女子トイレに入っているのを、好きな女の子にバレてしまった。

座闇 白

第1話

校内には人気がおらず静まりかえっていて、紅葉色の太陽がガラス越しに身体全体を照らす。


「んんん……っ」


硬い枕から顔を上げ、鈍った体をほぐすように背中を伸ばす。

 今の時刻が知りたくて教室内に設置してある時計に目を合わせた。


「げ、今はもう放課後なのか……。少し眠りすぎたなぁー」


既に時計の針は下校時刻である四時を一周もしていた。

 この時間で学校に残っているのは、職員室にいるであろう教師達か部活に所属している生徒達だけだ。

 昨晩夜遅くまでゲームをしてたなぁ、と思い出しながら軽い欠伸を仰ぐ。


「さて、遅くなったし帰るとするか……」


重くたるんでいる身体を起こし、手を机に掛けている鞄へと伸ばして、そのまま肩に手ごと掛ける。

 席を立ち、教室の扉を開いて廊下へ足を踏み入れた、その時。


「……トイレ行きたい」


生理現象であるから仕方が無いにしろタイミングが悪い。家に帰ってからの方が良かった。

 俺個人的な意見として、学校のトイレは基本使いたく無い。

 何故なら、誰かが入って来るかもしれない、と思って中々に催しへと集中が出来ないのだ。

 それで俺はしたくても寸前で出なかった経験が数回程ある。


「まぁ漏らしながら帰路に着くのもあれだしな……」


一人ため息をつきながらも、設けられているトイレへと向かい始めた瞬間。

 俺は猛烈に、今にも溢れて出てきそうな感覚を覚えた。


「しまった。今日は珍しく普段するはずだった朝のトイレタイミングで、中々出なくて諦めたんだ……」


こんな学校のど真ん中で漏らす訳にもいかず、大急ぎでトイレへと向かった。

 が、ここでも不運。急いでいるあまりに考えもしなかったのだろう。

 目の前には扉付きのトイレ、つまり大便しか無いのだ。


「しまった……。表札間違えて女子トイレに入ったのか。でももう漏れるしいいや! 用を終えたらすぐ出るしッ」


半端ヤケクソになりながらも、急ぎ足で手前のトイレの中へと入り扉を閉める。

 あぁ、極楽極楽。出す物を出した事だし帰ろう、と思って扉に手を開けたその時。

 複数の足音と話し声がこちらへと近づいてくる。


「マズイっ。こんな所を見られた日には学校退学への道一直線だぞ」


急いでこの場を離れようとして、扉に手をかけたその時。

 何人かの女子生徒達がこのトイレ内へと入ってきた。

 そういえばここのトイレ、女子水泳部の更衣室でもあったんだっけ……。


「これは彼女達が出てくるまでここから俺も出れないな……」


小声で呟きながら自分への不運を呪う。

 今日は抜群に運が悪い。それも、恐らく人生生まれて初めてレベルに、だ。

 そんな俺を更に追撃するかの如く、この不運は続く。


「で、ねー……。ん? ここの個室は鍵閉まっているのかな」


「本当だ。誰かいますかー?」


「……」


はーい、って返事出来る訳が無いのでここはスルーしておく。


「おかしいな、扉が壊れているのかな? 春華、誰かいるか見て欲しいんだけど」


「わ、分かった……」


春華と呼ばれた女子生徒が扉へと近づいできて、トントンと叩いてくる。

 ん? 聞き間違いでなければ今確かに『春華』って……。あ、クラスメイトだ。しかも丁度俺が気になっている女の子なんだけど……。

 これは詰みってレベルじゃないぞマジで。


「だ、だれか入ってますか……?」


か弱い声で俺が入っている個室へと呼びかける。

 幸いな事で用を足す前に、しっかりと鍵を掛けているので姿を見られる心配は無い。


「ガチャ」


は? 今、目の前にある扉の鍵が開いた気がするんですけど……。

 とても不運なことに、この個室の鍵はどうやら壊れていたらしい。


「あれ、この扉壊れてるのかな……?」


「鍵空いたじゃん! じゃあ春華は、その個室内で着替えて〜。私達は隣のを使うから」


「ううん」


彼女はゆっくりと俺のいる個室の扉を開き、そして閉める。

 先程まで部活動をしていたためか、水着のままだった。


