第4話 誘い

 佐藤先輩の件から翌日。俺はいつも通りの身だしなみで登校し、自分の教室へと到着した。いつもより20分早い到着である。

 家をいつもより早く出た理由は、上半身が激痛に襲われているからだ。俺は昨日、アリアを救うべく佐藤先輩とタイマンをはることになって、結果一方的にやられるという悲惨な結末を迎えてしまった。

 まぁ結果として無事アリアを救い出すことに成功したから良かったのだが、その代償はかなり大きく、俺の全身は体を動かす度に痛みが永続的に襲いかかってくることとなってしまう。普段なら何の不自由もない徒歩通学も、今はズキズキと痛みが鳴り、歩くスピードも減速してしまっている。

 だからこんな体でも余裕を持って学校に到着できるよう早く家を出た次第だ。

教室に入るとクラスメイトも数人ほどしかおらず、比較的静かな空間だった。

 入学当初は友達作りで躍起になっていたため騒がしいクラスだなぁと心の中では思っていたが、ちょっと早く登校するだけでわずかな時間ではあるものの、心を落ち着かせるほどの空間を味わうことができることを今日初めて知れた。

 自分の席に着いた俺は、通学用バッグを机のわきに備え付けられた取手に掛け、制服のポケットからスマホを取り出してゲームアプリを開いて遊ぶことに。


「おはようございます。林くん」


 前方から突如、聖女みたいに甘く優しいあいさつをかけられ、スマホから彼女に目を向けて俺はどよめく。


「ん? え、あっ……おはよう、ございます……」


 目の前に立っていたのは平和を脅かす悪党でさせも優しく包んで許してくれそうな雰囲気を持つ正真正銘の美少女だった!

 中背な体型に背中まで伸びた艶やかでキューティカルな黒髪を伸ばしており、ボン・キュッ・ボンといった世の女性の理想とする柔らかそうな肉付きをしている。

 言うならば、黒髪バージョンのアリアみたいな感じだ。アリアは日本人とロシア人のハーフだからロシア人の面影もあるけれど、彼女はれっきとした純日本人であることが見て分かる。

 アリアに続き、二人目の美少女に声を掛けられたことに俺は、思わず特技である人見知りコミュ障スキルを発揮してしまう。


「ふふっ。そんなに緊張しないでくださいよ〜。同じクラスメイトじゃないですか〜」


 ずいっと前傾姿勢になり、顔を近づけてくる謎の美少女。おかげで豊潤そうな胸が前衛に立ち、主張を強めた。服装によっては直で拝むことが出来たかもしれないその体勢に、俺の脳内では嫌らしい想像が働いてしまう。にしても近い近い!! 良い香り! 近い近い!!


「はぁ、まぁ……」


 迫られた分だけ距離を引いた俺。その美しいとも可愛いとも呼べる整った顔は本当にアリアにも劣らない綺麗な顔をしていた。

 近くで俺の顔をまじまじと観察するように顔を向け続けてくるものだから、その圧に耐えられなくなった俺は照れを帯びた顔を横に逸らしてしまう。


「あらあら♡ 何をそんなに恥ずかしがっているのですか? こっち向いて下さいよ〜」


 向けるかぁ!! こっちはただでさえまともに女の子と話したことなくて耐性が低いっていうのに、いきなり美少女と正面で対話するとか無理ゲーするんじゃあああ!! あれ、でもアリアとはなんだかんだ対話出来ているからそこまで無理ゲーではないのかも。人間無理だと思い込んでいるだけで、やってみたら意外と出来たってことあるよね。やったよお母ちゃん! 俺、YDKだよ!(やればできる子)

 そんな過去を思い出して、無理やり自分に少しだけ自信を持たせることに成功した俺は、頑張って目の前にいる黒髪美少女と顔を合わせながら対話する。


「まぁ、なんだ。俺に何か用か?」


 これまで関わりのない人に声を掛けられるなど、何か用があってのことしか考えられない。

 彼女は楽しそうに話し出す。


「今日の朝のホームルームで学級委員長と副委員長を決めるじゃないですか〜? 私が学級委員長に立候補しますので、林くんには副委員長を是非やって頂きたくて」

「えっ? おれ?」

「はい。おれです」

「……」


 副委員長……? この俺が……?


