32:三者面談(前)
「薙。アンタ、アタシに隠してることがあるだろ」
ワイングラスを傾けながらこちらを睨む赤い瞳に、おれは身を竦ませた。昔からバアちゃんに睨まれると、怒られる心当たりがあってもなくても逃げ出したくなってしまう。
おれ、何したっけ。冷蔵庫に入ってるバアちゃんのプリンを勝手に食べたことだろうか? それとも、バアちゃんのお気に入りのニットを間違って洗濯してしまったことだろうか?
もぐもぐと夕飯の肉じゃがを食べながら、いくつかの「心当たり」を思い浮かべていると、ずいと一枚のプリントを突き出してきた。
「……〝三者面談のお知らせ〟……あっ」
まずい、と思ったおれは、身を乗り出してバアちゃんの手からプリントを奪おうとした。
しかし、バアちゃんはひらりとおれの手を躱す。年寄りのくせに、なかなかあなどれない反射神経だ。
「もう来週じゃないか、なんで言わないんだい! このあいだ零児の母さんに会ったときに聞いて、びっくりしたよ!」
「……う……ば、バアちゃん、昼間に学校まで来んの大変だと思って……」
「見え透いた嘘をつくのはおやめ! どうせ、アタシを友達に見られるのが恥ずかしいとか、そんな理由だろ。まったく、いつまで経ってもガキだねえ……」
ガキだと言われると情けないが、その通りだ。おれは高校生にもなって、バアちゃんと一緒にいるところを周りに見られるのが恥ずかしい。
月城町にいても目立つのに、人間社会において二百歳の吸血鬼であるバアちゃんは妖怪の域だ。去年の三者面談では、バアちゃんを目撃した生徒が「絶対妖術とか使える」「デカい鍋かき回してそう」「ジブリの映画で見たことある」などと、陰で好き放題噂していたのを知っている。
「……母さんも父さんもいないし、別に三者面談なんてわざわざ来なくても……」
「何を言ってるんだい! アンタの卒業後の進路のことも、きちんと先生と話をしないとダメだろう。大事な時期だからね」
そう言って意気揚々と鼻を鳴らしたバアちゃんに、おれは諦めの溜息をついた。
こうなったらもう逃げられない。両親がいない今、おれの保護者は紛れなくバアちゃんなのだ。
「……バアちゃん。絶対、時代遅れの黒マントとか着てこないでよ」
「着るなと言われると、着たくなるねえ」
ニヤリと不敵に笑ったバアちゃんに、おれは「お願いします絶対にやめてください」と机に頭を擦りつけた。
放課後、三者面談の二十分前。おれは校門でバアちゃんが来るのを待っていた。昼間はほとんど外に出歩かないバアちゃんが、無事にここまで来れるのか心配だったのだ。
他の学年やクラスでも三者面談が行われているらしく。ちょこちょこと見慣れない大人が校門をくぐっていく。向こうから日傘をさした女性が、華やかなオーラを放ちながら歩いてきた。見覚えがあるなと思っていると、零児の母さんだった。
「あらあ、ナギちゃん。久しぶりー。ちょっと見ないうちに、大きくなったわねえ」
「おばさん、こんにちは」
零児の母さんも吸血鬼で、おれの母さんの親友である。
おれの母さんも結構な美人だと息子の贔屓目で思うが、零児の母さんはそれに輪をかけて綺麗だ。目が合うだけで魂を抜かれてしまいそうなぐらいに。それに加えて、おれと同世代だと言ってもおかしくないくらいに若々しい。
「ナギちゃん、三者面談のことおばあちゃまに言ってなかったんでしょう? だめじゃない」
めっ、とばかりに人差し指で額を小突かれると、今すぐこの場にひれ伏したいような、跪いて足を舐めたいような、変な気分になってくる。
おれでさえこうなるのだから、宝石のように煌めく赤い瞳に見つめられたら、きっと人間の男はひとたまりもないだろう。こうして古代の吸血鬼は人間の血を飲んできたのだな、としみじみ思い知らされる。
「おばあちゃま、いつもナギちゃんのこと心配してるのよ。あの子は学校でうまくやっていけてるんだろうか、やっぱり夜間学校に行かせた方がよかったんじゃないか、って」
「……そうなの?」
おばさんの言葉が意外で、おれは目を瞬かせた。
バアちゃんは普段おれの前で、そんな素振りは少しも見せない。どちらかと言えば放任主義なタイプなのだと、そう思っていたのに。
「おばあちゃまは昔から、薙ちゃんのことが可愛くて仕方ないのよね。このあいだはお友達を連れてきたんだって、喜んでたわよ。薙ちゃんも難しいお年頃だろうけど、優しくしてあげて。ねっ」
