第11話 二頭の獅子

「とうとう、邪神が姿を現しましたな」

どこからか低い声が聞こえた。同時に、真一の首の痛みは嘘のように消えていった。


ゴゴ・・ ゴゴ・・

石臼をひくような低い音が響いている


目を向ければ、社の前に並んだ右の狛犬の像が揺れていた。こちらの地面は揺れてはいない。地震が起こったわけではなかった。


狛犬はやがて、ギリギリと音を立てながら動き始めた。ぎくしゃくと後ろ脚を立てている。徐々にその動きは滑らかになり、大きく伸びをはじめた。表面についていた土垢がばらばらと落ちていく。威厳をもったその動きは以前にも見たことがあった。


「君は、守護しゅご獅子じしなのか」

立ち上がりながら真一は、おそるおそる聞いた。


「もちろんですとも。我が魂は、この地に残ると言ったではありませぬか。愚かなる邪神よ。我が力を体現するための獅子の像は、未だに残っておるのに・・。焦るところをみると、よほど腹を空かせているのか」

耳元まで切れ込んだ動く石像の口の奥から言葉が流れ出た。心に語りかけるものではないが、その語り口調は以前と同じだった。


思いも寄らない所でのライオンとの再会だった。すぐに駆け寄ろうとした二人だったが、その足は止まってしまった。

守護獅子の左側で口を閉じている狛犬までが、ぎしぎしと動き始めていたのだ。探し物でもしているように、ゆっくりと首を回している。


つるぎ獅子じし。お主の乗り手、巫女殿はそこに」

「剣獅子?」

真一の疑問に、右に位置する守護獅子が応えた。

「剣獅子は、ワタシがこの石像に宿った時に、同時に復活し、行動を共にするもの。また剣獅子は、巫女を乗せて走り、そして剣士の手に仕えるもの。

遥か古代、我らは生ける獅子の体に宿り、この地上に現れておりました。おごれる人間たちの住まう地域、邪神の現れる地域は限られていて、それでよかったのです。

ですが、文明の広がりとともに、事足らなくなることを危惧したあなた、剣士殿の魂が、人々を導き、我らの宿り先を、世界のあらゆる場所に作ったのです。神をまつる建物の前にある対になった獅子の像は、まさにそれです。

さあ、お乗り下さい、剣士殿はワタシの背に、巫女殿は剣獅子の背に」


「このまま、ここで高みの見物をしているわけにはいかない。行こう、村井さん!」 

口を閉じたままの狛犬に睨まれ、硬くなってしまった綾乃の手を引き、真一は力強く言った。

「うん」

綾乃は震えながらも頷いた。


二人がそれぞれの獅子の背に跨った時、二頭のからだはたちまちしなやかになり、動物園に現れたライオンのように、一回りも大きくなった。


「お二人様、それでは参ります」

守護獅子が吠えるように言った。


二頭のライオン、いや、守護獅子と剣獅子は、石の台座を蹴り立てて、一気に荒れ山を下っていった。駆けるというより、飛ぶと言ったほうが近いだろう。時々、地面を爪でかき、方向を変えている。回転こそはしないが、遊園地の絶叫系アトラクションなど比べものにならない。二人は太い首にしがみついているだけで精一杯だった。


山を下った二頭は、中学校を過ぎて大通りに向かった。


「どこに行くんだい。邪神の所では」

やっと顔を上げられるようになった真一が聞いた。

「まずは奴の呼び声が、人々の心に届かないようにしなければなりません。

呼び声に従っている人々は、我らの動きを邪魔しようとします。そのような状態では思うように戦えません。これより向かうは、ワタシの友人である、自然の申し子たちのところ」

守護獅子が低く答えた。


二頭はしなやかに体を弾ませ、風のように走っていった。つい先ほどまで石の像であったなど、誰が想像できるだろう。

途中の道々には、車は一台も走っておらず、代わりに、幾つもの人だかりと擦れ違った。

二頭の獅子に気づいた人は、こぶしやら、棒切れを振り上げて追いかけてきた。普通なら、悲鳴をあげて逃げだしたはずである。神社の狛犬を破壊するのと同様に、人々は邪神の呼び声に従っていたのだ。


綾乃はまだ、剣獅子の首に顔をうずめてしがみついていた。


前を見る真一の目に、象の絵の描かれた看板が映った。

「君が向かっているのは動物園?」

「その通りでございます」

守護獅子が答えた。蒸気のように熱い息が真一の頬をかすめた。


二頭は大通りからはずれ、動物園のある山に向かって一直線に走った。前を塞ぐ家々の屋根を蹴り立て、十メートル以上もある川を飛び越えて進んだのだ。


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