第3話 特別
「これが、私の過去にあったことよ……」
「なんだよ……そりゃあ……ッ」
赤坂の悲劇を聞いた俺の感情は混乱を招いていた。
先輩の告白を断ったことから始まった友達に対しての悪い噂話。
何が一番腹立つって、どれもこれも嘘で塗り合わせた勝手な作り話で起きた悲劇ということ。
赤坂にフラれたことに腹が立ったのか、それともフラれた事実を隠蔽しようとしこのような悪事を行なったのか真相は分からない。
でも、赤坂本人は何一つ恨まれるような悪事を行なっておらず、なのに彼女だけが地獄の底に突き落とされなきゃならないという事実に俺は驚きや悲しみ、怒りといった複数の感情が混じり合い、頭の中では思考の整理がつかないでいた。
赤坂にどう言葉をかけてやればいいのかすら分からない。
「そんなのって……ひどすぎだろ!」
結局でた言葉は中身のない簡潔な感想だった。
俺が悔しさそうな表情を浮かべていると、隣の赤坂はボソッと呟いた。
「今回も……そうなっちゃうのかな?」
「えっ?」
「ううん。なんでもないわ。…………ねぇ林くん」
「……どうした?」
赤坂は少しだけためらう仕草を見せたものの、数秒の沈黙後、意を決したその覚悟を瞳に秘めたまま俺の目を捉え、衝撃的な言葉を放ったのだ。
「––––––今後は、私と一緒にいない方がいいわ」
「!?」
「私と一緒にいたら……今度はあなたを傷つけることになるかもしれない」
「…………」
人は、自分に起きた不幸の出来事を忘れない。それは人類が生き延びていくために必要な防衛として学習し、自分自身に備え付けるためだ。
「私から誘っておいて、自分勝手なこと言ってごめんなさい……」
「赤坂……」
今の赤坂は過去の不幸がトラウマになっていて、防衛どころか、そこに発展しそうなリスクを避けようとしてしまっている。
6年間における地獄は、赤坂の精神をそこまで追いやっていた。
「…………じゃあ、私はちょっとお手洗いに行ってくるから。––––––またね」
俺が言葉を発する前に、赤坂は駆け足でお手洗いに向かって行った。
(なんだよ……さっきの顔は……)
悲しい気持ちを作り笑顔の仮面で覆いかぶさったその顔は、明らかに悲しそうで、辛そうで……今にも泣き出してしまいそうなほどにくしゃくしゃに歪んでいた。
これは俺の憶測だが、お手洗いに行くというのも、きっと泣き顔を見られるのを避けたかったからに違いない。
「……ばかやろう。そんなこと言われたら、今後絡みづらくなるだろうが……」
赤坂の辛い過去を聞いて、赤坂が今どういう心情なのかは……正直分からない。そもそも、本当の意味で人の気持ちを知るだなんて芸当など、能力者でもない普通の一般人にできるはずなどないのだ。
女の子がよく求める『察してほしい』という心情に相手が100%知ることなど、論理的に考えて無理な話。
でも、だからといってそのまま考えを放棄し、相手の気持ちに寄り添おうとせずに諦めるのとは訳が違う。
人間は考えられる生き物だ。例え論理的に無理な話でも、その答えとなる何かに近づこうと仮説を立てて歩むことはできる。
それが例え、正解のない問題だったとしてもだ。
★
思わずトイレに逃げ込んでしまった私は、自分の取った選択を悔やむ。
本当にこれで良かったのかと。
「……いい……これでいいのよ……。だって、私といたら林くんまでっ……」
被害妄想にもほどがあるかなと自嘲する私だったけれども、これでいいんだ。
だって、そうしたほうが楽だから。
後になって、またあの時みたいに私のせいで誰かを傷つけることになったり、自分までもが傷つくことになる未来があるのだとしたら、最初から一人でいた方が二の舞を演じることにならないのではないかと考えている自分がいるから。分かっている。完全にトラウマ化としてしまっているんだ。
誰かと一緒にいることが、過去の地獄を再現させてしまうのではないかと。胸がズキンと痛む。本当に刺されたんじゃないかと思うぐらいに。
あの地獄はもう味わいたくない……それを避けるためなら、可能性を少しでも下げることができるのなら、私は…………私は。
––––––一人でいい。
未来のことは誰にも分からない。もしかしたら、小中学校と違って、高校ではあの時みたいに周りの人間に恵まれた幸せな生活を送れるかもしれない。
それを最初からネガティヴに捉えて、行動を抑制し、幸せの芽を自ら手放してしまうのは客観的に考えて間違っているのかもしれない。
でも、しょうがないじゃない。体が、心が、本能が……『もしも』という恐怖の未来をフラッシュバックして私自身に訴えかけてくるんですもの!
思い出しただけで体は震えるし、足も重たく感じるし、私の立っている地面が崩れ落ちるかのような感覚に襲われるし……もう、嫌なのよッ。
大切な何かを、失うことが……。
怖い、怖いのよ……。
だから、だから……ッ。
––––––私は最初から、一人でいればいいんだ。
ごめんなさい、神様。
あなたがくれたプレゼントを……私は、傷つけたくないみたいです。
★
昼食を終えた昼休み。俺は自分の席でスマホゲームをして遊んでいた。
いつも俺の隣の席の人は食堂から帰ってくると自分の席で読書をしていたのだが、ここ最近はその姿もない。きっと隣同士でいるのが気まずいのだろう。
赤坂にあんなことを言われてからは、不思議なことに言葉を交わす機会は失っている。
もし、挨拶をカウントしていいのなら俺と赤坂の会話した回数は学校に通った5日間のうち、たった10回だけだ。それも、『おはよう』と『またね』の言葉のみだ。
これは、会話の内に含めていいのだろうか。なかなか疑問な部分ではある。
入学初日では赤坂に食事を誘われ、一緒に昼ごはんを食べて、なんだか……俺の人生にも遂に春が訪れたのかと期待していたあの日も幻であったかのように……あれから、赤坂から声をかけてもらうことはなかった。
一人での生活である。大丈夫、なんてことはない。前も言ったろ? 一人でいることは想定内だってな。
……でも、なんだろうな。
一度あの温もりを味わった後だと、それが二度と味わえないってなると……なんだか寂しい気持ちにさせられる。
あの日は、俺にとってどこか特別な日だったのだ。
だってそうだろ。これまで、誰にも必要とされず一人で過ごしてきた俺みたいな陰キャがあんな超絶美少女に誘われたんだぜ?
