木枯らし4号

 ここは『bar winter again』


 都会の片隅にある心のオアシス。漫画やドラマでちょいちょい見掛ける提供したメニューによるバタフライ効果が凄い飲食店に憧れる九十年代J-POP好きのマスターが経営する店。


 今宵もまた悩みを抱えたお客がその扉を開ける。


「いらっしゃいませ」

「初めてなんだけどいいかな」


「ええ、もちろん」

「何か強い酒をくれないか」


「かしこまりました」

「ねえマスター、ちょっと話してもいいかな、つまらない身の上話なんだけど」

「いいですよ。聞くのがこんなつまらない男で良ければ」


 客の男はマスターの顔を見て僅かに頬を緩ませた。

 一方マスターは待ってましたとほくそ笑んだ。


「仕事、の話なんだけどさ」

「はい」


「何て言うのかな、あんまり自分は必要とされて無いんじゃないのかな、なんて思ってしまって」

「必要とされていない、ですか」


「存在意義って言うのかな、最近それが無いように思えてね」

「そんなことないんじゃないですか。どんな仕事においても全ての人に役割はあるものですよ」


「そうかな」

「すみません、差し出がましいことを。お仕事の内容も知らないのに」

「ああ、いいんですよ。こちらが話し出したことです」


 マスターは思った。

 何か脇役の食材が味を引き立てる系のカクテルを提供しよう、と。

 そのためにもう一押し情報を引き出したかった。


「差し支えなければお教え願いたいのですが」

「ええ何でしょう?」


「どのようなお仕事を」

「ああ、木枯らし4号です」


 知らない職業だった。と言うか聞き間違いだと思った。


「え、こ、公務いん、がらし……?」

「木枯らし4号です」


「コガラシヨンゴウ?」

「知ってるでしょう、木枯らし、あれの4号」


「え、コガラシって、木枯らし? 秋の終わりから冬の初めに吹く風速8m/s以上の北寄りの風のこと?」

「そう、秋の終わりから冬の初めに吹く風速8m/s以上の北寄りの風のことです」


「あー、なるほどぉ……」

「それの4号」


「それの4号」

「そう」


「4号って言うのは、1、2、3、4号」

「1、2、3、4号」


「木枯らし4号?」

「木枯らし4号」


 沈黙が訪れたあとマスターが聞いた。


「それはどう言ったことを?」

「そうでしょう知らないでしょう」


「ああ、いえ、その、知ってます知ってますけど、昔から良く知ってるんですよ、知ってるんですけど、あんまり詳しく無いって言うか、その、内容までは、そこまで知らないと言うか」

「まあそうですよね一般の人にはあまり知られてませんからね」


「ええ、そうですよね、ええ、……一般の人? には、うん、まあ、ええ」

「ちなみに木枯らし1号は分かりますか?」


「え、えー……と、木枯らし1号、さんは、……ふ、冬の訪れを?」

「ええ」


「冬の訪れを知らせる」

「……」


「……」

「ええ、そうですね」


「あ、良かった。良かったあ」

「じゃあ4号は?」


「あぁー……」

「4号は?」


「4号さんは、ふ、冬の……」

「冬の?」


「ほ、本格的な?」

「本格的な?」


「訪れをぉ?」

「訪れをぉ」


「知らぁあー……、すみません分かりません!」

「あはは、まあそうですよ、マスター謝らないでください。普通皆知らないんですから」


「すみません」

「全く出番のない年もあるんですから。と言うか観測史上あったのかなあ」


「ありましたきっとありましたよ」

「何なら1号すら吹かない年もあるんですよ。アイツ気分屋だから。ま、吹いたらすぐにテレビとかに取り上げられて、ねえ、大騒ぎですよ。どこもかしこも。あー、冬だ冬だっつって」


「あー、ね、ちょっと騒ぎ過ぎですよね」

「調子乗ってんすよ、いい身分ですよね、ぴゅーって吹けばいいだけなんだから」


「本当そうですよね」

「2号、3号は、まあ滅多に吹かないんですけど、吹いたら吹いたで珍しい珍しいっつって」


「あー、ね、うん、ね」

「4号まで来ちゃうともう皆慣れちゃってるから、ね、ただの風ですよ、ただの風。その頃には初雪だ何だってもう関心移っちゃってるからね」


「はい、ねえ、本当にねえ」

「ねえマスター、何かいいお酒ないかな」


 マスターはニッコリと笑いながら頷き手早くメニューを用意をすると、それをお客の前に差し出した。


「どうぞ」

「これは?」


「スト〇ングゼロです」


 こうしてマスターの手腕により今宵も一人のお客が救われた。

 月の明るい静かな夜にマスターの声が聞こえる。


「自分もいただいてよろしいでしょうか」

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