あんた達いい加減にしなさいよ

@swS

第1話

「修馬。好き」

 暑い夏の日。そう言われた修馬はアイスキャンディーが落ちた事にも気付かず、何度も空気を食んでいた。

 口は動いているが他の部分は微動だにしない。目を大きく見開いたまま、隣に座る樹里を凝視している。

 そんな様子がしばらく続き、ようやく口の動きが止まると修馬の顔も手足も全てが赤く染まった。

「おっまえ…先に言うんじゃねぇよ!」

 そう叫ぶなり修馬は全速力で走り出した。


 ――――


 加賀美修馬かがみしゅうまは都会とも田舎とも言えない、どちらかと言うと田舎寄りの町で生まれ育った。生来の喧嘩っ早さで幼少時から親子で頭を下げる事多数の問題児だったが、なんとか地元の高校に入学した今は素行面より学力面で問題児扱いされている。


 そんな修馬の悩みは幼馴染の鹿島樹里かしまじゅりに関する事である。


 樹里は修馬が幼稚園生の時に近所に越してきた。お人形の様に可愛いという両親の誉め言葉に修馬も心の中で同意したが、樹里のいかにも内気で大人しい雰囲気が気に食わなかった。それ故、同い年だから仲良くしてね、と樹里の母親に言われた時、修馬はそっぽを向いた。が、その後樹里があまりにも悲しそうな顔をしたものだから『この生き物はオレが守らないといけない』と使命感に似たものに駆られた。


 気の強い姉の比奈ひなとの関係の反動もあってか、修馬は樹里を子分の様に従えて色々な場所へ冒険した。何度も親に叱られ、右目の下に痕が残る程の傷を負って大騒ぎになった事もある。

『楽しかったか?』

『…楽しかった』

 大体碌な結末にならない冒険ばかりだったが、樹里が笑えば修馬はそれで満足した。


 小学生になった時、修馬と樹里の関係が変わりかけた。正確には修馬が変えかけた。

『修馬。私の事嫌いになった?』

 同級生に囃し立てられるのが嫌で樹里を避けていた修馬は樹里のその言葉に頭をガツンと殴られた気分になった。樹里が小さな声で『…ごめん』と謝って去った後も修馬はしばらく動けず、ふらふらと家に帰った。

『あんたはメンツと樹里ちゃんどっちが大事なの。大切なものはしっかり大事にしなさい。バカタレ』

 何故姉に相談したか修馬は覚えていない。ただ生まれて初めて修馬は二歳年上の姉を尊敬した。

 それから修馬は自分が爪弾きにされても樹里が変な性格だと遠巻きにされても、ずっと樹里の傍にいた。


 ――――


 中学生の時、修馬の中で樹里の存在が変わった。

 修馬の好みは胸と尻の大きい女性で、樹里は修馬の好みと真逆だった。修馬はその好みを公言して同級生の女子達に白い目で見られていたが、樹里はそれを中学二年生の秋頃まで知らなかったらしい。

 当時修馬は担任に、何処かへ進学するつもりなら本当に真面目に勉強しなさい、と指導より懇願に近い形で言われており、ぼんやり将来を考えていた。何処なら働けるだろうかとふわふわ思考していた時に樹里に好みの事を問われ、修馬は素直に答えた。


 その数日後、帰宅途中の修馬は近所の公園にいた。

 危険だとかで数年の間にいくつかの遊具が撤去された公園にはブランコと小さな藤棚を天井にしたテーブルの無い東屋しかない。昔散々傷を拵えたブランコに魅力を感じられず、修馬は教科書を膝に置いて東屋のベンチに座っていた。

 修馬はなんとなく家に帰りたくなかった。

 頭の良い姉が県外校ではなく地元の高校を選んだ時にはその選択を尊重した両親だが、残り一年勉学を捨てて体力づくりをしようと考えていると言ったらどんな顔をするだろうか。スポーツに打ち込んでいれば言い訳も立ったかもしれないが、ルールというものが基本的に性に合わない。稼ぐ為と理由付け出来る方がまだ耐えられる。

