アルト・4パ
@8738bi
憧れは冷静な判断を失う
先に断っておく。 私は-皆で楽しく歌えたら-それだけでよかったのだ。練習が終わったら、お菓子を持ち寄ってお喋りするような、穏やかな内輪な部活だと思っていた。万が一にも、大会に出場するような部ではないと思い込んでいた。
理由は、私が幼稚園から小学校3年まで所属していた合唱団が、『楽しく歌いましょう』というゆるっとした感じで、それが一般的なものだと思っていたからだ。
中学1年、初めての音楽の授業でそれは起きた。パート分けをするため、ピアノの音階に合わせて声を出した時に先生から「あれ?声の出し方が違うね」と言われた。その時の顔がにこやかであれば、特に気に止めることもなく、家に帰る頃にはすっかり忘れ去っていたはずだ。だが、眉間に皺を寄せ、首を傾げながら「もう1回いい?」と再び声出しを促してきたのだから、不安で仕方がない。声の出し方が違うとは何ぞ…。促されて出た声は弱々しく、足は産まれたての子鹿の如く震え「もう1回やろか。リラックスして」と笑顔で3回目を要求された。1回の声出しで済んでいるクラスメイトたちと比べ、明らかに時間を食っている。教室の前方で1人、発声を何度もやり直しさせられるこの状況は、一種の公開処刑なのではないか…。そんな考えが頭を過り、焦りと恥ずかしさで体温は上昇。じっとりとした汗でセーラー服は体に纏わりつく。《早くこの状況から脱したい》その一心で、ピアノに合わせて音階を歌う。シから裏声を出すと「歌、やってた?」と満面の笑みで尋ねられた。
突然のことで、あ……はぁ。と気の抜けた声が漏れたが「ちゃんと声がお腹から出てる。いいよ!」と笑顔で返され、アルトに振り分けられた。
褒められることに耐性のない私は、湯だったタコのように耳まで赤くなり、心臓は高鳴った。あまりの恥ずかしさで、走ってこの場から消え去りたいという衝動と、ようやく音階地獄から脱出できたという解放感が混ざり合い、頭がぼんやりした。
音楽の先生なら誰でも気が付くものかも知れない。だが、この時の私はまるで魔法を目の前で見せられたかのように感激し「この先生は、すごい!」と一瞬で尊敬の人へと認識が変わってしまった。「もし、部活決まってないなら、コーラス部の見学においで」と言われたことを真に受け、私は安易にも-先生が顧問を務めている- コーラス部への入部を心に決めてしまったのだ。
もし、この時の私に一言伝えられるのなら「コーラス部だけは辞めとけ」と言ってやりたい。恐らく、忠告は無駄に終わり、より一層、入る気持ちを高めてしまうだろう。しかし、水を差して冷静になれる時間を少しでも設けてやりたい……そう思うのだ。
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