俺はどちらかというと引っ込み思案な性格で、コミュ障で、口下手で……ましてや、女の子と真剣に関わった経験などない。
だって、俺が一緒にいるとつまらないって言われたことあるし、それで遊びにも誘われなくなる。他にも、学校内でのグループ分けで俺と一緒になる奴らは必ずといって嫌な顔をするんだ。なんだよ、世間では陰キャ狩りが流行っているのかよ。はっ、俺だってそんな嫌な顔する連中と同じグループなんて願い下げだぜ。こっちは一人でこそ十分だが、中には俺みたいに一人で実力を発揮出来ない奴もいるからこっちは仕方なく先生の言うことに従ってやっているんだ。決してお前達と交友関係を結びたいわけじゃない。勘違いをするな勘違いを。
やっぱ一人だ。俺には、一人でいることが性に合っている。
集団行動? はっ、くだらない。そんなの、一人じゃ何も出来ない弱者の救済活動だろ。そこらへんのヤンキーを見てみろ。集団だと強気な態度を見せるくせに、一人になったとたん何も出来なくなるあのダサい姿を。俺にとって集団行動というのはあんなイメージなのだ。
誰かの力を借りないと生き抜いていけない身になるんだったら、一人でも生き抜いていく力を身につけた方が人生のコスパとしてはいい。
そうだ、その通りだ。ぼっちはコスパよく人生を凌駕できる最高の立ち位置なのだ。
友達と意味もなく中身のない話をしている間にも、ぼっちは常に自分の趣味に時間を割き、誰よりも遥かに将来を見据えて先を見ている。素晴らしいではないか。
人間の一番の悩みは『人間関係』なのだという。ほら見ろ! これを見たら、いかに人間関係に悩まされないぼっちが最強であるか分かるだろ!
えっ、コミュニケーション力? 大丈夫、心配するな。今は個人で稼ぐ時代だぞ? そんなのに頼らなくても生きていく方法はいくらでもある。世間がやっと俺達の魅力に気づいたんだよ。
これからはぼっちの時代。いかに無駄な時間を省き、いかに自分の趣味に時間を注げるのかが重要になってくる。そんな時代なのだ。
ほらな? ぼっちは誰よりも遥かに将来を見据えているんだよ。分かったか、
俺をぼっちだからという理由で後ろ指をさしてくる雑魚連中どもが。
俺はこれからも一人だ。一人を愛している。気の合う人を一人だけ欲しいという本音もあるが、別に絶対ではない。その時はその時だ。
他人に振り回され、人間関係に悩み、挙句の果てに関係が破綻する方がよっぽど時間の無駄だ。
これでいい。これが俺の生き様だ。
他人に期待はしない。期待した分だけ損するから。
他人は裏切る。でも、自分は裏切らない。
だから、だから……ッ。
––––––俺はこれからも
『林くん、一緒にお昼でもどうかしら?』
「………………なんで……なんでなんだ……っ」
あんなに覚悟していたのに。一人で生き抜いていくって決めたのに……どうして。
どうしてこんなにも、あの温もりを求めているんだ……。
俺は隣の空白の席に目を向ける。
「赤坂……」
無意識に、俺は隣の席の名前を呟いていた。
★
「……またね」
「おう……またな」
その日の放課後。私はこれまで通り、林くんにさよならの挨拶だけを告げ、別れる。
この挨拶が今の私にとって一番の憂鬱かもしれない。
入学初日に自分から歩み寄って、誘っておいて、この始末……。
それを頭の中で理解しておきながら少しでも関係を修復しようとしないあたり、私はやっぱり嫌な人間だ。本人がそう思うのだから、彼もそう感じているに違いない。
そんな疫病神にも似た私は彼に災難が降り落ちないようにと早々に教室を出て、一番乗りで下駄箱に着いた。
慣れた手つきで下駄箱を開け、ローファーを取ろうとした矢先。下駄箱の中から一通の手紙がひらりと落ちてきた。
「手紙……?」
私は床に落ちた手紙を拾う。何の変哲もない白の長方形をした封筒。厚みからして何か入っているのは確かだ。まぁ中身の入っていない封筒を入れるというのもおかしな話だけど、それよりも気になったのはこのシールの形。赤のハート型だった。
「え、まさか……違うわよね?」
高校の下駄箱にハートのシールで留められた一通の手紙。これらの条件のもと、年頃の女の子の頭によぎるのは……ラブレターだった。
仮にそうだとして、まだ入学してから二週間しか経っておらず、これまで林くんを除いた他の男子と関わったことはないので、こういう軽率な行動はどうなのかしらと思う私だけど、今思えば入学初日に佐藤先輩という人に告白された件を思い出して苦笑した。
「そういえば、あの時も先輩だったわね……」
小学生の時に幸せだった環境が突如地獄に変貌したのは先輩からの告白が元となっている。今回のラブレターの差出人が先輩とは限らないけれど、もし先輩だったとしたらそれはトラウマになっているビジョンが鮮明に思い浮かぶことだろう。
「まぁ、誰だろうと答えは決まっているけれど」
私はその場でラブレターのシールを剥がし、中身を取り出した。
こういうのは人目のつかない場所で開封するのが普通だけど、呼び出し時間が今日の放課後とかだったら面倒だし、こういうのは一切の猶予も与えずにキッパリと答えてやるのが互いにとって気持ち的にもいいと思うから。
封筒の中に二つ折りされたルーズリーフが出てきて、中身を開く。
そこに書かれていたのは甘酸っぱく感じる告白文……などではなく、思わず二度見してしまうほどの脅迫的な内容だった。
『今日の放課後、学校の近くにある廃墟ビルに一人で来い。もし来なかった場合、お前の秘密を学校中にばらまく』
