9-1.極道と十三番目の王子

極道と禁じられた恋

 ――チッ! しくじったっ


城の庭園で、木々の茂みに身を隠す男。その左肩には怪我を負っており、血が流れ落ちている。


 ――いくら、姿を隠せても……


 血痕けっこんを拭き取りながら、逃げるのは不可能だ


左肩の傷口に、布を巻いて、応急処置の止血はしたが、それもすぐに、血で真っ赤になった。


この男は、威勢会いせいかいメンバーのヤス。現在、アロガエンスの内地にあるエゲンリア城にて、諜報活動を行っている真っ最中だ。



石動をはじめとする、威勢会のメンバー達が、ダークエルフの森に居ることを知り、自ら合流したヤス。


その後は、密偵として、アロガエンス国内の、いくつもの城に、潜入を繰り返している。


転生前も、元々は、情報屋をやっていて、威勢会に籍を置くようになってからは、潜入工作などの仕事を主に請け負っていた。


その高い情報収集能力を買われて、今は、アロガ王近辺の内情を探って欲しいと、マサから頼まれているという訳だ。



もちろん、非常に危険な任務ではあったが、これまでは、全く問題なかった。


何故なら、ヤスは、転生時の特典として、他者から認識されない能力を与えられていたからに他ならない。


もちろん、常時発動している訳ではなく、制限時間もあるが、これ程、諜報活動に適した能力もない。


転生の女神アリエーネは、前世の特技や能力、本人適性を見て、転生時の能力や初期装備を決めている。そのせいで、石動のように、本人希望が通る訳でもなかったが。



「賊だっ!」

「賊が侵入しているぞっ!」


警護の兵達が、城内を慌ただしく、駆け回る。


いくら姿を隠せたとしても、床に付着した血痕までは隠せない、血の足跡を辿られれば、いずれは追い詰められる。


これまでは、人が居るところでは、能力を発動させて姿を隠し、人が居ないところで、能力を解除する、それで上手くやって来ていた。


制限時間管理も、完璧にこなしていたはず。


ただ、今回の大きな誤算、それは、城内にイヌが居たことだった……。


-


半刻ほど、前のこと。


「なんでも、勇者様が、エンダロウナを襲撃したとか」


「まぁ、おそろしい、勇者様なのに、そんなことをするだなんて」


階段では、使用人の女達が、手を止めて、おしゃべりをしていた。


姿を隠し、城内に潜伏していたヤスだったが、身内の噂話に、ついつい、立ち止まって、聞き入ってしまう。



「あなた達、今、何をしてるのぉっ?」


遠くで、そんな彼女達を呼ぶ声。


「ちょっと、舞踏会の準備を、手伝ってもらいたいんだけどぉっ」


明るいが、強く、ハッキリと聞こえる、よく通った女の声。ヤスにはその声が、妙に心に残った。


「はぁーい」


そう返事をして、その場を立ち去る、使用人の女子達。



 ――若頭も、とんでもねえっ、濡れ衣、着せられちまってるなっ


任務に戻ろうとしたヤスだったが、そこで、そばに、何かが居ることに気づく。


「……」


まるで巨大なモップのような、白い毛の塊。それが、動いている。


 ――これ、イヌ、だよなっ?


 魔法で動く、大きな自動掃除機ってことはねえよなっ?