「さてー、着替えるとするかな……? あれ」


春華が個室に入ってくる時、手に持っていたバッグの方に視線が移っていた。

 そのおかげでバレていなかったが、今は流石に無理だったっぽい。

 後ろを振り向いた春華と俺の視線が合う。彼女の頬が、カァーっと赤くなっていく。


「ぇっ? えっ」

「あ、あそ、その……」

「どうしたー春華?」



少し声を出しすぎた。言い淀んでいると、隣で恐らく着替えているであろう、彼女の友達から声がかかる。

 あぁ、終わった。これで俺は退学だ。全ては生理現象のせいで……


「な、なんでもないよ」


え?

 春華は友達の声に、何も無いように返した。

目と鼻の先に俺の存在を確認してでもだ。

 戸惑っている俺に、彼女は小さく呟く。


「何か事情、があったんだよね……? 私、着替えるから後ろ向いてて」


「お、おおぅ」


俺は一体、前世でどれほどの得を積み上げて来たのだろう。

 肌と肌が触れる程の距離で、好きな女の子の着替える音を聞く事が出来るなんて……。

 というかそもそも友達に嘘をついてまで、俺を庇ってくれるなんて、普通はしない。

 嬉しさと罪悪感が同時に襲ってきた。




その後、特に何も無く帰路に着く事が出来た。

 が、夜にLINEの着信を伝える音が鳴り、中身を確認してみると春華からの連絡だった事が分かる。

 明日放課後話したい事がある、だそうで教室に居残ってて欲しいらしい。


「どうなるんやら」


一時は危機を免れたが今回こそはって場合もある。油断は出来ない。




■□■□




迎えた放課後、部活動に所属している生徒、そうでない生徒達全員が次々と教室を後にする。

 この空間内に残されたのは二人。俺と春華だ。


気まずい空気がこの場を支配する中、ついに彼女は口を開いた


「ま、まずは昨日の事なんだけど……」

「う、うん」

「君は確かに、あの個室の中にいたの……?」

「あれはっ、先走ったと言うべきか、早とちりというべきか……」

「つまり、いたって事実には間違い無いんだよ、ね?」

「うん……」


認めてしまった。これで俺は、彼女に弱みを握られた事となる。

 つまりは危機的状況下に再び陥った。

何も言えない俺を置いて、春華は決心したような顔付きになる。


「じゃっ、じゃあ、私がこの事を先生に言ったら、君は学校にいられなくなるって事だよね?」

「そうだね……」

「なら、これから私のいうことを聞いてくれるなら、この件については口を閉ざします」

「あ、ありがとう……。それで、いうことって?」

「それは……」


モゴモゴと聞き取れない声で呟く春華。

 俺の人生が掛かった重大な事だ。固唾を飲んで見守る。


「そ、それは……。わっ、私と、付き合って欲しいのっ!」

「え、えっ?」

「だ、だから、私と付き合って!」


言い切った彼女は「うぅぅ」と、顔を手で隠しながら唸っている。

 付き合うって、春華と……? それなら、これは最高に嬉しいんだが、どういうことだ?


「付き合うって男女交際の……?」

「うん……」


これは夢だ、うん。きっと夢だ。

 顔をつねってみるが痛みを感じる。現実だ。

ってことは……。


「ならもちろん、いやこちらこそ宜しくお願いします」

「ど、どどどういうこと……?」

「お、俺も春華のことが前から気になっていたんだ」

「えっ」


言っている俺の方が恥ずかしくなり、顔を逸らす。

 一方の春華の方は、ポカーっと蒸気を出しながら目を点にしていた。




これは後になってわかった事なんだが、春華は俺のことが好きだったらしい。つまりは両思い。

 それで、今回の事を上手く使ってずるくはあるが、脅して付き合ってもらう予定だったらしい、と聞いた。

 結果的に俺は、春華の着替える音と付き合う事の一石二鳥を得る事が出来のだ。

 人生で一番不運だったあの日は、人生で一番の幸せな日となったのであった。

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