私は未だに手紙の内容を頭の中で反芻していた。
「な、なによ……これ……っ」
明らかに脅迫で悪質な内容。その事実を未だに受け止めきれていない自分がいる。
誰かのいたずら? それとも他の人のロッカーと入れ間違えたとか? などなど、考えられる節はいくつかある。
こういうのはスルーするのが一番だけど、手紙の内容のこの部分。
『お前の秘密を学校中にばらまく』
この部分が、私の心の底に埋まっている闇を刺激した。それは地獄の日々だった小中学校のいじめ……。
それだけで、私を脅し付けるには効果的だった。
差出人は不明で、そもそもハッタリをかましているだけだと捉えることもできるけど、ハッタリではない可能性も捨て切れない。
今はネットという便利なツールがある。そこで私のことを調べて、情報を掴んでいるというのもあるからだ。
相手がどこの誰なのかも分からない謎の恐怖でしかないけれど、今の私には……行かないという選択肢は存在しなかった。
だって、それで私の高校生活が平和に保たれるなら、そうしたいから。
それを避けたくて、必死に勉強して、帝学園に来たんだ。
あの時だってそう。
私がずっと一人でも、罵倒を浴び続けても、助けを求めても…………
誰も助けてくれなかった。
結局、他人は他人でしかなかった。
結局、この世で一番信頼できるのは自分だけだった。
結局、自分の身を守ってくれるのは、自分だけだった。
ラブレターの内容がトリガーとなって、私はまた、過去の悲劇を思い出してしまっていた。
手紙には、一粒の水滴が垂れ落ちていた。
「もう、お願いだから……私にかまわないでよッ」
手紙にシワがつくほど強く握る私。その力の反動で、体が小刻みに震えていた。
手紙という邪悪な魔物を怨念という闇の力で握り潰すかのように。
「赤坂?」
「!!」
闇落ちしそうになっていた彼女に横から声をかけ、我に返してくれたのは聞き覚えのある男子の声だった。
「……はやし、くん?」
「ど、どうしたんだよ? まるで未確認物体を見るかのような顔は」
「ぁ……ううん。なんでもないわ。ちょっと、疲れてぼーっとしてただけ」
私は慌てて目に浮かび上がっていた涙を袖で拭い、手紙もロッカー奥にしまい込んだ。
(見られて、ないわよね……?)
いつまでも辛気臭い顔をして彼に勘付かれるのも面倒だ。彼を私の事情に巻き込むわけにはいかない。彼はただ隣の席同士の関係であって、それ以上でもそれ以下でもない関係なのだから。私の事件は私だけで解決しなければならないんだ。
「……なぁ、赤坂」
「ごめんなさい。この後、用事があるの」
「そ、そうか……」
「それじゃ、またね。気をつけて」
「おう……」
いつも通り、赤坂は別れのあいさつを告げると靴を履いて早々と帰路に立った。
最近になってはこれが日常化していて、大分慣れてきた。だが、この時の赤坂はいつもと様子が違うような……そんな違和感を感じた。
★
「学校の近くにある廃墟ビル…………確か、ここね」
学校の近くにある廃墟ビルといえばここしかない。
そこはコンクリート状の大型ビルが廃墟になった場所。
外から見てもその大きさには驚かされるけど、廃墟になってから年数はそんなに経っていないのか、それなりに清潔感は保たれていた。
「……よしっ」
一つ大きく深呼吸をし、気持ちを落ち着かせてから重い足取りで中へと踏み入れた。
中に入ると温度が一段階下がったように寒気を感じる。コンクリートが太陽の熱を通さないからだろう。
中を見渡してみると、そこに人の姿はなく、あるのは前に使われていたのであろう置き箱やベッド、鉄パイプといった金属類だけだ。
私は、ふと思い出した。
あの手紙には、集合時刻が記載していなかったことを。
放課後に来いとは書いてあったけど、それが何時なのかは不明だ。
差足人が同じ生徒であればもう到着してもおかしくない時間帯だけど……。
「……やっぱり、ただのいたずらだったのかしら」
「いいや、いたずらなんかじゃないよ」
「ッ!!」
不意に背後から聞こえてきた男性の声。咄嗟に振り向いて誰なのか確認しようと思ったけど、気付いた時には遅かった。
背中に電流みたいな刺激を感じたかと思えば、私はフッと気が遠くなるような感覚に陥り、意識を失ってしまったのだ。
「お楽しみはこれからだよ。赤坂さん」
★
「……んっ…………」
しばらくして、私は意識を徐々に取り戻し、まぶたをゆっくりと開き始める。
(あれ……? ここはどこ?)
ぼやけていた視界が徐々に晴れていき、最初に映ったのは汚れた天井。
見慣れない光景に一先ず体を起こそうとする––––––が、その行動意志に反するかのように不思議と体を動かせなかった。
起き上がろうとした時に感じた手足の違和感に目を向ける。
「!?」
そこには、ベッドの端に繋がれた枷がそれぞれ手足に装着されていた。
––––––私は、X字の大勢でベッドに拘束されているのだ。
「んんっ!?」
おまけに、猿轡もされて……。
私はもはや自分一人で脱出するどころか、助けを呼ぶことさえ出来ない状態に置かれているのだ。
いくら手足をばたつかせようともガチャガチャと鎖の音が鳴るだけで拘束が外れる気配はないし、大声で叫ぼうとしても声に力が入らなかった。
「やぁ。ようやくお目覚めだね」
積み上がっていた物置きの陰から姿を現したのは、私が入学初日に告白を断った人だった。
(あれは……佐藤先輩!?)