動いた時に、毛の中から現れる顔は、ヤスが居た世界のイヌに間違いない。ただ、こちらの世界では、なんと呼ばれているのか、ヤスは知らなかったが。


 ――まさか、こんな、お偉いさんの城なのに、城内で大型犬を放し飼いにしている人間が居るとはな


 いや、防犯対策なのかもしれねえ……

 だとしたら、侮れねえな……


気取られぬよう、その場を去ろうとしたヤスだったが、イヌは、その後をついて来た。


 ――しっしっ、こっち、くんなっ


ヤスがどれほど、ウロチョロと方向を変えようと、イヌはそれについて来る。口を開けて、舌を出し、ハアハア言いながら。


 ――クソッ、こいつには、完璧にバレてんな、こりゃ


視覚的に姿は隠せても、ニオイまで完璧に消せる訳ではない。嗅覚に優れているイヌが、ヤスのニオイを認識しているのは、間違いがなさそうだ。


足音を立てぬよう、走って逃げ出すヤスだったが、イヌもまた走って、その後を追って来る。


むしろ、遊んでもらっているのだと、勘違いしたのかもしれない。


 ――クソッ、こっち、くんなって


バウッワウッ


興奮したらしいイヌは、ついには、吠えはじめる有様。


吠え続けるイヌに追われていたヤスは、城内の者達からの注目を浴びることになり、ついには、制限時間内に人が居ないところまで離脱することが出来なかった。



能力が解除されて、人の前に姿を現してしまったヤス。


「何者だっ! 貴様はっ!」


それを見た衛兵達は、ほぼ問答無用で、手にする弓矢を撃って来た。


 ――城内で、いきなり弓矢を使うかっ? 普通


 殺意高いな、こいつらっ


 どんだけ、ピリピリしてんだよっ


王子暗殺を目論む者達が、後をたたない昨今。警備や護衛の兵達も、緊張感で殺気立っているのだ。


「つっぅ!!」


兵が放った矢の一本が、ヤスの左肩を貫いた。


-


左肩に矢傷を負い、木の茂みに身を隠すヤスだったが、そこにも、先程のイヌがやって来る、口を開け、舌を出して、ハアハア言いながら。


「クソッ、お前のせいで、とんでもない目にあったじゃねえかっ」


小声で恨み言を呟いたが、イヌはそんなことにはお構いなしで、ヤスの顔を、舌でペロペロと舐めた。


マサと同様に、本来はヤスも、モフモフは嫌いではない。


「大人しくしてろっ、今、見つかったら洒落にならねえっ」


そう言い聞かせると、イヌはヤスの服を甘噛みして、引っ張りはじめる。まるで、どこかに連れて行こうとしているかのように。


「なんだっ? 俺に、ついて来いってえのかっ?」



のそのそと歩いて行く、イヌの後ろ姿に、ヤスは黙ってついて行くことにする。普段の仲間が、野生の勘で生きているような連中ばかりなので、こういう時は、素直に信じるのがヤスの方針なのだ。


