最後の月曜日:1

 いつ自分が眠ったのか、どこまでが夢だったのかもわからない。

 目を覚ますと、朝になっていた。もちろん地下室に陽の光など差してこないから、時計を見て判断するしかない。

 決して爽やかな目覚めではない。いや、はっきり言って最悪な気分だ。落ち着いて眠ったわけではないから、疲れは全く取れていないし、固い床の上に横たわっていたせいで、体中が痛いのなんの。口の中はねばねばしているし、吐き気すら催すほど空腹だ。

「なあ、起きたか」

「体が、体が重いわ。全世界がのしかかってくるぅ」闇の奥からうめき声が聞こえる。

 携帯電話のスクリーンを点灯し、冴子の顔を照らす。ホラー映画の怪物のほうが、もう少しマシな顔をしているだろう。瞼は腫れて、口にはよだれの跡が白く残っている。

「今何時なの。まだ夜よね、そうよね」

「はやく目を覚ませよ。登校の時間になっちまった」

「眠たい死にたい、死んだほうがまし。きっと学校は今日休みよ。そうよ」

「休みどころか、ばりばりの月曜日だからな」

 学校があろうとなかろうと、とにかくこの部屋から出たくてたまらない。

 もう一度、おそるおそる扉を開ける。するとミミズはいない。

 遠くから、たくさんの人々による喧噪が聞こえてきた。いつもの学校。いつもの生徒たち。

「ミミズ、どこか学校外にいったのかな」

 とりあえずそこで別れて、それぞれの教室へ向かった。教室にバックパックを置きに行こうとする途中、佐々木に鉢合わせることになった。

「そのでけえリュックサックは何?」佐々木は俺が背負っているものを指さした。「お前、部活か何かやってたっけ」

「いや」

「じゃあ何に使うんだよ。爆弾でも入ってんのか」

「ははは、そんなわけあるか」そんなわけは全然ある。「体育着とか、そこらへんだよ」

「ふうん」佐々木はバックパックへの興味を失ったようだ。「つーか、どこ行くんだよ。これから集会だろ」

 俺はでかい荷物を背負ったまま、月曜日恒例の全校集会に参加するはめになった。

 体育館に生徒たちが続々と集まっていく。今日も雨天のため、全校生徒が狭い屋内へ押し込められるかたちになった。

 校長が登壇。長い演説が始まった。

 なんてことだ。これではいつもの学校と変わらないじゃないか。

 疲労感がのしかかってきた。ステージに向かって頭を上げ続けるのもきついので、目を伏せると、前にいる男子の臀部が見えた。頻繁に財布か何かを出し入れしたせいで、穴の開きかけた尻ポケットがある。

 まるですべてが夢のように感じる。博士の頭が破裂したことも、殺し屋のサングラスだけが濡れた床に転がっていたことも。ふと、三人もの人間の死を経験したことに対して、自分が何の感慨も抱いていないことに気づいた。

 いつもの学校。いつもの月曜日。


「青春とは、今君たちが過ごしている若い時代とは、とてもすばらしいものである。私は常々そう思っているのであります」


 校長の演説はいつものごとく、世界の終わりが来るまでよりも長い。


「こう私が言ったところで、君たちの中には首を捻る人もいるかもしれない。確かに、その人の気持ちも私はよくわかっているつもりであります。灰色の日々、雨が降り続ける日々のように感じているかもしれない」


 誰かは欠伸をした。


「人生のその時期とは、それを生きている当人には全く客観視できるものありません。しかし、皆さんが大人になって今を思い返してみれば気づくでしょう。今、君たちが生きる、一瞬一瞬がかけがえのないものだった、と」


 誰かはこっそり携帯電話をいじりはじめた。


「人生とは積み重ねであります。今を耐えられないと思っても、それを乗り越えなければいけません。勉強、部活、人間関係。君たちにとってはとても大変でしょう。しかし人生はまだまだ長い。高校時代とは、君たちが経験している全てのことは、これからの長い人生を構成する、ほんの少しの要素にしか過ぎないのであります」


 真面目に聴いている生徒は、多分ひとりもいなかっただろう。


「今が辛くて投げ出したいときは、ひとまず未来へ思いを馳せて欲しい。そして日々を一生懸命生きて欲しい。ひとつひとつの努力が、必ずや明るい未来を呼び込むのでずぼぉっ」

 俺は顔を上げた。

 全生徒の目がステージに向けられた。

 校長の首があるべきところから、黒い電柱のようなものが生えている。

 ミミズがステージの天井から垂れ下がって、校長の頭に噛みついたのだ。それに早く気づいたのは、俺か冴子くらいのものだろう。聴衆は何が起こったのかさっぱりわからず、突然始まった奇術パフォーマンスに呆然としていた。

 ミミズの歯が噛み合わされ、校長の首は胴体からぷつりと切り離される。首と引き替えに自由となった身体は、糸を離された操り人形のようにぐらぐら揺れたかと思うと、首の断面からおびただしい血を吹き出して倒れた。近くに立っていた教師の眼鏡が真っ赤に染まる。

 きれの悪い大便が自重で落ちる様とそっくりに、ミミズが血みどろの壇上にぼとりと身を降ろす。水を吸った布団を床に叩き付けたような音が、体育館中に響く。

 地下室に籠城した俺たちを待ち構え続けるなんて馬鹿げてると悟ったのだろう。体育館中、いや、学校中にこんなたくさんの獲物がいるのだから。

 ミミズは鎌首をもたげて、体育館のすべての人間たちへ、自らの顔を見せつけた。

 この時点で、俺と冴子は真っ先に逃げ出していた。

 ミミズは突然の出来事に呆然とする者たちに躍りかかっていく。地下室では、ひとりひとり何も残さず丁寧に食べていた。それが今では嘘のように雑に咀嚼していく。

 アシダカグモは、捕食中であっても他の獲物を見つけると、先の獲物をほったらかして新しい獲物に襲いかかるという。このミミズも同じだった。首を噛み切り、下半身を呑み、ときには喰うことすらせず、尻尾で叩き殺す。まさに殺意のみを燃料として駆動する機械だった。

「誰か通報しろよ!」

「何で!? 携帯繋がらないんだけど!」

 阿鼻叫喚をよそに、俺と冴子は体育館から外へ出た。後ろを振り向くと、体育館の狭い入り口へ、たくさんの生徒や教員が殺到する様が見える。誰かが転び、そこへ別の誰かが躓き、激しい将棋倒しが起きた。

 折り重なった人間たちの塊に、ミミズは古い皮を脱ぎ捨てながらにじり寄る。その肉体はさらなる変態を開始した。生徒たちは恐慌状態に陥ったが、のしかかってくる者たちが邪魔で逃げることもできない。

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