 そんな事を考えていたら修馬の足は家ではなく公園に向かい、ベンチに座ったら帰る気力がなくなった。

『困らせてぇ訳じゃねぇんだけどな…』

 そう呟いてみても両親の困った顔しか浮かばず、かといって新品同様の教科書をパラパラ捲っても全く頭に入ってこず。とりあえず諦めて修馬は教科書を学校鞄にしまった。


『まだ帰らないの?』

 樹里が現れた時、空は濃い赤だった。夕焼けと呼ぶには紫の色に寄り過ぎており、その光の色の影響を受けた世界を修馬は理由なく嫌だと感じた。

『帰らねぇ』

 帰りたくないとは言いたくない。そんな修馬の強がりに気付いているのかいないのか、樹里は何も言わなかった。

 隣に座るのかと思い、修馬は学校鞄を逆方向にどかした。しばらく樹里が動かなかったので元の位置に戻しかけたが、その前に樹里が隣に座ったので学校鞄から手を離した。

『修馬は高校行かないの?』

『行く行かねぇじゃなくて無理。寝てなくても授業何言ってんのか分かんねぇ』

『…そう』

『お前は?県外行かねぇの?』

『行かない』

『ふーん…?』

 制服のままの修馬と違い、樹里は私服に着替えていた。肩の露出した服も足に思わず目が行く短いスカートも似合っているとは思ったものの、修馬の感覚では季節にそぐわない格好への違和感とあまり見た事がないという感想が勝った。

 衣替えの時期は当に過ぎて肌寒い位の気候だが、多分これがお洒落というものなのだろう。姉が検討し結局辞めた高校デビューなるものをすれば樹里も日常的にこういう格好をするのだろうか。

 そんな事を思った修馬は不意に樹里を遠くに感じた。

『修馬は働くの?』

『そうなるな』

『この辺りで仕事が見つからなかったら遠くに行くの?』

『そうするしかねぇな』

 特別な事情が無いならば高校へ行った方が将来の選択肢の幅が広がると担任は言っていた。やりたい事がある訳でもない自分は進学する方が無難だろうと修馬自身も思う。そうするだけの能力が無いだけだ。

 能力が無いなら、なるようにしかならない。働ける場所が遠くなら遠くに行くしかない。

 例えそれで樹里との縁が切れても。

『オレがいない間にお前に彼氏できてるかもな…』

 修馬は自分で言って自分で凹んだ。

『…修馬は行った先で彼女作るの?』

『まずは仕事覚えなきゃ話になんねぇよ。そっから先の話は聞かれても分かんねぇ』

『…そっか』

 赤かった周囲はすっかり黒に近い紫になっている。少し離れた所にある街灯が点く。

 流石に帰ろう。そう言いかけた時、修馬は右腕に柔らかい感触を覚えた。

『修馬』

 腕に、抱き着かれている。

 そう理解しても固まった修馬の体は動かなかった。

『背、高くなったね』

 修馬の腕に硬いものが当たる。おそらく樹里の頭だろうそれは肩上には届かない。

『手もずっと大きい』

 修馬の手に外側から手が重ねられる。第一関節が指先でくすぐられる。

『ここの傷…残っちゃったね』

 修馬の目の下の傷跡がなぞられる。

 飛び移って拾えると判断したのは当時の自分で、樹里のせいではない。だから樹里が気に病む必要は無く、そもそも姉が人相の悪さを傷のせいにできるといじってくる程度の傷だ。

