act.18 地獄

「福井君」

 ホームルームが終わって。

 担任教師から呼ばれて廊下に出た。

「修学旅行」

 三十代の女性教師。

 眼鏡あり。

 指輪なし。

 若さゆえにやる気があった。

 あるいは。

 元々世話焼きなのかもしれない。

「行くんだね」

 俺は教師の様子を窺った。

 心から安堵した様子で。

「牛島君から聞いたよ」

 その名を口にした。

 してやられた。

 それが俺の感想だった。

 担任教師からしてみれば。

 紋太は俺の友達で。

 俺は紋太の友達だった。

 だから。

「はい」

 俺は否定することができなかった。

 紋太の発言と食い違いがあれば。

 担任教師は不審に思って。

 俺たちの事情に介入するだろう。

 そうなれば。

 俺は。

 もう。

「良かった」

 そう。

 良かった。

 これで。

 このまま。

 流されれば。

「今日、班分けあるから」

 担任教師は軽い足取りで去っていった。

 もしかすると。

 紋太は俺の思考を読んでいたのかもしれない。

 俺が修学旅行へ行かずに。

 やろうとしていたことを。

 終えようと思っていたことを。

 だとしたら。

 俺は。

 俺の人生は。

 ずっと地獄なんだろう、と思った。


 修学旅行の班分けが決まった。

 俺は波瀬と波瀬の男友達と一緒だった。

 四人一組。

 明確な人数制限はなかったけど。

 大体みんな四人ずつ固まった。

 紋太は。

 他のクラスメイトと一緒だった。

 よく話している男友達だった。

「聖人」

 波瀬は俺の視線に気付いた。

「牛島から何か言われた?」

「何か、って?」

「いや」

 波瀬は口を結んで。

「楽しもうぜ」

 俺の背中を叩いた。

 少し痛かった。

 けど。

 顔の距離が近くて。

 そっちのほうが嫌だった。

 自分自身が嫌になった。


「福井くん」

 弓道場へ向かう途中。

 振り返ると眼鏡を掛けた女子がいた。

 菅道美桜。

 クラス委員長。

 俺が言うのも何だけど。

 物静かで大人しい人だった。

 だから俺は驚いた。

 話したことなんてなかったし。

 菅道に名前を覚えられているとも思わなかった。

 いや。

 それは言い過ぎかもしれない。

「波瀬くんと仲良いの?」

「さあ」

「ええ、わたしには仲良く見えるよ?」

 ならば何で訊いたのか。

 口には出さなかった。

「そう?」

「そう」

 いきなり波瀬の話題だったから。

 俺は勘繰ってしまった。

「波瀬は」

 その名に菅道は反応した。

 眉が少し動いた。

 やっぱり。

 俺は安心した。

 下心が見えているほうがやりやすかった。

「みんなに優しいよ」

「そうだね。でも」

 でも。

 菅道は照れた様子で笑った。

「最近、よく喋ってるじゃん」

「そう?」

「そうだよ」

 つまり。

 何が言いたいのか。

 俺は鞄を肩に掛け直した。

「よく見てるね」

「みんな言ってるよ?」

「そう?」

「福井くんが知らないだけだよ」

 何で。

 そんなにも勝ち誇った顔をしているのか。

「それでさ」

 菅道は長い髪を掻き撫でた。

「修学旅行、どこ行くの?」

「沖縄でしょ?」

 わざと答えを外すと。

 菅道は呆れた様子で笑った。

 俺を見下した笑いだった。

「グループで、どこ行くの?」

「国際通り」

「以外で」

「忘れた」

 覚えていたけど。

 俺は。

 菅道のやり口が気に食わなかった。

「波瀬に訊けば?」

 本人に直接訊く勇気がないから。

 無害そうな人を狙って。

 利用する。

 そのやり口。

 大嫌いだった。

「わたし、波瀬くん苦手で」

 嘘。

 最悪な嘘。

「あとで教えてくれる?」

「何で知りたいの?」

「同じ場所なら一緒のほうがいいじゃん」

「波瀬のこと」

 俺は目を細めた。

「苦手なんでしょ?」

 菅道は。

 俺を利用しようとしていた。

 口調が。

 表情が。

 仕草が。

 全てを物語っていた。

「そうだけど」

 顔をしかめた菅道に。

 俺は背を向けた。

「福井くん」

「部活あるから」

 菅道の表情はわからなかった。

 けど。

 きっと。

 俺を睨みつけているんだろう、と思った。

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