暗闇
第12話 解決編(3)
9
人生
先日の自動車事故のおかげで(おかげと言うのも変だが)、僕は結果的に更なる大事故を回避することができたのだと気づいた。
というのは、さきほど綾城さんの手によって事件がひとつ解決した際のこと。
その事件は《綾城彩花》シリーズ第五作目の短編集『誰が探偵を語るのか?』に収録された『死の配役』という短編で扱われたものだ。『死の配役』は、
僕らのもとにお嬢様然とした客が訪ねてきて、現実に聞くとおかしなお嬢様口調で逢坂蛍と名乗ったとき、僕は「ああ、始まったか」と思ったのだった。
逢坂蛍は、
そのでたらめな名前の少年は、ひと月ほど前から行方不明になっているらしい。それも、自室に多量の血痕を残して。
床に広がっていた血液は、服部進之介のものでほぼ間違いないという。部屋に残された血痕と服部進之介本人とを直接結びつけるデータが存在しないため、父である服部
ちなみに、服部進之介の失踪と同時に幼馴染みである
以上の事実に、逢坂蛍はある不気味な噂を付け加えた。
もともと両者は演劇部に所属しており、部活動歓迎会の一環として、とある劇を披露した。ところがその劇の台本がいわくのあるもので、噂によれば、登場人物のうちのいずれかが「演じると死ぬ役」であるらしい。服部進之介、あるいは平良良平も、「演じると死ぬ役」を演じてしまったがために失踪したのではないかと学校内でまことしやかにささやかれている。
ここまで話を聞けば、「死人をどうやって捜すのか」という疑問が生まれるかもしれない。確かに死体は上がっていないが、生存は絶望的な出血量。そして、手を下したと思われる少年の失踪、いわくつきの劇。
だが早合点してはいけない。逢坂蛍の話には続きがあった。
そう、逢坂蛍は服部進之介失踪後に彼を目撃していたのだ。
思いがけない死者との遭遇。それが意味するところとは……。
もちろん服部進之介の生存である。
しかし綾城さんが例によってポンコツぶりを発揮し、「まあ彼女の見間違いだろう」などとすべてを疑いに疑うのが本分であるミステリの名探偵にあるまじき世迷言を宣ったので、僕はまたぞろ事件解決の手がかりを揃えるべく奔走しなければならなかった。
まず、事件の真の被害者と犯人を浮かび上がらせる。
現在は被害者=服部進之介、犯人=平良良平ということになっているが、これは逆である。被害者=平良良平。服部進之介の部屋に拡がっていた血液は、平良良平のものだった。
血液の主と服部進太郎との親子関係は認められている。服部進太郎の子供は、服部進之介以外にありえない。
――本当にありえないのだろうか?
答えは否、だ。
実は服部進之介と平良良平は取り違えられた子供だったのである。平良良平は服部進太郎の実の息子ゆえに親子鑑定は正しかった。
ふたりの幼馴染みは、ある時点でお互いが取り違えられた子供なのだと気づいていたが、それを後生までの秘密としてそっと胸に潜めた。結果として、新生児取り違えを利用した人物誤認トリックは成立してしまったのである。
僕は綾城さんに『そしてすべてがFになる』という映画を観せた。これは新生児の取り違えを題材とした家族ドラマだ。Fとはfather、つまり父を指している。この映画を観たことで綾城さんは服部進之介と平良良平の取り違えに気づき、彼の潜伏先を突き止め、事件は解決した。
服部進之介の目的は、「演じると死ぬ役」の噂を真実にすることで、自分の書いた台本に破格の価値をもたらすというものだった。
◇◆◇◆
自家用車を失った僕は、長距離間の移動をバスもしくはタクシーに頼るしかなかった。同じ那覇市内と言えど、事務所まで歩くとなると二十分も三十分もかかる。本来論理を重んじる探偵であるはずの綾城さんに、そんな汗や泥の臭いがする仕事はさせられない。僕はタクシーをつかまえた。
冷房の効いた涼しい車内に乗り込み、目的地を告げる。
「さすがにプロのドライバーだと安心だな」
しばらく走っていると、綾城さんがタクシードライバーへの称賛――もとい僕への当てこすりを口にした。僕はなにも言えない。
褒められたと思ったのか、五〇代も半ばといった頃合いの運転手が「どうも、ありがとうございます」と嬉しそうに言った。美人が相手なので、喜びも五割増しだろう。