「いやいやいやいやいやいやいやいや」

「だめ……ですか?」


 くぅぅッッ! その上目遣いは反則だろぉぉぉぉ。だが、これだけはしっかりと断っておかなければならない。


「誘ってもらって申し訳ないが、だめだな。俺なんかに学級員が務まるはずがない」


 学級委員の仕事は主に先生から頼まれたプリント運びといった雑用がメインになると思うが、その程度であれば俺にも出来る。だが問題はそこではない。他にも、学校行事の進行役やまとめ役、クラスの仲介も担う場合があるのだとか。

 そんな人とのコミュニケーションスキルが必須とされる学級委員など、俺からすれば地獄の職務だ。務まるはずがない。


「それに、なんで俺なんだよ。候補なら他にもいるだろ」


 入学してから二週間。俺はクラス内で関わりがあるのは唯一アリアだけなので、他の生徒の素性は把握していないが、学級委員に相応わしい人は必ずいるはず。だって、入学初日で友達作りのために凄まじいコミュ力を発揮していた生徒が多くいたのだから。確信を持って言えるほどに、俺はクラス内で最もカーストが低い身分にいることだって分かる。そんな身分の低い俺ではクラスを引っ張っていくには程遠い。なんなら舐められるまででもある。うえっ……。

 俺が彼女に問うと、ニコニコと笑顔で返された。


「私はあなたがいいのです」

「––––––ッ」

「ここ2週間、私は誰が副委員長に相応しいか観察していました。これからの1年間、出来るならば気の合いそうな人とペアを組みたいですしね」

「気が合う? だから俺を?」

「はい。林くんは良くも悪くも人畜無害な方だと見受けられまして、弊害なく事を勧められそうだなと思いましたので」

(あれ? これって褒めてるの? けなされてるの?)

「それに、一番の極め付きはそのゲーム、ですかね」


 彼女は俺のスマホゲームに視線を向ける。


「私もそれ、ハマっているんですよ〜」

「え、マジで!?」


 共通の趣味を持つ人と出会えた時の喜びは言葉にできない感動がある。俺は思わず椅子から勢いよく立ち上がり喜びと感動を全身で表現した。

 彼女は一瞬ビクッと驚いたものの、すぐに落ち着きを取り戻し、スカートのポケットからスマホを取り出した。数秒後、画面を俺に見せつけくる。


「ほら見てください。私、ランク838です」

「おぉぉ! かなりやり込んでるな!」


 この引っ張りハンティングのゲームは最高ランクが1000なので、彼女がどれだけハマっているのかが見て分かる。


「林くんはランクいくつですか?」

「俺は861。そんなに大差ないね」

「わぁ! すごいです〜! 身近で私よりランクが上の人初めて見ました〜!」


 彼女は小さく拍手を送りながら驚きと感動の顔を浮かべる。目がキラキラしていて、まるで子供のよう。アリアとは違う可愛さがそこにはあった。

 そこから俺と彼女は共通の趣味であるゲームの話で盛り上がった。話の流れで他の趣味も聞いてみたらあら驚き。彼女はアニメやラノベ、少年漫画といったのも好きなのだそう。どれも共通して同じ趣味を持っている俺からすれば、なんだか新鮮さを感じる。

 これまで同じ趣味を持った人と連むことなんかなくて、そもそも一人を好んでいた俺にとって、自分と同じ趣味を持つ者同士の会話はこれまでにないほど心が満たされるように感じた。

