第8話 紅の剣闘奴隷④

「何故あのようなことをしたのだ、ミレニア。万が一があったらどうする。お前は私と違い、武の心得も、魔法の心得も、どちらもないのだから――」

「お父様、もうわかったわ。本当にごめんなさい。私がどうかしていた」

 延々と続くキリのないお説教に顔を顰めて、何度目になるかわからない謝罪の言葉を口にする。生まれてこの方、幼女とは思えぬ大人びた振る舞いを手放しに褒められたことはあっても、誰かに自分の言動を叱られたことなど一度もなかった。

 生まれて初めての叱責を受けながら、世の中の子供たちは皆こんな面倒なやり取りを繰り返しているのかと心の底から辟易する。

(全く……こんなところで、魔法が使えないことをネチネチと責められるとは思わなかったわ……)

 ミレニアはそっとギュンターから見えない角度で重いため息を吐いた。

 父の魔法属性は水。だが、母には魔法属性がなかったと聞く。そうなれば、ミレニアは水属性になるか、母と同じく無属性になるかのどちらかだ。

 だが、魔法は生まれつきの才能によるところが大きく、属性を見極めるのがかなり難しい。無属性同士の子供であれば、無属性しか生まれないとわかっているが、異属性の魔法使いから生まれた子供は、地水火風の魔法属性のどれになるか――あるいは、無属性になってしまうのか、事前に知る術はない。異属性同士の親から生まれた子供の属性は、完全にランダムで決まるのだ。

 だから、帝国では、片方の親に魔法適性がある子供は皆、自分の属性どころか、魔法を使える力があるのかないのかすらわからない年齢から、魔法の使い方を習っていく。

 それは、将来を見越してと言うのはもちろん、魔力のコントロールが上手くできない子供は、感情の高ぶりとともに魔力を暴走させてしまうことがあるためだ。魔力量が膨大であればあるほど、ちょっとした感情の起伏で起きやすいその魔力暴走は、周辺にある己の属性の物質に影響し、場合によってはかなり厄介な事態――例えば、火属性の暴走でボヤ騒ぎが起きたりなど――を引き起こすこともある。そうした事態を防ぐため、幼少期からの鍛錬があるわけだが、暴走も悪い側面ばかりではない。火属性以外の魔力暴走は、危険性が少ないため、魔法を修めるより早く属性が判明する、という利点もある。

 だが、ミレニアに至っては、幼いころからとにかく理知的で、息をするように皇族としての振る舞いを染み付かせてきた。彼女が癇癪を起して泣いたことも、怒ったことも、物心ついてから一度もない。酷く手のかからない子供で、神童と呼ばれてきただけのことはあるが、それはつまり、魔力暴走の片鱗すら見せるチャンスが一度もなかったということだ。

 ゆえに、ミレニアは自分の中にあるかどうかもわからない魔力のコントロール方法を必死に座学だけで学び続けている。十になるまで魔法が顕現しない以上、無属性である可能性の方が圧倒的に高いことはわかっているが、可能性はゼロではない。まだ、水属性の魔法使いである可能性はある。

(水の魔法使いは、干害が起きたときに重宝するんだから、皇族に名を連ねる者として憶えておきたいと思っていたけれど――今後、同じようなことが起きたときにお小言を聞かないためにも、身を守る術として使えるようになった方がよさそうね)

 有事の際、身を守る咄嗟のときに、脳裏に描く特殊なイメージと魔力操作だけで何の道具もなく行使できる魔法は、護身術として最適だ。

(お父様は必要以上に過保護だから、私が皇城の部屋から出るたびに、護衛兵を山ほどつけてしまうから、目を盗むのは至難の業だけど――私が魔法を使えるようになったなら、多少、護衛の数を減らす交渉が出来るかもしれない)

 ギュンターの苦言を右から左へと聞き流しながら、ミレニアは全く懲りることなく心の中で呟く。

 護衛の数が多すぎるなどと、今まで考えたこともなかったことを考えながら、ぎゅっ……と、服の上から、胸のあたりをそっと握り締めた。

 そこには、金属と宝石の硬く冷たい感触が確かにある。

(あの男――お母様が遺してくれた首飾りと同じ、真紅の、宝石みたいな、綺麗な瞳だった)

