第16話 見捨てた理由


 それからも、混乱した気持ちを落ち着けるために、なるべく一人でいた。

 道場前の庭で準備体操がてら身体を動かしていると、綿乃が声をかけてくれる。

「ソウくん、ストレッチ手伝うよ」

いつものふわふわした柔らかい雰囲気をまといながら、そうにこやかに言う。

 が、俺はすぐに視線を逸らし、

「あ、いや、大丈夫。やれるから。……ありがとう」

「そう……? あっ。腕に擦り傷できてるよ。治してあげる」

「ああ、このくらいなら治せるから大丈夫。ありがとう」

「……疲れてない? ソウくんがんばってるから、マッサージしてあげようか?」

「あ……あはは……えーっと……ノパ、ヨサラ、そろそろ行こうか!」

「ああ、学校だね」

 二人に声をかけて、同情から出発する。綿乃を避けるようにしている自分には気づいていた。

 綿乃だけじゃない。俺はずっとなにかを避けている……

 それは相手にも伝わる。すこしさみしそうな表情をする綿乃が、去り際の視界の隅にうつった。


 ノパ、ヨサラとともに訪れたのは、アルスがかつて通っていたという魔法学院である。もちろん目的はなにかを思い出したりしないか、あるいはアルスの資料が残っていないかなのだが……

 結論から言うと、そういった類のものはなにひとつなかった。単純に、絵画のように綺麗な校舎を巡って、海外留学でもしたかのような気分になっただけである。

 ここの生徒であるヨサラはともかく俺は部外者なのでノパの力で透明化している。だれかに気づかれないかと常に不安だった。

 もう収穫がなさそうなので帰ることになり、最後に図書館前の芝生広場を見ていく。

 にしても、学校にもアルスの記録がないとはな。やはり相当ここの人には忘れたい存在らしい。

「おいヨサラのやつがいるぜ」

 ヨサラと同じくらいの背格好の少年たち3人がこちらを見るなりつっかかってくる。話しかけられることで俺もどきりとなった。ローブ姿と本を持っているところを見るに、彼らもここの生徒か。

 しかし彼らの不機嫌そうな態度をみる限り、友達、ではないようだな。次々と侮辱に似た言葉を投げかけてくる。

「アルス女」

「きのうパパに聞いたんだ。こいつ裏切りの英雄のこと調べて、広場で警兵につかまったらしいぜ」

「なんで牢にいれられてないのか不思議だな。巫女様の特権か?」

「たしかあいつの出身のアクリルって、昔アルスがブラムから救ったって伝説があるんじゃなかったっけ」

 全員がそれぞれそんなことを言う。アルスの評価はどうでもいいが、なんだか見ていて不愉快な小童(こわっぱ)どもだ。

 そのなかの一人が、ヨサラをあわれむような目を向けて言う。

「気の毒にな。それでアルスなんてクズのこと信じちゃったんだ」

 ぎゃはは、と少年たちは声をあげて笑う。

 案の定ヨサラは噛みつかんばかりに声を張り上げて叫ぶ。

「アルス様はクズなんかじゃない! みんなのために……大変でも、つらくても、厄災とたたかってる!」

「なんか今も生きてるみたいな言い方」小ばかにするように小僧が言う。

「絶対……アルスデュラントが厄災を終わらせる鍵(かぎ)だって……私は信じてる。少なくとも彼は、あなたたちが言うような悪い人じゃありません!」

「じゃあどうしてアルスはアムステルドとの戦争から逃げた? アムステルドのスパイだったなんてうわさもあるよなぁ」

 少年の中の、ややふくよかな感じの男の子が高圧的に言う。

「やつがシャーノを見捨てたおかげで争いは食い止められなかった。泥沼化して多くの民衆が犠牲になった。その間アルスはなにしてた? 精霊王と仲良しこよしか!!」

 手痛い指摘を浴びせられ、言い返せないヨサラは口をつぐんだ。

「とんだ臆病ものだ。厄災を終わらせたなんてのもどうせホラ話さ。お前の村のやつらしか信じちゃいねえよ」

 ぎゃはは、と彼らはまた盛大な笑い声をあげる。

「まったく勝手なやつらだな。精霊の名において天誅(てんちゅう)を……」

「やめとけ、ノパ」

 物騒なことを言いだし飛び立つノパを、すぐさま蝶をつかむように両手でキャッチする。「たぶんアルスはそんなことは望んでない」

 ノパは乱暴に手の中から出て、俺をにらんだ。不服をあらわに皮肉をぶつけてくる。

「君なんかにアルスの気持ちがわかるとはね。もういいよヨサラ。行こう」

 まだなにか言いたそうにしていたが、ノパは肩をすくめてヨサラに声をかける。

 そうして嘲笑を背中に受けながら、足早に学院を出た。


 当然、俺とて学院で言われたことに感じるものはある。

 頭のなかがずっとくもったままのようになって、なにか考えているんだか考えていないんだか自分でもわからず、ただ道場のなかでひとりぼんやりとしていた。

 きのうチェロが二代目の肖像画を外してくれ、今は小さな棚の上にかざってある。俺はその前に正座して、じっとそれを見つめてみた。

 この人は……数少ないアルスの理解者だった。

 今、そんな人はどこにいる?

