトンッと軽く地を蹴った。
誰が、どれほど自分の死を願っていようが、関係ない。
どんな理不尽に見舞われようと、関係ない。
結果として、決して避けられぬ死の運命が待っているだけだとしても――
ただ、心臓が鼓動を止める最後の一瞬まで、足掻くだけだ。
虫けらなりに、底なし沼のような肥溜めの中で――汚泥を啜りながら、必死に。
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