第4話 港での見送り

動物園での事件から、二週間が過ぎようとしていた。

真一は翌日に退院したが、それから四、五日は、テレビ局やら週刊誌の記者が、家に押しかけてきて大変だった。

さんざんカメラを向けられたり、インタビューを受けたりして、緊張しきりのしどろもどろの連続…、それでようやく慣れた頃には、ぱたりと終わってしまった。世の中には、事件が多過ぎるようだ。一人の少年の勇気ある行動などは、一週間ほどしか話題に登らないのだ。

この間に動物園の園長も、お詫びの挨拶に来た。

真一の部屋の中は、園長が持ってきた動物クッキーやらヌイグルミであふれかえった。クッキーは剣道部の仲間が・・その中心は健太だったが、二日とかからずに平らげ、ヌイグルミのほとんどは、稔が自分の部屋に取り込んでしまったが・・。

動物園は、事件のせいで、以前より入園者が減ってしまったそうだ。園長の突き出した腹も、少し凹んだように見えた。


お盆間近のその日、剣道の練習を終えた三人は、いつものように校門前の売店で、ベンチに座って休んでいた。午後の練習はなく、明日からしばらく部活は休み。三人はすっかりくつろいでいた。


「真一君、たぶん、お待ちかねのお客さんだよ」

正が、遠くに目をやりながら言った。

ビニル棒のアイスをしゃぶっていた健太は、氷の塊をゴクリと飲み干した。

「かー頭にツーンときた。確かにあれは、俺たちの熱い友情を裂くお客さんだ」

「チッ」

言いたい放題の二人に舌を鳴らした真一の前に、軽やかに自転車が停まった。

薄ピンク色のワンピースを着た綾乃が、麦わら帽子のつばを ちょいと持ちあげている。

「やあ、こんにちは。買い物?」

真一が顔を赤らめながら聞くと、綾乃も恥ずかしそうに小さな声で答えた。

「おうちに電話したら、たぶんここって聞いたの。ねえ、今夜、港で花火大会があるでしょう」

「うん」

「よかったら、一緒に行かないかなと思って・・」


「これって、デートの誘いってやつだよね」

正が、興味津々とばかりに目を見開いた。

「もち、いくいく」

健太が後ろから、真一の手を持ち上げた。

「こら!」

真一は二人の額をバチンと指で弾いてやった。

「あいたた、お邪魔虫は退散だ」

二人は店の中に逃げ込んでいった。


「花火大会か。小さい頃によく行ってた。でも村井さん、」

真一は、急に真面目な顔になった。

「今夜、あのライオンが港から出るんだよ。近くに行って、嫌な思いをしないかな」


例のライオンは、丁度、花火大会が始まるぐらいの時間に、船に乗せられて外国に送られる予定だった。ニュースでは、インドにある大きな動物園に引き取られることになったと伝えられていた。


「大丈夫よ。本当のことを言うと、お目当てはあのライオンなの。日本を離れる前に、もう一度会いたくって。だって檻から出る前は、神様みたいに素敵だったし・・。

昨日もね、あのライオンの夢を見たの。大きな背中に跨ってとても楽しかった。平田君こそ、平気?」

綾乃が可愛らしく首を曲げた。


店の中では、二人が聞き耳を立てている。健太はいつの間にか、店の前に吊してあった飛び縄を頭に巻いて、綾乃のように首を曲げている。なんとかそれを無視して、真一は話した。


「へっちゃらさ。この前のことなんて、全然気にしていないんだ。噛みつかれたけど、本当に軽くだったし。実はね、僕も昨日、夢を見たんだ。船の甲板の上でね、あのライオンが『こちらにおいで下さい』って手を振ってた。それで今夜、船が出るところを見に行こうかなって思っていたんだ」