 そう伝えたくとも修馬は声が出せなかった。

『ねぇ修馬。胸もお尻もないけど…私の事、嫌い?』

 そうではないと知っているのに、修馬は樹里に耳元で囁かれていると錯覚した。

『…う…うおおぉおあぁああああ!』

 耐えられずに修馬は走って逃げ出した。しかし数歩も行かぬうちに置き去りにした学校鞄を思い出し、じりじりとにじり寄る様な僅かさで東屋へ戻る羽目になった。

『…はい』

 そんな修馬の不審な動きの目的に気付いたらしく、樹里は戻ってきた修馬に腕を伸ばして学校鞄を渡してきた。

 久方振りに見た気がする樹里の顔は修馬にはいつも通りにも見えた。

『…き、らいじゃ…ねぇ、から…』

 それだけ言葉を絞り出すと修馬は学校鞄を引っ掴んで家へ逃げ帰った。


 逃げ帰る間も逃げ帰って玄関の上がり框に座り込んだ後も修馬は必死で頭を働かせていた。

 何かしなければならないとは分かっている。分かっているが、修馬の思考は空回りするだけで何も形になってくれない。

 時間が足りない。時間が欲しい。時間が足りない。時間が欲しい。

 その二つの言葉が修馬の頭の中で暴れ回る。そして暴れ回った結果、『だから邪魔!』と姉に強く背中を叩かれたタイミングで修馬は結論を出した。

『高校に行く』

『はい?』

『今から死ぬ気でやれば受かる、かもしれない』

『なんで微妙に弱気なの』

『働き始めたら絶対に手一杯になる。無理だ。高校行って、退学になる前にケリつけねぇと』

『なんで退学前提?』

 姉に一切返事をせぬまま自己完結した修馬は、そのままの勢いで両親に進学の意思を伝えた。そして翌日、担任にも同じ事を伝えた。

 両親も担任も不思議そうな顔をした。それでも修馬のやる気に水を差してはいけないと思ったのか、本当に勉強を始めた修馬を快く応援した。姉の比奈も日夜机に向かう弟に口に挟む事はせず、突然の心変わりの理由を尋ねたのは修馬がなんとか樹里と同じ高校へ滑り込み合格してからだった。

『…色々言いたい事はあるけど、まず樹里ちゃんにちゃんと返事すべきじゃない?嫌いじゃない、は答えじゃないでしょ』

『あ』

 事情を聴いて頭を抱えた姉の指摘に修馬は間抜けな声を出した。


 ――


 それから半年と数ヶ月が過ぎた。

 その間修馬は樹里と顔を合わせなかった訳ではない。むしろほぼ毎日会っていた。

 しかし修馬は未だ樹里に答えを伝えられずにいた。

『ヘタレ』

『ぐっ…』

 姉のシンプルな罵倒に言い返せない。それが途轍もなく悔しいのに修馬は二の足を踏んでいた。

 あの時の衝撃が忘れられない。生半可な返答では同じだけの衝撃を樹里に与えられない。それは駄目だ。それでは樹里に伝わらない。

 ではどうすればいいのか。

 そこでいつも修馬の思考は止まる。その繰り返しが続いた結果、修馬の高校一年目の春は過ぎ、夏も半ばを過ぎていた。

「修馬。好き」

 そして修馬は二度目の衝撃に襲われた。


「おっまえ…先に言うんじゃねぇよ!」

 固まり、叫び、走り出す。前回と同じ行動だが、今回の修馬は成長していた。

 全速力で家へ帰ると机の引き出しに後生大事にしまっていたプレゼントを取り出す。姉の『走るな!』という怒鳴り声を聞き流し、再び樹里の元へ全速力で舞い戻る。

 それから少々驚いた顔をしている樹里の手に自分の手を覆い被せる形でプレゼントを握らせ、修馬は思い切り叫んだ。

「オレの方が先に好きだった!」

 奇しくも前回と同じ東屋のベンチ。あの時は肌寒かったが、今は藤棚の天井があっても暑い。

 修馬は手元から視線が上げられなかった。今更汗まみれで樹里に触れている事に気付いても、震えが止まらない手は妙な力が入って上手く動かせなかった。

「…違うと思う」

 修馬の震えは樹里のそんな一言で治まった。

「は?…はぁ!?なにがっ、何が違うんだよ!」

「だって私の方が先に告白した」

「告白される前から好きだったっての!オレが先に好きだった!」

「絶対に違う。私は幼稚園の時から修馬の事好きだった。いつも冒険に連れていってくれる修馬が格好良くて、優しくて、大好きだった。だから私の方が先に好きになった」

「オレは最初会った時からお前の事可愛いって思ってた!」

「可愛いじゃ駄目。私はもう好きって思ってた」

「ぐ…なら先に好きになったのは譲ってやる!だけどオレの方がずっとずっとすっげぇ樹里の事好きだから!」

「それも違う。私の方が半年以上待てる位ずっとずっとずぅっっと修馬の事好き」

「くっそ、理論武装しやがって…」

 何故か修馬と樹里は見つめ合わず、手を離さないまま睨み合っていた。修馬の落としたアイスキャンディーが液体に変わって何処かへ流れて行った後も、二人は互いから目を逸らさなかった。

「埒が明かねぇな」

「そうだね」

「なら、他の人間に決めてもらおうぜ」

「うん」

 修馬は大事そうにプレゼントを持つ樹里を連れて家へ帰った。そして何かを予感して苦虫を嚙み潰した様な顔をした姉を捕まえた。

「てな訳で判定してくれ」

「……」

 事情を聴かされた姉の比奈は眉間を押さえて深く、深く息を吐いた。

「あんた達いい加減にしなさいよ」

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