「そんな怖い顔しないでよ。僕のことは知っているでしょ?」
「んんッ」
「あははっ。そうだよね。今君は喋れないんだった。でもごめんね。その猿轡は外すつもりないから」
「ッ……」
「その顔……どうしてこんなことを? っていう感じだね。よし分かった。お楽しみの前にちょっとだけ教えてあげるよ」
楽しみ……という言葉に引っかかったが、今は彼の言葉に耳を傾ける。
「僕はね、女の子とエッチをするのがと〜〜〜っても好きなんだ♡」
「ッ!」
嫌らしく放たれた言葉に全身が寒気を感じ、鳥肌が立つ。
「僕ぐらいのイケメンになると不思議なもんでね。あちこちからたくさんの女の子が寄ってくるんだよ。それもメスみたいな顔をしてさ」
「……」
「僕も男の子だからね。多少ブスでもそれなりに興奮を覚えちゃうわけよ。連絡を取り合って、僕の家に呼んでさ…………それでエッチをするというわけ。その時の快感が忘れられないぐらい気持ち良くてさ〜、もう中毒みたいになっちゃってるの♡」
「ッ!」
「ああでも勘違いしないで欲しいんだけど、B専というわけではないからね? 僕が好みなのは君みたいな超絶美少女だからさ」
「んッ」
そう言いながら佐藤先輩は私の頬を優しく撫でてきた。
男性らしい大きな手。その手に不愉快を感じた私は勢いよく顔を反る。本当は今すぐにでも引っ叩いてやりたいところだけど、手足が言うことを聞かない。
「いいねいいね〜。そういう嫌がるところを見ると余計にいじめたくなっちゃうよ♡」
今度は私の太ももをつ〜っと撫でてくる。
「んーーーーッッ!!」
「そんなに叫んだって無理だって。こんな場所には誰も来やしない。––––––じゃあ、そろそろ始めようかな」
不適な笑みを浮かべ始めた佐藤先輩は、嫌らしい手つきをしながら私のブラウスのボタンに手を掛けた。それだけで、今から起こることがなんとなく想像出来てしまう。
「ッ、んんんッッッ!!」
何かの弾みで手足の拘束が解けないかと期待しガチャガチャと暴れてみるが、ベルト式の枷が外れる気配は一切ない。
「暴れたって無駄だよ。その拘束具はナイフでも切れづらい素材で出来ているからね。君みたいに可弱い女の子なんて尚更だ」
そうこうしているうちに、一番上のボタンを開けられた。
「んっ……」
「そうそう。もう諦めて大人しくしてな。いい子だから」
いくら暴れても外れないと悟った私は、抵抗することをやめてしまう。
これから起こることは…………きっと体力を必要とするだろうから。
次に二番目のボタンが外され、三番目、四番目と上から順に丁寧に外されていく。
そして––––––。
「うおぉ〜、可愛いブラだねぇ♡ 今日はピンクなんだ。それにこの胸の大きさは……Eカップだね」
「ッッ!」
ブラウスが全開で開かれて、上半身が剥き出しになる。
誰にも見せたことのない肌を赤の他人に見られているという事実に羞恥心を感じずにはいられなかった。顔も火照ってきて、今の私は顔が真っ赤になっていることだと思う。
佐藤先輩は私の上半身を撫で回すようにじっくりと観察し始める。
「……うん、いいね。最高だよ赤坂さん! 極上な体だ♡」
佐藤先輩は興奮しているのか頬を薄っらと赤く染め始め、鼻息が少しだけ荒くなる。
「透き通るような白い肌。柔らかそうな肉付き。酔ってしまいそうになる甘い香り。……どれもこれも、僕が今まで見てきた女の子の中で赤坂さん! 君がだんとつで一番だよ!!」
「っ……」
ずいっとキスを迫るように顔を近づけてくる佐藤先輩。生暖かい吐息が顔にかかり気持ち悪い。カレーの匂いがするのは昼食にカレーを食べたからか。
「僕は幸せ者だ。君のような極上の体を思い残すことなく、これから堪能できるんだからね!」
佐藤先輩の指先が、太ももを通して上の方へと嫌らしく昇ってくる。少しだけくすぐったい。
「んんんっ!!」
「大丈夫。優しくするから」
耳元で囁かれた甘い声。多くの女子ならその囁きにときめいて昇天するのだろうけど、今の私には不愉快でしかない。
「それじゃあ、始めるね––––––」
ギギギィィィィィィ。
佐藤先輩が本格的に襲い掛かろうとする瞬間、建て付けの悪いドアがゆっくりと開かれた音がした。
その音は普段なら耳にキーンと響く嫌な音でしかないのだけれど、今の私にとってその音は希望を与えてくれた。誰かが気付いて助けに来たかもしれないと思ったからだ。
逆に佐藤先輩の仲間という最悪なパターンも考えられるけど、きっとそれはない。
何故なら、佐藤先輩の顔は明らかに動揺しているから。
まるで想定外なことが起こったように。
私も佐藤先輩に続いて、音の出先に目を向けた。
そこには驚くべき人物が立っていたのだ。
「えっと……し、失礼しま〜す……」
ペコペコと腰を引きながらそろりそろりと足を踏み入れたのはクラスメイトであり、かつ私の隣の席である––––––。
「んんんんんっ!!」
林くんだった。
「ん? ……あ、あかさか!? ってうぉぉぉい!!」
私のうめき声に気づいて目が合った林くんだけど、彼はすぐにそっぽを向いてしまう。最初はその反応に疑問を感じたけれど……そうだった。今の私は下着丸出しの格好なんだ、ということを改めて実感。
さらに体温が上昇する私だったけれど、今は気にしないでおく。
彼がこの場に現れてくれただけで、私の心は軽くなった気がしたから。
「……君は確か、食堂で赤坂さんと一緒にいた陰キャ君だったかな?」
「……あ? って、佐藤先輩じゃないすか……」