 白羽の矢が立ったのが俺だということにも、今は納得してしまうほどに。


「でも、一つだけ気になるんだけどさ」

「なんでしょう?」

「もし他にも立候補者が出たら、俺達が選ばれるとは限らないんじゃないか?」


 仮に佐藤先輩みたいな高スペックの生徒が立候補に現れたら、俺達が選ばれる確率はぐんと下がるだろう。

 女性枠に関しては心配ないかもしれないが、男性枠に関しては心配な部分がある。なんせ俺だからな。

 俺が他の男子生徒と人気者争いをしたら、間違いなく負ける。俺が勝利するにはライバルがいない前提でなければならないのだ。

 彼女は微笑みながら告げる。


「その点は大丈夫ですよ。既に全員から学級委員に立候補するか聞いていますから。今のところ私達以外に立候補する方はいないようです」

「ほーん。そうなのか」


 既に俺が立候補する前提で話が進んでしまっているような気もするが…………んー、まぁ、『副』だったらいいか? 『副』だったら! ここ重要。

 俺がどんなにへたれこいても彼女なら上手くカバーしてくれそうだし、なんなら他の人も彼女以外に眼中などないだろう。

 目の保養を考えたら彼女に眼を向けていた方が絶対だしね!(泣)

 俺はあくまでも彼女のサポートとして徹底していればいい。そう考えたら少しだけ気が楽になってきた。


「じゃあ、そういうことでお願いしますね。林くん」

「お、おう。役に立つとは思えないけど」

「ふふっ。最初に言ったじゃないですか。私は、あなたがいいのです」

「っ」


 なんだか小悪魔的な笑みを浮かべる彼女に、俺はドキッとしてしまう。

 くそぉ! これがDの意志を引き継ぐ者のチョロさだというのか!! 

 彼女は去り際、俺にウィンクをかましてくる。心なしか、真っピンクのハートがゆらゆらとこちらに飛んできたような気がする。

 ぶっはぁ……!

 大量の鼻血が弧を描きながら飛び散るシーン化としてしまう俺は、悶絶しながら机にふれ伏してしまう。

 そのタイミングで、今度は横から聞き慣れている声が掛けられる。


「おはよう。林くん」


 アリアだ。


「お、おはよう……ございます。赤坂」

「…………んもぉ。昨日、下の名前でって言ったでしょ……」


 アリアがボソッと呟く。かろうじて聞こえたその呟きを聞いて、俺は思い返す。


(そうだった。赤坂のことは下の名前で呼ぶんだった)


 これは強制ではないのだが、本人公認の名前呼びであるため、せっかくの機会なので下の名前で呼ばせていただくことにした俺なのだが、慣れていないせいなのか、思わず苗字で呼んでしまった。

 下の名前で呼ぶのって、恋人にしか許されない特権みたいなイメージがあるからな。恋人ではない俺からすれば、その特権を使っていい実感がまだ湧かないでいるのである。単純に慣れていないだけでもあるのだが……。

 アリアもなんだかムスッとした態度をあらわにし始めたので、ご機嫌を取り戻すためにも、ここは思いきって下の名前で呼ばなくては!


「コホンっ。……グッドモーニング、アリア」

「ふんっ」

(……あれれ〜? そっぽを向いちゃったよ〜? 余計にご機嫌悪くしちゃったよ〜? なんでだろう〜?♪ なんでだろう〜?♪ なんでだ?♪ なんでだろう〜?♪)


 心の中でふざけていたら、窓のガラスに映っているアリアが顔を赤くしながら薄らとニヤけていた。それはもう、笑いを堪えるかのように。


(キャー! アリアって呼んでくれた! アリアって呼ばれちゃったぁ!)

(もしかして鼻歌が漏れていた!? やだ! 恥ずかしい!!)


