第13話 叙述トリック

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 八月の中旬に入った。先日から降り始めた雨は、まだ止みそうもない。梅雨はとっくの昔に過ぎたはずだが。


 沖縄は雨が多く、湿度も高い。せっかく晴れてきたのに、いちど降り始めたら一週間また雨が続くなんてざらだ。買ってきた小説がよれるので、僕はこの気候がうんざりだった。コミックスなんかとくに酷くて、買った翌日には変形し、表紙とカバーが大きくカールする。


 その点、古本はそういった過程をすでに経ているのであまり変形しないし、変形してもたいしてお金をかけていないので「まあいいか」で済む。


 また明日、古本屋に行くか。


 なんてことを考えながら、僕は『次』に向けて気を引き締める。

 時期が八月で、雨のなかのできごとで、『死の配役』の次と言えば、これはもう『暗闇』しかない。


 このエピソードは、《綾城彩花》シリーズ中でもかなり異質な形式で描かれる短編だ。

「僕」という人物(僕=七原五月じゃないよ)による一人称小説、と言えばなんの変哲もない普通の短編に思えるが――そうと思わせるのが『暗闇』の最大の仕掛けであり、特異な点なのだ。


 実は、ここで言う「僕」とは、語り部の一人称ではなく、主人公の名前なのである。杉下すぎしたしもべ――つまり「僕」という名前の人物を追った三人称小説というのが本当であり、『暗闇』は言わば「一人称小説だと思っていたら三人称小説だった」という、およそ他に類を見ない叙述トリックが仕掛けられた短編なのである。


 本来、《綾城彩花》シリーズではその巻で初出の登場人物の名前には必ずルビが振られる。しかしシリーズ中、いや『誰が探偵を語るのか?』中においても『暗闇』のみ登場人物の名前にルビが振られておらず、僕は「おや?」と思いながら、なにか据わりの悪さを感じていたのだが……それがある意味伏線だった。

「僕」という名前に「シモベ」とルビを振れば、叙述トリックが成立しなくなる。だから「僕」にルビを振らなかった結果、作中で表記ルールを統一するために、すべての登場人物にルビが振られないという事態になったのだ。


 ここを争点にフェア・アンフェア論争が起こったのはまた別の話。


 ちなみに付け加えるなら、杉下僕の性別は女であり、ついでのように性別誤認トリックも付随する(僕の一人称は「私」だ)。




《僕》はこれまで、「謎のトリックを知っている」状態で事件に臨んできた。

 しかし、「叙述トリックが仕掛けられていることを知っている」状態で現実の事件に臨むとは、どういうことだろうか?


 わからない。不思議な感じだ。


 叙述トリックは通常のトリックと違い、その性質上、作中の人物には認知されない。いわばメタトリックであってレトリックでしかなく、作品内世界を生きる《僕》がそれを認識できるのはあまりにも異例の事態なのだ。


 僕の目に叙述トリックはどう映るのか――。


 これまでとは一風変わった趣向に、正直、興奮を禁じ得なかった。

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