 ないものねだりなのはわかっているが淡い希望を見てしまう。

 ふと、背後で足音がしてふりかえる。

「……綿乃」

 なぜか彼女がそこにいた。

「元気づけてあげて、ってノパくんが。平気? 考え事?」

 心配してくれているのかすこし背を曲げてこちらの顔をのぞきんでくる。

 俺はふたたび、かつての友の肖像画に目をもどした。

「……アルスの資料が残っていればもっと戦えたのに」

 そう、萌音が死ぬこともなければ、ダンジョンのこともすべてもしかしたら一瞬で解決できたのかもしれない。

「それは……」綿乃が答えを言いよどむ。

「ああ。民衆がアルスの記録を消したからだ」

 アルスはケラの街の人からうらまれている。因果がないわけではない。

「なんでアルスは王国から逃げて、人々を見捨てたんだろう」

 巫女から聞いたことがある。アルスは精霊王のところへ夜逃げしたはずだ。厄災は救ったが、人同士の争いには関わりたくなかったと。

「ソウ。それは君が、萌音たちを避けてる理由でもあるかもしれない」

 綿乃の背中に隠れていたノパがひょっこりとあらわれて言う。

「どういうことだ……さ、避けてるわけじゃ……」

「あくまで、仮説だよ。……チェロはアルスが精霊王のことを忘れられてないんじゃないかというけど、君を見ていて僕はそうじゃないと思ってきたんだ」

 とまどいながら、ノパが語ることに耳をかたむける。

「前に巫女からアルスの過去を聞いたと、言ってただろ。僕の知ってることと合わせて、あることを考えてみた」

 丁寧に言うノパの様子に、こちらも真剣に耳をかたむける。

「たぶんアルスは厄災から人々を守ったけれど、それが終わったとたん、人々は今度は人間同士であらそいはじめた。そのみにくさに……アルスは嫌気が差し、絶望したんだ。そしてどこの勢力にも加担(かたん)せず、自分は隠居(いんきょ)することに決めた。見捨てたかったわけじゃない。勝手なのは人間たちのほうさ」

 静かに語りながら、ノパは最後に脱力し声が小さくなる。

「それでだれかを好きになるような気持ち。それが欠けてしまったのかも」

 なるほどな。アルスの考えたことはなんとなくわかる。

 人々を救ったというのに今度は彼らで醜(みにく)い争いをはじめた。

 そして厄災を終わらせるために命をかけるような正義感のある人が、たとえ敵国だろうとだれかを傷つけたいと思うだろうか。そうはならないだろう。だからこそ身勝手な人の世に耐えられなくなったのではないか。

「人を嫌いになった、か」

 ノパの言うこと、そして自分の考えていることを合わせると、たしかにそうなのかもしれないと思える。もちろん俺はただのアルスの生まれ変わりで、アルスではない。本当のところは彼にしかわからない。

「それでだれかを想う気持ちも失い、精霊王とのつながりが消えかけているから力が出せない……」

 アルスは精霊たちだけを信じることができた。だが精霊王はもういない。

 そして、そんな過去にあったことのせいで、萌音たちのことでさえも表面上うまくいっていても心のどこかで信用できていない。どこかで避けている。

 それが俺自身でも、アルスの力を取り戻せていない理由。

「すこし腑(ふ)に落ちる」

 おもむろにそうつぶやいていた。

「それって……」

 その声にはっとなる。

 振り向くと、悲しそうに綿乃が目をくもらせていた。

 ノパもそれに気づいて、事態をおもんばかる。

「ご、ごめんね綿乃。こんな風にするつもりじゃ……」

 ノパの説が正しければ、俺はお前のことなど全く信じていないと、面とむかって言ったようなものだ。

 彼女の姿を見て、心が痛む気がする。

 だれの心が痛んでいるんだろう。アルスか? 俺か?

「……ソウくん、その」

 彼女は自分の手を胸のまえで合わせてにぎり、なにかを言いかけていた。だが俺はとまどいから直視できず彼女から目を離すと、綿乃はそれ以上なにも言わず逃げるようにそこから去っていった。

 さすがにあとを追いかけ、縁側で庭の方を向いている彼女に声をかける。

「ごめん綿乃さん。その……あれはアルスの話で」

「ううん。……これから、信頼してもらえるようにがんばるよ!」

 綿乃はほとんど庭の方に顔を向けたまま、あまりこちらを見ずに答えた。すこし涙を浮かべているかもしれない。

 ノパが沈黙をやぶり「た、ただの予想だから、気にしないでよ、はは」とお茶をにごそうとする。

だが気にしないようにするには、あまりにも辻褄(つじつま)に合点がいってしまう。

 とはいえダンジョン攻略の目的が変わることはない。気まずい思いを抱えたまま、特訓の日々が流れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る