4-3 獣の瞳
「……なるほど。璃羽の幼馴染がいつもと違うように感じた、と」
図書室で経験した全ての時間を話し終えた直後、燎良がぽつりと呟いた。
燎良の呟きに対して、小さく頷いてから璃羽はさらに口を開く。
「気のせいかとも思ったんですけど、やっぱり花理があんな目をするなんて思えなくて……もしかしてっていう気持ちが拭えなくて」
璃羽が業獣に目をつけられたのは、今回がはじめてだ。
業獣の宿主になった人間を探すのも今回がはじめてのため、実際に業獣の宿主になった人間を目にしたことはこれまで一度もない。
故に、あのときの花理の様子が業獣の宿主たちと一致するものなのか自信がない。しかし、あのときの彼女の様子が普段と異なるのは確かだ。
花理の目が、業獣を思い出させるものだったのも。
「先生、業獣『緑眼』の動きは?」
璃羽と向かい合うように座りながら、燎良が有護へ声をかける。
すると、有護はこの街の地図を机に広げ、赤いペンで大きく円を描いて印をつけはじめた。
「昨日はここと、ここと、ここ。あと、ここでも他の狩人からの目撃情報が得られてる」
璃羽も地図を覗き込み、有護が印をつけた場所を確認する。
地図に描かれた赤い円は、一つだけでなく複数の場所についている。まるで、一つの場所に長く留まるのを避けて次から次に居場所を変えているかのようだ。
その中には璃羽が花理と遊びに行ったことがある場所もいくつか含まれており、そのうちの一つは彼女の家から近くの場所だ。
ひゅ、と。璃羽の喉が引きつり、短い呼吸音をたてる。
「……ずいぶんと目撃情報が多いな?」
対する燎良は至って冷静で、地図に視線を落としたまま気になったことを呟いた。
簡単に恐怖に呑み込まれてしまいそうになる今の璃羽にとって、燎良の冷静さは非常にありがたい。
「多分、行動範囲が広いタイプの業獣じゃないかな。今回のターゲットはすでに燎良から攻撃を受けてるんだろ? 燎良に見つかりにくくするため、転々と居場所を変えながら回復に努めているのかもしれない」
「ああ、なるほど……そう考えたら説明がつくな」
だが、もしそうだとすると違う問題点も浮上してくる。
ぎゅっと眉間にシワを寄せ、険しい顔をした燎良が地図からゆっくりと顔をあげた。
「璃羽」
「は、はい」
名前を呼ばれ、反射的に背筋を伸ばす。
誰が見ても険しいとわかる顔をした燎良を見れば、この手の世界についてまだあまり詳しくない璃羽でもよろしくない何かが起きていることは簡単に予想できる。
しゃんと背筋を伸ばし、真っ直ぐに燎良を見つめる。
「今回の業獣『緑眼』が転々と移動しながら回復に努めている可能性があるなら、早急になんとかする必要が出てきた」
とん。燎良の指先が地図の赤い円を叩く。
「あいつら業獣は弱っている状態でも人を襲う。弱っている状態でこれだけ行動範囲が広いなら、この先襲われる人が増える可能性がある。……あのときの判断を誤った。逃げた時点ですぐに追うべきだった」
ぎ、と燎良の表情が悔しげに歪む。
だが、それもほんの一瞬のこと。すぐに元の表情を取り戻し、言葉を続ける。
「今のところ、人が怪死したという話は耳にしていないしニュースにもなっていない。他の狩人が食い止めてくれているのかもしれないが、いつまでもその状態が保たれる保証はどこにもない。だから、今夜手を打とうと思っている」
「今夜……」
こくり。ゆっくりとした動きで、燎良が頷いた。
「今夜、俺は業獣『緑眼』を狩る」
璃羽の脳裏に、燎良とはじめて出会った夜の記憶が浮かぶ。
いきなり襲いかかってきた業獣に立ち向かい、業獣とよく似た獣とともに戦っていた燎良。
燎良へ牙をむき、鋭い爪を振り下ろしていた業獣。
あのときは何が起きているか全く理解できずに震えていたが――今ならわかる。
あれは、燎良の狩りだったのだ。