赤坂の他にもう一人誰かいることは気づいていたけど、まさか佐藤先輩だったとは。薄暗い空間だから顔がよく見えなかったけど、よく見ると薄暗くてもイケメンオーラを感じるのだから困ったものだ。早く爆発してください。
「こんなところで何やっているんすか?」
聞かなくとも、二人の状況を見ておおかた察しはついていた。構図的に赤坂がレイプされようとしていることぐらいは。でもそれは俺の憶測でしかないため、ちゃんと本人の口から聞く必要があった。
佐藤先輩は赤坂の頬を撫でながら答えた。
「何って決まっているじゃないか。エッチだよ、エッチ。本番はこれからだったんだけどね」
「ッ! 赤坂に触るなァ!!」
自分でも驚くほどに怒声がビル内に響き渡った。
本来なら年上にタメ口を聞かない主義なのだが、嫌がる赤坂に好き放題触ろうとする佐藤先輩に思わず嫌気をさしてしまったのだろう。普段の俺ではない自分がそこにはいたような気がして、自分自身でも驚いている。
「君みたいな陰キャが僕に指図しないでもらえるかなぁ? これから僕と赤坂さんは大人の世界に入るところなんだ。邪魔しないでもらいたい」
俺が見ているのにも関わらず、佐藤先輩は気にせずに赤坂の顎をクイっと引き上げ、キスを迫ろうとしていた。
「んんッッ」
「––––––ッ! 触るなって言ってんだろうがァァ!!」
俺の体は自然と動いていた。目の前の醜い光景に嫌気がさして、何がなんでも阻止しなければならないと脳が命令を下している。
俺は全速力で赤坂の元へと駆け寄るが……。
「……やれやれ。これからお楽しみの時間だっていうのにだるいなぁ。まずは害虫駆除からしないといけないなんて」
赤坂の身から離れた佐藤先輩は俺の行く手を阻むように現れる。
ここを通りたければ、俺を倒してからにしろっていう場面みたいだった。
「くっ」
「一つ聞きたいんだけどさぁ……」
「そこをどけえ!」
「君ごときが僕に勝てると思ってるの?」
「!」
一瞬にして俺の間合いに入り込んできた佐藤先輩。俺がそれに気づいた時にはすでに遅く、溝を狙った拳がもろクリティカルヒットしてしまう。
「––––––がはぁッッ……ァァアッ」
ハンマーで殴られたような鈍痛に、俺は膝から崩れ落ちてしまう。
今ままで味わったことのない激痛。その痛みの反動で口からは粘り気のあるよだれがだら〜っと垂れてきてしまう。瞳にもじんわりと涙が潤い始めた。
数秒間の間、俺は呼吸を忘れるほどに意識がもうろうとした。
佐藤先輩が余裕な笑みを浮かべながら俺を上から見下ろす。
「やっぱりね。君、見た感じ弱そうだもん。僕に喧嘩で勝つんだったらそれなりに鍛えている人じゃないと」
そうだった。佐藤先輩は全国選抜に選ばれるほどのステータスを持ち合わせている逸材だった。それは即ち、体の筋力も人並み以上に鍛え上げられているということ。
さっきの一瞬の間合いや拳の威力も、それの恩恵で実行出来た技だと思われる。
それに比べ、今までろくに運動をして来なかった俺は全てのステータスが平均以下。ここにきて自分の貧弱さを呪う。
俺が今佐藤先輩と対戦しても勝てる見込みはほぼ0と言っても過言ではない。
佐藤先輩は俺の頭をグリグリと踏んづける。地面に顔が直撃し、違う激痛が走った。
「もう決着はついたも同然だね。これで分かったでしょ? 君では僕に勝てない」
「ぐぅぅっ……」
「君を見ていると同情するよ。男としての魅力が何一つない、その陰キャっぷりにね」
「……なんで、こんなことする必要があるんすか? 佐藤先輩ほどの人気っぷりならこんなことする必要ないでしょ」
「そうだね。僕ぐらいの人間だとこんなことをしなくても大抵の女の子は手に入る。––––––でも彼女は違った。生まれて初めて女の子からフラれ、みんなの前で屈辱を味わったんだ。それも二回もね……」
彼女というのは当然赤坂のことで、二回というのは入学初日と食堂の件だろう。
佐藤先輩の表情を今の状態では伺うことはできないが、言葉のトーンで悔しさが滲み出ているのが分かる。
「初めてだったよ。こんなにも悔しくて、恥ずかしい思いをしたのは。人気者だった僕も今となっては学校中で笑い者扱いだよ」
自嘲するように佐藤先輩は鼻笑いをした。
「だからこそ僕は、どんな手を使ってでも赤坂さんを手に入れやろうと思ったのさ。それがどんな形であろうとね」
「お前……ッ!」
今この状況が、その形とやらを示している。
「だからさぁ、いい加減とっとと消え失せてもらっていいかな? 目障りなんだよ」
今度は蹴りが俺の腹部へと直撃する。その勢いで横に蹴り飛ばされた俺は、激痛に耐えながらもゆっくりと体を立ち上がらせて、佐藤先輩の目を見て言ってやった。
「断る」
「……なに?」
「断るって、言ったんです」
「……フッ。どうやら外見だけじゃなく、中身まで救えないようだね」
「へっ、何を言っているんすか。帝学園に合格した時点で頭脳はそれなりにいいと思いますがね」
「まだそういう屁理屈が言える体力が残っているんだね。分かった。それなら喋れなくなるまで君を痛ぶってあげるとしよう」
それから俺は、一方的に佐藤先輩から攻撃を喰らう。
殴る、蹴る、殴る、蹴る、時には鉄パイプで殴るといったように、変則的に俺を痛めつけた。
その分、俺は立ち上がった。その分。俺は倒された。
全てはこれの繰り返し。
かれこれ、計五十発近くは喰らったと思う。
俺の体は、もはや立つので精一杯になっていた。
「ハァ……ハァ……」
(……まだ立ち上がるか。なんなんだ、こいつ……?)