勢いづいた運転手は、更に言葉を重ねる。
「この仕事も長いもんでですね、そろそろ二十年になるんです」
「へえ。どんな仕事でも、それだけ長く続ければいろんなことがあるでしょう」
綾城さんが運転手に話を合わせる。
「それがね、これまでいちども事故に遭ったことがないんですよ。気をつけて運転していますからね」
それは素晴らしいことで。運転手のなにげない言葉でさえ嫌味に感じられた僕は、むすっとしながら窓の外に目をやった。
「それはいいね。引き続き安全運転を心がけていただけると、わたしも道路上で発生する多くの不幸に憂慮せず済むから、とても助かりますよ」
タクシーが交差点に差しかかった。
「お任せください! これからも安全に気をつけて、お客さんの安心を――」
衝撃。
なにもわからないまま僕たちの身体は強烈な遠心力のようなものに支配される。世界が回転し、旋回し、万華鏡のごとく移り変わり――やがて回旋しているのは僕たちなのだというコペルニクス的転回が訪れる。ゆるやかに感じられる一刹那のなか、僕は死を覚悟してギュッと目を瞑った。
極限まで圧縮された時間――それでも、結果は訪れる。アキレスと亀のパラドックスは、あくまでも逆説に過ぎないのだから。
……恐る恐る目を開ける。まず確認できたのは、それほどまで車内の被害が深刻ではなかったということだ。少なくとも大惨事という感じではない。交差点の中央で、本来ならあり得ない方向に停車しているこの状況こそ異様だが。
僕らの乗っているタクシーの左後ろに、損壊した軽自動車があった。あれがぶつかってきたのだろう。信号は青だったし、たぶん相手が悪い。
僕ははっと気が付いて、
「綾城さん、大丈夫ですか」
と声をかけた。
「ああ、無事だよ……」
綾城さんの返事が。僕は心底ほっとする。
「だがそれより、彼の心配をした方がよさそうだ」
綾城さんの言葉に釣られて前を見ると、運転手がぐったりしていた。ぶつかりどころの関係か、前の座席のほうが被害が大きかったようだ。
「わ! だ、大丈夫ですか!」
僕がパニックになっている横で、綾城さんは冷静に救急車を呼ぶ。
……綾城さんが落ち着いた人で良かった。
救急車を待っているあいだ、タクシー運転手や相手方の運転手の具合を確認した。
交差点のなかにいる僕たちを、腫れもの扱いするように通り過ぎていく車両――そこには奇異の目線が雑じっていて、すさまじい居心地の悪さを覚えた。この感覚、綾城さんにはあるのだろうか。
ほどなくして、遠くからサイレンの音が聞こえるようになる。
駆けつけた救急隊員によって、ぶつかってきた相手も含めた僕たち四人は病院に運ばれた。僕と綾城さんはたいした怪我がなく、検査をしてすぐに退院できた。
運転手のおじさんは、全治一か月の重傷を負ったものの、命に別状はなかったという。
そこで僕はふと思い出す。
そういえば原作の《綾城彩花》シリーズにもこんな展開がなかったか。
あった。たしか『死の配役』のオチにあたるできごと……綾城さんと七原は、事件を解決したあと、事務所へ帰る途中で事故に遭う。
後部座席に座っていた綾城さんは無事に済むが、運転手だった七原は全治一か月の重傷を負う。
それが《綾城彩花》シリーズ第五作目の短編集『誰が探偵を語るのか?』の導入だ。
つまり、七原五月という語り部を一時的に失った名探偵の活躍を語るのはいったい誰か?という趣向が施されたのがこの短編集なのだ。
そのテーマを実現するために、七原は導入となる短編の終わりで、あの運転手のように入院することになるはずだった。
ところが、先に《僕》が自動車事故を起こしたことでその未来は変わったらしい。代わりに、僕ではなく名も知らないタクシードライバーが怪我を負うことになった。
それは大変申し訳ないとして。
なんというか……ツイてるんだかツイてないんだかよくわからないが、とりあえず喜んでおこうと僕は思うのだった。
あとで悪運のしわ寄せが来ないといいが。
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