兵達のニオイを避け、人がいない所を、のしのしと歩いて行くイヌ。


だが、腕を流れる血は、床に垂れ続けているので、それでもいずれ、兵達に気づかれてしまうだろう。


次に、イヌが立ち止まったのは、ある部屋の前。


上半身を起こし、扉に寄り掛かったイヌは、器用にドアノブを回し、部屋の扉を開けた。


まるで、ゲストを招く、部屋のあるじであるかのように、ドヤ顔で、ヤスを振り返るイヌ。


「ここに……隠れろってことかっ?」


ヤスが部屋に足を踏み入れると、ほのかに、いい香りが漂う、内装などから考えてみても、ここは女の部屋に間違いない。


 ――やばいな、目が霞んで来やがった……血を流し過ぎたな……


部屋に入った途端、ヤスはばたりと床に倒れた。


-


この部屋の、本当の主である女が、戻って来たところを、イヌが出迎える。


「あらっ、ペギペギ、なんだか、随分と、ご機嫌みたいね」


白く大きな毛玉のようなイヌを、女はペギペギと呼んだ。


「ひぃっ!」


だが、後ろに隠れていた、血を流して倒れている男を目にすると、口から思わず声を漏らした。


さらには、部屋を激しくノックする音。


「サトミカ様っ!」「サトミカ様っ!」


狼狽ろうばいしながら、扉を少しだけ開けて、部屋から出る女。その名はサトミカ。


「城内に、賊が侵入したようなのですが、この付近で、不審者を見かけませんでしたか?」


侵入者を追跡しているらしい、衛兵の男二人。


サトミカがドアを閉めようとすると、わずかな隙間から、ペギペギと呼ばれていたイヌもまた、部屋から出て来た。


「……」


しばし、間を空けるサトミカ。


「いっ、いえっ……」


サトミカは、思わず、ヤスをかくまった。


「そうですか……しかし、手負いの賊のものと思われる血の跡が、この辺りで途切れておりまして」


サトミカが下を見ると、確かに、この部屋に続くように、血が床に着いている。



バウッワウッ


だがそれも、ペギペギの大きな体が、床を転げ回っているため、消えはじめている。


それは、巨大なモップで、床を拭いてようなもの。ペギペギの白い毛には、見る見るうちに、赤い色が広がって行った。


そのペギペギの姿を見たサトミカは、確信して、嘘をつく。


「あらっ、おそらく、ペギペギが、血痕を消してしまったのでしょう」


-


次に、目覚めた時、大きな柔らかいベッドに、ヤスは寝ていた。ベッドには、微かに、女の残り香がする。


ヤスは、上半身裸だったが、左肩には包帯が巻かれ、すでに手当をされていた。


「あなたは、誰です?」


それは、聞き覚えのある、ハッキリと、よく通る女の声。


体を起こし、女の方に向き直るヤス。そしてまず、その美しさに、思わず見とれる。


「ヤスと申します」


「助けていただいて……」


ヤスがそう言いかけた時、サトミカは次の言葉を発した。


「やはり、王子の命を狙いに来たのですか?」


「いっ、いえ、決して、そうではありません」


いきなり、王子暗殺を疑われるヤス。


 ――ここも、随分と、治安悪目な感じかっ


「どこの者かは明かせませんが、王子の暗殺なんかが目的では、決してありません」


「どうか、それだけは、信じてやっておくんなさい」


真剣に、サトミカの目を見つめ続けるヤス、サトミカもまた、その目をじっと見つめ返す。


その時、二人は、体が高揚して、熱くなるのを感じていた。



「助けていただいて、本当にありがとうございました」


改めて、ヤスは頭を下げて礼を言ったが。


「痛っ」


姿勢によっては、傷が痛む。


「まだ、動いてはいけません」


優しく、ヤスの体を支えるサトミカ。


「どこの者とも知らない俺を、何故、助けてくださったんですかっ?」


「……あたしの勘、というよりは、ペギペギの勘を信じたという方が正しいでしょうか」


「ペギペギには不思議な力があるようで、これまでも、リシジン王子の窮地を、何度も助けてくれました」


「そのペギペギが、あなたをここに連れて来たというのなら、私も、あなたを信じたい……」


「今、リシジン王子は、いろいろと大変なのです……」


暗い顔でうつむくサトミカ、その陰りのある横顔もまた美しいと、ヤスは惚れ惚れする。



「いや、これは、困ったな」


もう一度、サトミカに確かめようと、部屋を再訪した衛兵二人。


だが、部屋の扉の前では、ペギペギが、その大きな体を丸め、大きな口を、大きく開いて、大きなあくびをしていた。


-


動けるようになるまで、数日の間、サトミカの部屋に匿ってもらうことになったヤス。


そして、献身的に看病をするサトミカ。


そんな若い二人が恋に落ちるまで、それほど、時間は掛からなかった。


遠い先祖にダークエルフを持つサトミカは、ヤスが放つ、この世界にはない生命エネルギーを、本能的に感じていた。異国の、いや、異世界からやって来た異邦人の、異性としての魅力。ほぼ初対面で、ヤスに惹かれていたのも、そのためだろう。


ヤスもまた、サトミカの外見的な美しさはもちろんのこと、その声が、自分の心に響き、魂が共鳴することに、彼女が運命の相手であると感じていた。



血に染まった包帯を替えようとするサトミカの手を取るヤス。


「……サトミカさん」


まだ痛む左手で、彼女の顎を上に向け、じっと目を見つめる。


サトミカの潤んだ瞳。


「ヤスさん……」


彼女の唇に、自らの唇を重ね、熱い口づけを交わす。


二人の睦言むつごとの間、やはり、イヌのペギペギは、サトミカの部屋の前、扉の前から、一歩も動かずに、じっとしている。まるで、部屋に誰もれないために、見張り番でもしているかのように。



イヌのペギペギに導かれた、二人の出会い、そして恋。


ヤスとサトミカ、二人の恋において、最も大きな問題、恋の障壁、それは敵対する勢力同士に所属しているということ。大袈裟に言えば、禁じられた恋ということになる。


そして、この城の主にあたる、アロガ王、第十三番目の王子・リシジン。サトミカは、そのリシジンの教育係でもあった。


-


豪華な装飾に彩られた、広い部屋。


何十人も座れる程の席がある、長いテーブルの端に、一人、座っているのはリシジン王子、よわい十三歳。


その前には、豪華な食事が並べられている。


「食事なんか要らないって、言ったじゃないか……」


下を向いて、暗い顔をしている王子。


「そうはいきません、このままでは王子が、衰弱死してしまいます」


横に立っている、教育係のサトミカが、やや厳しい口調で言う。


「ただ今、毒見をいたしますので……」


自ら王子の食事を毒見しようと、スプーンを手にするサトミカ。


それを見た王子は、目の前にある食事を、すべて手で払い落した。


「王子っ!!」


王子はそのままテーブルに突っ伏し、顔を伏せる。


「もういいよっ」


「もう、毒見なんかしないでよっ」


その声は震えている。


「しなくていいって、言ってるじゃないかっ」


「もう、嫌なんだよっ、たくさんなんだよっ」


涙の粒が床に落ちる。


「これ以上、目の前で人が死ぬのを、見たくないんだよ、僕はっ」


「この一年で、三人も、毒見で死んでるんだよっ!?」


「もうっ、嫌なんだよっ! 僕のせいで人が死ぬのはっ!」



アロガ王の息子である、第十三番目の王子・リシジン。


『産めよ増やせよ』の国策を、自ら体現するアロガ王には、現在十八人の息子達が存在している。まだ認知されていない子供達、女子等を含めれば、その数は、軽く倍を超えるだろうとも言われている。


そして、アロガ王は、自らの後継者は、実力によってのみ決めると、そう公言していた。


つまり、嫡男ちゃくなんに王位が譲られると、決まっている訳ではない。


そのため、後継者候補の王子達は、常に謀略と暗殺の渦中に、その身を置かれていた。

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