「へっ、どうした? もう終わりですか? ぐッッ!」
「強がりやがって。何故そこまでして……君では僕に勝てないんだぞ? 分かっているのか!?」
「ああ、分かっているさ」
「!?」
「外見も、中身も……人脈も、モテた回数も……何一つ俺は、佐藤先輩に勝てないと思う」
「……」
「でも、一つだけ勝てる勝負があるんですよ」
「なんだと……?」
「それは––––––赤坂を想う気持ちですよ」
自分の口から自然と放たれた言葉に、佐藤先輩はたじろいだ。
今の俺は、高校受験以上に真剣になっていることだと思う。
「佐藤先輩の言う通り、俺は何一つ魅力がない陰キャだ。それを否定するつもりはない。––––––でも、赤坂を想う気持ちは負ける気しねえんだよ!」
「っ……。なにが想う気持ちだ。赤坂さんの前だからって、陰キャごときがカッコつけてんじぇねぞコラァ!!」
これまで冷静沈着だった佐藤先輩だったが、俺の言葉に嫌気をさして変貌する。
でも、今の俺にその威嚇は通じなかった。
「分かっていないですね。超絶美少女を前にして、かっこつけたくなるのが男というものでしょう」
敬語を使ってしまったのは威嚇にちょっぴりびびったからなんて言わないでおく。
「これまで君の態度やタメ口は僕の良心でスルーしてきたが……もう許さない」
(あ、気にしてたんだ)
「君をぶっ殺して、赤坂さんの全てをもらう。あまり先輩を舐めんなよ?」
誰がお前みたいなイカ臭そうな体を舐めるものか。それに男には興味ないわい。
「先輩こそ、あまり陰キャを舐めんなよ?」
セリフをそのまま返してやる。
すると先輩の眉間にはシワが強く寄せられ、鬼のように苛立っているではないか。
さっきよりも遥かに超える速さでこちらに向かってくる佐藤先輩。
人は感情に支配されたら止まらない。先輩の言っていたことはハッタリなのではなく、本心から言っている言葉だとこの時理解した。
喧嘩も度を過ぎるとうっかり相手を殺してしまったなんて事件も聞く。
その被害者にならないためにも、なんとかして佐藤先輩を止めなければ。
「死ね! 陰キャ野郎ッ!」
だが、布石はもう打った。
いつまでも、俺がやられるだけだと思うなよ!!
「この傷を警察に通報すると言ったら……どうします?」
「ッ!?」
佐藤先輩の動きがピタッと止まる。
そして警察という単語を聞いた途端、先程の怒りの様子は収まり、瞳が揺れながら動揺し始める。
冷静さを少しずつ取り戻しつつある様子だ。今のうちに俺は言葉を叩きかける。
「先輩につけられた多くの傷や打撲……今から警察に行って通報してもいいんですが」
「なッ!」
「警察というのは意外にも、実際に事件が起きないと中々動いてくれないことが多いんですよ。それが嘘か本当か分からないですからね。でも、今の俺には被害の痕跡がハッキリと残っている。これを元に訴えれば警察は動かざるをえないだろうな」
安全に進めるなら最初の目撃時点で写真を撮るなりして警察に持っていくのが理想なんだろうけど、そもそも中は薄暗くて写真を撮るのにもピンボケするだろうなという感じだったからしなかっただけなのだが。
例え写真をしっかりと残せる状態であったとしても、俺は通報をしなかっただろう。これは俺の情けというやつだ。
「どうします? まだ続けますか? 俺に危害を加えれば加えるほど罪は大きくなるだけですが」
力喧嘩で勝てないのなら、口喧嘩で勝つまでだ。
「……くそがっ!」
佐藤先輩の敵意とした雰囲気が萎んだ風船のように消えていく。瞳を閉じて俯く姿はまるで、降参宣言をしたかのよう。
すると佐藤先輩は、少しだけ俺の方へと頭を下げてきた。
「…………悪かった。頼むから、この件だけは他言しないでくれ……」
意外にあっさりと退いてくれたことに正直驚いたが、やはり問題が公に出てしまうリスクは怖いようだ。
帝学園というブランドもそうだが、佐藤先輩は今売れっ子のモデルだ。このまま順調にいけば将来は俳優としても活躍し、世間的にも世界的俳優まで昇り詰めるかもしれない逸材として期待されていることだろう。
そんな逸材が強姦事件を起こしたなんてニュースで取り上げられたら、期待していた人達はどういう気持ちになるだろうか。
きっと、悲しむ。
それを想像するだけで、俺は……佐藤先輩の将来と、それに期待を寄せている多くの人達の希望を奪ってしまうのは、躊躇われてしまうのだ。
佐藤先輩に対する許しのジャッジは本来俺じゃなく、赤坂のすることだ。
でも赤坂はきっと許してくれない……と思う。
だから勝手ながらも、俺が許しのジャッジをしたいと思う。
「分かりました。今回の件は他言しません。––––––でも、次はタダじゃ済まさないので……そこんところ、よろしくお願いしますね」
「……フッ。まぁ、肝に銘じておくよ」
「それともう一つ、手紙に書かれていた赤坂の秘密をばらすというのはどういうことですか? どこの誰から聞いたんです?」
「……黒崎優香。君と同じ1年生から聞いた」
「くろさき……ゆうか……」
どっかで見覚えのある名前だったが、現時点でそれが誰だったのかを思い出す事は出来なかった。
そう言って、佐藤先輩は廃墟ビルから出ようとする。しかし、出口手前……佐藤先輩は立ち止まる。驚くべきことに、こちらに振り返ったと思ったら土下座をして謝罪をしてきたのだ。
「本当に、すみませんでしたッ!!」
空間内に響きたわたるイケメンの声。その声は耳の奥にまで響いてきて思わず鳥肌が立ってしまったけど、その態度を見て俺は心の底をじんわりと温めてくれる小さな火玉がぼっと現れたような感覚を味わう。
変な感覚のはずなのに、気分はどこか和むように落ち着いていた。
きっと俺は、見直したのだ。
自分の過ちを認めたうえで、しっかりと誠意を込めて謝罪をする佐藤先輩を。
自分の悲を認めるのは、簡単そうで難しい。だってそれは、自分を否定しているようで辛いことだから。
他人のせいにすれば、どれだけ気持ちが楽なことか。
でも、佐藤先輩は認めたんだ。自分の悲を、心から。
数秒間の土下座を示し続けた後、佐藤先輩は今度こそこの場を去って行った。
俺は去って行く先輩の後ろ姿が見えなくなるまで見届けた。
ああ、なんでだ。この状況的に、勝負に勝ったのは俺のはずだ。
俺の方が立場的にかっこいいはずだ。勝者はかっこよく映るはずなのだ。
なのに、敗者として去って行く佐藤先輩の姿は、今の俺よりもかっよく映っている気がする。不思議なものだ。
「ったく、そのイケメン……半分寄越しやがれってんだ」
今回、佐藤先輩のしたことは許されることではない。プライドが傷つけられ、度を越えた性の欲求で心の隙間を埋めようとしたばかりに引き起こしてしまった事件だ。今回の件は本人のみならず、赤坂までも巻き込んだ。またトラウマを悪化させてしまったことだろう。犯してしまった罪が消えることはない。だから時間をかけて、じっくりと反省して欲しいと思う。
罪の意識としっかりと向き合い、過去の自分から生まれ変わった時、きっと佐藤先輩は––––––正真正銘のイケメンとなるだろう。
そんな真のイケメンが誕生してしまうことに残念な部分もあるが、ちょっとだけ期待している自分がいる。
それでも俺は記念すべきイケメンを負かした陰キャとして、勝ち誇った笑みを崩さなかった。
★
佐藤先輩の姿が完全に見えなくなったところで、俺は囚われたヒロインの元へと向かう。
「大丈夫か、あかさ……ぶほおぉ!?」
最初に一瞬だけ目に映った光景を改めて近くで見ると、猿轡をされながら拘束されている赤坂の姿はDの意志を継ぐもの(童貞)にとって、鼻血が吹き出すほどに刺激すぎた。ピ、ピンクの下着……!!