「けど、ここまで転々と移動されると居場所を掴みにくい。狩りに時間をかけすぎたら、その間に業獣が回復するかもしれない。あいつに遅れを取ることはないだろうが、無駄に時間がかかったら厄介なのは確かだ」
「まあ……それは、なんとなくわかります」
璃羽も燎良があの業獣に負けるとは思っていない。
しかし、向こうが完全に回復してしまうと、せっかく燎良が傷をつけた分が無駄になってしまう。完全に回復しきった相手と戦うよりも、相手が弱った状態で狩るほうが楽なのはなんとなくだが理解できる。
小さく頷いた璃羽の視線の先で、燎良の唇がゆっくりと弧を描いた。
「そこでだ。璃羽にも今回の狩りを手伝ってもらいたい」
部室の中がしんと静まり返る。
燎良がなんと言ったのかすぐに理解できず――やや時間を置いてから何を言われたのか理解した瞬間、璃羽の喉から驚愕の声があがった。
「はい!?」
業獣の宿主になる人間を探す手伝いをすると決めた日、燎良は璃羽の協力が必要不可欠だと言っていた。宿主を探すくらいなら手伝えると思って頷いた。
しかし、狩りそのものまでの手伝いとなると――首を縦に振るのは難しい。
業獣と狩人の世界に関する知識を持っている燎良と有護に対し、璃羽はほとんどそちらの世界に関する知識を持っていないのだから。
「璃羽の予想が正しければ、今回の宿主はお前の友達なわけだろ。なら、そいつの行動を予想できる璃羽がいないと守りにくい」
「で、でも……私、本当にこっち側の世界について詳しくないし……先輩たちの足を引っ張るだけになっちゃいそうだし……」
燎良が言いたいことは予想できる。花理ともっとも付き合いが長く、行動範囲やどのような行動をするか予測できるのは、この場には璃羽しかいない。
保護対象がどのような行動をするのか、行動範囲がどのくらいなのか。それらの情報がわからない状態で守ろうとするよりも、それらの予測ができる人がいたほうが守りやすくなるだろう。
璃羽だって燎良と同じ立場なら似たようなことを考えるだろうけれど、首を縦に振るにはどうしても不安がつきまとう。
「大丈夫だ。ちゃんと璃羽もお前の友達も守り切るし、お前にも業獣と戦えって言うつもりはない。先生にもついてきてもらう予定だから、お前たちが危険な目に遭うことはない」
ちらり、と。璃羽は有護へ視線を向ける。
璃羽からの視線に素早く気づき、有護は穏やかな笑みを浮かべて片手をひらひらと動かした。
「僕の得意分野は守ることだから。姫井さんにも、姫井さんのお友達にも傷一つつけないって約束するから安心して」
燎良だけでなく、先生も一緒なら大丈夫――だろうか。
渦巻いている不安はなかなか消えてくれそうにないが、ここで首を横に振ってもあまり良いことはない。そのことは璃羽も理解している。
確実に狩りを成功させて花理を守るには、璃羽も燎良の狩りに協力するのが一番だ。
「……。……わかりました」
恐怖を飲み込み、燎良と有護を見て頷く。
不安はある。恐怖もある。けれど、己が手を貸すことで、業獣を確実に狩ることができるのなら。
「私も、協力します」
自分も、狩りに参加するべきだ。
決断した璃羽を真っ直ぐ見つめ、燎良が目を細めて笑みを浮かべる。
「……協力ありがとう。絶対にお前たちのことは守り切るから、安心してほしい」
「……私も、先輩を信じてますので」
「信じてもらえるのは嬉しいな。なら、その信頼に応えるとするか」
わずかに肩を揺らして笑ってから、燎良は片手を璃羽へ差し出した。
「姫井璃羽。お前を狩人たちの夜に招待するよ」
おそるおそる手を伸ばし、璃羽も差し出された燎良の手へ己の手を重ねて握る。
狩人の夜への招待状。目に見えないそれを、璃羽はしっかりと受け取った。
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