act.2 自習

 翌日から紋太がよく話しかけてくるようになった。

「疲れたぁ」

 昼休みになると弁当片手に振り向いてきた。

 俺の机に二人分の弁当箱。

 少し窮屈だったけど。

 距離がとても近かったけど。

 あまり気にならなかった。

 嘘。

 本当は気が気でなかった。


「聖人は」

 唐揚げを食べながら紋太が言う。

「クールになったな」

「そう?」

「そう。昔はもっと柔らかかった」

「柔らかい?」

 紋太は咀嚼を中断して考え込んだ。

「うーん」

 ごくんと唐揚げを呑み込んだ。

「もっと笑ってた」

 俺は弁当箱から顔を上げた。

 紋太は弁当箱を見下ろした。

「ような、気がする」

「そう?」

「そう」

 紋太は相変わらず笑っていて。

 少しだけ、目が寂しそうだった。

「気のせいでしょ」

 笑ってみた。

「気のせいかな?」

 どうやら笑えていないようだった。


「テスト勉強」

 自習中、紋太が小声で訊いてきた。

「やってる?」

「やってる」

「マジか」

「マジだよ」

 ペンを止めた。

 周りの目が気になった。

 声をもっと小さくした。

「やってないの?」

「何がわからないのかわからねえ」

 紋太の声量はそのままだった。

 紋太らしいと思った。

「どこ?」

「三角関数」

「積和? 和積?」

「普通の。サイン、コサイン、タンジェント」

 紋太の顔を凝視してしまった。

「マジか」

「マジだよ」

「先月の内容じゃん」

「そう。だからおれは、数学を捨てた」

 何故か自信満々だった。

 ペンでその額を叩いてやった。

 思いのほかいい音が出た。

 思いのほか痛そうだった。

「いてっ、何だよ」

「馬鹿にした」

「誰を?」

「ロミオ」

「おれ?」

「しかいない」

 眼鏡をくいっと持ち上げた。

 つまらないことを言った。

 つまらないのに笑ってしまった。

 失笑を隠したくて自習を続けた。

「教えて」

「サイン? コサイン?」

「タンジェント」

「先生に訊けば?」

「駄目。無理。訊けねえもん」

「わからないから?」

「そう、何も」

 やっぱり誇らしげだった。

「聖人はよくわかってる」

 褒められた気がしなかった。

 たぶん。

 褒めたつもりなんだろうけど。

「五分待って」

 解きかけの問題を慌てて解いた。

 紋太にはそんな風には見えなかったと思う。

「でき」

 顔を上げた時、丁度鐘の音が鳴った。

「やっぱ先生に訊いて」

「あとで教えて」

「俺?」

「そう。頼りにしてます」

 目の前で拝まれた。

 ニヤッと笑っていた。

 渋い顔をしてみた。

 どうやらいつもと変わらないようだった。


「居残り」

 放課後、紋太が振り向いた。

「する?」

「家でやる」

「じゃあ、おれも」

 帰り支度を始めた。

「聖人ん家」

 指を差された。

 自分でも指を差した。

「俺ん家?」

「マンツーマン、OK?」

「なら、残る」

「何それ?」

 鞄を置いて席に座った。

 他にも結構残るクラスメイトがいた。

 助かった。


「ねえ聖人」

「何?」

「勉強楽しい?」

「別に」

「またそれ」

 不満そうに見られた。

 ちゃんと答えたつもりだったけど。

 もう一度。

「別に、楽しくない」

「何でやってるの?」

「紋太と同じ理由」

「渋々?」

「うん」

「嫌々?」

「そう」

 紋太は唇を尖らせた。

「嘘つき」

「何で?」

「同じじゃない」

「どこが?」

「全部」

 理由はわからなかった。

 紋太の言葉もよくわからなかった。

 支離滅裂だと思った。


「明日」

「ん?」

「頑張ろう」

 笑いかけてきた。

 あまり頑張る気もなさそうだった。

 暗くてよく見えなかったけど。

 でも。

「おう」

 その顔が好きだったことは覚えてる。

 昔の話。

 今は昔。

 いつのことだかよくわからない。

 ごまかした。

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