半裸姿によるX字拘束はあまりにも無防備で、男のS心を存分にくすぐられる。
なんなら実際にくすぐってやろうかと悪魔の俺が囁いたが、そんなことをしたら今後の赤坂との関係にひびが入って長期的デメリットが発生してしまうのでやめておく。(泣)
「んんんっ」
先ずは言葉を発っせないでいる猿轡から外すことに。
「ぶはぁっ。は、はやしくん……!」
「待っていろ。今拘束を解く」
まるで拘束プレイの後始末をしているような気分だ。にしても、どうして拘束されている女の子を見るとこうも興奮してしまうのだろうな。
手足の枷を全て外し終えると、赤坂は晴れて自由の身に。
赤坂は今度こそ体を起き上がらせ、ベッドから降りるとすぐさま俺の胸元へと顔をうずめた。
甘い香りが鼻腔をくすぐり、ふくよかな凹凸が俺の体に密着する。
「お、おい……っ」
「怖かった……怖かったよぉぉぉ……っ!」
「赤坂……」
涙声で心情の声を漏らした赤坂の体は少しだけ震えていた。
俺はどうしたものかと逡巡するも、少しでも赤坂の励ましになればと思い背中をさすりながら共感の言葉を向けた。
「ああ。怖かったよな。ごめんな、遅くなって」
赤坂は無言のまま頭だけを横に振る。それは『あなたは悪くない』と言っているかのようだった。
「どうして、来てくれたの?」
赤坂は俯いたまま、俺に質問を投げつける。それはきっと泣き顔を見せるのが恥ずかしいからだろう。
「どうしてって……それは、まぁなんだ。今日お前とロッカーで会った時、なんかいつもと様子が違うっていうか……」
普段の俺ならすんなりと言えるはずの内容なのだが、今回ばかりは状況が状況のため、かなり緊張してしまっている。だって、超絶美少女のEカップが当たっているんだもんっ。
「お前が、助けを求めているような顔をしていたから……」
「えっ?」
赤坂はきっとそんな顔をした覚えはないと思うが、その心の訴えはしっかりと顔に現れていた。自分では分からなくても、他の人が見たら分かるというのはよくあるパターンだ。
俺はゆっくりと赤坂の身を離したあと、ズボンのポケットから一通の手紙を取り出した。
「それは……!」
「……悪い。どうしても気になって、お前のロッカーを見させてもらった」
「っ……」
「あの時、お前が慌ててロッカーに何かを隠したのは分かっていた。最初は人のプライベートに突っ込むべきではないと思ったが、どうしても見過ごすわけにはいかなかったんだ」
あんな顔を見せられたら余計にだ。
「……ごめんなさい」
「……」
「私のせいで、林くんまで……本当に、ごめんなさいっ」
「……」
ずっと見せまいと隠し続けた涙が抑えられなくなり、ついに赤坂は大粒の涙をこぼしてしまう。
「いい加減にしろ!」
「!」
「ごめんなさいごめんなさいって、そればっかり言いやがって。なんだお前、謝罪会見の練習でもしているのか?」
「ち、違うわよっ。私のせいであなたまで巻き込んでしまったから、それで––––––」
「巻き込んだ? 違うだろ。俺は自分の意志でここに来たんだぞ」
「……」
「お前は俺に一言でも助けてって要求してきたか? してないよな? これは俺が勝手にしたことだ。これのどこに赤坂が謝る義務があるっていうんだよ。なぁ?」
「…………じゃない」
「あ?」
「だってしょうがないじゃないッッ!!」
「!」
「私だって、本当はあなたに助けを求めたかったわよ!!」
「赤坂……」
「でもしょうがないじゃないっ……私のせいで誰かが傷つくのは、もう見たくないんですもの……ッ」
赤坂は涙が溢れてくるのを必死に堪えながらも、俺と目から離すことはない。
「あなたみたいに優しい人だったら、尚更怖いのよ……。それに、何も私にかまう必要はないでしょ……」
「俺がそうしたいんだよ」
一瞬だけ、時が止まったように赤坂は呆けた。
「……なんで。私なんかと」
「男というのは単純な生き物でな。お前みたいな超絶美少女と過ごせることに幸せを感じるわけ」
「……ぷっ。なによそれっ」
あ、やっと笑ってくれた。
「それにな、俺だってお前と同じ気持ちなんだよ」
「え」
「俺もこれまでぼっちで過ごしてきた身だからな。一人に慣れているとはいえ、孤独には勝てなかった。だからお前を見ていると、昔の俺を思い出すんだ。そんなお前を俺は放っておくことなんて出来やしないんだよ」
痛みを知っているからこそ、その人の気持ちも理解できる。
だから、自ら孤独の道に進もうとする赤坂を放っておくなんて出来やしない。絶対にだ!