 傾国の寵妃と言われた母は、ミレニアを生んですぐに死んでしまった。ミレニアは母の顔を肖像画でしか見たことがない。

 肖像画に描かれている母が身に着けているのと同じ首飾りだけが、逢ったこともない母と自分を繋ぐ、唯一の宝物だった。

(また、逢いに行きたい。誰に止められても関係ない。あの宝石ルビーのような美しい瞳を、もう一度、まっすぐに見つめたいんだもの)

 今までは、あり得なかった。――敬愛する父に、身を守ってくれる大人の兵士たちに、全力で制止され苦言を呈されてでも望むことなど、決して。

 だが、今も脳裏に焼き付いて離れない、美しい紅玉の瞳。あの、不思議な魅力を持った双眸を、間近でずっと眺めたい衝動が、どうしても抑えられない。

(どうしたらいいのかしら……皇族が、奴隷に近づくなんて、絶対に許されないわよね。瞳を覗き込める距離で、顔を上げさせることなんてもってのほかだわ)

 この国でそれは、その場で不敬だと首を討たれても文句を言えない所業だ。本当に、先ほど彼をあの場で兵士たちが処刑するのを止められてよかった、と心からほっとする。

(私、全然、知らなかった。正規軍の兵士よりも強いとされる剣闘奴隷が、あんなにも従順で、大人しくしているなんて。――名前すらも与えられないなんて――)

 軽く顎に手を当てて、ミレニアは聡明な頭で考える。

 奴隷は、口を利く道具だと教えられてきた。野蛮で、汚らわしく、人として扱うことなどありえないと言われてきた。皇族として、近寄ることすら決して許されぬと叩きこまれてきた。

 いつだって、支配階級に不満を持って、外の世界に恨みを持って、隙あらば脱走し、反抗し、無礼にも国家に弓引く行いすら辞さない連中だと思っていた。

 それが――あの奴隷は、どうだ。

 四肢に重たい枷を着けられ、億劫そうに壁に背をもたれ掛けさせて。

 唾をかけてこいと言われたのか、と揶揄したときの表情は――実際にそれをされても文句などない、と言わんばかりだった。

(わかってるんだ……奴隷であることを、受け入れて、当たり前に生きている……)

 自分たちはそうして蔑まれるのが当然の存在なのだと、それに不満などないと、達観して受け入れている。

 兵士が剣を向けても、抵抗するそぶりはなかった。ギュンターが冷ややかな最後通告をしても、従順に瞳を閉じて見せた。支配階級に理不尽に扱われることを、なんとも思っていないという顔だった。

(――――……嫌だ)

 あの美しい瞳を持った名もなき青年が、抵抗の意思もなく、理不尽を従順に受け入れて死んでいく世界を、初めてミレニアは嫌悪した。

 彼が死んでも、墓標に名前は刻まれない。――いや、墓が立てられることすらないだろう。墓は、”人”を弔うためのものだ。”道具”に墓を作る者はいない。

(嫌だ、嫌だ、嫌だ――!)

 きっと、これから先、ミレニアの心を惹きつけてやまないあの瞳がこちらを向くのは、その直後に首を討たれることを覚悟したときだけだ。理不尽を受け入れる虚ろな瞳を、見たいわけではない。

 あの紅玉の瞳が、活き活きと輝くところを見たい。笑って穏やかに緩むところを見たい。悲しみに涙を流し、憤りに顰められるところを見たい。

 顔を上げろという命令に従ってではなく――”人”として名前を呼んで、当たり前のように振り返ってくれるところが、見たい。

「良いか、ミレニア。これから先、私と護衛の目の届かぬ所には――」

「わかった、わかったわお父様。早くしないと、主役の登場に間に合わないのではなくて?」

「む……」

 放っておくと、目的を忘れて日が暮れるまでお説教を続けそうな父に進言すると、ギュンターは不満そうに口を噤んだ。溺愛する娘の身が心配でならないのだろう。

「行きましょう、お父様。――早く、奴隷商人を懲らしめて」

 行儀悪く悪態をつきたくなる気持ちを堪えて、吐き出す。

 あの青年を、あんなふうに理不尽に縛り付けた元凶は、間違いなく今日ここにいるという奴隷商人たちだろう。そして、この闘技場に集まっている腐った貴族たちが、それを助長させている。

(許せない――絶対に、許せない)

 自分でも訳が分からない感情だが、ミレニアはふつふつと心の奥底から湧き上がってくる想いにぐっと拳を握り締めた。

 噴き出しそうになる怒りを心に秘めて、父に従い、熱狂の渦巻く闘技場へと足を踏み出す。


 ――視界の端で、小さな光の粒が、瞬いたような――気が、した。

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