 そう思うと、俺の顔も段々と熱の温度が上昇してきて顔が赤くなっているような感じがしてきた。

 自滅したとはいえ、あまりの恥ずかしさに俺はアリアを見習って、そっぽを向いてしまうのであった。



     ★



 俺とアリア。互いにそっぽを向いてから数分後。ようやく気持ちが落ち着いてきたため、一度姿勢を正す。

 まだ完全には気持ちが落ち着いていないのか、俺はゲームを起動しているだけでただ画面をじっと見つめ、アリアは肩に掛かっている毛先を器用にくるくると指に絡めては解いている動作を繰り返していた。


「ケガは、大丈夫?」


 最初に沈黙を破ったのはアリア。心配そうな表情で見つめてくるそれは、すぐに泣いてしまいそうなほどに気弱そうだった。


「ああ、全然平気だ。あの程度なんともない」

「……そう」


 アリアにこれ以上責任を負って欲しくないあまり、似合わないガッポーツと共に虚性を張ってしまう。らしくない行動に我ながら演技が下手くそだなと思った。その証拠にアリアは一瞬だけ疑いの目を向けてきたものの、追跡するようなことはしないでくれた。

 それは俺に対しての気遣いでもあり、アリアなりの優しさでもあったのだろう。

 ここで追跡でもすれば、体を張って守ってくれた男のプライドを傷つけることに繋がるから。いつもだったら『ごめんなさい』と言いそうな場面でも、それを口にしなかったことに嬉しく思い、傷を負ってでも守った甲斐があったなと思ってしまうのは思い上がりが過ぎるか。

 それでも、俺にとっては確かな成長を感じられた一件でもあったので、これはこれで良い経験をしたなとポジティブには捉えている。新しい自分を見つけたような気がして、今までの人生の中でも最も輝いた瞬間だと思うから。


「でも、お願い……。ああいうことは、もうしないで……」

「––––––!」


 アリアが痛みに耐えていそうな表情で言う。

 ああいうことというのは、話の流れからして何を指摘しているのかぐらいは直ぐに察することが出来た。アリアはひどく気にしているのだ。


 俺が一方的に痛めつけられたことが。


 あの時は互いの実力に雲泥の差があったから仕方なくああするしかなかったのだが、アリアからすれば自分のせいで誰かが傷つくのを受け入れることは出来ないらしい。

 俺自身でさえも、もっとスマートなやり方があったのではないかと逡巡していたぐらいだ。側から見ていたアリアなら尚更のように思うことだと思う。


「……分かった」


 少しだけ重たくなる空気。

 うなずくと、アリアは重たくなる空気を払拭するかのように微笑みながら言う。


「でも、昨日は本当にありがとう。とてもかっこよかったわ」

「っ……。いや、そんなことは、ねぇって……」

「ふふっ。なぁに照れているのかしら?」

「照れてないっ!」

「そう? 顔が真っ赤よ? 可愛いわねっ」

「ッ!」


 いたずらな笑みを浮かべながら攻撃してくるアリアの顔が妙に色っぽくて、一段階大人びたその姿に俺の脳内では変な妄想を駆られてしまう。

 本能が無意識にそうさせたのは、昨日見てしまったアリアの下着姿が絡んでいるからか。

 人間の脳は強い刺激を体感すると、記憶を司る海馬に長期記憶として保存される性能を持つ。

 良くも悪くも頑固な油汚れのように定着してしまったその記憶からは、ほんの少し記憶を振り返るだけで鮮明にフラッシュバックされてしまう。

 今の俺の脳内では、アリアの下着の色、柄、サイズといった視覚から得られる情報を鮮明に振り返ってしまっている。

 最終的に『それ』を強く意識してしまい、俺の両目は自ずと『それ』が装備されている部分に引き寄せらてしまうわけで……。


(……今日は、何色なんだろうな)

「………………ッ!? ちょっと、どこ見ているのよ!!」


 脇腹をデュクシ。


「ぐほぉぉぉぉおおおお! あばらに入ったァァァァァ!!」


 手刀がクリティカルヒットし、悶絶する俺。

 アリアは羞恥心のあまり俺がけが人であることを忘れており、おかまいなしに得意のスキルを繰り出した。アリアこそ、顔が真っ赤でお可愛いこと……。

 みんな! 女性の胸を見るときは、部屋を明るくして、本人から離れて見ましょうね!

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