「傷つくのが嫌だ? ばかやろう。人間生きているだけで誰かを傷つけているもんなんだよ。お前が俺に言った『今後は、私と一緒にいない方がいいわ』なんて言われた時、結構傷ついたんだからな?」
赤坂のセリフを真似して言ってみる。そしたら手刀を喰らった。へへっ。
「まぁとにかくだ。俺はこれからもお前と一緒にいたいし、傷つくのだって合点承知だ! 俺はそんなかすり傷程度でやられるタマじゃないし、もしお前が傷ついたらその痛みを俺にも分けろ。いくらでも受け止めてやるから」
気づけば俺は、赤坂の両肩をガシッと掴んで訴えかけていた。
人は本気になると我を忘れてしまう現象があるが、どうやら本当らしい。
俺の心の底から放たれた言葉に赤坂は圧倒されたように固まっており、しばらくして柔和な笑みを浮かべ始めた。涙もさっきよりは止んでいて、今は瞳を覆う程度で収まっている。
赤坂はコクリと一つうなずいた。
「そういえば、下駄箱で別れた時、何か言いかけていたわよね? あれはなんだったの?」
「ああ……あれはだな……もう解決済みだ」
「なによ。気になるから教えてよ」
「…………俺はいつでもお前の味方だって、言おうとしたんだよ」
「……! ……ありがとう」
「う、うすっ……」
赤坂の頬を朱色に染めた柔和な笑みを向けられ思わず目を逸らしてしまう。
この距離感でそれは俺の本能が狂い始めた。体が言うことを聞かない。
でも、先に動いたのは赤坂だった。俺もそれを見て、やり返す。
俺達は––––––抱き合った。
嘘をついたら針千本を飲まされる約束のおまじないをするように。
ああ、これだ。この温もりを、俺は求めていたのだ。勘違いなのではない。俺は確かに、そう実感している。
(本当に、手放さなくてよかった!)
二人の想いが確かに交差した時、密着していた体をゆっくりと引き離した。
「林くん」
「おん?」
「……明日から、いえ、今日から私のこと……下の名前で呼んでくれるかしら」
「へ?」
「そのっ……あなただけは、特別に呼んでいいというか……」
「……」
「あっ、もちろん嫌ならいいのよ!? ただ、あなただけはその許可を与えるというか、なんていうか……」
「じゃあ……せっかくだから、そう呼ばせてもらうぞ。––––––アリア」
「––––––……ええ。お願いねっ。林くん」
お互い恥ずかしくて、照れ臭く感じながらそっぽを向いてしまう。
まるで付き合いたてのカップルのように。
「あの、俺からも一つお願いがあるんだが……」
「ん? 何かしら」
「その……俺と、連絡先を交換してくれないか?」
「連絡先?」
「ち、違うぞ! ほら、お互いに連絡先を知っておいた方が、今後何かあった時に都合いいだろ? だから!」
一体何が違うのか、自分で言っておきながらも意味不明だった。
これは女子との絡みが絶望的に欠如していることによる発生したてんぱりが原因。
しかも変に早口でそれっぽい理屈を並べる俺の姿はどこかみっともなく感じ、そんな俺のことをキモがられたかなと不安になったが、アリアは全くキモがることなく笑顔で答えてくれた。
「もちろん、いいに決まっているわ」
「あ、ありがとうございます。感謝致します」
「ふふっ。大袈裟ね」
なんやかんやで俺のお願いを受け入れてくれたアリアは、チャットアプリにてIDを交換し、友達リストに追加した。
すると、すぐにスマホの通知が鳴り、画面を確かめてみると早速アリアから一通のメッセージが届いた。
わざわざ目の前でメッセージを送る必要はないだろうと苦笑しつつ、メッセージを開くのだが、その内容を見て俺は困惑へと変わる。
『私を離さないで、ずっとそばにいてね』
心臓がドキッと飛び跳ねる。
女の子との耐性がほとんど無い俺にとって、そのメッセージはあまりにも心臓に悪すぎた。
「これって……」
「さっ、そろそろ帰りましょうか」
「え、あ、ってうおおい!」
アリアが俺の手を強引に掴んだことで転びそうになるが、なんとか体勢を立て直す。
アリアの通った場所からは甘い香りが漂い、鼻腔を通して全身に染み渡るような感覚が。
なんだかよからぬことを考えてしまいそうで、一旦距離を保って心を落ち着かせたいものだが、アリアの手がそれを許さない。
アリアの手は小さくて、柔らかくて、ちょっと力を入れたら簡単に折れてしまいそうなほど可弱く、女の子らしい手をしていた。
それでもアリアは、俺の手を手放さないようにとしっかりと握ってくれた。
手を握られた時、最初は少しだけ冷んやりとしていたけど、今は俺の熱が伝わって温かくなっている。ちゃんとアリアに温もりを分けてやれたことに少しだけ嬉しさを感じた。
これからは、そんな風に温もりを共有できる関係になりたいと願った。
時には喧嘩やすれ違いなどで冷めてしまうこともあるだろう。それでも俺とアリアは、また何度でもやり直せるはずだ。
なんたって、ずっとそばにいる関係なのだから。
アリアもそう思ったからこそ、俺を信じてあんな小恥ずかしいメッセージを送ってきたに違いない。
俺は開いたままになっているトーク画面に目を向ける。
(ちゃんと返信はしてやらないとな)
俺は慣れた手つきでフリック操作をし、誤字脱字がないかを確認したあと、送信ボタンを押した。
『当たり前だ』
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