「それじゃあ、決まりね」

「うん、七時に、フェリー乗り場の前で」

綾乃は小さく手を振り、自転車を漕いで行った。


あの事件の日から、綾乃は真一の家に、たびたび遊びに来るようになり、恥ずかしいながらも、普通に話ができるようになっていた。

後ろでは、健太と正が嬉しそうに抱き合っている。

「おまえら、絶対に来るなよ」

真一は目玉が飛び出さんばかりに二人を睨みつけた。

「いやーん、そんな目しないで」

「僕たちにも愛のおこぼれを・・」  


・・ ・・ ・・


港に停泊している船に、明かりが灯り始めた。

約束の七時には、まだ三十分余りあるが、すでに真一は来ていた。

母さんに慣れない浴衣を着せられ、首の辺りがムズムズしている。ライオンに噛まれた傷は、白いかさぶたになっていた。

道沿いに立ち並んだ屋台から、トウモロコシやら、イカ焼きやらのよい香りが漂ってくる。花火見物の場所取りか、防波堤の上には、何枚ものシートが敷かれている。

ずっと用心はしていたが、二人の悪友の姿は見えなかった。

「ちぇっ、気を持たせやがって」

真一は一人、苦笑いした。


やがて、小さな鈴と下駄の音が聞こえ、かすり模様の浴衣を着た綾乃が現れた。結い上げた髪の上で、銀色の飾りがきらきらと揺れている。

「あの貨物船に乗っていくのかな」

眩しそうに目を細めながら、真一は船腹に外国の文字が書かれている船の方を向いた。

「ええ、たぶん。近くにいってみましょう」

綾乃に手を引かれ、真一はもつれそうになる足を必死に動かした。静かに打ちよせる波音に混じり、二人の下駄の音が軽やかに響いた。



赤い貨物船の船尾が、目の前に開いている。

浅黒い肌の髭を生やした男達が、聞いたことのない言葉を交わすなか、様々な木箱がベルトコンベアに乗せられて船内に送られていく。

「もう、積み込まれてしまったのかしら」

「ちょっと待ってよ」

真一は、積み荷をチェックしている日本人らしい男に歩み寄った。

「あのう」

顔を上げた男は、真一をちらりと見ただけ。こんな若造に付き合っていられるかとばかり、手にしたファイルに視線を落とした。ここで引き下がってはと、もう一度、口を開こうとしたところで綾乃が呼び止めた。

「平田君、あれ!」

見れば、幌付きの小型トラックが、曲がり角の向こうから走り込んできていた。横付けになった車体には、ジャングルの絵が描かれている。

「動物園の車よ」

「間に合ったんだ」

ほっと息をついた真一のもとに、車から降りた太い人影が近づいてきた。園長だ。もう一人降りたのは、飼育員だろう、荷台の後板を降ろしている。


「やあ、真一君。と、その可愛いお嬢ちゃんは・・。これはお見それした、綾乃ちゃんだね」

「ライオンはトラックに?」

真一は、艶(あで)やかな綾乃の姿に気をとられている園長に聞いた。

「ああ、彼はそこにいるよ。二人はわざわざ見送りに・・」

園長は、抑えていた気持ちを思い出したように、ポケットからハンカチを取り出し、目尻に光るものを拭いた。

「あいつはいい奴なんだ。後にも先にも、これっぽっちも悪いことはしていない。なのに、もうお別れなんて・・・ああ、これは失言だった。ごめんよ」

「いいえ」

二人は顔を見合わせて微笑んだ。

「園長さんのおっしゃるとおりです。ライオンは何も悪いことをしていません。だから気にしないで」

綾乃の言葉に、園長の目から大粒の涙がこぼれ落ちた。

「そう言ってくれるとありがたい。他の動物たちも、あいつが出る時に悲しそうな声を出して泣いていたんだ」

園長は、入園者を集めたというだけではなく、心の底から白いライオンが好きになっていたようだ。


トラックの後ろには、フォークリフトがつけられ、穴が幾つか開いた木箱が出てきた。飼育員に寄り添われながら、丁寧にベルトコンベアに運ばれていく。

「○×△、○×△□」

急に船の奥から声が響いた。ライオンの入った木箱を端に乗せた途端、今までゴロゴロと動いていたコンベアが止まってしまったのだ。


『お待ちしておりました』

真一の耳元で低い声が聞こえた。

「なに」

慌てて周囲を見たが、近くには園長と綾乃がいるだけだった。コンベアに目を戻せば、木箱の穴から、青い光がこぼれ出ていた。ライオンがこちらを見つめているのだ。

『もしや、今の声は白いライオン?』

真一は、青い光を見つめ返した。

『そのとおり、邪神を打ち砕くべく目覚めた剣士どの、そして巫女どの』

綾乃が震えながら、真一の手を握りしめてきた。

彼女にも、今の声が聞こえたのに違いない。園長は、相変わらずハンカチを顔に当てている。声は二人だけに聞こえたのだ。


『ワタシは今、お二人の心に語りかけています。

この体では、このようにしか話ができないのです。なんとも窮屈なのですが。ともあれ、夢の中での呼びかけに応えて来て下さり、ありがとうございます』

『夢って、昨日の夢は君が見させたのか?』

『そうですとも。お眠りのところ、誠に失礼いたしました』


「村井さん!」

「ええ」

頷いた綾乃の手を引き、真一は木箱の前に駆け寄った。

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