act.47 愚行

 おれは。

 善意のつもりだったんだろうか。

 人助けのつもりだったんだろうか。

 高校三年。

 合格発表の日。

 聖人へと告白した気持ちに。

 嘘なんて微塵もなかった。

 おれは。

 聖人の隣が一番心地好かった。

 聖人に生きていてもらいたかった。

 だけど。

 聖人はもう死なないと言った。

 こうして。

 電話して。

 たまに会って。

 連休中に遠出して。

 それだけで。

 隣り合えなくても聖人を感じられる。

 おれの願いは叶っている。

 恋人である必要がない。

 結婚とか。

 子育てとか。

 そんなこととは無縁の生活に。

 おれは。

 おれは。

 おれは。

 飽き飽きしていたのだろうか。

 咄嗟に否定の言葉が出なかったのは。

 おれが。

 普通の人生を望んでいたからだろうか。

 おれは。

 別れたくない。

 聖人が死ななかったとしても。

 普通の生活が送れなかったとしても。

 聖人が好きだから。

 でも。

 周囲に打ち明ける勇気もない。

 こうして友人のフリをしているだけだ。

 それは。

 幸せなんだろうか。

 聖人には。

 おれが不幸に見えていたんだろうか。

 だとしたら。

 おれは。

 ピエロみたいだ。


 結局。

 聖人とは海に行かなかった。

 だけど別れたつもりはない。

 連絡は取っている。

 たまに顔を合わせている。

 でも。

 別れを切り出された日のことは二人とも触れない。

 二十五歳。

 二十六歳。

 時を撫でるように。

 おれたちの距離は緩やかに開いていった。


 紅葉シーズン。

 いつもなら聖人と観に行くところだけど。

 今年は聖人の仕事が忙しかった。

 他の友人と行っても良かったけど。

 何となく一人で観に行って。

 お土産だけ買ってそそくさと帰ってきた。

 聖人のアパートにまで押しかけるのは。

 悪いと思ったから。

 福井家に渡しに行こうと思って。

 とりあえず実家に寄った。

「おかえり」

 たまたま姉と遭遇した。

 年に二、三回しか帰ってこないのに。

 いつもならこの時期には帰ってこないのに。

 珍しい、と思ったけど。

 理由はすぐにわかった。

「ただいま」

 腹が膨れていた。

 不自然な膨れ方だった。

 いつものように軽口で。

 太った、とは言えなかった。

「何か取りに来たの?」

「そんな感じ」

 おれは居間へ向かった。

 姉と喋ることも少なくなっていた。

 みんな別々の道を歩いている。

 寂しく感じるのは。

 おれだけ取り残されているからだろうか。

 一人で足踏みしているからだろうか。

「お前、彼女できた?」

「はあ?」

「もう二十六だろ」

 不意打ちだった。

「んなもんいねえし」

「高校の時別れなきゃ良かったのに」

 酒井真波の顔が脳裏を過った。

 二人目の彼女。

 おれを好きだと言ってくれた彼女。

 聖人を追い詰めた元凶。

 おれが元凶だと知らしめた存在。

「関係ねえだろ」

「はあ?」

 姉は呆れた様子で言う。

「そろそろ将来のこと考える年じゃねえの」

 姉は普段から直接的だったけど。

 ここまで踏み込んでくるのは想定外だった。

「どうでもいいだろ」

「どうでも良くねえよ」

「はあ?」

「お父さんもお母さんも還暦なんだから」

 姉の言葉はいつだって辛辣で。

「いつ死んでもおかしくねえだろ」

 おれの心をかき乱して。

「孫の顔見せてえとか思わないわけ?」

 不安にして。

「親不孝者だな」

 沸騰させる。

「はあ?」

 おれは唸るように吐き捨てる。

「自分が妊娠したからって調子乗るなよ」

「はあ?」

「孫見せるのが偉いのかよ」

 倫理的に言ってはならないんだろう。

「それだけすりゃ親孝行なのかよ」

 わかっているけど。

「家にあんまり顔見せてねえくせに」

 口が止まらない。

「自分が何かしてる時だけ上から目線かよ」

 今までの鬱憤が。

 羨望の思いが。

 溢れ出す。

「お前のほうがよっぽど親不孝者だろ」

「はあ?」

 姉は不快感を露にした。

「図星のくせに八つ当たりかよ」

「どっちがだよ」

 姉は舌打ちした。

「言っとくけど」

 早口で捲し立ててくる。

「お母さんたち困らせてるの、お前だからな」

「はあ?」

「聖人と」

 その言葉は。

「付き合ってんだろ?」

 スローモーションのようでいて。

「男同士のくせに」

 だからこそ。

 おれの胸を深く傷付けた。

 おれは何も言い返せなかった。

 身体だけ前のめりになって。

 喉から先に言葉が出てこなかった。

 何を言っても。

 聖人を否定する言葉になるような気がした。

「マジで聖人と付き合ってんだ」

 痛い。

「男同士で付き合ってどうすんの?」

 痛い。

「結婚すんの?」

 痛い。

「子供できねえじゃん」

 痛い。

「親泣かせるなよ」

「うるせえよ」

 ようやく絞り出した声は弱々しくて。

 姉はしたり顔で。

 腹が立った。

「うるせえよ」

 腹が立った。

「うるせえよ」

 おれは姉の頬を殴っていた。

 平手打ち。

 姉の髪がなびいた。

 初めて姉に暴力を振るった。

 いつも暴力を振るわれる側だったのに。

 いつの間にか。

 おれのほうがたくましい身体つきになっていた。

 男だから。

 男を好きになるのは。

 付き合うのは。

 おかしいことなんだ。

「何すんだよ」

 姉は吐き捨てた。

「妊婦に暴力とかあり得ねえし」

 怨嗟のこもった眼差しを向けられた。

 母体でなければ殴り返されていただろう。

 だけど。

 言葉はいつものように。

 刃物のように。

 鋭利だった。

「クズ」

 おれは。

 声を荒らげた。

「妊婦だからって何でも言っていいのかよ」

 喉が焼き切れるくらいに叫び倒した。

 母親にも聞こえているだろう。

 近所迷惑になるだろう。

 だけど。

 止められなかった。

「てめえのほうがよっぽどクズだろうが」

 そして。

 その場から逃げ出した。

 車に乗ってアパートへ帰った。

 道中。

 携帯電話が鳴り止まなかった。

 母親からだった。

 おれはそれを黙殺した。

 嗚咽が止まらなかった。

 文句が止まらなかった。

 ただ。

「何で」

 溢れ出すものは。

「何で駄目なんだよ」

 悔しさ以外の何物でもなく。

「何で気持ち悪いんだよ」

 否定しきれない自分への不甲斐なさでもあった。


 痛いと思っているのは。

 聖人が嫌だからではなく。

 嫌々付き合っているというわけでもなく。

 ただ。

 昔馴染みの友人と付き合っていることが。

 親友と付き合っていることが。

 後ろめたかったからだ。

 恥ずかしく感じられたからだ。

 そういうことをしていると思われるのが。

 嫌だった。

 汚いものを見るような目を向けられているような気がして。

 姉を直視できなかった。

 家族に弁明できなかった。

 姉は。

 姉だけは。

 男同士だとか。

 そんなことは気にしないと思っていた。

 なのに。

 いざ身内にそういう人間がいるとなると。

 話は別なんだろうか。

 ショックだった。

 裏切られたと思った。

 だから。

 おれは。

 携帯電話を壊した。

 繋がりを絶った。

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