そう言っておばさんは、おれに向かってパチンと片目を瞑ってみせた。流れ弾が当たったら、数人死にそうなくらい破壊力のあるウインクだった。
「……うん」
おれは素直に頷いた。おばさんは「零ちゃんのクラス、どこだったかしら〜」と、ふわふわと校内へと向かう。謎のフェロモンを振り撒いて、すれ違う男子生徒の視線を一身に浴びている。あれはあれで、バアちゃんとは別の意味で悪目立ちするだろう。
「……薙くん。今の、どなたですか?」
「うわっ!」
まるで幽霊のように唐突に背後に現れた気配に、おれはその場で飛び上がる。振り返ってみると、いつのまにか陽毬が立っていた。
「ひ、陽毬……?」
「すごくきれいな方でしたね……仲が良さそうでしたけど、お知り合いですか?」
そう言った陽毬の口元は笑みの形を作ってはいたけれど、瞳の奥がひやりとするほど冷たくて、なんだか怖い。一体どうしたんだろう。
おれは首を傾げながら、「零児の母さんだよ」と答えた。その瞬間、陽毬の目に再び優しい光が戻る。
「! 如月くんのお母さま……なんだ、そうでしたか。やっぱり吸血鬼って、すごく若く見えますね……」
「それより陽毬、こんなとこでどうしたの?」
「……わたしも今日、三者面談ですから。薙くんの次です」
そう言って俯いた陽毬の横顔は、驚くほどに暗かった。
そういえば陽毬は一人暮らしをしていると言っていたけれど、一体誰が来るんだろうか。おれと同じく、家族を迎えに来たのだろうか。
「陽毬の母さんか父さんが来るの?」
「いえ、わたしには母も父もいませんから。伯父が来ます」
「あ、そうなんだ……」
何か事情がありそうだとは思っていたが、陽毬の口から家族の話を聞くのは初めてだった。陽毬は唇をいびつに歪めて、へたくそな笑みを浮かべる。
「伯父にとって、わたしは厄介者なんです。三者面談に来てほしいと電話したときも、ひどく億劫そうでした」
「え、そ、そんなこと……」
「余計なものを抱え込んだと、思ってるんでしょうね」
そんなことないよ、だなんて、事情も知らずに無責任なことは言えない。
口を噤んで俯いたおれに、陽毬は「変なこと言ってごめんなさい」と申し訳なさそうに言った。おれは無言でかぶりを振る。
「薙くんは、おばあさまがいらっしゃるんですか? わたしも久しぶりにご挨拶したいです」
「ああ、うん……バアちゃん目立つから、ちょっと恥ずかしいんだけど……昨日も、マント着てくるとか着てこないとかで揉めたよ」
「薙くんのことを考えてくださってる、とっても優しくて素敵なおばあさまだと思います。いいなあ」
陽毬の話を聞いていると、おれは自分のガキ臭さが情けなくなってきた。自分のことを心配してくれる家族がいることの幸せに、おれは自覚がなさすぎる。
しばらく陽毬と二人で待っていると、真っ黒い日傘をさしたバアちゃんが歩いてくるのが見えた。
おれの要望通り、ド派手なマント姿ではなく、黒のガウンコートを羽織っている。人間社会に溶け込んでいるとは言い難かったけれど、バアちゃんなりに頑張ってくれたことがわかった。
「おや、薙。迎えに来てくれたのかい」
今日は曇っているけれど、バアちゃんの顔色はやや悪く、やや息も切れていた。おれのためにわざわざ来てくれたのかと思うと、申し訳なさが胸に押し寄せてきた。バアちゃんの腕を持って、身体を支えてやる。
「ちょっと、老人扱いするんじゃないよ」
「まごうことなき老人だろ……バアちゃん、来てくれてありがとう」
礼を言うと、バアちゃんは皺くちゃの顔で「今日はずいぶん殊勝な態度だねえ」と笑う。おれはなんだか気まずくて、黙って頰を掻いていた。
「おばあさま、お久しぶりです。こんにちは」
「おや、陽毬ちゃん。制服姿も可愛いねえ。またいつでも遊びにおいで」
「はい、ぜひ」
「ほら行くよ、バアちゃん」
おれは陽毬に軽く手を振ってから、バアちゃんと並んで教室へと向かった。
相変わらず荒野の魔女のようなバアちゃんは悪目立ちしていて、周囲からはじろじろと無遠慮な視線を向けられたけれど、不思議なことに今はそれほど気にはならなかった。
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