ペトロとロミオ
万倉シュウ
【起】仲睦まじく
act.1 雨天
高校二年の七月。
生温い風を感じながら、窓の外を眺めた。
ずっと心にわだかまりを感じていた。
遊んでも。
勉強しても。
恋をしたってなくならない。
まるで呪い。
それがいつからかけられたものか。
おれは知っている。
中学三年の十月。
初めて女子に告白した。
返事はOKだった。
今思うと。
相手はおれのこと。
そんなに好きじゃなかったんだと思う。
ただ、好かれていたから付き合ってみた。
そんな感じだった。
おれは気が付かないまま浮かれてしまって。
学校近くの公園でキスした次の日には。
鏡の向こうのおれは別人のようだった。
「何かあった?」
後ろの席にいた
「別に、何も」
しらばっくれた。
恥ずかしいわけじゃなくて。
寧ろ自慢したいくらいだったけど。
聖人の目を見たら。
何故か言えなかった。
今にも泣きそうな、あの目を。
それからというもの。
おれと聖人は疎遠になった。
喧嘩したわけじゃない。
仲違いしたわけでもない。
聖人がおれを避けるようになった。
理由を訊いても、「別に」の一点張りだった。
だから。
おれもそれ以上何も訊かなかった。
卒業式の日。
おれは泣いた。
一人枕を濡らした。
結局、仲直りできなかった。
仲が悪くなったわけじゃないから。
そもそも不可能なことだったんだ、って。
自分に言い聞かせた。
別の高校に進学したと思っていた。
だけど二年でクラスが一緒になった。
心から喜んだ。
話しかける機会を窺った。
「聖人、久しぶり」
「久しぶり」
それ以上、言葉が出てこなかった。
それきり。
出席番号順に座ると、廊下側と窓側だった。
席が遠くて話す機会がなかった。
そう言い訳をした。
三ヶ月経って、席替えをした。
聖人が後ろの席になった。
なのに、会話することはなかった。
たまに挨拶を交わした。
ちょっと質問することもあった。
「別に」と一蹴されるだけだった。
会話にならなかった。
学校祭の出し物を決めることになった。
実行委員の
おれは積極的に案を出した。
とりあえずおれが何か言って場を盛り上げる。
そんな役回りだった。
損な役回りだと思った。
「劇は?」
おれが言うと、クラスメイトはわっと笑った。
「ロミオとジュリエット?」
「ロミオだけに?」
おれのあだ名、ロミオ。
おれの名前、牛島紋太。
ロミオ・モンタギューになぞらえて。
ロミオ。
「やらねえよ」
「ジュリエットは?」
「やらねえって」
口では否定した。
チラリと聖人を見た。
つまらなそうに予習している。
からかってやろうと思った。
「じゃあ、聖人」
みんな「え?」という顔をした。
聖人は顔を上げた。
興味なさそうに再び教科書に目を落とした。
おれは慌てて取り繕った。
「ペトロだし」
「ペトロ?」
みんな首を傾げた。
「聖人のこと」
聖人のあだ名、ペトロ。
聖人の名前、福井聖人。
キリスト教の十二使徒になぞらえて。
ペトロ。
おれが命名した。
誰も呼ばない。
「ペトロって呼ぶなよ」
顔を上げずに聖人はそう言った。
気まずい空気が流れた。
実行委員の波瀬がフォローに回った。
「じゃあ、とりあえず案として演劇」
チョークで黒板に書き殴った。
お化け屋敷。
迷路。
演劇。
実験教室。
上がった案は四つだった。
多数決で演劇に決まった。
「ロミオとジュリエット」
一人が言うと、みんなして同調した。
おれも同意した。
「じゃあ、紋太がロミオ」
クラスメイトが名指しをしてきた。
一人が言うと、みんなして同調した。
おれも同意した。
満更でもなかった。
「ジュリエットは?」
みんなの視線が聖人に集まった。
聖人は顔を上げなかった。
「
「あたし?」
木ノ下の名前が挙がった。
クラスで一番の美少女。
学校では十数番目の美少女。
「ほら、朱里って、ジュリって読めるし」
「やらないよ」
木ノ下は渋った。
だけど、最終的には承諾した。
満更でもなさそうだった。
その後、他の役が次々と決定した。
聖人は裏方の作業に回ることになった。
「牛島、よろしく」
木ノ下に肩を叩かれた。
外見とは裏腹にサバサバした奴だった。
「よろしく」
特にドキドキもしなかった。
可愛いというか、綺麗な顔立ちだった。
だけど、他には何も感じなかった。
多分、好みじゃないんだと思う。
木ノ下がジュリエットで良かったと思った。
放課後、自転車置き場で聖人に会った。
「部活は?」
「休み。テスト前だから」
ペダルを漕ぐ聖人の自転車の荷台を掴んだ。
キイッとブレーキの音が鳴った。
「何?」
「一緒に帰ろうぜ」
聖人は何も言わなかった。
おれが自転車に乗るまで待っていた。
夕立が降ってきた。
土砂降りだった。
近くの公園で雨宿りすることになった。
初めて付き合った女子とキスした場所。
「聖人」
「何?」
「怒ってる?」
「何を?」
「知らねえけど」
聖人の顔は二年前よりも大分大人びていた。
濡れた黒縁眼鏡を拭いて。
髪の雨滴を手で払って。
ゴツゴツとした手と少し焼けた肌が男らしい。
「怒ってねえの?」
「別に」
「またそれ」
「怒ってるの?」
「別に」
口癖が移った。
「急に避けられたから」
「誰に?」
「聖人に」
聖人は眼鏡を掛けた。
「怒ってるの?」
「怒ってるのは聖人だろ?」
「別に」
「またそれ」
同じことの繰り返し。
だけど、悪い気はしなかった。
懐かしい感じ。
「まだ、藍原と付き合ってるの?」
「藍原?」
初めて付き合った女子の名前。
「さあ?」
「何それ?」
「自然消滅? 卒業以来、連絡取ってねえ」
中学時代は携帯電話を持っていなかった。
たぶん。
あまり藍原のことを好きじゃなかったんだと思う。
周りから「いける」と言われたから。
告白してみただけ。
「そう」
聖人の気持ちがわかった。
藍原が好きだったんだ。
嫉妬していたんだ。
「今は?」
「ん?」
聖人が言う。
「誰かと付き合ってるの?」
「あ、ああ、付き合ってる」
聖人の目を直視できなかった。
「二組の
今年の四月に告白された。
木ノ下からは「やめとけ」と言われた。
けど。
付き合った。
「そう」
興味なさそうだった。
顔もわからないようだった。
雨が弱まってきた。
おれは少し焦り始めた。
「怒ってない」
「ん?」
聖人が淡々と言う。
「中三の時、藍原とキスしてるのを見た」
「え?」
初めて知った。
急に恥ずかしくなった。
顔が熱くなった。
「たぶん、羨ましかったんだと思う」
「藍原のこと、好きだったの?」
「さあ。今は興味ない」
雨が上がった。
聖人が立ち上がった。
おれは慌てて携帯電話を取り出した。
「じゃあ、おれが良い奴紹介してやるよ」
「要らない」
「え?」
「今は勉強と部活で忙しいから」
弓道部。
大会の時だけは眼鏡を外す。
真剣な眼差しが好きだった。
あと。
昔を思い出すから。
「じゃあ、連絡先教えて」
「携帯持ってない」
「じゃあ、また明日」
聖人と別れた。
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